第6話 縁側亭

 数分後、曽根崎とそれを取り囲む五人の女は、黙って朝露農園を歩いていた。

 初夏の透き通った日差しの中、背の低いお茶の生け垣の中の道をゆっくり進んでいた。

 曽根崎がしみじみ言った。

「この辺もね、昔は一面の田畑でね、よく、カエルやザリガニを獲りに来たもんだ。お茶の生け垣があっちこっちにあってね。お茶の実に穴を開けて笛を作ったもんだよ。懐かしいなあ、ここはお茶の生け垣がまだ残ってるんだ。」

 ウタポンが横に進み出る。

「ごめんなさい。曽根崎さん、余計なことしちゃって。」

 だが、曽根崎は黙って首を振った。

「正直言って、うれしかったよ。おとなしいウタポンが、勇気を出してくれてね。」

「本当? 迷惑じゃなかったかしら。」

 すると、曽根崎は笑って答えた。

「まあ、だいたいあんなド素人シェフにウタポンが負けるはずがないじゃないか。」

 しかし、この朝露農園の現在の経営者、紫門夕子が心配そうな顔ををした。

「あのバカ息子の瀬川は、以前にも似たような件で料理勝負をやったと聞いてます。それが当日は別の腕のいいシェフに作らせたばかりか、審査員も知り合いばかりで、卑怯な勝ち方をしたそうなんです。気を付けてください。」

「やつならやりそうだな。そうか、じゃあ、こっちも何か作戦を考えるよ。」

 曽根崎は笑い飛ばした。小さなことにくよくよしない。そこが彼のいいところだ。

 やがてお茶の生け垣を越えて、農園の奥に行くと、広い畑が広がっている。

 耕さない不耕起栽培の畑と、古い農家が見えてくる。そこに、若い男女がたくさんいて食事会の準備をしている。

 すると、紫門夕子が振り返って曽根崎たちにお辞儀をした。

「あの農家が、十年前に朝田光一が、その身一つで、農業に挑戦を始めた第一歩の場所です。朝田はね、昔からここで自然の食材を使った食堂を作ろうって言っていたんです。今、言い出した本人はあいにく不在ですが、私たちは夢を紡いできました。朝露農園、縁側亭の初めてのお客様ですよ。どうぞ。」

 大学の農学部で自然農法を学んでいた若き日の朝田は、まず高齢化が進む農家の手伝いから始め、このあたりの農地で、ただで農作業の手伝いを始めた。ひょんなことからこの廃屋となった農家とまわりの少しばかりの畑を市からの補助を受けて借り受け、朝露農園が始まった。自然農法という新しい農法、若者やボランティアを中心にした働きたいときだけ働けるフレックスタイムシステム、さらに循環性エコ農法などに挑み、次々に成果を上げていった。無農薬有機野菜のブランド作りやインターネット直販、そして何よりも地域の農家と一体になった支え合いの活動で、この十年を突っ走って行ったのだ。

「力石さーん、ちょうど茹で上がりました。」

 改築された古い農家、縁側亭の前で農業ギャルたちが手を振る。

「ここにいる農業ギャルの半分以上は、曽根崎さんの記事がきっかけで来てくれたんですよ。今日はみんなで一生懸命作りましたから。」

 まずは井戸水で水出しした麦茶と、とりたてのトウモロコシだ。

 曽根崎、ウタポン、流石、清水、みんなで涼しい縁側に一列に並んでトウモロコシをかじる。風鈴が可憐な音を立てながら揺れている。冷たい麦茶がしみる。

「おいしい、なんで麦茶がこんなにおいしいの?」

「きっと、ここの深井戸の水のおかげだと思います、ここに住んでいたおじいさんは、この水でご飯を炊くといつまでもおいしいんだって、自慢の深井戸だったんですって。」

 紫門の言葉に深くうなずくウタポンだった。

「はいはい、次は冷たいソーメンと、夏野菜の天ぷらですよ。」

「へえ、新ジャガの天ぷらうまいねえ。ナスや玉ねぎも甘くて最高だ。」

 ウタポンは曽根崎の隣で幸せいっぱい、でも気をゆるめてはいられない。

 しばらく静かだった清水レイナもだんだん調子が上がってきた。

「編集長、このミニトマトの天ぷら、おいしーいですよ。」

 そんなことを言いながら、だんだん曽根崎に寄ってくる。

「清水君、取材もかねているんだから、食べてばかりいないで、少しは撮影したまえ。」

「はーい。」

 ウタポンがクスッと笑う。

 今ここにはモデル仲間を中心に十名ほどの農業ギャルが手伝いに来ている。みんなおそろいのつなぎで、たくさん揃うとなかなかかっこいい。

 かっこいいねというと現役モデルの力石萌が、曽根崎の隣に座りこんで話しはじめる。

「私たちネイチャー・コレクションでプロデュースしたんです。この作業服はオーガニックコットンと、自然の貝殻のボタンだけで作ってある、アースカラーのファッションなんです。古くなって着れなくなっても、すべて土にかえるんです。」

 さらに、力石萌が、小さな手作りのカタログを見せた。中にはアラビアの遊牧民風の紫外線対策ファッションや、泥もへっちゃら、ブーツが実用的なカウボーイファッションなどが載っていた。

「実用的で、個性的なファッションを開発しながら、楽しみながら、自然農法で安全な野菜を作っているんです。曽根崎さんに後押しされてがんばってきた私たちですけれど、最近は少し余裕ができて、今度ここでファッションショーをやろうって、用意を始めたんです。」

