第7話 ドジョウヤ

 天山署の捜査一係、柴田がパソコンでいろいろ調べている。それを覗き込む丸亀。

「どうだね、場所の絞り込みはできたかね。」

 柴田の表情は険しかった。

「難しいですね。キーワードは、ドジョウヤ、珍獣、フルーツの写真。そして、午後からちょっと出かけて夕方には駅前の喫茶店に戻って来れるとすると、朝露農園からさほど離れていない距離ですよね。少なくとも、ドジョウヤでひっかかってくる店名はないし、どじょうを扱っている店はこの近くにないことも無いんですが、珍獣やフルーツとは、一切関係ない。」

 なるほど朝露農園のそばは、農地や小さな住宅地、後ろには自然豊かなハイキングコース、そばに小さな牧場や、天山大学の郊外キャンパスがあるだけで、お店や商店街は見当たらない。

「この辺は自然豊かで農地も多いんですが、フルーツを作っている農家はさすがにありませんね。ううむ…。」

 そこに白峰流石が入ってきた。

「ねえ、柴田君、ファックスってどうやるの?」

 すると、それを後ろで聞いていた同僚の刑事二人が騒ぎ始めた。あの肉体派ゴリラ高橋が言った。

「白峰は機械触っちゃダメ! せっかくの機材がおシャカになっちまうよ。」

 カマキリ白田も迷惑そうな顔ををする。

「白峰刑事、署内のパソコンをフリーズさせること私の知る限り二十回以上の危険人物なんだから、それなりの自覚を持っていただかないと。」

「ムー!」

 白峰は二人を睨みつけると、柴田に近付いた。

「ねえ、柴田君、ちょっと教えてよ。」

「ええっと、地球屋のマスターの件でしたっけ。」

「そうなのよ。あのマスター、仕入れでしょっちゅう店を開けるくせに、携帯嫌いだから、連絡は店のファックスにしてくれっていうのよ。ポストにフルーツの写真を入れておくから、この付近でこのフルーツを扱っている場所を電話で知らせてくれってね。」

