第4話 失踪
まだ日が短く、駅前の約束の喫茶店に来たときは、もう暗くなりかけていた。しかし、時間が過ぎても、その男はこなかった。
「遅くなってゴメン、白峰流石、ただいま到着。」
「ああ、先輩、そちらもいろいろ収穫があったみたいでよかったです。え、その男ですか? ほら、ハイキングコースのそばに在る朝露農園って知ってますか。そこの経営者の朝田光一さんですよ。」
「ああ、アサツユ農園ね。あそこの無農薬有機野菜、おいしくて、有名よね。わたし、あそこでグルメ仲間と自然野菜の収穫祭ってのをやったことがあるわ。経営者の朝田さんもはっきり覚えている。凄く情熱のある、まじめが人よね。」
「それが、約束の時間を過ぎたのに、まだ姿を見せなくて…。」
「あの朝田さんが来ない? あんな真面目な人が、おかしいわね。」
すると丸亀が、突然立ち上がった。
「柴田君、急いで朝露農園に連絡を取ってくれ。いやな予感がするんだ。」
「は、はい…。」
丸亀のカンが当たった。農園に連絡を取ると、昼過ぎから、朝田は急に姿を消したまま、音信不通になっていると言うではないか。
「しまった。手分けして、捜査だ。」
自動車で急行する前に、もう一度農園に連絡を取る。農園の共同経営者の紫門夕子が電話に出る。
「朝田さんは、午前中までは農園で働いていました。それが、昼過ぎに、通勤用の自転車で駅方向に向かったらしいんです。うちの従業員の坂本という男が、自転車で走り去るところを見たと言ってるんです。ええ、農園のつなぎの作業服にゴーグルとヘルメット姿だと思います。」
するとそれを聞いた柴田が、駅の駐輪場のまわりから探ってみると言い出した。丸亀も、応援を連れてくるという。
「じゃあ、私は?」
「白峰君は、朝露農園に行って、聞き込みをお願いできるかな。」
「了解。じゃあ、農園の方は私に任せて。」
流石は、たそがれの街を、サイレンを鳴らしながら急いだ。ここは天山市の西の端っこ、近くに山と清流がある、まだ畑や水田も見られるのんびりした地域だ。
朝露農園につくと、入り口に数人の人影が出てきていた。
「天山署の捜査一係の白峰流石です。音信不通となった朝田光一さんのことについていろいろお聞きします。」
そこに来ていたのは、共同経営者の紫門夕子、よほど朝田のことが心配なのか、目を真っ赤にして声も震えている。その二人の後ろには、背の高いスラッとした従業員の力石萌、さらに地元の農家の二男坊で農業ボランティアの高橋源太が連なっている。
源太以外は、みんなおそろいのつなぎの作業服を着ている。
「昼に姿を見かけたきり、どこに出かけるとも言わないで、いなくなっちゃったんです。友達のところに行くって聞いてはいたんですが、それがどこかもわからないし…。携帯も、もちろんメールも通じないし、店の通信用に使っているノートパソコンは、光一さんが持ち出したのかどこにも見当たらないんです。」
「そういえば、自転車姿を目撃したという、坂本さんはどこにいるんですか。」
流石の言葉に、紫門夕子が、農園の奥に向かって名前を呼んだ。
「坂本チーフ、すみませんが、こっちにお願いします。」
すると、水車小屋の方向から、一輪車に堆肥をいっぱいに積んで運んでくる若い男がいた。
農園の大変な裏仕事を一気に引き受けているという、やり手のチーフだ。やはり同じつなぎの作業服。
「遅れてすみません、私が坂本です。え、もっと詳しく朝田さんの話を聞きたい? そうですね。いつも元気な朝田さんなのに、様子がおかしかったんです。声をかけると、いつもは挨拶してくれるのに、黙って自転車で走り去ったんです。駅の方向でした。何か思い悩んでるのかなと勝手に思ってましたけど…。」
「午前中は、そんな、何か心配ごとがあるようには全然見えなかったんですけれど…。」
紫門夕子の肩をやさしく叩き、坂本チーフが声をかけた。
「連絡忘れててごめん、とかなんとかいって帰ってくるんじゃないすか。きっと帰ってきますよ。」
「でも、今まで連絡なしでどこかへ行ったことなんか一度もなかったのに…。」
「わかりました。ノートパソコンもないというのはおかしいですね。」
今、みんなが立っている農園の入り口横には小さな事務所と物置があり、その奥には、静かな闇の中に農園が広がっている。奥の山側には川が流れ、ゆっくりと水車が回っている。
寒くなってきたので、一度みんなで事務所に入り、話を聞く。
みんなの話を総合すると、次のようになった。
朝田は、午前中までは普通に農園で働いていた。そして、今日の午後は、久しぶりの友達に会うんだと楽しそうにしていた。だが、その一方で、友達に会った後、駅前に用事ができたとも言っていたそうだ。その用事とは、警察との打ち合わせに違いなかった。
さらにノートパソコンも、昼まではこの事務所のいつもの場所に置いてあったそうだ。
そして、昼食を早めにとった後から行方が知れないのだ。
不思議なのは、自転車に乗って出かけた姿を見たのが、坂本チーフだけ、いつもは出かける時にみんなに声をかけていくそうだからそれもおかしい。
農家の二男坊の源太が、声をかけた。
