君をとまとも 〜古流波、十一歳の秋〜

加須 千花

今日はお洗濯、つまり休みの日!

 金門田かなとだを  荒垣あらがきみ 


 日がれば


 雨をとのす  君をととも



 可奈刀田乎かなとだを  安良我伎麻由美あらがきまゆみ

 比賀刀礼婆ひがとれば  

 阿米乎万刀能須あめをまとのす  伎美乎等麻刀母きみをとまとも



 門前の田が荒れているときは、きならしてきれいに整え、


 日照りが続けば、


 雨が降るのを待つような気持ちで、あなたを待ちます。



 

      万葉集  作者不詳





    *   *   *





 奈良時代、丁未ひのとみの年。(767年)

 十月。秋の日差しが穏やかな日。

 さるの刻。(午後3〜5時)


 オレは古流波こるは

 十一歳の女童めのわらは(女の子)だよ。

 

 オレは、人が比較的こない、小川の上流──と言っても、上毛野君かみつけののきみの屋敷の、築地塀ついじべいで囲われた敷地内だ──の、木立に立っている。

 木々の葉が秋の朽葉くちばとなり、黄色、赤、千々ちぢに染められるまでは、まだもう少しだ。


「よし、乾きそう。あともうちょっと。」


 木の枝に干した、灰汁色あくいろ(薄い灰色)のたえ(木の皮から作られた繊維)の上衣うわごろもを触って、乾き具合をたしかめる。


 下袴したばかまは乾いて、もう穿いてるけど、上衣はまだ乾ききってない。

 上は裸で、こも(マコモ──高さ1〜2メートルのイネ科の草を、荒く織ったムシロ。)にくるまっている。

 肩に腕にこもがあたる。感触は硬いけど、良く使いこんでるから、ちくちくはしない。


「はあ、寒い。」


 秋だから、空気が冷たい。しょうがないよね。


 オレは、上毛野君かみつけののきみの屋敷を護る衛士えじ卯団うのだん下人げにん(下働きをする階級の者)扱いで、ここに置いてもらってる。


 十日に一回は、自分の衣を洗い、髪の毛も洗う。

 衣は、この一着しか持っていない。

 郷人さとびとはそれが普通だ。衣は貴重で高い。

 

 でも衛士えじは、ビシッとかっこよくて厚手の綿でできた、濃藍こきあいころもを支給される。

 だから洗濯の時に、オレみたいに裸になって、衣が乾くのを待つ必要はない。

 うらやましいなあ。

 オレも、いずれ、卯団うのだんの衛士になって、あの、濃藍衣こきあいころもを絶対、着てやるんだ。

 オレの命を助けてくれた三虎みとらの隣に立って、剣をふるう、成長した自分を想像する。


(えへへ。)


 オレは三虎が大好き。

 今は奈良に行ってしまってる。いつ上野国かみつけののくにに帰ってくるんだろうなあ。


 オレはこもにくるまったまま、ぷるるるっ、と頭を振る。

 くるくる巻いた、おヘソまであるくせっ毛が、ふわっと陽光に舞った。もう乾いてる。


 今日は、洗濯の日。

 炊屋かしきやで米のじるを木桶に入れてもらって、小川まで行く。

 米の研ぎ汁で髪の毛を洗い、つみくしで髪をとかす。

 髪の毛を洗うのは、十日に一回だけど、濡らした手布てぬので、身体をざっとぬぐうのは、二日に一回。

 身体をぬぐうだけなら、あっという間だからね。


 川で衣を洗濯する。水でもんで、べしっ、べしっ、棒で叩いて、汚れを落とす。

 そしたら、こもでくるっと身体を巻いて、ひたすら、衣が乾くまで、一人で待つのだ。

 裸では、下働きもさすがにできない。

 オレにとって、十日に一回の、お休みの日も同然だった。




 ………ここに来て、はじめて洗濯した日は、


(今日は満足に下働きをしていないから、夕餉ゆうげはもらえないかもしれない。あっち行け、と言われるかもしれない。

 それでも、当然のことだ、明日になれば食べれるんだから……。)


 とうつむきながら、夕餉が配られる卯団の広庭に、おずおずと近寄っていったものだった。

 でも、皆、


「なあに遠慮してるんだよ。」

「さっさと食えよ、古流波こるは。」

「寂しいのかあ。こっち来い、一緒に食べてやるぞぉ。」


 と明るく声をかけてくれて、涙がにじむほど嬉しく、その夜食べた猪鍋ゐのししなべは、腹に、心に、あったかく染み渡って、特別、美味しかった。




「くああふ。」


 穏やかな陽気に欠伸がでる。

 オレはこもにくるまって、ころん、と草地に転がった。

 秋の乾いた野の草が、こもごしに背中でカサカサと折れ、たっぷりとした土の匂いが立ち上がる。

 そのまま、一回転、二回転。気ままに草地を、ころんころん、と転がる。

 ふぢばかまの細かい花にとまっていた(蝶)が、慌ててヒラヒラ飛んでいく。の白と黒のはねが日光に光って透けた。


「えへへ、驚かせてごめんね。」


 その慌てっぷりに、オレは目を細めて、一声かけておく。

 遠くで、光をはらんだ(ススキ)が優しく風に揺れている。

 空が青い。

 



 ………猪鍋ゐのししなべを食べた時に、隣に座って、頭をわしゃわしゃでてくれたのは薩人さつひとだった。

 しかし、あの目が細くひょろっと背が高い少志しょうし(卯団のうち二人いる、副長的なのもの)は、ここに来て翌日に、


古流波こるはぁ。湯殿ゆどの行こうぜ。」


 とあっけらかんと声をかけてきたおのこでもあった。


「湯殿って何?」


 さとでは聞いたことのない言葉に、そう訊くと、


「お湯に皆で入る。」

「皆? それって裸? 皆で?」

「そりゃそうだよ。」


 オレは逃げる乎佐藝をさぎ(兎)のごとく、ぴゅーっとその場を逃げ出した。薩人は、


「はあぁっ!?」


 とビックリした声をだしてたけど、


(はあぁっ!? はこっちだよ!

