天然刑事Ⅱ ~華麗なる証言者~

セイン葉山

第1話 地図と天然

 駅前の裏通りを一人の若者が歩いている。リュックを背負い、野球帽をかぶっている。

「もう時間がない。」

 時計を気にしながら、時々走り出しながら、落ち着かない様子だ。広い公園の前に出る。地図を取り出し、あちこちを見回す。

「…ちがうな。そうか、こっちだ。」

 公園の隣にある雑居ビルの前に出る。近くを、マスクをかぶった男が、四角い鏡を持って通りかかる。時計を気にする野球帽の男の方を勝ち誇ったようにチラッと見ながら、近くのビルの中に入って行く。

「くそー、見つからない。どこだ、どこなんだ。うん、まさか。」

 野球帽の男は、公園の隣の雑居ビルを覗き込む。そこの入り口のドアに、黒いウサギのシールが張ってある。

「やった、見つけた。ここだ。やったぜ。あとは合図を待つだけだ。」

 でも、裏口から入ろうとすると、ガードマンが入り口の控室で見張っていて近づけない。

「くそ…。」

 そのガードマンのところに電話がかかってくる。

「そろそろ爆弾犯人から手紙にあった予告時間だ。どうだ、そちらは?」

「はい、今のところ異常ありません。」

「イタズラだと思うが、十分気を付けてくれ。」

「はい。」

 裏口にそっと近づく野球帽の男。

 その時、外で爆発音が鳴り響く。慌てふためくガードマン、警備室をそのままにして、飛び出して行く。

「やった! 今だ。」

 興奮して、雑居ビルの中に突入、階段をどんどん駆け上って行く野球帽の男。階段の途中で、女子事務員とすれ違う。

「いや、すいません、ははは。」

 野球帽の男の異常なテンションに驚く女。思い鉄の扉を開け、屋上に飛び出す男。

 殺風景な屋上をザッと見まわす。タンクの隣のフェンスの一角にちょうどドアの大きさに紙が貼られている。その紙をよく見ると、あの黒いウサギのシールが目に飛び込んでくる。

「よっしゃ!」

 黒いウサギを突き破ると天の水にたどり着ける。宝は天の水とともにある。なるほど、屋上の水のタンクだ。まちがいない。

 走って近付く野球帽の男。そのシールを貼られた紙を体当たりしながら突き破る。

「うわ! フェンスも何もない?」

 だが、なんということ、水タンクに通じるどころか、破った紙の向こうは何もないではないか。

 さらに破った途端、向かいのビルの方から、まぶしい光が直撃する。

「う、うわー! まぶしい。」

 勢い余って、バランスを失い、墜落する野球帽の男。遠くからパトカーの音が近づいて来る。


 暦の上ではもう春なのに、まだまだ分厚い上着が手放せない、そんな朝だった。ラッシュアワーが一段落した天山駅のロータリーに一台の車が到着し、中から二人の男が静かに降りてきた。天山署の捜査一係の若手のホープ柴田と指導担当の丸亀だ。

