第3話 アリちゃんの冒険
それは、いくつかの芸人を抱える芸能プロダクションが協同して、お笑い対抗戦を行っている劇場だった。
午前の部が終わり、夕方の部が始まるまでの数時間のうちに、来てくれというアリジゴク側の要望だった。
流石は、あの謎の事件にかかわる地図などの資料と、監視カメラの映像からとった数枚の写真、それからなぜかサインをもらうための色紙とマジックなどを詰め込み、古い鞄で出かけて行った。整理したつもりだったが、色紙も重かったのか、また信じられない重さになっていた。
「ほう、見たことある芸人がたっくさん出てるわけね。」
劇場の壁にポスターが貼られていた。今、人気絶頂の波に乗ってる『モータービン』、女装の男が愛らしい『アリジゴク』、シュールでストイックな笑いの『ジョリーロジャー』など、たくさんの芸人が並んでいる。
「天山署の捜査一係の白峰です。」
「あ、警察の方ですね。お聞きしてます。この通路をまっすぐ行って、突き当りを左です。」
流石は受付の人にお礼を言って楽屋の方に歩いていくと、突き当りできっちり逆方向の右側に曲がって行った。本気で、右と左を間違える流石の必殺技だ。
そこでは、事務所の社長やプロデューサーたちが、企画会議をしていた。ちょうど一人の若者が企画書を提案しているところだった。
「あ、あの提案者、見たことある。」
流石は、まるで遅れてきた関係者の一人のように、そのまま椅子に付き、その若者を見ていた。そいつは小田卓也というピン芸人で、日本一のウザキモ男としていじられるキャラであった。でも、今日はまったく違う。才気あふれるクールな男だった。
「小田君、君はただの一芸人だ。ここは君なんかに来られると迷惑なんだよ。」
「でも、実際、今度の春と夏にやるビッグイベントの方針が決まらなくてお困りじゃないんですか。」
「そんなことは君が心配するようなことじゃない。
だが、驚いたのは小田卓也が、最近の観客動員数とイベントの演出について、的確なデータを出してきたことだった。
「…ということなんです。つまり、最近のお笑いブームで、ここの劇場ぐらいではキャパが足りなくなってきている。でもそうかといって、大型劇場やましてやスタジアムなどで漫才などをやっても、イベントとして盛り上がらない。漫才をスタジアムの大型画面に映すぐらいの方法しかない。このグラフをみて下さい。実際去年の夏の協同プロジェクトでは、客足が思うように伸びなかった。そうですよね。」
「ううむ、そこまで分析できているとは…。」
プロデューサーの一人が感心すると、事務所の社長がうなずいた。
「わかった、君の熱意には脱帽だ。企画書に目を通すだけならいいだろう。」
「ありがとうございます。」
企画書が配られた。なぜか流石の手元にも…。
『女芸人チャンピオンシップ、サバイバルバトル大会』と書いてあった。
出席者の目の色が変わってきた。なかなかの内容だ。
「つまりですね、大劇場で行う春の大会は、女芸人のナンバーワンを決めるトーナメント戦にして盛り上げ、誰が優勝しても決着戦を行うことにして、夏の大会は全面抗争をド派手に行うわけです。抗争ですから漫才以外の要素もありです。スタジアムでね。」
「いやあ、漫才の枠を超えて面白いんだが、一流の本物の格闘家や、一流のロックグループも使うとなると、正規の依頼では予算が足りなくなる。われわれと業界が微妙に異なるから、オファーもとりにくいしなあ…。」
すると突然関係の無いはずの流石が立ち上がった。
「格闘技のチャンピオンと、ロックグループ、エスピオでしたら、うちに太いパイプがありますから、不可能ではないですよ。」
もちろん以前事件の捜査で個人的に知り合っただけの話だったが、つい興奮して発言してしまったのだ。
「それは心強い。ええっと、どちらの事務所の方でしたっけ。」
「天山署の白峰です。」
「ああ、イベント専門の天山事務所の方ね。じゃあ、その際はよろしくお願いします。」
「おまかせください。」
やがて、小田の企画書はおおもとで採用となり、会議は一時お開きとなった。
「あの、すいません、『アリジゴク』の方と打ち合わせがあるんですが。」
すると小田卓也がお辞儀をしながら教えてくれた。