 オレは女童めのわらはなのに! 

 最低だよ!)


 とオレは思った。


 オレは母刀自に、おのこに肌を見せるな、身体を触らせるな、ときちんと教えられた。

 大丈夫、母刀自。

 オレはちゃんと、教えを守って、きちんとやれてる。


 その後、三虎が薩人に、


「おまえは遊浮島うかれうきしま通いすぎだ。」


 と注意する口調で言っていて、薩人は、


「オッ、オレから遊行女うかれめ遊びをとったら、何が残るっていうんですか!

 たくさんのおみながオレを待ってるんですよ。もうこの身を絞りかすにしたって。」

「バカ。」


 と会話していたから、やはり薩人は最低なのであるとわかった。


「……このタコ。」


 とオレは薩人に聞こえないように、ぽそりと呟いたものである。





 ………空の高いところを、斑鳩いかるが(いかる)が、キコーキキョイー、キィ、と鳴きながら飛んでいく。


(お腹へった。)


 オレは起き上がり、木立へ麻鞋まかい(麻を編んだズック靴)の足を踏み入れる。

 この麻鞋まかいは、卯団の川嶋かわしまから、


「弟のおさがり。」


 ともらったものだ。本当に、オレはここに来られて、恵まれている、と思う。

 しばらく歩くと、目当てのものが見つかった。


三枝さきくさ(むべ)だぁ。」


 すごく高いところに、手のひらほどの、薄紫の実がぽてーんと実っている。重いのだろう。枝がしなっている。


(むふふふ。高いところだって、オレの手から逃れられると思うなよ。)


 オレはニンマリと笑い、隣に生えているに目をつける。

 まわりに人がいないのを、きょろきょろと確認し、こもを草地に置くと、ぱっとに取りついた。

 オレは山育ちなんだ。

 言ってなかったっけ?

 するすると高いところまで登り、三じょう(約9メートル)は登ったか。

 手が届いた三枝さきくさの枝を、ぽきん、と折る。がざざ、と音をたて、三枝は地面に落ちた。


「えっへっへぇ。」


 見事な捕物とりものである。

 でも、風がむきだしの肌に冷たい。


「う。」


 ぶるるっ、と震えてから、またスルスルとを降りる。

 すぐにこもを巻いて、ちょこんとこもから出した手で刀子とうす(小刀)──下働きのおつとめに必要だから、持ち歩いてるよ──を握り、三枝さきくさを割る。


「むふふふふ。」


 黒い種に、ふわふわの白い糸みたいのが絡みついてる。これは種ごとむしゃぶりつくものだ。


(すんごく、甘ぁ───い!)


 舌と歯で、種から白いふわふわをこそげとる。種は、ぷっ、と口から出す。

 とにかく、濃厚でまったり、甘いんだよ。秋って良いよね。ご馳走、ご馳走。


 秋の甘い恵みに夢中になりながら、去年の秋までは、母刀自とわけて食べたのにな、と思った。

 ………今は、三虎とわけたいな。

 三虎にあげたら、喜んでくれるかな。

 それとも、三虎は、石上部君いそのかみべのきみの若様だから、もっと美味しいものを食べてて、喜んでくれないだろうか。


 明日にも、奈良から帰ってきたら良いのに。

 そしたら、オレは、三枝さきくさをまたって、三虎にあげるのにな。


 そして、夜、また、一緒に寝てほしい。

 あの三虎の良い匂い。

 奥深く甘く、すうと空の雲に届きそうな軽さを持つ、なんともいえない香り。浅香あさこう

 あの匂いを嗅ぎながら、三虎のそば近く寝て、もし、オレが夜中泣いたら、ぎゅっと抱きしめてもらうんだ。

 オレは、三虎の胸にぴったりと顔をくっつけると、すごく安心する。


「ふぅ──。」


 ため息がでた。

 なんで、ため息がでたのかな。

 どうして、ずっと、三虎のことを考えて、帰国を待ってしまうんだろう。

 わからない。


「オレは卯団長うのだんちょうだぞ。いずれ帰って来るのは、ここだ。

 古流波こるはは、ちゃんと良い子にして、ここで待ってれば良い。」


 三虎は、奈良に行く前に、そう言ってくれた。


「オレ、ちゃんと良い子にして、待ってるよ。」


 卯団うのだんの下働きも、もうすっかり慣れたものだ。

 きちんと働いているし、時々、剣の稽古にもまぜてもらって、剣の腕だって、ちょっとずつ伸びてる。


「三虎。だから、早く帰ってきて。」


 オレは澄んだ青空を見上げて、そう呟く。


(さて、そろそろ帰ろう。)


 上衣も乾いた頃だろう。

 卯団の広庭に帰って、お腹いっぱい、夕餉ゆうげを食べたいな。

 今日の夕餉ゆうげは、なんだろうな。







  ────完────






    *   *   *




 読んでいただき、ありがとうございました。

 このショートの続きである、



 「あらたまの恋 ぬばたまの夢 〜未玉之戀 烏玉乃夢〜」


 ●第二章  蘇比色の衣


 「第一話  胡桃色の上衣」


 にここから飛ぶことができます。


https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330650662224736

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