「まだ、白峰流石君は来ていないようだね。」

 丸亀の言葉に、柴田が不安そうな顔をした。

「今日の捜査にかなり入れ込んでいたみたいなんですけれど…。先輩が入れ込むとたいていあとで大変なことになるので、ちょっとやな予感がするんですけれど…。」

 すると、高らかな靴音とともにはつらつとして近づいて来る女性の影…うむ、あきらかに何かが違う。

「ふふ、時刻キッチリ、ドンピシャリね。さすが、私ね。」

「先輩、おはようございます。そ、その姿は…?」

「ふふ、わかる? 今日はおしゃれな駅前通りに潜入捜査だから、気合を入れてきたのよ。」

 いつもの地味なパンツスーツにスニーカー姿ではなく、ハイヒールに鮮やかなスカート姿、ふんわりした上着がかわいい。

「どうよ、これなら刑事って気づかれないわ。」

 いや、今日は別に気づかれても構わないんだけれど…。

「あれえ、カバンまで新しいのに変えちゃって! あの重い鞄は?」

「ふふ、今日の一番のチャームポイントに気付いたわね。今日のためにわざわざ用意したバッグよ。かわいいでしょ。ホホホ、私が実力を発揮すればこんなものね。」

「は、はあ…。ではこれから実際に被害者の行動を追いかける作業にうつります。じゃあ、まず出発前の最終確認をしましょう。」

 柴田が、いろいろと資料を取り出し始めた。

 流石はかわいいバッグをそれとなくアピールするように肩から掛け直した。実は、昨日まで持ち歩いていた鞄があまりに重いので、ためしに計ってみたら、なんと八キログラムもあったのだ。携帯や札入れ、化粧道具、手帳、雑誌、ペットボトルなどあらゆるものがごっちゃに押し込まれ、鬼のように重くなっていたのだ。それで、肩も凝るのでバッグごと変えることにしたわけだ。新しいバッグを買いに行ったら、お気に入りの小さいバッグが見つかった。でもせっかく素敵なバッグが手に入ったのだから、それに合わせてコーディネートしていたら、なんとなくこうなってしまっただけなのだ。

 でも、柴田も丸亀も、こんな魅力的な私に何も言ってくれない…、まあこの人たちはシャイだからきっとなにも言えないわけよね、ふふ、しかたないか…。

「ええっと、これが、墜落死した高橋典弘のリュックの中から発見された地図のコピーです。」

 ちょうどこの駅前周辺の拡大地図で、暗号のような謎の言葉が隅に書き込まれている。

「彼がこの地図を使って、この場所に何をしに来たのかわかりません。しかし三日前のこの時刻に、彼はこの場所にいた。そして、この書き込みをみて下さい。スタート九時と書いてあります。そして終了予定時刻十一時三十分としるしてあります。彼は九時にここを出発し、そして十一時三十分には謎の死に方をしている…。」

 すると丸亀が地図に記された赤い丸を指差した。

「地図のこの右端に赤丸と第一ポイントとあるが、ここには何があるのかね。」

 すると柴田が一枚の写真を取り出しながら答えた。

「この地図上の赤丸の地点は、この写真の、新しくできたショッピングモールです。店の数も、人も多く、怪しいものを見つけるのには、骨が折れそうですね。」

「ふうむ、事故現場からも遠ざかるしなあ。それともこの謎の言葉を解けと言うことか?」

『…中央大通りが「谷」になる。そこにもう一人の自分を立たせて覗きこめ。赤い丸が示す場所が本当の目的地だ。目印は豚が笑っている店だ。そこで天の声を聞け…。』

「ふうむ、ショッピングモールで笑っている豚を探せ?」

 柴田も、丸亀も困惑の表情だ。すると、流石がサッと声をかけた。

「何のために三人いるの! みんなで手分けして探しましょう。」

「そうですね。行ってみたらわかるかもしれない。ええっとじゃあ、念のため、バラバラになってもいいように携帯の確認をしておきますか。」

「よし、手分けして頑張ろう。」

 ところが、流石だけバッグの中を探しまくっている。そう、そのまさかだ。

「いっけねえ、古いバッグに携帯を忘れてきたみたい。」

「そんなことだろうと思っていたんですけど…どうします?」

「もう九時になりますから、お先に出発してください。私はそこのタクシー乗り場に行って、タクシーでサッと携帯を取ってきます。そしてそのまま目的地に行って待ってますから…。」

 すると、丸亀がやさしく声をかけた。

「気にすることはない。じゃあ、我々は先に行ってるから。目的地で会おう。」

 二人の刑事は、駅前の交差点に向かって歩き出し、右側の裏通りに消えて行った。

 流石は、すぐにタクシー乗り場まで行くと、そこに並びながらブツブツ言っていた。

「まったく、せっかくお気に入りのバッグに合わせてコーディネイトしてきたのに…。きっといいことがあるって、運が開けるって思っていたのに、出足をくじかれたわ。早く携帯を取って来て、この失敗を取り返さないと…。」