「わかりました、二、三分待ってください。一緒にやりましょう。」

 すると丸亀が進み出た。

「ハハハ、ファックスぐらい、わしでもできるよ。行こうか、流石君。」

「はい、ありがとうございます。」

 そこに、鑑識の高円寺が大きな紙を持ってやってくる。

「白峰刑事、頼まれた高精度プリントアウトできましたよ。これでいいですか。」

「もう、できたの。さすが、はやーい!」

 その場で、紙を広げて覗き込む。例のフルーツの写真が大きく引き伸ばされて、あざやかに仕上がっている。

「うわー、おいしそう。そうだとは思っていたけれど、うーん、すごい、ここまでおいしそうなフルーツとはね。」

 すると、また後ろで、二人組がぶつぶつ言いだす。

「違うだろ、おいしそうじゃなくて、犯人の手掛かりを探すために引き伸ばしたんだろ、あきれちゃうねえ!」

 ゴリラ高橋の言葉にカマキリ白田が付け加える。

「単においしそうだから引き伸ばしたんですか。ただじゃないんですから、無駄にしないで、ちゃんと捜査に活かしてくださいよ。」

「ムー、ムー! すぐに謎を解いてやるんだから、みてなさいよ。」

 それにしてもおいしそうなフルーツではあった。


「おはようございます。今日も晴れてよかったですね。」

 現役モデルの力石萌の爽やかな声が響く。朝露輝く、農園の入り口を入ってくる。

 働きたいときだけ働けるフレックスタイムの力石は、最近、早朝から午前中にかけて働き、昼ごろからモデルの仕事に出ることが多い。

「おはよう、萌ちゃん。今日もよろしくね。」

 紫門夕子が、力石萌と連れ立って、事務所に入って行く。

 狭いロッカールームに入る。すぐ力石萌がロッカーから、着替えを取り出す。その時、ガタント大きな音が聞こえる

「紫門さん、どうしたんですか?」

「こ、これ…。」

 紫門夕子が震える指で自分のロッカーを指差す。そこには乱雑に大きな紙が貼ってあり、切り取った活字で文章が記してあった。

「なんなんですか? いったいいつ、だれがこんな場所に…!」

 そこには、こんな文章があった。

 …俺をこれ以上探すな。みんなの命が危ない。光一…

「…光一さんが…生きてる?」

 二人は立ち尽くして、その貼り紙を見つめていた。

 同時刻、朝露農園の水車小屋。一人の作業服の男が近付いてくる。

「さあて、今日も一日頑張るか。」

 坂本チーフだ。

「あれ? 柵が壊されてる。これじゃあ、川に落ちちゃうぞ。誰がやったんだ!」

 工具を持ってきて、川岸の手すりの修理を始める

「そうだ、連絡しとくか。」

 紫門夕子に電話をかける坂本チーフ。

「ええ、誰がこんなことをしたのか? 危ないですよ。水車のまわりは、回転をよくするように、川底が掘り下げてあるので、かなり深いんですよ。誰かがおぼれてからじゃ遅いですから。」

 だが、そのあと、突然坂本チーフの声がとぎれ、大きな物音が聞こえてきた。

「うわー、な、何をする!」

 事務所で、携帯を握る紫門夕子。

「どうしたんですか、坂本チーフ。」

 携帯の向こうで大きな水音、そして会話はブチっと切れた。

「萌ちゃん、急いできて!」

 農園に向かって大きな声で呼ぶ、遠くから力石が走ってくる。

 駆け出していく、夕子と萌。

 岸に上がれず、流される坂本。藁をもすがる思いで顔を上げると、大きな水車が、処刑器具のようにぶきみな音を立ててまわっている。

「や、やべえ、巻き込まれる。」

水の中でもがく坂本。水がうずまき、水車が迫ってくる。すべてを巻き込み回転する巨大な水車…!

「だれか…助けて…。」

 伸びる右手が、川岸をつかもうともがく! うまくつかまれず流されそうになる右手…。

「ぐぉおおお!」

 ついに水車に巻き込まれてしまうのか!

「坂本チーフ!」

 駆けつけた紫門夕子と力石萌の手が伸び、坂本の手をしっかりつかむ。

「おーい、どうした。」

 全速力で走ってくる源太。

「源太さあん、こっち、こっち、早く急いで!」

 源太に肩を引き上げられ、やっと川岸に這い上がり、一命を取り留めた坂本だった。


 パトカーのサイレンの音が響き、朝露農園は、大騒ぎになる。

 白峰、柴田、丸亀が、事務所で毛布をかぶって震えている坂本に話を聞いている。

「…というわけで、携帯に気を取られているときに後ろから突き落とされたんで、誰がやったのか、まったくわかりません。」

 携帯は、運よく飛ばされて水に落ちなかったそうだ。通話記録も間違いない。

 丸亀が腕を組んだ。

「水車小屋の手すりに細工したうえでの犯行だと考えると、かなり計画的に犯人が動いている。内部のことをよく知っている人間でないと難しいだろう。」

 柴田が、紫門夕子と力石萌に聞く。

「ほかに出入りした人や、不審人物を見かけませんでしたか?」

「農業ギャルや、地元のボランティアの人たちはぼちぼち集まり始めていますが。特にあやしい人影も見ていません。怪しい奴が出入りしたら、この事務所にいればだいたいわかるんですが…。」

