第5話 ローズキャッスル

 半年が過ぎた。

 爽やかな初夏の日差しの中を流石は一人歩いていた。

「いっけねー、こんないい天気になるとは! 紫外線対策を忘れちまったよ…。」

 八キロもある重いバッグの中をまさぐるが、紫外線対策グッズはなかなかでてこない。とほほだ。

 いろいろなことがあった。

 ウザキモ芸人にロックグループのエスピオと格闘技チャンピオンの大吾を紹介した。なぜかボーカルのタマちゃんもチャンピオンの大吾も、かなりのお笑い好きで、ぜひ共演したいという本人たちの希望もあり、イベントの企画はとんとん拍子に進んでいった。

 コンビニにいた残りの二人も判明したが、わかったのは犯人の緻密な計画だけで、それ以上の進展はなかった。

 コクトという謎の男は沈黙を守ったままだ。

 ただ、『アリジゴク』のアリちゃんが手に入れた五万円は、なんと五年前の五億円強奪事件で使われた札だということが判明した。残念だが、事件とのつながりはまったくわからない。

 あれから大捜索が行われ、増員体制で徹底的に捜査が行われたが、朝田の行方は依然として分からなかった。だが、今頃になって、妙な場所から朝田の携帯が発見された。それは農園の脇を流れる川の下流、河原のゴミの中で拾われたものだった。

 復元したメールの中から、あやしいメールが見つかり、そのことで流石は朝露農園に確かめに行くところだった。

 その時、流石の前を一台の車が走り抜けた。

「あれ、曽根崎ちゃん? ちくしょう、乗せてもらえばよかった。」

 出発時間を間違えて、バス停から歩いてきた流石であった。


 さて流石より一歩早くティーハウス ローズキャッスルに降り立ったのは、曽根崎とその部下だった。

「うわー、すてき、ちょうどバラの旬ですよ。イギリス風のガーデニングがまぶしいわ。編集長、はやく、はやく! さっそく写真撮っちゃおうかな。」

 中庭のバラ園とガーデニングはちょうど花盛り、落ち着いたイギリス風の建物に、咲き誇る花がまぶしい。

 曽根崎を引っ張って行く若い娘は、この春にタウン誌の新入社員として雇った清水レイナだった。いやな予感はしていたのだが、まさか自分がこの中学生みたいなギャルの世話係になるとは曽根崎も思っていなかった。ミーハーでキャピキャピで変なところにスタミナがあり、最近の曽根崎の悩みの種だった。

 今日だってそうだ。もともと今日は、このティーハウスに隣接する朝露農園にお昼を招待されていたのだ。自然農法で丁寧に栽培された農園の野菜は超おいしいものだから、それらの取材もかねて、数日前からうきうきしていた。

 ところが、それを聞いた清水は、ついでに行きたいお店があると言い出した。

「すぐ隣だから、いいじゃないですか。農園に行く前に、一時間だけ、お願いします。」

「だめだよ。食事会の前に、ティーハウスで飲み食いしたら、おなか一杯になるだろ。よく考えてみろや。」

「平気です、ちゃんと食べられますから。」

き ちんと否定しなかった俺も悪いのかなあ。

 実は、このティーハウスは、グルメ仲間の情報では、評判が悪く、行かなくてよい店のナンバーワンだったので、ずっと無視していたのだ。ところがどうだろう、ふたを開けてみたら、このミーハー清水が、勝手に取材申し込みをしてしまったのだ。気が進まない曽根崎は、とりあえずいやいや保護者として清水についてきた形だ。

「ああ、そうだね、ガーデニングは、きれいだね。さ、時間だ。中に入ろうか。」

 口では入ろうと言うものの、曽根崎はどうも気が進まない。入り口でぐずぐずしていると、

「うふ、やだあ、私と二人で店に入るのが恥ずかしいんですか。もう編集長ったら、へんに意識しないでくださいよ。まだ、恋人ってわけじゃないんですから。」

 ああ、何を言い出す小娘め! こいつを調子に乗せたら大変なことになる。さあ、さっさとすませて食事会にいくことにしよう。

 二人が歩き始めた時、その後ろから一台のタクシーが近付いていた。店の少し手前で停まった、タクシーの中からは大きな日よけの付いた帽子と黒いスカーフで顔を隠して、一人の女が降りてきた。そして曽根崎たちの後ろから気づかれないようにそっと近づいて行ったのだ。

