第七章 幕引きと始まり
京都地裁における榊原と片寄耕太による対質尋問の名前を借りた決闘から一週間後、京都地裁で改めて開かれた判決公判において、裁判官は検察側の起訴取り下げを理由として斉川敦夫に対し無罪判決を言い渡し、検察側が控訴の方針を示さなかったため判決が確定。斉川は久方ぶりに社会に復帰する事となった。本人もまさか無罪になるとは全く予想していなかったらしく、出所した際は出迎えた秋沼弁護士や関係者を前に涙ぐんでいたという。
一方、法廷という特殊な場所での対決に敗北した片寄はそのまま逮捕され、後日、今度は自身が被告人という形で京都地裁に殺人容疑で起訴され、裁判員裁判で裁かれる事となった。さすがに担当する裁判官や検事は他の人間となり、弁護士も秋沼とは別の国選弁護人が担当する事となったが、証拠がしっかりそろっている今回は法廷での大逆転劇など起こるはずもなく、最終的には大方の予想通り裁判所と裁判員は片寄耕太に対する懲役十三年の実刑判決を下す事となった。殺人の事実のみならず、無実の人間を罪に陥れるための周到な偽装工作をした事が判決の重さに響いたのは間違いなさそうである。片寄は判決を不服として大阪高裁に控訴したが、量刑はともかく、彼の有罪判決は覆らないだろうというのが大方の予想である。
京都地裁での壮絶な一騎打ちから一夜が明けた六月二十六日土曜日、東京・品川の榊原探偵事務所内で、榊原は電話で報告を受けていた。相手は今回協力してもらった京都の探偵・神里紗理奈である。
「そうか、逮捕されたか」
『えぇ。昨晩……榊原さんたちが帰った直後の夜に、京都府警と大阪府警は半年前に京阪地区で連続して発生したひったくり事件の容疑で、片寄耕太の妹・片寄美樹の逮捕に踏み切ったそうです。すでに問題のバイクは確保されていましたし、昨日の裁判で片寄耕太の口から具体的な証言が行われましたので、証拠は充分と判断されたのでしょう。逮捕と同時に大阪市内にある彼女の実家の家宅捜索も行われて、そこでひったくられた鞄なども発見されたらしいですわ』
元市議会議員である彼女は、民間の探偵となった今でも昔の伝手で京阪神地域の政財界や警察関係者に多くの情報源を持っている。そこから、今回の事件の顛末についても情報が入ってくるようだった。
『片寄耕太が法廷の場で自供した事はすぐにでも彼女に伝わるはずなので、逃亡の危険を防ぐために警察も逮捕を急いだようです。実際、警察が片寄の自宅アパートに踏み込んだ際、片寄美樹は逃亡準備を進めている真っ最中だったとの事ですわ。取り調べでも当初は犯行を否認していたそうですが、否認しきれないほど大量の証拠が出た事で、観念して犯行を自供しているそうです』
「彼女の動機は?」
『予想通り、家庭や受験勉強のストレスからのようです。片寄家は両親とも共働きで家にいない事が多く、兄の耕太が家を出た後、美樹一人だけで過ごす事が多くなっていたそうです。その状況で受験勉強や友人付き合いのストレスがたまり、両親がいない事を良い事に家を抜け出して、姿を変えて繁華街などで遊び回る事が多くなったという事です。幸か不幸か彼女は元々頭が良かったため、そうした行為で成績が急に落ちるという事がなく、結果、周囲の人間も彼女の裏の顔に気付く事がなかったと』
「そして、それがエスカレートして、ついにバイクによるひったくりに走る事になったという事か」
『はい。最初は遊び仲間の不良に誘われてやったそうですが、そのスリルが病みつきになったらしく、大阪府内で盗んだバイクを使って犯行を繰り返すようですわね。こういうバイクを使ったひったくり事件は大抵男性の仕業と解釈される事が多い事から女子高生の自分がひったくり犯だとは誰も考えないだろうという計算もしていたようで、実際にこれだけの事をしながら警察に疑われるような事はなかったようです。そして犯行が成功するうちに大胆になっていき、ついには隣県の京都府内でも犯行を行うようになったのですが、そんな中で、例の家田涼花に目撃された事件を起こしたという事になったと』