「出入りの跡がないとなると…。その…謎の貼り紙の件もあるしな。犯人はまだこの付近に潜んでいる可能性もある。」

 すると、流石がすっと進み出た。

「とりあえず、急いでこの敷地内の怪しい場所をすべてチェックしてきます。柴田君たちは水車小屋の周囲を当たって見てください。誰か、案内をお願いします。」

 すると力石萌が、案内を申し出た。

 流石は力石萌とともに事務所を出て行った。

 ビニールハウスや、箱詰めなどの作業室、縁側亭の中とあっちこっちを見て回る。流石はひそかに思っていた。この思い鞄を置いてくるんだった。肩が痛いよう。

 柴田から連絡が入った。

「こちらの現場の状況はつかめました。一応水車小屋の中も調べましたが、大きなドラムが回っていて、後はかなりの量の堆肥が積んであるだけですね。」

「こっちも、特に怪しいところはないわね。柴田君、もう一回りしたらそっちに行くから。」

 いったい、どういうことなのだろう、犯人はどこからきて、どこに去って行ったのだろう。

「あれ、あの隅にある小屋はなんなの?」

「ああ、今は使っていない物置ですけど…。あれ、いつもは入り口に入れないように板を撃ちつけてあるのに、ないわ。誰か入ったのかしら?」

 流石の目つきが変わった。

「行きましょ。」

 なぜか、こういう場面になると男顔負けのかっこよさがにじみ出る。

「あれ、このマーク、何かしら?」

 物置のドアの横にへんなマークがペンキか何かで書いてある。黒丸に棒一本のビックリマークに似ていたが、よく見ると黒丸に黒い棒が二本ついている。

「なんでしょうね? わかりません。黒いウサギみたいですね。」

「黒いウサギ? ここには、何が入っているのかしら?」

「今はあまり使っていない、クワやスキ、スコップなんかが並んでいるはずなんですけど…。気を付けてくださいね。」

「あれ、開かないわ。」

 小屋のドアを流石がいざ開けようとすると、今度はなかなか開かない。中から何かが引っ張っているような手ごたえだ。

「前は、簡単に開いたのに…? ちょっと、私が変わります。」

しかし、力石がひっぱってもやっぱり内側から何かが引っ張っていて開かない。

「おかしいわね。いいわよ萌ちゃん、なんか危険だから私が開けるわ。」

再度交代するが、不安になった力石萌が声をかける。

「刑事さん、みんなを呼んできましょうか?」

「もう一度だけ、思いっきり引っ張ってみるから。」

 流石は満身の力をこめて、ドアを引っ張った。

「ムキー!」

 ブチっと音がして何かが切れてドアがバタンと開いた途端、牧草を集めるのに使う巨大なフォークが、凄い勢いでドアめがけて飛んできた!

「ぎゃー。」

 流石が戸口に倒れこんだ。

 それは、しなる竹を使って危険な農機具をダーツのように飛ばすトラップだった。ドアに引っ掛けた糸が切れると、あの鋭いフォークが一気に発射されるのだ。

「大変です、大変です!」

 後ろにいた力石萌が飛び出して助けを呼んだ。あの勢いでは、ベニヤ板越しでも即死だ。

 あちこちから走ってくるみんな。

「どうした、なにがあったんだ。」

「大変です、刑事さんが私の身代わりになって大変です。」

すると、後ろで、声がした。

「萌ちゃん、私なら平気よ。危なかったけど。」

 ホコリをたたきながら、流石がゆっくり立ち上がった。

「せんぱーい、大丈夫ですか。こ、これは…。」

 駆けつけた柴田が驚いた、板も突き通す鋭いフォークが九十度、直角に突き刺さっていたのだ。

 これが胸なら、衣服を突き通し即死に違いなかった。でも突き刺さっていたのは、あの脇に抱えた、8キロ以上もあるあの鞄だった。

「危なかったですね。でもその鞄、凄すぎる、全然凶器が通らないじゃないですか。」

 するとバッグの中をまさぐっていた流石がトホホな顔をした。

「雑誌や、お菓子の袋に穴が開いたのはしょうがないけど、うかつだったわ。先週芸能事務所の打ち合わせに行ってせっかく手に入れた、有名芸人の色紙に穴が開いちゃった。」

「ええ、この間の色紙、まだ、入れっぱなしだったんですか? まあ、でも命が助かったんだから、それが一番ですよ。」

「白峰君は、休んで少し様子をみるといい。柴田君、小屋の中を調べるぞ。」

「はい。」

 二人が丹念に小屋の中を調べ始めると、流石が萌に聞いた。

「萌ちゃん、あと調べたほうがいいところありますか。」

「いいえ、ここで、一通り終わりです。」

 すると源太がつぶやいた。

「あとは同じ敷地内にあるローズキャッスルぐらいかな。」

 みんな一瞬、見つめ合った。

 その時、流石の携帯が鳴った。

「あ、マスター、突然の依頼、すみませんでした。」

それは、けさファックスを送っておいた地球屋のマスターからだった

「ああ、今店に出てきた。店は新聞も何もとってないんでポストの中をのぞくこともないんじゃが、ああ、入っていたぞ。フルーツのポスターが。」

「それで、見て、何かわかりそうですか?」

「いや、実にうまそうなフルーツだのう。」

「やっぱり、マスターもそう思う? やっぱりね。」

「問題なのは、なぜ、おいしく見えるかだ。」

「はあ?」

「流石さん、いいかい。まず、このフルーツたちは実においしそうな色をしている。」

「はい、私もそう思うんですけど。ところどころに朝露のような水滴までついていて、もうすぐにかじりつきたい感じ…。」

「おいしそうな色、つまりちょうど食べごろに熟しているのだ。だがありえないのはこの新鮮なヘタの切り口だ。青みがあり、しわもまったくない。特にこのマンゴーなどは、切り口から樹液がにじみ出ている。青いうちに収穫し、取り寄せた外国産のフルーツはこうはいかない。と、いうことは、この朝露農園のそばで、木で熟するまで待ったあと収穫し、その収穫したばかりのフルーツを適温に冷やして、皿に並べたところだろう。」