 女が物陰から曽根崎たちを見張っているその後ろから、流石がやってきた。なんだろうあの怪しい女…。それとなく近付く流石。

「ちょっとあなた、何してるんですか?」

 流石が話しかけると、その女は突然振り返り、何も言わずに流石の手をとり、店の裏へと引っ張って行った。

「ちょっと、何をするんですか?」


 その頃、清水と曽根崎は、ウェイターの木島の案内で、中庭のガーデニングが一番見渡せる特等席に案内されていた。

「只今オーナーの瀬川が参ります。お待ちください。」

 清水の興奮は止まらない。

「木島さん、イケメンですね。写真撮ってもいいですか?」

「ご自由に。」

 木島はそういって微笑んだ。

 清水は写真を撮りまくり、ご満悦だ。曽根崎はますます気が重くなってきた。

 すると、奥のドアが開き長身の男が姿を現した。

「瀬川ホールディングスの取締役の瀬川賢斗と申します。よろしくお願いいたします。今日はあなたにとって、特別な一日になるでしょう。」

 大金持ちの御曹司とは聞いていたが、どうも苦手なタイプみたいだな…。

 互いに名刺の交換をして、さっそく取材の始まりだ。

「一般の日本の方にも、イギリスの素晴らしいお茶のマナーやガーデニングの文化を伝えたくてこの店を開いたんですよ。お料理も、朝露農園の無農薬野菜を使っているので、女性の方にも評判がいいんですよ。あ、そうそう、最近は、ここの山側にある天山大学の教授の方やら、職員の方たちが毎日のように使ってくれてますね。」

 やがて、木島がウェッジウッドの高級ティーカップに入れた紅茶を持ってくる。

「まずは当店のスペシャル・ピコ、アールグレイの手摘みの一番茶でございます。おしゃれな手作りケーキとのセットを用意しました。」

 最初から、かましてきたな。かなりの上物だ。だが、曽根崎はメニューを見て、驚いた。この高級紅茶のケーキセットは、想像していた料金の三倍以上だ。高すぎるよいくらなんでも…。さっき、大学の教授がよく来るって言ってたけど、そりゃ、学生や一般の人は入りづらいね、この値段じゃ。

 瀬川の自慢げな説明が続く。あれが、貴重なバラの原種だとか、品評会で優勝したバラだとか、話題の青いバラだとか、まずはバラ自慢。

 清水はケーキをほおばりながら、写真を撮りまくっていた。。

 そして、大きな柱時計が鳴ると、さらに盛り上がる。

「今日、取材の時刻指定をしたのはこのためです。まずはご覧ください。」

 突然、店の奥のイギリス製の高級スピーカーから優雅な音楽が流れ出した。

「アンプはアキュフェーズ、スピーカはノーチラス、曲目は季節や天気によって使い分けます。今日は、ラヴェルのダフニスとクロエです。」

 なるほど、いい音だ。だが自慢話にそろそろ腹いっぱいだ。

「うわー、すてき!」

 清水レイナがうっとりする。

 庭のガーデニングの真ん中に在る噴水が、光りながらウォーターダンスを始めたのだ。曲に合わせて優雅に踊る。さらに美しいガーデニングのあちこちからも順に水が吹き出し、庭全体が水しぶきに包まれる。

「ほら!」

「わあ、本当だ、虹だわ。感激―。」

「もともとコンピュータ制御で一日数回水やりができないかという発想から始まったんですよ。でもせっかくのガーデニングを生かせないだろうかということになり、この昼の時間ウォーターアートショーとして毎日やっているんですよ。」

 やがて噴水が止まり、曲が静かにエンディングを迎えた。

 清水がデジカメの画面を見ながら大きな声を上げる。

「うわー、私って、天才かも。虹がきちんと写っちゃったわ。」

「水玉を輝かせるガーデニングもきれいでしょ。さあ、次は、イギリスのおいしい料理でもてなししましょう。今日は一番人気の軽食を出します。お代はけっこうですので、ぜひ、お召し上がりください。」

