狩場

 廃墟マニアという人達をご存じだろうか?世の中には、人の手を離れて朽ち果てた建物が好きという奇特な趣味を持つ人達がいる。

 草生して、苔に覆われ、金属は錆び、壁紙は剥がれ、埃が積もる。廃墟マニアはそんな打ち捨てられた世界の光景に興味を惹かれるものだ。

 例に漏れず、かつては私もその1人であった。これは、私が廃墟マニアを辞めるに至った話。


 その日、私は休日を利用して3つほど県境を越え、山奥の集落に残る廃校を探索していた。

 廃墟マニアの中でも知る人ぞ知る……という廃墟であり、撮影機材を用意し、友人の廃墟マニアを連れ、2人で探索する事になった。

 廃墟という性質上、単独で廃墟を探索するのはそれなりのリスクがある。

 例えば床や階段が腐っていて転落して怪我をしたり、廃墟がホームレスの溜まり場になっていたり、屯している柄の悪いの地元の不良集団と対峙しなきゃいけない時には単独よりも人が居た方が助かる事も多い。

 この日も、いつものように廃墟を堪能し、撮影した写真をSNSに上げて、色んな反応が集まる事を期待していた。


 コンビニで買った簡単な昼食を車内で食べた後、私は山の中を縫って走る小さな道を車で進み、目的地にたどり着いた。

 目当ての廃校は山の中に鎮座していた。グラウンドは雑草がところどころ伸びていて、木造二階建ての校舎は蔦が壁を飲み込み始め、窓ガラスも場所によっては割れていた。

 元は学校の校門だった場所に車を停めて、私は撮影機材を引っ掴むと、友人と共に探索を始めた。

 外周を撮りはじめ、それから校内を見て回る。幸いなことに、立ち入り禁止の張り紙もテープもなく、施錠されていない正面玄関の扉は、やや渋い動きながら開いてくれた。


 埃っぽい校舎の中の進みながら、使われなくなった学校に思いを馳せてシャッターを押した。

 中々に写真や情報が上がらない秘境中の秘境であり、大抵、こういった人気のある廃墟は荒らされたりするのがオチだったが、ここはまさに手付かずと言った状態で、黒板には廃校になった際に書き記された生徒たちの寄せ書きがまだ残っていた。

 撮影が進む中、私たちは2階を探索する事になり、階段を上っていった。


 先を進むと廊下が見えたが、そこで私たちが目にしたのは異様な光景だった。

 机や椅子が積み上げられ、廊下が封鎖されていた。それはパッと見て、急ごしらえで作られたバリケードのように見えた。

 一体誰がこんな事を?と想像したが、大抵、廃墟にはサバゲーマーという存在が付きもので、廃墟の中で戦争ごっこをしたがる風情のない奴らも居るものだ。

 私はそいつらの仕業だと思ったが、不思議な事に、今までサバゲーマーの一番の痕跡であるBB弾を一切見かけていなかった。

 幸い、教室とベランダを迂回する形でバリケードの向こう側へ行けるようなので、私たちはベランダ伝いに前へ進もうとした。


 床は雨漏りか何かで湿っていて、滑りやすくなっていた。私は不意に足を滑らせてしまった。

 そのまま私は転倒した、カメラを咄嗟に守る事で精一杯で、私はその時何が起きたかわからなかった。

 転んじゃったよと笑いながら起き上がると、友人は顔面蒼白だった。私が回りを見回すと、教室の壁に何かが突き刺さっているのが見えた。


 弓矢だった。

 友人が指差す先には、机や椅子で巧妙に隠された、竹とロープで出来た手製のボウガンのようもの、そして足元にはそれを動作させるための罠のワイヤーが見えていた。

 弓矢の軌道は、私が転んでいなかったら間違いなく刺さっていた距離だった。

 あまりの恐怖で声は出ず、代わりに呼吸とも小声ともつかないような短い風切り音を上げた。腰を抜かしそうになった。


 その後ろで、私たちが通ってきた教室の扉が、がたんと締まった。

 あまりの出来事に私たちが唖然としていると、軋む床を踏みつける足音が、急ぎ離れていった。

 私たちは恐慌状態に陥った。友人が教室の扉を開けようとするが、つっかえ棒でもあるのか、扉はびくともしない。叫び出しそうになりながらも、私たちはベランダ越しに前へと進んだ。

 ベランダはガラス片が散乱していて、踏み出す度にじゃらじゃらと音が鳴った。隣の教室に入ろうとした所で、私は床に走る一本のワイヤーを見てしまった。


 もう一つ先の教室から入ろう、と友人は急いで言った。

 隣の教室は元から荒れていて、床板がいたる所で弱っていた。罠が仕掛けられていない事を確認すると、友人が先に走った。

 床板が腐っていたのか、友人が踏み出した足は床板を踏み抜いた。短い悲鳴を上げて友人が転倒した。

 友人の足元には床板の下に這った、大量の釘が針のように飛び出た罠が仕込まれていた。


 友人は念の為に安全靴を履いていたので、事なきを得たが、この頃になると私たちは半狂乱になっていた。

 廊下を走り、階段を降りる、その瞬間に私の足に衝撃が走った。

 何かに引っ張られる感覚を覚え、階段を転んでしまった。痛みに顔を歪ませつつ、足元を見ると、階段の欄干に括りつけられたワイヤーのトラップだった。後から知ったが、それは輪っか状のワイヤーで動物の足を掴む、仕掛け罠の一種だった。

 いきなり動けなくなってしまった私が絶望している中、友人は必至になってワイヤーを外そうとした。

 その時だった。


 廊下から、床板を踏む足音が近づいて来たのは。


 ぎぃ、ぎぃ、と床板が軋む音が近付く。


 私は本能的にここで死ぬんだと理解した。

 だが、友人は放心に返っている私に対して、ベルトに付けたポーチから、マルチツールを出せと叫んだ。

 廃墟はアウトドアでの撮影も多い、アウトドアで何かと使えそうな万能ツール……例えば十得ナイフなどは常に携帯しておく癖がついていた。それが私を助けた。

 マルチツールを出すと、友人はプライヤーの根元に付いているワイヤーカッターを使ってワイヤーを切断した。

 足が自由になった私たちは、一目散に玄関へと駆けていった。


 校舎の外に出て、雑草が生い茂るグラウンドを全力で駆けた。私は後ろから撃たれないかと、恐怖で顔面を強張らせながら必死で走った。

 私たち停めた車に急いで乗り込むと、私は急いでエンジンを回した。頼もしい音を立ててエンジンがかかった瞬間、私は涙が出そうになった。

 私がバックミラーを覗くと、そこにはあいかわらず廃墟の校舎がそこにあった。2階の割れた窓ガラスの向こうから、男性と思しき人影が立っていたが、車が急発進した事ですぐさま視界から消えた。


 もう大丈夫だろうと思う所まで無我夢中で車を走らせ、人通りの多い街に出た所で、ようやく私たちは一息ついた。遅れて、足の震えが来たのを今でも鮮明に覚えている。

 帰りの車中、私はその日の撮影データを確認もせずにすべて消した。思えば、警察に通報し、提出すればよかったのかもしれないが「見てはいけない恐ろしいもの」が映り込んでるかもしれない恐怖が勝った。


 それ以来、私は廃墟には二度と近付かなくなった。

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