「彼女自身は家田涼花に目撃された事を知っていたのか?」
『第三者に見られた事自体はさすがに気付いていましたが、その目撃者が誰なのかまでは、逃げる事に必死で確認していなかったようです。なので、大学入学後にその目撃者……家田涼花に会っても、彼女が自身にとって致命的な存在である事には気付かなかったみたいですわね。その後、本格的に受験シーズンとなったためさすがに犯行をする余裕がなくなり、大学入学後はそうした受験や家庭のストレスから解放された事もあり、犯行から遠ざかっていたとの事です』
「しかし今回、思わぬところで過去の犯行がなし崩し的にばれてしまった、という事か」
『はい。犯行当時未成年とはいえかなり悪質なので、家庭裁判所から逆送されて通常の裁判で裁かれるかもしれません。その辺りは今後、検察の判断次第ですわね』
「わかった。今回は色々、世話になった。報酬はまた後日、振り込ませてもらう」
『いえ、こちらも久々に榊原さんと一緒に仕事ができて嬉しかったですわ。また何かありましたら、遠慮なく声をかけてください』
「できれば、そんな事は起ってほしくないというのが本音だが、その時はよろしく頼む。では」
榊原は電話を切り、事務椅子の背もたれにもたれかかる。そして、榊原が電話をしている間、来客用のソファに座ってジッとその会話を聞いていた人物に話しかけた。
「まぁ、こういう顛末で終わったわけです。君にとっては残念な結末になったかもしれませんがね」
その言葉に、ソファに座っていた人物……依頼人・岡部武一は曇った表情を浮かべていた。
「まさか……こんな事になるなんて……」
何しろ一連の事件で恋人だけでなく友人も失ってしまったのである。そのような反応になるのも無理はない話であったが、榊原は厳しかった。
「依頼するときに警告したはずです。『たとえ辿り着く真相が君たちにとって不都合なものだったとしても、私は止まるつもりはない』と。事件というものはそういうものですし、今回に至っては犯人が積極的に私を騙しにかかろうとしましたからね。それ相応の対応をするのは当然です」
「それは、そうですが……」
「それとも、私に依頼した事を後悔していますか?」
榊原は試すように尋ねる。が、岡部は首を振ってこう答えた。
「いえ、さすがにそれは殺された涼花に失礼です。もし真相が明らかになっていなかったら斉川さんはやってもいない罪で有罪になっていたでしょうし、僕は無実の人間を永遠に恨み続ける事になったかもしれない。そんな未来があったかもしれないと思うとゾッとします。片寄の事は残念でしたけど……涼花のためにも、自分のした事に後悔だけはしないつもりです」
「それなら、いいんですがね」
そこで岡部は立ち上がって頭を下げる。
「今回は本当にありがとうございました。依頼料は僕が必ずお支払いします」
「それはわかりましたが……今日は、そのためだけにわざわざ東京まで?」
「あ、いえ。今日はこの後、涼花の墓前とご家族に事の顛末を報告しに行くつもりです。これから片寄の裁判がまだ残っていますけど、僕は最後までこの事件を見届けるつもりですよ」
「そうですか」
それから少し世間話をして、岡部は事務所を去って行った。と、給湯室にいた瑞穂がひょっこりと顔を出す。
「終わりましたか?」
「あぁ。終わった。大変ではあったが、今回も解決できて何よりだ」
そう言って榊原は大きく息を吐く。そんな榊原に対し、瑞穂は来客用テーブルに置かれた湯飲みを片付けながら話しかける。
「でも、まさか先生自ら証人として法廷に立って、あんなやり方で犯人を追い詰めるとは思っていませんでした。しかも、検察側の証人なのにいきなり被告人の無罪を主張して、そのまま真犯人を告発するなんて……私でもこれが無茶苦茶なやり方だって事は理解できます」