 だが、その時、黒いスカーフで顔を隠したあやしい女がそっと店に入ってきた。なぜか後ろに流石もついてきている。

 その二人に気付いた途端、曽根崎は、心臓が止まるほど驚いた。清水が気づいて声をかけた。

「いや、なんでもない、取材を続けよう。」

 なんであの二人がここにいる? もちろん知らせてもいないのに。白峰流石と、あの顔を隠しているのはウタポンに間違いはなかった。

 流石がウタポンに小声でささやいた。

「やっぱりただの取材みたいだよ。まずいんじゃないの。」

「あの新人の女の子、私が編集室に用事で電話を入れたら、あなた曽根崎さんのなんなのですか、って言って、電話をガチャって切ったのよ。絶対怪しいんだから…。」

 流石はどうせ、瀬川にも話を聞かなければならないと思ってついてきたのだが、なんだか面倒くさいことになってきた。

 しかも、ウタポンは曽根崎の真正面の大きなテーブルに陣取ったではないか。

 曽根崎は、わけもなくキョロキョロしてビビりだした。

 さらにそこに意外な顔、これから流石が会おうとしていた、朝露農園の紫門夕子と農業ギャルの力石萌がやってきた。

 料理待ちの瀬川が紫門を見つけて声をかけた。

「おお、これは朝露農園の紫門さんと力石さん、今日は何か御用事で?」

「ああ、まだ取材中みたいですから待っていますよ。実は、そこの曽根崎編集長は、うちの農園の農業ギャルズの特集を組んでくれたことがあって、それがきっかけでたくさん人が来てくれるようになったんです。うちの経営をかなり応援してくれたので、ぜひお礼をと思って駆けつけただけです。」

 ほう、この曽根崎のタウン誌は、なかなか地元で広報能力があるんだなと思い、瀬川はすこしニンマリした。

 現役有名モデルで、農業ギャルのリーダーの力石萌もにっこり微笑んでいる。

「その節は本当にありがとうございました。そろそろ食事会の用意ができますんで。特別サービスしますから…。」

 気が付けば、曽根崎の前に五人の女がそろい踏みだ。

瀬川がそれを見て、木島を呼び出した。

「曽根崎編集長は、どうも女性に人気があるようですね。みなさん、お待ちの間、このアールグレイのスペシャル・ピコをサービスしましょう。木島、皆さんにサービスしてくれたまえ。」

「はい。かしこまりました。」

 みんなに紅茶がサービスされ、ついに料理の時間だ。

 やがて、きれいな皿にかわいらしく盛り付けられた、イギリスの定番、フィッシュ&チップスと、彩の鮮やかな有機野菜のプディングが出てきた。思わず清水レイナが声を上げる。

「キャー、可愛い。どうしよう!」

 そしてまた写真の撮りまくりだ。

「さあ、どうぞ、召し上がれ。」

 フィッシュ&チップスだと? 女性受けしそうなものがほかにも、いくらでもあるだろうに…。曽根崎が、試食を始めた。

「いかがですか、イギリスの味は?」

「はーい、白身魚のフライだから、ヘルシーって感じかな。野菜のプディングは最高おいしいです。」

 プディングにすが入っているのが気にならないのかな、清水は。そりゃあ、プディングはおいしいよ? 当たり前だよ、心をこめて自然農法で栽培した野菜を使っているんだから。でも、こっちのフィッシュの方はなんだ。火の通り過ぎでパサパサな上に、一口大に切るのはいいが、冷めちまってる。それにこっちのポテトフライは、安

い冷凍ものだろ。いいも悪いもありゃしないよ。ここのシェフは盛り付けだけが得意な、ド素人じゃないか。

 一通り、食べ終わって、ふと目を上げると、清水レイナが意味ありげに笑い、ウタポンが流石が、紫門夕子と力石萌がじっとこちらを注目している。五人の女の視線が突き刺さってくる。いったいなんだ。いったいなにが起こっているのだ。

「いかがですか。うちの数あるメニューの中のほんの一つですが。そうですね、各種プディング、ウナギのゼリー寄せ、ミートパイや、各種のパンもございます。今食べていただいたのは、定番ですね。高級感のあるファーストフードと考えていただければ。」