 だが、順番が来て、流石の前にタクシーが滑り込んできた時、流石は飛び上がって逃げ出した。

「やばい、携帯だけじゃなく、お財布もあっちのバッグだったわ。おーい、柴田、ちょっと待ってくれ!」

 だが、あわてて引き返しても、もう二人は交差点を渡り、どこかに消え去っていた。

「ええっと、どっちへ行ったのかしら…。」

 流石は地図を取り出し、くるくると回しながら行き先を確かめた。

「ふふ、楽勝ね。」

 そして真逆の左の商店街へと駆け出して行ったのだった。おしゃれ着を着てドタドタと…。


 柴田と丸亀は聞き込みをしながら目的地に向かって歩いていた。柴田は歩きながら地図を何回もチェックしていた。

 思えば、奇妙な事件だった。三日前の十一時三十分に男が雑居ビルの屋上から飛び降り、死亡した。だが、目撃した事務員によると、男は宝くじにでも当たったような喜びいっぱいの顔で、一気に屋上まで階段を駆け上ると、修理中のフェンスに貼られた危険立ち入り禁止の紙を突き破って飛び降りたのだ。

 しかも、いつも鍵がかけられているはずの屋上のドアが開けられていた。また、雑居ビルの裏口にはガードマンもいたのだが、偶然近くの爆発騒ぎのために出かけて席を外していた。その他にもいくつもの偶然が重ならないと起こらないような事件だった。

 死んだ高橋典弘は、このいくつもの不幸な偶然の上で、喜びながら自ら命を絶ったのだ。いったい何が起きたのか?

 ショッピングモールが近付いてきた時、丸亀が話し出した。

「資料を作ってもらって助かったよ。柴田君。私も昨夜古い資料をチェックして、類似の事件を当たってみたんだが、一つ気になる事件があった。」

「ええ? もしかして…あのハイキングコースの…。」

「そうだ、去年の夏、あの天山ハイキングコースで、男が、ハイキングコースをなぜか離れ、滑落して事故死した事件だ。あれも、いくつかの偶然が重ならなければ起こらない事件で、しかも死ぬ動機も、何も確認できなかった。」

「そうだったですよね。場所は、山と駅前商店街じゃ、まったく違うから忘れていたけれど、同じような奇妙な事故死でした。」

「それから、今から五、六年前にもなるが、五億円強奪事件ってのも、奇妙な手口で…。」

 二人の目の前に、たくさんの親子連れが通りかかる。目的のショッピングモールにやっとたどり着いたのだ

「うーむ、やっぱりというか、どうしたのだろうか、白峰先輩はいないようだなあ。」

 ためしに携帯をかけても、当たり前だが反応なし。だが待っているわけにもいかず、二人は地図を確認しながら、例の謎の言葉の解読に取り掛かった。


 そのころ流石は、駅前中央通りを挟んで、まったく反対の場所にいた。道を曲がるたびに、地図をくるくる回すものだから、もう、どっちが北で、どっちが南かなんて完全にわからなかった。そう、流石は典型的な地図の読めない女そのものだったのだ。