「ああ、この廊下の反対の突き当りですよ。いやね、俺が小田卓也で、『アリジゴク』の小田俊平も同じ小田なんで、よく楽屋を間違えることがあるんで、お気を付け下さい。いやあ、あなたのおかげで助かった。その際はまたよろしくおねがいします。つきましては、連絡先をお願いできますでしょうか。」
ウザキモどころか、とっても礼儀正しい。流石は名刺を渡すと微笑んで、反対側の部屋へと歩き出した。
「え、警察の…刑事さん…?」
名刺を持ったまま、唖然として見送る小田卓也。だが流石も相当に気は焦っていた。
…やべえ、また部屋を間違えちまった。ええっと、アリジゴク、アリジゴク…っと、あった、あったよ。
「天山署、捜査一係の白峰流石です。お忙しいところご迷惑ですが、例の事件についていろいろお伺いします。」
すると、爽やかな二人の青年が、さっと立ち上がり、小気味よくお辞儀をしてきた。
「よろしくおねがいします。『アリジゴク』でえす。」
すると流石がさっそく困惑顔をした。
「あれ、今日は女装してないんですね。」
リーダー格の小田俊平が答えた。
「はい、今は私服でくつろいでいるところです。」
「ええっと、そうすると、どっちがアリでどっちがジゴクなんですか。」
どっちも、アリでもジゴクでもない。でもつい芸人の血が騒ぐと言うか、小田俊平が笑かそうといい加減なことを言った。
「さすが刑事さん、実はこの相方が女装で舞台に上がるんで、アリスちゃんて呼ばれてたんですよ。そしておれがクールなジゴク。ですから、呼ぶ時は、こいつをアリちゃん、おれをジゴクって呼んでくださいな。」
警察相手に一発ギャグで先手をとったと思っていたら、とんでもなかった。
「はい、了解しました。ええっと、こっちがアリちゃんでそっちがジゴク君ね。じゃあ、さっそく始めます。」
相方の先崎友が冗談ですよと打ち消そうとしたが、小田俊平がニヤッと笑ってそれを止めた。明らかに面白がっている。こなくそ!
「えー、じゃあ、あの謎の地図は、宝探しのイベントで使う地図だったんですか。」
殺人事件の匂いは全く感じられなかった。意外な方向に話が進んでいった。
もともと、街の中や、自然のフィールドの中に宝を隠し、地図や謎解きをしながら頭脳と行動力を競うイベントなのだという。
「最近は不景気でスポンサーが減り気味なんですが、それでも今回も一等賞金は二十万円、でも二等や三等でも十万とか五万とかでるんで、けっこうな小遣い稼ぎになるんですよ。ネット上のトレジャーカイザーというサイトに登録しておくと、向こうから、イベントのお誘いのメールが届く。そこで最初の謎を解いて返信すると、成績の良かったものにだけイベント開催の知らせが届くんです。へへ、それでおれ、金のないころからたまに小遣い稼ぎで参加していたんだけど、今回のイベント開催日はちょうど仕事が入っちまったんで、相方のええっと、アリちゃんに代わりに出てもらうことになったんですよ。」
すると、真面目そうな相方のアリちゃんがキャンキャン言い出した。
「それがこいつひどいんですよ。参加者は、本人確認のため、当日着てくる洋服を着た写真を送ることになってるんですけど、こともあろうにおれのメイド服の写真を送っちまったんです。ですから、いやいや引き受けた上に、こっぱずかしい女装姿で真昼間の街を歩くことになって、もう、大変でしたよ。」
「なるほど、そういう事情があったのね。」
しかし、この宝探しゲーム、どのように殺人事件と絡んでいるのだろう。アリちゃんの長い話が始まった。
「その日、仕事は夜だけだったので、日中、特に午前中は何もなかったんです。相方の小田俊平はお世話になった先輩のイベントがあるとかで、おれにトレジャーカイザーの出場権を押し付けて朝早く行ってしまいました。
はい、俺の集合場所は、なぜか中央通りの奥にある、スポーツセンターだったんですが、隣が女子高で、早く行き過ぎたら、制服姿の若い子がメイド服姿の俺をチラチラ見ながら笑って通り過ぎるので、かなりつらかったです。出場者の集合場所は、みんな別々のようですね。3日前に、郵送で謎の言葉が書かれている地図と、プリペイド携帯が送られてきたので、それを持って行きました。ちなみに、賞金は、地図と携帯と最後に引き換えになるので、もう俺の手元にはありません。
え、その時の賞金五万円ですか。じつは、山分けで相方ともめて、まだそのままですけれど、え? 犯人の指紋がついているかもしれないって? わかりました、今、お持ちしますよ。調べてください。