「おいしかった。ね、編集長!」

 清水レイナの言葉に、曽根崎は顔を曇らせた。

「有機野菜はおいしかったんですが、そのほかはどうも私の口に合わなかったみたいで。」

「え、今、なんとおっしゃいました。」

「自慢のガーデニングと、すばらしいカラクリをありがとうございました。掲載記事がまとまりましたら、一度お店に送りますので、よろしくお願いします。」

 曽根崎は、さっさと帰り支度を始めた。

「瀬川さん、長時間取材にご協力ありがとうございました。」

 だが、今まで優しげな声を出していた瀬川の態度がコロッと変わった。

「ちょっと待ちたまえ。うちの料理にケチをつけるつもりか。」

「もちろん、お店のマイナスになるような記事は決して書きません。」

「じゃあ、なんて書くんだ。」

「無農薬有機野菜を使った料理が女性におすすめです。これじゃ、いけないですか。」

「紅茶とケーキのセットは書かないのか。このフィッシュ&チップスはどうなんだ。」

 すると曽根崎は、大きく息をして、一気に言い放った。

「紅茶は確かに高級品でケーキもうまいが、価格設定があまりに高すぎる。フィッシュフライは、揚げ過ぎで白身魚がパサパサだし、ポテトは冷凍品を雑に揚げてるものだから、全然カラッと揚がらず、ベタベタしている。問題外だな。」

「…。」

 曽根崎が、唖然とする清水に合図して帰ろうとすると、瀬川が怒鳴りだした。

「まて、卑怯者、一方的にケチをつけて逃げ帰るのか。」

「はあ?」

「だいたい貴様、イギリスに行ったことがあるのか?」

 な、なんだ、この男、いったい何を言いだすんだ?

「え、そりゃあありませんよ。」

「まったくだから素人は困るんだよ。本場の味も知らない奴がわかったような口をきくんじゃない。」

「私は素人ではない。プロの編集者だ。だからこそ、嘘を書くことなどできない。それだけさ。」

「おのれ、名誉棄損で訴えてやる。」

 曽根崎はあきれて、黙ったまま出て行こうとした。

「まて、ちょっとそこで待っていろ。」

 興奮した瀬川は、厨房からシェフの浜田を連れてきて怒鳴り散らした。

「そんなに、お前が偉いのなら、うちの料理人と、料理勝負だ。うちの浜田は、イギリスで一年半も修行を積んだ本物だ。くやしかったら、料理勝負でこいつに勝ってみろ。」

 もう駄々っ子のような世界だ。凄く面倒くさいことになってきた。

「わかりました、瀬川さん、今日の取材はなかったことにしましょう。お互い大人ですから、うまくおさめましょうや。」

「なんだと、料理勝負ができないのか。」

「だから、私は編集者であって。」

「自分で料理もろくに作れない奴が、わかったような口をきくんじゃない。わかったら、土下座して謝れ。そうすれば許してやる。どうだ。」

 さすがの清水も何も言えない。紫門夕子が間を取り持とうと立ち上がった時だった。

「いいわ、その勝負受けるわ。受けます、いいですわね、曽根崎さん!」

 ウタポンだった。曽根崎の危機に、飛び込んできたのだ。

「だれだね、君は。」

「料理研究家の有栖川ウタですわ。曽根崎さんは私の大切な人です。こんな言いがかりで土下座なんかさせません。私が、代わりに相手になります、」

 ウタポンは大切な人と言いながら、清水レイナと力石萌に睨みをきかせた。彼女なりの必死の思いから出た行動にちがいなかった。

「君たちが飲んだこともない、いいや一生かかっても飲めないような高級紅茶をせっかく飲ませてやったのに、恩知らずな人だね」

 瀬川の言葉にもウタポンはひるまない。

「わたしだって、イギリス料理は作れます。それに今日出た紅茶よりおいしい紅茶を私は、知っていますもの。」

「なにいぃー、口からでまかせを言うんじゃない。」

 するとなぜか、隣にいた流石が、空になった紅茶の缶を机の上にサッとおいた。こんな時にだけ、物が出て来る、不思議な重い鞄だ。

 二人の自信たっぷりの紅茶が、瀬川のプライドをさらに打ち抜いた。

「うぬうう、出まかせをよくもシャアシャアと! うちの紅茶よりおいしい紅茶など、日本では手に入るはずはない。なんだその妙な紅茶は。みたこともない! 安物に決まっている。」

「おいしいかどうか、飲んで見なけりゃ、わかりませんわ。」

 全然後にひかないウタポンたちに、瀬川のリミッターがぶちとんだ。

「負け犬ほど、よく吠える。面白い、じゃあ、数日後にきちんとした審査員を呼んで、ここで料理対決だ。詳細は追ってすぐ知らせよう。ばかな人たちだ。君たちはイギリスの伝統文化の前にひれふすことになるだろう。思い知るがよい。」

 曽根崎は、きっちりとうなずいた。。

「わかった。連絡をまとう。」

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