あの日見えた景色

 これは俺が大学に入学する前の話。


 当時、首都圏から外れた東北の地方都市に住んでいた俺は高校三年生で、受験シーズンに入って大学入試のために上京する予定だった。

 受験という重荷もあったが、当時は親父と折り合いが滅茶苦茶に悪かったのを記憶している。親父は俺を地元に残らせたかったようで、俺が進学すると言ってから散々揉めていた。お袋の仲裁で俺はどうにか受験を許される事になった。

 元々、親父は変な人だった。若い頃の写真は一枚も残ってないし、母方はともかく親父の親類とは生まれてこの方一度も会ったことが無い。若い頃に苦労していた、と母から聞かされていたが親父は多くを語らない人だった。昔はよく遊んでいたのに、俺が中学生になった頃から明らかに神経質な様子なっていた。

 入試のために地元を出る前、親父が不安な顔をして「絶対に戻って来いよ」と、まるで息子を死地に送るような事を言ってたのをよく覚えている。

 あの日見た不思議な光景とセットで、だ。


 俺は初めての上京だった。おまけに保護者のいない中で、初めて都会に泊まる事になった。試験の不安もあったが、初めての泊まりがけの東京にワクワクしていた。

 上京して翌日、都内にある試験会場で俺は予期せぬ出会いを果たした。地元の同じ予備校に通っていた他校の男子生徒と出会ったんだ。名前こそ知らないが互いに面識があったから、試験が終わって解散する時に初めて会話をした。前々から親しみやすそうな奴だと思っていた。

 奇遇だね、あの予備校にいたでしょ?試験はどうだった?と話しながらホテルに戻るために道を歩いていた時、そいつはこっちの道なら駅へ早くつくからと土地勘も少なそうなのに、雑踏を抜けて裏路地へと入った。


 裏路地を進んでいく内に、俺は何か違和感を覚えた。

 違和感の正体はわからなかった。それでも、俺は裏路地を進み始めた。

 スナックの看板とやたら古めかしいデザインのポスター、見かけない形の空き缶。そんなものを尻目に少し歩くと、大通りが見えてきた。

 近道に成功したな、と思いながら光が差し込むその向こうを見た時、俺は違和感がとても大きくなるのを感じた。


 何かが変だ、何が変なんだ。

 思い止まって立ち止まった俺を尻目に、一緒に歩いていたそいつは俺よりも先にツカツカと歩いていき、そのまま裏路地を出ていって、俺の視界から消えていった。

 冷や汗が出てきた。違和感の正体に気が付いた時、俺は思わず息を呑んだんだ。


 古すぎる。

 裏路地から見える大通りの景色は、俺が知るような世界じゃなかった。いや、正確には知っている。テレビの中でしか見ない、俺が生まれるもっと昔――古い平成の景色だ。

 図鑑や、田舎の片隅で廃車になっているような古い車が道を行き交い、バブルの時代に見たような古い格好の人々が、雑踏を行きかっている。

 もっと目を凝らせば、遠くに見えるもの……コンビニのガラス窓に貼られた、何かのバンドのライブを宣伝するポスターが見えた。日付らしき数字があると気が付いた時、俺は反射的に視線を反らした。

 

 来てはいけない所に来た。そんな怖さがこみあげてきた。

 映画かドラマの撮影中なんだ、そういった考えが浮かんだ瞬間に俺は、きっとそれなんだと思い込む事にした。頭の中で親父の声も聞こえたような気がした。「絶対に戻って来いよ」

 俺は踵を返して急いで裏路地を引き返した、薄暗いビルの合間を縫って駆けつづけた俺は、元の道を見つけた。


 スマホを片手に見ながら歩く人を見かけて、俺は思わず安堵した。

 何故かは知らないが、助かったと思った。そのまま駅前へと向かう道を歩いていく中で、ふと気になって、あの裏路地から見えた景色が気になって、少しだけ方向を変えて、大通りから先ほどの景色を眺めようとした。ドラマの撮影でもやっているのだろう、と思ったが、今度こそ俺は怖くなった。

 あの路地から見えたはずの景色は無くなっていた。違うビルが建ち、かろうじて景色と合致する建物はあっても、様子はかなり変わっていた。コンビニは同じ場所に建っていたが、そこは違う店名のコンビニになっていた。カメラは何も見当たらず、その通りに出たはずの予備校の知り合いは、どこにもいなかった。

 どっと冷や汗が流れてきた。俺は全てを忘れるように、無我夢中で駅まで走り、そのまま電車に飛び乗った。

 

 翌日、電車を乗り継いで地元に帰った俺は両親に出迎えられた。

 あれほど神経質だった親父は、とても穏やかに出迎えた。

 その日の晩に夕飯を食べた後、俺は食器を洗っているお袋を尻目に、あの日遭遇した不思議な出来事について親父に話してみた。全てを話した後に、親父は「受験で根を詰めすぎて変なものでも見たんだろう」と返した。それから、俺の顔を見てただ一言「あの道を引き返してくれて良かった」と言った。


 地元で小さな騒ぎがあってからは、俺は全てを知る事になり、俺は親父と、絶対に口外しない秘密を共有した。

 俺は親父の言葉をかみしめながら今もこの時代を生きている。

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