第6話 女神

 翌木曜日の放課後。件の駅前スーパー。

大雅姉に貢ぐ洗濯用洗剤を買いにきた。

今日こそは買い物に成功すると思い、小さくガッツポーズ。

だって今日は特売日。洗剤は唸るほどある。


 洗剤はまるでネギ坊主のように、上に重心が偏ってつまれている。

みんなが下から取るうちにこうなったようだ。

今やいつ崩れてもおかしくない。


 僕は目を疑った。すれ違ったのは地味な女子!

黒い長髪の三つ編み、顔からはみ出すほど大きな黒縁メガネ。間違いない。

僕は立ったままビビビッとすることしかできずにうしろ姿を見送る。


 地味な女子が人混みに消えても、まだビビビッは続いている。

このパターン、近くにまた誰かがいるのかもしれない。

きょろきょろと探す。


 すると、目に留まったのは別の女子。下の方の洗剤に手を伸ばしている。

やっ、やめろーっ! そんなところから取ったら、崩れるぞーっ!


 女子が洗剤を取った瞬間。案の定、洗剤は徐々に重心を傾ける。

杉の大木を切り倒したように女子の方へと倒れていく。

女子は足がすくんでいるのか、仰け反りはするが、その場を動かない。

このままでは女子が洗剤の下敷きになる。


「あっ、あぶない!」


 僕は咄嗟に女子を身体ごと引き寄せる。女子の身体がくるりと反転。

洗剤の落下地点から素早く退避する。間一髪、下敷きにならずに済む。


 そしてそのとき、僕は完全に女子を抱いていた。密着していた。

こっ、これはっ! 小さく見積もってもグレープフルーツ!

ぎゅーってすると、グレープフルーツの面積が変化するのが分かる。

温州みかんとは大違い。気持ちいい。やめられない、とまらないーっ!


 ん! これはまずいんじゃないか!


「ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいーっ……」


 言いながら慌てて距離を取る。


「……本日は……」


 自分でも何を言ってるのか分からない。ビビビッてしている。


「……お日柄は、わたくしにとってはサイアクの日でございますが!」


 的確なツッコミ? ボケ?

兎に角、それでようやくグレープフルーツの持ち主の全身に目が行く。


 茶髪縦ロール。力強い瞳。それに負けない上向きまつ毛!

こちらも上を向いているふくよかでいて攻撃的なグレープフルーツ。

その神々しさ、貴族的な家柄のだれか? あるいは女神様⁉︎


「ありがとうございます」


 と、女神様は、たしかに頭を下げているが、堂々としてもいる。

緊張がさらに高まる。


「いっ、いえいえ。僕は武田晴郎です。中3です」

「それはご丁寧に。わたくし、内藤秀菜、同じく中3にございます」


 『わたくし』だなんて、秀菜はやっぱり女神様?

でも、女神様が独りで買い物するだろうか。

疑問はあるが、会話を続ける。


「内藤さん。お怪我はございませんか?」

「はいっ。おかげさまで五体は無事にございます。貴方様は?」


 嫌いだ。この人、嫌いだ。自己紹介したのに『貴方様』はない。

秀菜は女神様なんかじゃない。邪神か貧乏神か、疫病神。

関わらない方がいい、関わらない方がいい、関わらない方がいい……。


「無事でございます。それでは、これにて」


 これでお別れした方がいい。


「お待ちください。わたくしからお聞ききしたいことが……」


 いつものパターン。僕は、秀菜の言葉を遮る。


「……2つ、ですね」


 2つ答えて、終わりにしよう。


「いいえ。3つほどございます」


 増えてる! 思わず、言ってしまう。


「どっ、どうぞ」

「どうしてわたくしを助けたのですか?

 どうして、どさくさに紛れてわたくしを強く抱きしめたのでしょう」


 自分でも不思議だ。あんなに緊張していたのに。動けなかったのに。


「あぶないって思ったら、身体が勝手に動いていました。それから……」


 そこで間を置く。

強く抱きしめた理由なんて、気持ちよかったから以外にない。

そのまま伝えたら、絶対に変態だと思われる。


「遠慮せずに言ってくださいまし。あらいざらい!」


 と、秀菜の姿勢が変化する。

両肘をそれぞれ反対の手で掴み、水平方向に1本の棒のようなものを作り出す。

その上の空間にグレープフルーツをちょこんと乗せる。


 両側から二の腕にほんの少し圧迫されたグレープフルーツは、

丸みを維持しつつも前に突き出る。


 おい、嘘だろ! サービス精神が旺盛過ぎるぞ。

ビビビッが強化されちゃうじゃないかーっ!


「とても気持ちがよかったので、ぎゅーってしてしまいました」


 言い難いが、本当のことだ。正直に言うしかなかった。

秀菜はゆっくり目を閉じて、ため息混じりに言う。


「そうですか。やはり、武田さんも気持ちがいいと感じたのですね」

「ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいーっ」


 自分の気持ちよさのために他人を傷つけるなんて、僕はサイテーダメ人間。

謝って許されるものじゃないことくらい分かってる。

あれっ? でも、秀菜は『武田さんも』って言った。『も』だ。


「謝罪には及びません。ですが、互いに中学生である今、

 快楽目的の行為に勤しむにはいささか早いと感じますが、いかがでしょう」


「おっしゃる通りでございます」


 ぐうの音も出ない。


「では、互いに成長するその日まで、この続きは封印いたしましょう」


 って、大人になったら期待してもいいのだろうか?

グレープフルーツを絞ってもいいのだろうか!


 いや、考え過ぎだって。僕みたいなダメ人間の求めに、

女神様が応じてくれるはずはない。あり得ない!

さすが筋金入りのお嬢様、断り方も上品!


 あっぶなーいっ! 危うく勘違いするところだった。2・3度頷く。


「ところで、洗濯はお上手なのですか?」

「はい。世界大会があったら優勝できる自信があります!」


 えっへん!


「もし、本当なら、次の土曜の午前11時、駅前広場にお越しください。

 お待ちしておりますよ、晴郎様!」


 秀菜はそう言うなり、足元に転がっている洗剤の1箱を持って、

レジの方へと歩いて行ってしまう。見えなくなるまで見送った。


 ビビビッが治り、


「しっ、しま……って、ないか」


 洗剤を持ち逃げされたわけじゃない。

今日は特売日。足元には洗剤はまだまだたくさんある。

今日は何とか買い物を無事に済ませることができそうだ。

その前に、床に散らばった洗剤をお片付け、お片付け!


 そんな僕に近付いてきた店員が言う。

はじめはみなさんに、最後は僕だけに。


「毎度、ありがとうございます。本日のタイムセール、

 以上で終了とさせていただきまーす。


 あっ、君が落としたものは定価で買い取ってもらいますから」


 そっ、そんな……バカな……僕は買い物にまた失敗した。

秀菜は、女神は女神でも、やっぱり疫病神だった。

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