 農業ギャルに交じって、近くの源太をはじめとする農業ボランティアも、手伝いをしていた。曽根崎が声をかける。

「源太さん、ボランティアの人数、増えたんじゃないですか。」

 すると源太が、ちょっと照れながら答えた。

「現役モデルの農業ギャルが、曽根崎さんの記事で増えてきたら、鼻の下を伸ばした近くの農家の息子もだんだん増えてきて、最近はいい感じだな、こりゃ。ははは。」

 源太や青年ボランティアがみんなに用意してくれたのは、冷たいヨーグルトのデザートだった。

 源太は、すぐ裏の山の牧場をやっている気さくなお兄さんだ。

「うちらも細々と酪農やってたんだけど、どんどん先細りでさあ、困っていたんだよ。でも、光一さんのアイデアで搾り立てのミルクでしかできない、低温殺菌牛乳やヨーグルト、最近はアイスクリームも作ってる。品質がいいから、高い値で売れて、結構いい感じだ。」

 すると、紫門夕子が付け加えた。

「ちょっと前から、朝田の提案で、休耕田で牧草をつくって、輸入穀物に頼らない肉牛の飼育にも挑戦してるんですよ。」

 周囲の農家まで巻き込む、朝田の情熱が伝わってくるようだった。

「あれ、そういえば、坂本チーフはどこかしら。」

 流石が周りを見渡しながら言った。

 すると、源太が教えてくれた。

「坂本チーフなら、水車小屋だ。堆肥作りをまだがんばってるみたいだな。」

 紫門夕子が案内してくれる。

 坂本チーフは古くからの従業員で、堆肥作りや、農具の整理、水車小屋の整備や箱詰めまで、ここの大がかりな裏仕事や、場合によっては野菜の送り先まで交渉する縁の下の力持ちだという。

 わきを流れる川のせせらぎで、ゴットンゴットンと音がする。

 夕子が声をかけると坂本チーフが、水車の横の小屋から顔を出した。

 汗びっしょりで、あちこち泥まみれだった。

「ここで何をしてるんですか。」

「いやあ、朝田さんの自慢の機械でね、堆肥や生ごみを小屋の中の大きな斜めドラムの中に入れて、特殊な分解菌をいれて水車の力で回転させているんです。落ち葉などはすぐに良い堆肥になるし、鳥の骨や魚のあらなんかが入っている生ごみでもわずか一晩で、分解されてよい堆肥になるんですよ。機械の調節をして、どんどん生ごみや枯葉を運んで、そして出来上がった堆肥を運び出さないといけないんで…。」

 朝田は周辺の農家の堆肥作りや、生ごみ処理にも貢献していたという。

「へえ、エコな施設ね。すごいわね。」

「坂本チーフももうあがって、ソーメン食べてきてくださいな。」

「すいません。そうさせてもらいます。」

 水車とせせらぎの音がのどかに響く。紫門夕子が静かに話しかけた。

「刑事さん、今日いらしたのは、何かあったってことですよね。どんな結果でも受け入れる準備はできてます。お話しください。」

 流石は黙って、あの重いバッグの中から、小さな包みを出した。

「え、これは?」

 それは、朝田の携帯だった。かなり傷ついて、電源も入らなかった。

「いったい、どこに、どこにあったんですか。」

「この水車小屋の横を流れる川の下流の河原で、ゴミに交じって発見されました。」

「じゃあ、光一さんは、まさか、川で流されたの…?」

「半年前の捜査で川も確認しましたから、まずそれは無いでしょう。でも、問題なのは、新しい情報です。」

「何かわかったんですか?」

「うちの鑑識のパソコン担当が、メールデータの復元に挑戦した結果、事件に関係ありと思われるメールが発見されました。」

 そして流石は、印刷された紙を取り出した。

 それこそ、事件の当日の朝、朝田が送信したメールであった。

「十行目の文章をみて下さい。行方不明のノートパソコンに発信したもののようです。」


『午後一番に例の写真のドジョウヤに行く。まったく、珍獣だらけで、動物園だよ、あそこは。』

「あの日、自転車に乗った朝田さんが出かけた先みたいなんです。この行った先がわかればと思うのですが。ちなみに写真データも復元されたんですけれど、これです。何種類もの南国のフルーツが映っているでしょ。心当たりはありませんか?」

 紫門夕子は紙を穴の開くほど見つめて考えたが、あきらめて首を振った。

「ドジョウヤ?…わかりません。なんで、光一さんのことなのに…。私は、光一さんのことなんか、何もわかっちゃいない…なんか自信がなくなってくる…。」

 涙をぬぐう左手のその小指に銀色の指輪が光っていた。

「紫門さん、その指輪は?」

 すると紫門夕子は目を真っ赤にして小さく言葉を続けた。

「光一さんは、あのいなくなる日の前の日にこの指輪をくれて…、結婚しようって言ってくれたんです…。だから、失踪なんてありえない。信じてずっと待っていようって、ずっと…。」

 紫門夕子は、でも、顔をあげると涙をふきとって、凛として言い切った。

「もう、泣かないって誓ったんです。この指輪にかけて…。いつか光一さんが帰ってくるまで、ここを守り抜くって…。」


…少しして縁側亭に帰ってきた時、紫門夕子の顔は、すっかり元気になっていた。

夕子や、坂本や力石、源太などおもな従業員にメールのコピーを見せ、いろいろ尋ねてみたが、みんな首をかしげるばかりだった。

「さあ、デザートのスイカが冷えてるわよ。」

 曽根崎も、ウタポンも、清水も、力石も、みんなもスイカをかじりながら、縁側で笑っていた。まだ、日差しは高く畑を照らしていた…。

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