第5話 洗濯係
その日の夜。
久しぶりに親父と2人きりで食事。
「まったく。晴郎は昔から買い物だけは苦手だな」
「だけってことはないけど、今回はしかたがないんだ。
いろいろと邪魔が入ったんだから」
邪悪な魔女の仕業と言っても、信じてはもらえないだろう。
あー、腹が立つ。美乃がいなければ、はたきをゲットできたのに。
不機嫌そうにしていると、親父が陽子のことを話題にする。
「陽子の部屋の掃除係を解任された。その意味が分かるか?」
何となく、分からないでもない。いつかはそんな日が来ると思っていた。
「つまり……陽子は、兄離れがしたいってことでしょう」
「思い上がるな晴郎、それは違うぞ!」
違うのかいっ! かなり思い切って言ったのに、僕の勇気を返して欲しい。
「じゃあ、どういうことだよ!」
「離れるべきは晴郎の方だ。幼馴染からも妹からも、それに……」
親父はそこまで言って、涙を浮かべながら続ける。
「……父親からも!」
どうしてそうなるんだ! 泣くほどのことでもあるまいに。
この涙、絶対に嘘泣きだ。
料理と掃除と洗濯には自信がある。だけど他のことは、
「これまで、何をやっても上手くいかなかったんだ」
遠くをぼんやり見ながら言うと、親父がパタリと泣き止む。
「そうか? リトルの世界大会決勝のこと、父さん覚えてるぞ」
3年以上も前のはなしを持ち出すなって。
僕だって昨日のことのように覚えている。僕は野球が下手過ぎる。
「最終回裏の攻撃はツーアウト満塁、点差は3点だった」
「晴郎は走者一掃の同点タイムリースリーベースを放った!」
同点止まりだった。
「4番打者としてはサヨナラ満塁ホームランを放つべきだったのに……」
僕にはそれができなかった。悔しくってしかたがない。
「いや、同点上等だろう。その直後にホームスチールを決めたし」
「あれは、相手バッテリーが完全に油断してただけだよ」
僕が下手だから相手が油断する。ただそれだけのことだ。
親父は肘付きして面倒臭そうに言う。
「じゃあ、将棋は? 大活躍だったじゃないか」
覚えてる。決勝戦の相手は藤井君だったかな、たしか去年、竜王位になった。
信じられないくらい大きなミスをしたんだ。僕はそこを突いて勝てた。
たしかにそこまではよかったんだけど、問題はそのあと。
「初鹿野くんに挑んで、全く歯が立たなかった」
初鹿野くんというのは汎用ゲームAI。
「その初鹿野くんを開発したの、晴郎だろう!」
全くその通り。僕は自作自演の末に敗北したんだ。
「自分が作ったAIになす術なく破れるという醜態を晒す結果だった」
親父は頭をポリポリと掻いて、
「プロレスは? 中学生全国大会春秋6連覇は?
これ以上はない結果だったろう」
と、僕に自己肯定感を持たせようと必死だ。それはありがたい。
でも、はなせばはなすほど、僕がみじめになる。
親父はプロレスのことを何も知らないだけ。
「プロレスは、負けっぷりが見せ場なんだよっ!
兎に角、僕は料理と掃除と洗濯以外は何をやってもダメ人間なんだ」
その上、幼馴染にはフラれてた。給食に負けた。
妹には三行半を突きつけられ、掃除係をクビになった。
残るは洗濯係くらい。それなのにどうして自信を持てるっていうんだ。
親父も納得したのか、肘付きを辞めてから言う。
「ダメだ、こりゃ。まぁ、大雅ちゃんにでも相談するんだな!」
親父が大雅ちゃんと呼んだのは、景子の1コ上の姉。
僕が10歳のころ『洗濯、上手いね』っと褒めてくれた優しい人だ。
以来、僕は毎日、飯富家の洗濯物を洗濯している。
「どうして大雅姉に相談しないといけないのさ!」
飯富家に出入りするのは景子にフラれたばかりで気が引ける。
そもそも、何を相談すればいいのかも分からない。
「行けば分かる。これは父親命令だ、いいな」
こうして僕は、大雅姉に相談することになった。
「ハローくん、さすがだね。今、何時だと思ってる?」
「夜の9時でございます……」
ビビビッのせいで敬語になってしまう僕を大雅姉は温かく迎えてくれた。
勉強を中断して、腕と脚を組んでいる。
「その行動力というか、後先考えずに突っ込むところは見上げたものだよ」
大雅姉は本当に褒め上手!
「僕みたいなダメ人間、悩んでもしょうがないので、行動するしかないんです」
「ま、ハローくんに頼られて悪い気はしないけどね。それに……」
大雅姉はそこまで言って椅子を90度回転、僕と向き合って脚を組み直す。
黒いストッキングの縫い目がセクシーだ。
「……妹の前カレじゃなかったら、とっくに召し上がっているわよ」
「お腹空いたんですか? 夜食、作りましょうか?」
前のめりになる僕に大雅姉は顔を右手で押さえながらため息混じり。
「はぁーっ。そういうところだと思うよ。ハローくんは人に気を使い過ぎ。
分かった、分かった。じゃあ、こうしよう。
今度から、うちの洗濯物の洗濯はしなくていいから!」
突然の解任! 僕、洗濯には自信があるのに。
「どうしてですか?」
「どうしても何も、クビったらクビよ!
その代わり、1つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「なっ、何なりとどうぞ!」
「記念に洗濯用洗剤をプレゼントしてちょうだい!」
なんだ。そんな簡単なことか。
でも、そのプレゼントのあと、僕は洗濯係をクビになるんだ。
だからといって手は抜けない。最高の洗剤をプレゼントしよう。
「分かりました!」
こうして、僕は次の日も駅前スーパーに行くことになった。
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