…それで、開始時間の九時になったら、メールが来たんです。第一ポイントの笑う豚が見つかったら、登録されているゲームマスタのところに電話するようにという内容でした。いよいよ、ゲームスタートです。
『…中央大通りが「谷」になる。そこにもう一人の自分を立たせて覗きこめ。赤い丸が示す場所が本当の目的地だ。目印は豚が笑っている店だ。そこで天の声を聞け…。』
最初はよくわからないので、地図の赤丸方向に向かって歩き出しました。ところがすぐに向こうから女子高生の集団がやってくるのです。ああ、スポーツセンターで試合のあるラクロスの部員かなんかだなと思いました。でもこのままいくと、真正面から遭遇してしまうので、おれはさっと開業前のレストランの看板の後ろに隠れたんです。ここならメイド服がいてもおかしくないなってね。なるべく顔を隠しながら…。すると作戦は見事にあたり、ラクロス高校生は、何事もなく通り過ぎていきました。ところが、そのせまい看板の後ろから出ようとしたとき、髪の毛につけていた大きなレッドのリボンが入り口の横の照明の金具に引っかかり、取ろうとしたら、なかなか取れず、思いっきり引き抜いたら、スッポンと抜けて、勢い余って、壁に顔面直撃。いたいやら焦るやら大変でした。さっそくリボンをつけなおし、化粧ポーチから手鏡を出して、腫れた顔を覗き込んだんです。
こんなメイド服に真っ赤なリボン、そして腫れ上がった顔…実に情けない自分がそこにいた…。ああ、実家のやさしいおばあちゃん、琴ちゃんが見たらなんていうのかな…。
『あれ、これってもう一人の自分? だとしたら…。』
俺はさっそく、あの謎の地図の中央大通り上に手鏡をのっけて、中を覗き込んだんです。すると、あの赤い丸が大通りの反対側に見えるじゃないですか? なあるほど、そういうことか。俺は、そこで大体の見当をつけて歩きだし、そして見つけたんです。笑う豚を。でも、行った中では一番遅かったみたいで、他の参加メンバーが来ているみたいでした。みんなそこで次の指令を受けているようでしたけど、それぞれに別々の方向に歩いて行ったから、別々の指令を受けたみたいでしたね。
え、野球帽をかぶった人が何かいってなかったって?
そういえば、彼には制限時間内に宝を見つけなければならないタイムリミットクエストが来たみたいで、きょろきょろしながら走っていましたね。
俺は、近くの公園の茂みの中にある黒い箱を探せと言うような指令を受けました。
え、ゲームマスターの声ですか? なにか、デジタル処理をしてあるのか、へんな声でしたね。ただ、後ろで機械の音のような振動音が、ずっと続いてましたね。それで、俺はすぐに公園に行って、あちこちの茂みを調べたら、ありました。黒い箱が…。なんかわくわくしましたね。
中には指令書と、チャッカマン、それと派手な打ち上げ花火が入っていました。なんだこりゃ? 私は、指令書の通りに黒い箱をもとの茂みの中に戻すと、公園の南側の隅で花火の用意をしました。そして指定された時刻に点火しました。花火は昼だからあまり見えなかったけれど、かなり派手な音をだして破裂しました。そして、指令所の通り、すぐに公園から走り出して、次の目標物、黒いウサギを探しました。最初は、公園のどこかで黒いウサギを飼っているのかなと思いましたが、何も見つからず、だんだん焦ってきました。
さらに、爆発音を聞いて、近くのビルからガードマンが飛び出してきて、『こら、待ちなさい』と、怒鳴りながら遠くから追いかけてくるのです。
『助けてー! 琴ちゃーん!』
メイド服でガードマンから逃げるのはしんどかったです。なによりパニック状態になりながら黒いウサギを探さなければならないんですから…。
でも、公園の出口のそばにブラックラビットという喫茶店があるではないですか。もう、喜んで、人混みにまぎれてそこに飛び込みました。すると、携帯が鳴り、喫茶店のトイレに、最後の指令書があると言うので、地図や携帯と交換にその指令書を持ち出しました。
裏口から店の外にでて、指令書を読むと、おめでとう第三位とかいてあり、さきほどお渡しした、五万円が入っていたんです。なんだ、じゃあ、あのガードマンも、ゲームの演出だったのかと思い、よくできたゲームだなと感心しました。」
するとそれまで静かに聞いていた流石が、まさかと目を丸くして立ち上がった。そして、大きく首を振った。
「ガードマンは、ゲームの演出じゃないわ。その公園がここでしょ。高橋さんが飛び降りたのは、そのガードマンのいたビルだったのよ。」
「え? どういうことなんですか?」
「あのガードマンのところには数日前、ビルの爆破予告が入って、ガードマンはピリピリしていたのよ。そこでアリちゃんが花火を打ち上げたものだから、ガードマンが、警戒して飛び出してきたのよ。そしてガードマンがいなくなったビルの裏口から、高橋さんは、ビルの中に入り、屋上まで駆け上がった。何があったのかまだわからないけれど、あなたの花火が、ガードマンを不在にしたのよ。」
「え、じゃあ、おれは殺人に協力したことになるんですか。でも、おれも今思い出すと、なんであんな変なことをしたのかって反省しますよ。公園の隅っこで、とんでもない花火をうちあげさせられても変だと思わなかった。みんな、ゲームに勝ちたいから、とにかく、こじあけたり、ひっぱりだしたり、仕掛けたり、逃げ出したり、通常ではおかしいと思うこともぜんぜん疑わずにやってしまうんです。あの被害者の高橋さんも、タイムリミットつけられて、あせりまくって走っていたし…。どうしよう、ボク逮捕されちゃうんですか。」
「あなたも騙されたんだから、罪にはならないけど。きっとほかの参加者も、知らずにゲームだと思っているうちに殺人の手伝いをしていたかもしれない。」
「ヒョエー!」
「ところで、その、トレジャーカイザーってサイト、教えてくれませんか。」
「ええ、スマホですぐにアクセスできますよ。」
小田俊平にいろいろ聞いて、ネットにつなぐ。だが、なんということ、まずネット上のトレジャーカイザーには、事件当日の開催内容などが一切載っていないのだ。どうもあのイベント自体、でっち上げの偽のイベントらしかった。似たようなサイトをつくり、事件が終わると、すぐに削除されたらしい。
「うわー、ひでえ、うまく利用された。」
アリちゃんは、愕然として拳をふるわせた。
きっと犯人は、遠くにいてただ指令を出すだけで、他の参加者に犯行の準備をさせたのだろう。そして、くわしくはわからないが、死んだ高橋は、爆発音とともに、早い者勝ちで屋上の貼り紙を破ると、優勝賞金がはいると誘導させられたに違いない。勢いよくフェンスに貼られた紙を突き破れば、あとは、そこから墜落するしかない。他の参加者は、自分が犯行に加わったことも知らずに、賞金をもらって帰っていったわけである。そして、犯人も、なぜ高橋が殺されたのかも定かでない。証拠はどこにもない…。
「ちっきしょう、くやしいですよ。情けないですよ。」
するとアリちゃんの肩に手を置いて小田俊平が言った。
「悪かったな。俺が変なイベント持ち込んで…。」
「ねえ、ジゴク君さあ、あのサイト作っていた人、わからないかなあ。」
すると、小田俊平は、じっくり考えて言った。
「…一つあります。」
「本当?」
「じつは、今回、だまされて偽のトレジャーカイザーに行ったんですが、きっかけがあったんです。トレジャーカイザーの交流サイト、ゴールドレインで、いいもうけ話があるって言ってきたやつがいて、それで偽のサイトに登録したんです。そいつの名前はコクト、しばらく放っておけば、油断してまたネットに現れるかもしれません。」
「なるほど、じゃあ、もしも、そのコクトっていうやつがネット上を動き出したら教えてくれる」
「もちろんです、相方の敵をとりたい!」
その時、流石の携帯が鳴った。別部隊で聞き込みを行っていた、柴田と丸亀からだった。聞き込みにいった先のある男性から、さきほど遅れて連絡があり、犯人について重要なことを伝えたいと言ってきたというのだ。
「了解、すぐにそちらに向かいます。」
しまった、せっかく色紙を持ってきたのに一枚もサインをもらってない。まあ、今日はしょうがない。
「すいません、緊急の用事が入りました。近いうちにもう一度必ず来ますので、よろしくお願いします。」
流石はそういって、劇場をあとにした。あとで『アリジゴク』のメンバーが、標的にされるとは、この時は誰も思わなかった。
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