「坂本チーフの見間違えじゃねえのか。光一さんが黙って出ていくはずがねえよ。」
「おれもおかしいと思ったんだが、たしかに、あの黒いヘルメットとゴーグルをつけて、駅の方に自転車が走って行ったんだけどなあ。」
流石が確認した。
「光一さんの自転車も無いんですか?」
すると紫門夕子がうなずいた。
「はい、自転車も同時に見当たらなくなって…。」
「本当かなあ、どうにも納得いかねえなあ。」
「やめてくださいよ。ぼくが嘘をついているとでも言うんですか。確かに光一さんは自転車で出かけて行ったんだ。もしもそうじゃないとしたら、まだこの農園の中にいるってことですよ。それはますますおかしいじゃありませんか。」
その時、流石の携帯が鳴った。
「もしもし、柴田、どうしたの。え、そうなの? うん、うん…。」
みんなの視線が流石に集中した。
「駅のそばのコンビニの店員が、上下のつなぎにヘルメットとゴーグル姿の自転車に乗った男を見たと言っていたそうです。」
源太がつぶやく。
「まあ、でも見間違いってこともあるからな。」
流石が続けた。
「それでそのすぐ近くの駅前の駐輪場で、朝田光一の名前の入った自転車が見つかったそうです。登録番号も、間違いないそうです。ただし、その後の本人の行方は不明。付近の監視カメラにはまったく写っていないらしいわ。それから、本人のものと思われるヘルメットとゴーグルは、自転車と一緒に置いてあったそうです。」
「ほら、目撃者もいるし、光一さんの持ち物が駅にあったじゃないですか。源太さん、変なこと言わないでくださいよ。」
「そうか。変だなあ。」
「すいません、あと念のため、午後の間の皆さんの行動を教えていただきたい。」
紫門夕子と力石萌は、農業ギャルの集団「ネイチャー・コレクション」のメンバーとともにずっと農園で作業していたそうだ。
坂本チーフは、昼過ぎに、近くのローズキャッスルという店に出向き、瀬川というオーナーと、打ち合わせをしていたという。そのあとは、帰って来て水車小屋の周辺で堆肥運びをやっていたという。
源太は、一度家に帰り、自分のうちの畑の世話をしていたという。
流石は、消えたノートパソコンの場所を調べた。特に外部からの侵入者に持って行かれたような様子はない。やはり、朝田が持ち出したのか? さらにみんなともう一度入り口に出て、自転車の置いてあった場所を確認した。自転車は、入り口の近くに置いてあったので、黙って出ていけば、みんな気が付かない場所ではあった。
ところが、みんなで入り口のあたりを歩いていると、後ろから誰かが声をかけた。
「みなさんおそろいでいかがなされたんですか。」
振り返ると、背の高い男が三人、ビシッとしたスーツ姿でそこに立っていた。
紫門夕子が進み出た。
「ああ、瀬川さん、例の朝田の行方不明の件で、刑事さんがお見えになったんです。」
すると瀬川と呼ばれた男が、かぶっていた帽子を取り、うやうやしく頭を下げた。なかなかのイケメンで、礼儀正しい男のようだ。
「ああ、お話は伝え聞いております。大変なことでしたね。わたくしめは、そこのティーハウスローズキャッスルのオーナー、瀬川と申します。こっちがシェフの浜田、こっちがウェイターの木島です。もし私たちにご協力できることがありましたらなんなりとお申し付けください。」
「ああ、あなたがローズキャッスルの瀬川さん、お聞きしてます。早速ですが、今日の午後、この農園の坂本チーフは、あなたの店に行って、打ち合わせをしていたでしょうか」
「ああ、坂本君ね、ええ、確かちょっと昼過ぎにうちの店に来て、仕入れやら、これからの季節野菜の計画などを話していかれましたよ。それがなにか?」
「丁寧にどうもありがとうございます。」
「いえいえ、またいつでもご協力させてください。では、失礼します。」
そう言うと三人の伊達男は、さっと身をひるがえし農園の隣にある、レストラン風の建物へと去って行った。
「あれが瀬川さんですか。この農園とは何か関係があるんですか?」
流石の言葉に、紫門夕子が小声で話しはじめた。
「お恥ずかしい話ですが、うちの農園も赤字ギリギリの経営が続き、大変だったんです。そこで、坂本チーフが瀬川さんを紹介してくれて。あのレストランはもともとうちの農園の敷地で、そこを安い土地代で貸し出す代わりに色々と資金援助をしていただいてるんです。うちの無農薬野菜も使っていただいて、結構安定した収入源になっているんですよ。」
そういえば、あんなレストランは以前来たときはなかった。こんな街はずれでどうやって商売してるんだろうと思ったら、ハイキングの客が終わった後に寄ったり、近くにある天山大学の郊外キャンパスの職員が、よく使う店なのだそうだ。
だが今の三人、礼儀正しいが、どことなく上から目線で、流石はどうにも好きになれなかった。
気が付けば、西の空に三日月が光っていた。
結局、朝田光一は忽然と消えたまま、事件は夜の闇の中に飲み込まれていったのだ。
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