第7話 お姉様
金曜日。朝、5時半。
この日は久しぶりに部活に顔を出す。プロレス部だ。
みんなで早出して体育館にリングを設営することになっている。
「おはよう!」
あいさつしてくれたのは妙齢の女性。僕の通う中学の校長先生だ。
僕の家の門に寄りかかっている。
まっ、まずい! この人を待たせたら、あとで何をされるか分からない!
僕は直ぐに「ほひゃやふごじゃりましゅ」と返した。噛み噛みだっ!
無理もない。ビビビッを通り越しているのだから。
フォローする間もなく、身体を起こしてはなしかけてくる。
「やっと来た、ハローくん。ガッコ、一緒に行こっか」
「はいっ、おっ、お姉様。お供いたします」
僕が『お姉様』と呼ぶのは、そうしないと何をされるか分からないから。
こうして、お姉様と2人で一緒に登校することになった。
ちなみに、お姉様は景子と大雅姉のお母さんでもある。
お姉様は定員2名の実用性の全くない車に乗っている。
何度か載せてもらったことはあるんだけど、今でも見た瞬間は……。
「おー、スゴイ!」
と、叫んでしまう。直線で構成されたかっこよさ。
骨董品のようでいて近未来的な真紅のメタリックボディー。
リトラクタブルヘッドライトは閉じていて、流麗さが際立っている。
車高は低く、シザーズドアが開くまで、両側に立つ互いの顔が見れるほど。
お姉様が微笑みながらリモコンを操作すると、一斉に両側のドアが開く。
お姉様のご尊顔を拝することが一瞬、できなくなる。
そーっと「お邪魔します」と言いながら車内に入る。
中は広く、目線が低くなったこと以外には車高の低さを感じない。
「どう? 座り心地は。シートを色々と変えてみたんだけど」
「さっ、サイコーです!」
そう言う他はない。
以前に載せてもらったときははっきり言ってサイアクだった。
ゴツいというか、狭いというか、実用性とは遠くかけ離れていた。
兎に角、サイアクの座り心地と言わざるを得なかった。
でも今日は違う。狭いは狭いんだけど……。
シートはやわらかくって、それでいて弾力がある。
後頭部のやや左とやや右に心地いい刺激がある。
姿勢が楽になるように自然にコントロールされるのもいい。
いつまでも座っていたい、サイコーの座り心地だ。
「気に入ってもらえてよかったわ。
私の膝の座り心地を再現するのに時間をかけたもの」
そうですか。これがお姉様の膝の座り心地ですか。あり寄りのあり!
お姉様が若くして校長先生になったのは、何事にも妥協なく取り組むから。
強制的に『お姉様』と呼ばせること以外、尊敬できる人だ。
「じゃあ、ちょっと寄り道しよっか! どこか行きたいところある?」
「でも今日は、リングの設営をしないといけませんから」
思わず口答えしてしまう。
あまりの座り心地のよさに、ビビビッが中和されているようだ。
いつもなら口答えなんかできないのに。
これはまずい、これはまずい、これはまずいーっ。
よりによって、お姉様に口答えするなんて、何をされるか分からないーっ!
「あらっ、大丈夫よ。そんなの上杉くんたちに任せちゃえばいいでしょう」
上杉というのはプロレス部の前キャプテン。
5大会連続で僕と優勝を賭けて闘ったライバルでもある。
特に4度目となった3年春季大会は死闘を極めた。
「でっ、でも。上杉は設営下手くそだし……」
「……ハローくん!」
言いながらお姉様がアクセルをひとふかし。
振動が僕を揺さぶったあと、爆音となってご近所様に迷惑をかける。
それがまた心地いい。お姉様の膝でお姉様に寄りかかっているようだ。
「……いやぁーっ、どこに連れてってもらえるか、楽しみです」
いつものように心にもないことを言ってしまう。
「いやダァ、ハローくんったら。
じゃあ、天国にする? それともパラダイス? 私はどっちも好きよ」
そんな名前のホテルが学区外の街道沿いにある。
もちろん、いかがわしい方のホテルだ。
お姉様を刺激すると、本気で行きかねない。
「そっ、そうだ。海が見たいです。行きたいところ、海です!」
「じゃあ、そっちの方向で」
車は他の車の間を縫うようにして、風のように走った。
僕たちがとあるSAに着いたのは、日の出の前だった。
ドアが跳ね上がったときにはもう、珍しい車の周囲には男が集まっていた。
そして、車からお姉様が1歩外に出ると、その視線はお姉様に釘付けになる。
お姉様は群衆の一人に近付き「ねぇ、日の出はどこで見えるの?」と訊く。
一瞬、知り合いかと思ったが、違うようだ。その男は噛み噛みだった。
「はっ、はい。あちらでございましゅっ」
彼もまた美少女レーダーの持ち主だろうか。労おうと思い微笑みかける。
しかし男は僕を睨み付けてくる。僕は蛇に睨まれた蛙のように一歩も動けない。
どうしようと思っていると、お姉様が僕にはなしかけてくる。
「ハローくん、行こっ!」
「はっ、はい、お姉様!」
慌てて歩き出そうとすると、男は道をあけてくれる。
「なんだ、弟さん? はじめに言ってくれればいいのに」
妙に優しい目をしている。いつ言う暇があったろうか。弟じゃないし。
まぁ、しかたない。この男の人も、きっとまだビビビッてしてるんだろう。
お姉様のあとを歩く。
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