「ムー、ムー!」

 いらだちがつのり、なんだか無性に腹が立ってくる。

 待てよ、でも私だって刑事だ。いつだって、最後は必ずうまくいっていた。もう一度冷静に考えよう。

「そうだ、笑う豚を探せばいいんじゃない!」

 間違い探しや、似た者集めは大得意。そう思いだしたら急に心が軽くなってきた。

「ええっと、笑う豚、笑う豚…と。」

 笑う豚を探し始めて数分後、ある一軒のコンビニの前で、流石は立ち止った。

…ブタマン祭り、ホッカホカのブタマンがお待ちしております…。というメッセージとともに、笑う豚のイラストが描かれているのを見つけたのだ。

「ふふ、さすが私ね。もう見つけちゃった。」

 流石は、警察手帳をかざすとさっとコンビニの中に飛び込んでいった。


 ショッピングモールで調査中の二人は、まったく手掛かりを得られず、流石も現れず、どうしようか悩んでいた。そこに、警察署から電話が入った。

「ええ、まさか? 本当ですか…、わかりました。」

 白峰流石が笑う豚を見つけ、さっそく監視カメラの分析を始めているというのだ。柴田はそのコンビニの住所を書きとめると、例の地図にしるしをつけた。覗き込む丸亀。

「なんてこった、駅前中央大通りを挟んで、まったく反対側じゃないか。いや、待てよ、柴田君、その地図を中央大通りで半分に、そう、谷折りにしてみてくれ。」

「ああ、そういうことか。大通りを「谷」にするっていうのはこういうことか。ちょうど赤丸の反対側の位置ですね。さすが、流石先輩だ。」

 二人はさっそくコンビニに駆け付けたのだった。

 そこでは流石が特大のブタマンをほおばりながら待っていた。

 ちょうど三日前のこの時刻、店内の監視カメラを分析すると、明らかな事実が映っていたのだ。

 借りてきた映像データは鑑識に回され、翌日、みんながモニターの前に集まった。鑑識の高円寺が説明を始めた。

「いやあ、今回も白峰刑事のお手柄でしたね。あのコンビニが第一目的地で間違いはないようです。これは、この地図を使ったイベントのようです。この笑う豚のいるコンビニに地図を持った四人の同じような若者が入ってくるのが確認されました。そして、その中に、今回の被害者、高橋さんも確認できました。他のメンバーの確認ができれば一体何をしにここにきて、事件とどういう関係があるのかがわかるでしょう。」

 映像をじっくり見る。まず一人目。マスクをした青年が、地図を手に入ってくる。そしてとくに何も買わないで、いきなり携帯を取り出し、小声で何か話し始める。すぐに野球帽の男がやはり地図を持って入ってくる。同じように携帯で何かを話し始める。

「服装や風貌から見て、これが死んだ高橋さんに間違いはありません。それと注目してほしいのは、二人が使っている携帯です。わかりますか?」

「…?」

 次に三人目のサングラスの男が入ってくる。やはり地図を持ち、携帯で話し始める。

「わかりました。全員同じ携帯を使っている。これは…プリペイド携帯ですね。たぶん、この一日使うだけのために彼らに渡されたんでしょうね。」

 柴田が注意深く発言した。鑑識の高円寺は、残念そうにつぶやいた。

「ところが、このマスクの男とサングラスの男は、この画像だけでは特定に時間がかかりそうなんです。ところが、どうやら第四の人物が入ってきます。この人物が今回のキーポイントになりそうなんです。」

 次に、メイド服のきゃしゃな女の子が地図を持って入ってきた。キョロキョロしながら落ち着かない様子だったが、今までの三人と同じプリペイド携帯を使って話し始めた。こいつも参加者だったのだ。

「ええっと、みなさん、この人物を見たことがありませんか。」

 柴田がすぐに反応した。

「あれ? テレビによく出てないか、こいつ確か、女装した男だよな。」

 高円寺がニヤッと笑った。

「私も、見たことがあると思って、わが天山署の芸人生き字引と呼ばれる事務員の木下さんに確かめたのです。」

 すると木下女史は、すぐに芸能プロダクション所属の、お笑い漫才コンビ、「アリジゴク」のつっこみ役、サッキーこと先崎友という女装芸人だと断言。この衣装が、何月何日のテレビで、使われたのかさえしっかり把握。間違いはなさそうだった。

 ただ丸亀がちょっとだけ首を傾げた。

「でも、そんな有名人が、しかもメイド服なんか着て、街の中をどうしてうろついていたんだろうね。殺人が絡んでいるようなこんなあやしいイベントなのに…。」

 すると、今まで黙っていた流石が、すっくと立ち上がり発言した。

「ちょっと気になることがあるので、この女装芸人の調査は私に任せてください。柴田と丸亀さんには、マスクとサングラスの男たちの確認を頼むわ。お願い。」

 柴田が言った。

「先輩一人で調査ですか。大変じゃないですか。」

「ふふ、笑う豚を突き止めた私よ。まかせて。」

 単に地図の読めない女の偶然だったが、誰も指摘はしなかった。偶然を実力に変える女、それが流石だからだ。

 謎の事件は、少しずつその姿を現そうとしていた。

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