「もちろん、私もできればあまりやりたくなかったのだがね。ただ、今回は決定的な証拠が少なかったから、法廷という逃れられない場で片寄自身に失言させるやり方が一番効果があると判断したまでだ。もっとも、法廷本番よりも、その前に諸橋検事を説得する方が随分骨が折れたと思うがね」
「法廷では息ピッタリでしたけど、やっぱり大変だったんですか?」
「あぁ。正直、二度とやりたくはないが……こればかりは何とも言えないのが恐ろしい所だ」
よっぽど苦労したのか、榊原はそれ以上この件について語りたがらなかった。一体瑞穂のいない所でどんなやり取りがあったのか非常に気になる所だが、瑞穂も空気を呼んで話題を変える。
「そう言えば、今朝、恩田先輩からメールがありました。『厄介な依頼人を押し付けて悪かった、って伝えておいてほしい』との事でしたけど」
「厄介という自覚はあったのか。というより、その手の謝罪は押し付けた直後にするのが普通だと思うのだがね」
「そこはあの恩田先輩ですから。その辺の読めない性格は昔から変わっていないと思います」
「……何だろうね。初めて会った時から、あの子が絡む案件は大体ろくなことにならない気がするんだが、気のせいだと思いたいところだ」
「まぁ、そう言わないでください。私の数少ない、今でも付き合いがあるミス研時代の先輩なんですから。最近も一緒に遊びに行きましたし」
「そうなのかね?」
「はい、大学進学祝いって事でちょっと。先輩も来年は就活ですし、今のうちに羽を伸ばしておきたいって言っていました」
「あの子が就活ね……想像できないが、希望は何なんだね?」
「さぁ。そこまでは聞いていません。でも先輩の事だから、何かとんでもない職業に就きそうな気がします」
そんなたわいもない話をしていた二人だったが、直後、不意に事務所の入口のドアがノックされた。その音に会話をやめ、二人は互いに顔を見合わせる。
「アポの予定を確認してくれるかね?」
「ええっと……あ、三日くらい前に『依頼の相談をしたい』って電話があったって書いてあります。一応、今日が面談予定日になっているみたいです」
一応、事務員でもある瑞穂が秘書席の予定表を確認しながら言う。それで榊原も思い出したようだった。
「あぁ、そうだった。確か、群馬の資産家からの問い合わせだったか。京都の一件がすんでからの方がいいと思って、今日を面談日に設定していたんだったな」
「していたんだなって……危なく岡部さんとバッティングするところだったじゃないですか!」
「バッティングするも何も、さっきのは岡部君がいきなりやって来ただけだから、私の責任じゃない」
「もう……それで、どんな依頼なんですか?」
瑞穂が呆れながら問うと、榊原は少し真剣な表情でこう言った。
「詳しい事はまだわからないが、電話口で聞いた限りだと、『死体が殺された事件を解決してほしい』らしい」
「し、死体が殺された? ちょっと、意味がわからないんですが……」
瑞穂は目を丸くして反応する。が、それは榊原も同じ気持ちのようだった。
「私もだよ。それについての詳細を今から聞くつもりだ。まぁ、休む暇がない事は確かなようだがね」
「いいじゃないですか。普段は閑古鳥が鳴いているんですから、仕事がある時はしっかり働いてください。そしたら私の給料も増えますし」
「……善処しよう。ひとまず、お茶の準備だけしてくれ」
「はーい」
そう返事しながら瑞穂が給湯室に再び引っ込むと、榊原は咳払いをして頭を切り替え、ドアに向かって呼びかけた。
「どうぞ、お入りください」
……そして、榊原はまた再び、新たな事件に挑んでいく。この世に明かすべき『真実』がある限り、『真の探偵』……榊原恵一の仕事は終わらない。
故意か過失か 奥田光治 @3322233
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます