祈り

「エイミ!」


 浸水が無くなり、美しい女神像がいくつもの篝火に照らされている。

 そうか、ここは女神像に残った記憶。

 僕は女神像から手を離す。


「な、なによここ?」


 後ろから思わぬ声がした。


「リゼット!?」


 記憶の中にリゼットが居る。

 まさかあり得ない。


「ヨヴィ、いったいあんた何したのよ!」


 思い切り胸ぐらを掴まれる。

 苦しい。

 ……ってことは、リゼットは記憶の中にいる人間じゃない。


「ギブギブ。説明するから」


 そう弁明した時、リゼットの手が緩んだ。

 僕たちが騒いでいる後ろでガシャンと装甲の鳴る音がした。

 振り向いて、僕は手を握りしめる。


「エイミ……?」


 髪が伸びて腰まである。

 革製の鎧で、胸周りや小手には鉄製のプレートだ。

 いずれも黒い汚れがべっとりと付いている。


「ちょっと! あんた血まみれじゃない!」


 リゼットがエイミに駆け寄って触れようとしたが、すり抜ける。


「えっ」


「これは記憶なんだ。エイミの……、勇者の見た記憶の世界に僕らは居る」


 リゼットが僕とエイミを二度見した。

 無理もない。


「これがあんたの魔法ってことなのね」


 しかし、意外にも彼女はすんなり理解した。


「なら、わたしが見ているのはすごく昔ってことなのね」


「そうだね。教会の研究だと勇者エイミが居たのは、今から約千年前だと言われている」


 リゼットはリゼットをじっと見つめた時、エイミが顔を上げる。

 その顔にあどけなさは感じられない。

 よく見れば体も成長して、もう子供と言うのは憚られるほど。


「ヨヴィ、変なことを聞くんだけれど、正直に答えてほしいの」


「うん」


「あなたにとってエイミ様は何者なのよ?」


 もう隠し通せない、か。

 いや、最初から勘付かれていたのかもしれない。


「エイミは僕の前世で妹だったんだ」


 リゼットは細く長く息を吐いて「そう」と納得したように呟いた。


「あんたの旅は罪滅ぼしなんだわ」


 意味不明な答えだ。


「罪? 僕が何を犯したっていうんだ」


 苛立ちが募って、強い声が出た。

 リゼットはそばに寄ってきて、改めてエイミへ視線を送る。

 それではっきりした。


「そうか、僕は妹を救えなかった。それがずっと辛かったのか」


 エイミは女神像を見上げた。

 祈りを捧げるように合掌する。


『女神様、お兄ちゃんがこの世界に居ないというのは本当ですか?』


 落ち着いたトーンの割に声は震えている。

 エイミがこの洞窟にたどり着くのにたぶん1年か2年は掛かったのだろう。

 砂漠の紛争地帯で多くの時間を費やしたに違いない。


 聖女として語り継がれているほど、人助けをしてきたんだ。

 どれだけ苦しい思いをしたんだろう。

 いくら泣いたのだろう。


『女神様、なぜ私の願いを聞き入れてくれなかったのですか?』


 僕はエイミを泣かす相手を許せない。

 本当に許せないのは自分だけど。

 エイミが剣を引き抜いた。


『女神様! 私は!』


 そして僕とリゼットの間をすり抜けて、女神像の足元に剣を振り下ろす。

 ギン! と激しい音が洞窟内に響いた。

 女神像の足元に大きな亀裂を作る。


『前の人生でお兄ちゃんを助けることが出来ませんでした。だからこの人生で助けたかったんです』


 エイミは剣を杖のようにして縋るが、すぐに力なくその場に膝をついた。

 その背中は泣いているように震えている。


「エイミ!」と声が出た。


 でもまたこの声も手も届かない。

 足が重かった。

 そんな僕を置いてリゼットが駆け出した。


『お兄ちゃん、どこに居るの……』


 悲痛なつぶやきをかき消すように、


「あんた勇者なんでしょ! あんたの兄はそこに居るのよ! どうして分からないの!?」


 リゼットがエイミの脇に立った。


「おい、何を言っているんだ」


『お兄ちゃん、もう死んじゃったのかな……。なら私も……』


 エイミ。

 そんなことを言わないでくれ。


「エイミ様! あんたは世界を救うの! 魔王に虐げられた人達を助けて平和な世界を取り戻すのよ!」


「リゼットやめてくれ。僕たちの声は聞こえないんだ」


 たぶん僕の声は届いていない。

 一瞥もしなかった。


「あんたが世界を完璧に救わなかったから、わたしは……」


 声も勢いも尻すぼみになっていく。

 リゼットの復讐する人生は平和とは程遠い。

 この世界には強盗、人買い、詐欺、殺人などと悪に枚挙がない。


「エイミ様、ちゃんと世界を救いなさいよ。じゃなきゃ、あんたの兄が千年後に苦しむんだから」


『もしかして、お兄ちゃんはまだこの世界に生まれてないの……?』


 耳を疑った。

 いや、まさか。

 リゼットの声に届いたのか?


『お兄ちゃんが死ぬわけがない。なら、まだ生まれてないって考えるんだ』


 どうやら違ったらしい。

 苦しみの中でエイミが導き出した答え。


『私、お兄ちゃんとまた一緒に暮らしたい。だったら、少しでも幸せがある世界にしなきゃ』


 エイミが世界を救おうとしたのは、いつか転生してくる僕のためだった。


『待っててね、お兄ちゃん――』


 エイミ!

 僕は妹の背中に走り出した。

 足元がじゃぶじゃぶと音を立てた。



 ◆



「エイミ……。僕はこの世界が大嫌いだった。でも、少しだけ嫌いじゃなくなった」


 女神像に手をかざし、言葉を残した。

 足元の水かさが増えている。

 水に七色が油のように浮いていた。


 そろそろ出発の時だ。


「ヨヴィ、わたしは先に行くわよ!」


「待ってよ、リゼット!」


 僕は高台に避難したリゼットを追う。

 旅の目的を一つ果たした。

 でも、残念ながらエイミの目的は果たされてないように思う。


 この世界は救われてなんかいない。

 悪が蔓延っていてもいなくても。

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異世界巡礼~第二の人生も僕は妹と一緒に生きていく~ etc @sait3110c

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