「南国のフルーツを木で熟するまで待って収穫するようなところが、この天山にあるんですか?」

 すると、マスターは、笑い声を立てた。

「ある。うちの仕入れ先のひとつに間違いない。仕入れ先は教えたくなかったんじゃが、あんたも地球屋で何回か食べておる。事件もからんでいるなら特別に教えよう。」

「その仕入れ先のお店の名前はなんというのですか。」

「ハハ、店じゃない。でもあいつは自分のことをこう呼んでおる。ドジョウヤ…とね。」

「え、本当ですか。そこって、珍獣もたくさんいますか?」

「ああ、五万とおるぞ。せいぜい気を付けな。じゃあ、住所をと電話番号を教えるからメモしな。…、わしはここまでだ。がんばれよ。」

「うっそー、こんな近くにこんな場所が!」

 メモに書かれた住所を見て、驚く流石。みんなも寄ってきて覗き込む。

「すいません、私も一緒に連れて行ってもらえないでしょうか。」

 紫門夕子だった。

「それは、ちょっと…。捜査ですから。」

ところが流石はきっぱりと言った。

「いいですよ。参考人として、現場に同行してもらいましょう。」

「先輩。」

「柴田君、グダグダ言ってないで、自動車を出してください。丸亀さん、あとをお願いできますか。」

「よし、こっちの後始末と連絡は任せてくれ。柴田と、夕子さんと行ってきなさい。」

「ありがとうございます。」


 流石の乗った車は、駅とは逆のハイキングコースの方に向かって坂道を登って行った。途中で横道に入り、さらに山を登っていくと、そこに広大な敷地を持つ天山大学のキャンパスが姿を現す。

 そう、朝田が行こうとしていた場所は、大学の農学部のキャンパスだったのだ。

 正面玄関に乗り付けると、中から白衣の男が飛び出してくる。

「まさかと思ったんですが、朝田が行方不明になっていることも知らなくて…。」

 白峰と柴田が降りて挨拶をするまでは、複雑な表情をしていたが、最後に降りてきた紫門夕子をを見るなり、目頭を熱くした。

「紫門、紫門夕子さんですね。」

「はい、そうですが…あなたは…。なぜ私を知っているんですか。」

「高坂鷹虎と申します。私は、朝田光一の大学時代の親友でして…。でも、俺たちはちゃんと世の中のためになるような実績ができるまで、お互いに会わないって誓っていたんです。でも、最近やっとお互いに自慢できる実績ができてきて、そろそろ会おうかということになって…。でも、半年前に最後に来たメールにあなたの写真があったんです。おれの人生最大の収穫だ、一緒に夢をかなえてくれる人ができたってね。」

「そ、そんなことが…。」

 朝田と高坂、二人はこの大学の農学部で、将来の新しい農業を語り合う親友同士だった。だが、卒業をきっかけに、朝田は、才能により早くも新しい農業の実践を始め、高坂は大学院に残って研究を続けたのだった。無農薬作物と腸内細菌、そして活性土壌などを日夜研究していたという。

「あの日、結局朝田は来なかったんです。連絡もなしにすっぽかしたんです。そんなやつじゃないのに。」

「来なかった? でも、朝田さんはここで何を見ようとしていたんですか。」

「まずはこちらへ、どうぞ…。」

 キャンパスの広大な敷地を歩き、大きな広い建物のまえに出た。「天山大学プラントドーム」という看板がある。

「この大きな建物の中に、世界の代表的な気候が再現され、植物が栽培されています。私の担当は熱帯プラントラボです。とっても蒸し暑いですよ。」

 そこは巨大な熱帯植物園で、本物そっくりのジャングルが再現されていた。中には小さな川や池も再現され、近くに行くと見知らぬ大きな魚が泳いでいる。

「あれ、今何か飛んで行かなかった?」

「受粉に必要な熱帯の蝶や蜂、最近はハチドリやオオコウモリも飛んでますよ。」

「うわ、なんか茂みがガサガサ言ってる。」

 それはジャングルに住む大きなリクガメだった。黒い体に黄色い頭、前足には赤い鱗がついている。

「ジャガーや猿はいないけど、イグアナやカピバラの親子ぐらいは歩いていますよ。」

 本当に、珍獣ばかりだった。でも、植物の研究になぜ、動物も必要なんだろう。

「私は、植物の調査に行って、現地で食べたフルーツのおいしさが忘れられず、どうしたら本場の味ができるのか研究をしていました。温度や、湿度、降水量などを現地と同じにすれば、フルーツはなるのですが、味や栄養成分がかなり違うわけです。そこで目を付けたのが、土です、土壌だったんです。でも、同じ土を持ち込んだだけではだめ、そこの土の中にいる細菌やバクテリア、キノコなどの菌類、昆虫鵜、いろいろな鳥や動物、それらすべてが支え合って作り出す土があってこそ本当の味が生まれるのです。土のことだけ追いまくっていたもんですから、みんなから『土壌屋』とよばれるようになって…。」

 ジャングルの一角には、彩り鮮やかなフルーツが、たわわに実っていた。

 すると、高坂はその場に座り込み、ジャングルの下にある土をほじくり返し始めた。

「これを、朝田に見てもらいたかった。」

 そこには日本ではありえない、大きなミミズやダンゴムシやヤスデ、イモムシとムカデの合いの子のような不思議な生き物、数多くの昆虫が姿を現した。

「なんですか、このムカデイモムシみたいなの。」

「ざっくりいうと、ミミズとムカデの中間に位置する生き物です。カギムシといってね、繁殖に成功したのはここが世界初なんです。土や植物を活性化する貴重な細菌も確認されました。肥料や機械を使わなくても、いつまでもおいしい作物を産みだせる本物の土だ。これを奴に見せたかった。」

 すると、紫門夕子が進み出た。

「朝田さん、耕さない自然農法にこだわって、凄く苦労していたんです。そんなことにこだわらないで、もっと楽な道を選べばいいって思っていたんです。でも、今、完全に納得できました。一人だけがよくなるんじゃなくて、みんなで一緒に豊かになる…、ここの土は信じられないくらい豊かです。耕すと、たくさんの命が失われてしまう、土の本来持っている力をなくしてしまうんですね。」

 やがて一行は、熱帯空間を抜けて、涼しい小部屋に行った。

「これが、今日、木で熟したフルーツです。最近は生産量が増えたので、一部高級レストランなどに卸して、研究費に充てています。冷やし過ぎても味がわからなくなるので、適温に冷やしてあります。」

 冷蔵庫から取り出した皿の上にはあの写真と同じ、新鮮なフルーツが乗っていた。

「間違いないわ。朝田さんが来ようと思っていた場所はここだった。」

「朝田の代わりに、みなさん、食べて行ってください。」

 高坂はマンゴーや、パパイヤなどを、さっと一口大に切り分けると、小皿に盛り付けみんなに配った。

「彼は、あんなに楽しみにしていたフルーツの試食にも来なかった。連絡も何もなしに…。ありえないんです。そんなやつじゃない。きっとなにかあったんです。ここに来られない何かがあったんですよ。」

 朝田に食べてもらうはずだったフルーツをみんなに配りながら、高坂は涙し、また紫門夕子を見ては涙した。

 そのフルーツの味は、朝田に負けまいと、この十年頑張ってきた高坂の情熱そのものだった。なんて深い、なんて豊かで透き通るような味なのか…。

 だが、柴田が当日の詳細を聞き始めた時、おかしなところに気が付いた。

「ええ、じゃあ、朝田さんは、大学の送迎バスで来るはずだったんですか? 自転車じゃないんですか?」

「ええ、皆さんもここにいらっしゃってわかると思いますが、途中がすごい坂道なんで、自転車を使う人はほとんどいませんね。朝田本人も、私に送迎バスの時刻表を聞いていたくらいですから。」

「でも、駅の方に向かって走って行った朝田さんの自転車が目撃されているんですよね。」

 すると高坂が、再度言い放った。

「ちょっとまってください、駅は、このキャンパスと反対方向ですよ。おかしいですよ。」

「ええ? まさか…。じゃあ、あの自転車の男は誰なのか。それとも朝田さんは、そもそも朝露農園を出ていないのか?」

 柴田が首を傾げた。事件はまた、意外な方向に進んで言ったのだ。

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