万歳三唱

 子供の頃、祖父の戦争体験を聞いて、それを発表しようという授業があり、今は亡き祖父に戦争体験を聞いた事がある。

 祖父は南方の戦場帰りで、壮絶な体験をしていた。戦争の悲惨さや虚しさを当事者として何よりも知っている人だっただろう。

 そんな祖父から色々な話を聞いたが、これはその中で、俺が唯一、授業で話すのをためらった話だ。


 祖父のいた部隊にはK中尉という上官がいた。

 中尉は相当に人望が無く、部下たちからは軒並み嫌われていたという。誰よりも部下の兵士たちを虐める事に腐心し、威張り散らし、階級という権力を盾にやりたい放題していたという。

 時には些細な理由で部下を殴ったりする事があったが、ある時いつものように、どうでもいい理由を付けて部下を殴ろうとした際、その部下に口答えをされた中尉が激高し、その部下を必要以上に殴って痛めつけた挙句に殺してしまった事件が起きた。

 中尉は何とかこれをもみ消し、表向きには事故死として処分したが、真相を知った部下たちは激昂し、いつしか中尉を殺してやろうと計画を立てたという。


 しかし戦線が悪化の一途を辿ると、そんな計画を実行に移す暇もなくなった。

 補給線も断たれ、連合軍の猛攻を前に、祖父たちは生きているのもやっとの状態になった。身内の敵よりもまずは目先の敵である。

 極限状態になると中尉は更に酷くなり、まるで邪知暴虐な王のように振舞い、以前よりも更に悪化したという。

 中尉のずさんな命令や指揮で多くの部下たちが不必要に命を失い、なりふり構わず出された玉砕命令により祖父の戦友たちも多くが亡くなった。


 そして運命の1945年8月。祖父たちは救いの声を耳にする。玉音放送が流れ、戦争が終結したのだ。

 各地に散らばって戦っていた日本軍が次々に連合国に投降した。

 祖父のいた部隊も武装解除され、引き上げを待つ間、現地の収容所に入れられたという。


 生き残った祖父や、中尉の部下たちは復讐計画を再度練り始めた。

 復員輸送で本国に戻り、娑婆に戻られては復讐は果たせない。やるのならこの異国の収容所でやるしかない。

 だが、中尉は誰よりもずる賢く、悪知恵が働いた。

 投降する際に中尉は身分や名前を偽り雲隠れしたのである。

 恐らくは報復を恐れて、祖父たちとは別部隊の別人として身分を偽り、他の収容所に潜り込んだのだろうという話になった。


 祖父は監視のアメリカ兵たちに事情を伝え、上官が姿をくらましたので探して欲しいと懇願したという。

 この時期、戦犯の将校たちを血眼になって探していたアメリカ軍は、中尉も戦犯の関係者だろうと思い込み、人探しを始めた。


 しばらくして、祖父の元にアメリカ兵が通訳を伴って現れた。


「お前の言っていたK中尉らしき人物が発見された、身元確認のためついて来い」


 そう言われ、離れた場所にある別の収容所に祖父は連行されていった。

 これから顔合わせをして本人か確認するのだろう、と思っていた祖父の前に、同じく収容されている日本軍の軍医が現れた。

 軍医はついてこい、と祖父を粗雑な小屋に連れて行った。


 小屋の中に入ると、むっとした死臭が祖父の鼻に飛び込んできた。

 ここは遺体の安置所だ、と軍医は祖父に説明した。

 前々から見かけない顔の将校が混じっていたが、その将校が昨夜死体で発見され、身元がわからない所にK中尉を探していると連絡があったので、確認に来て貰ったという。

 遺体に被せた血だらけのシーツを外して、全容を見せた。

 それはK中尉の死体だった。


 復讐が達せられたと喜ぶ前に、祖父は猛烈な違和感と、遺体の惨さに思わず圧倒されたという。

 K中尉の遺体は激しく損壊しており、全身が血だらけで、何かに切りつけられたり、刺されたり、撃たれたりしていた。

 さらに恐怖で歪んだ中尉の顔半分は、まるでむしり取られたように無くなっていて、熊にでも齧られたかのような酷い有様だった。

 しかし妙だった。最後にK中尉を見た時には戦闘はとっくに終わっていて、後方でふんぞり返っていた中尉はマラリアどころか風邪ひとつかかっていない程健康だったはずなのに、まるで最前線の戦闘に駆り出されて無惨に死んだような状態になっていた。


 軍医は妙な死に方をしたのだ、と話す。

 逃げ出そうとしてアメリカ兵に射殺された訳でもなく、昨夜には銃声は一切鳴っておらず、銃はおろか軍刀や銃剣に至るまで没収されているので、この場にいる兵士たちに、こんな傷を与えるような殺しは出来ないのだ。

 祖父は第一発見者に事情を聴きたい、と伝えると、軍医はすぐに怯えた顔の二等兵を連れて来た。


 怯える二等兵は、祖父に事の真相を話してくれた。


 二等兵は夜中、小便のために宿舎を抜け出す中尉を目撃したという。

 その姿を見て、自分も尿意を催してきた二等兵は、こっそりと起きて後についていったという。

 中尉はふらふらと、トタン板で囲っただけの簡素な便所に入っていった。


 少しして、ぎゃっ、と短い悲鳴が聞こえた。

 二等兵は便所にヘビでも出たんだろうと思いつつ、ヘビぐらいで何を怯えているんだあの中尉はと呆れながら便所を覗き込んだ。

 その瞬間には、血だらけの中尉が便所で倒れていた。

 二等兵は恐怖したが、すぐに複数人の気配がして、便所で中尉がリンチされたのだと勘違いしたという。


 だが、二等兵ははっきりとそれを見てしまった。

 中尉を囲むように、数多くの「手」が浮かんでいた。

 腐っているもの、指が欠けているもの、完全に白骨化しているもの、すべて泥や血で汚れた手たちはそのままフワッと上を向いた。

 二等兵の耳に、幾多も重なった声が聞こえた。


 ばんざい


 ばんざい


 ばんざい


 斉唱が終わると、大量の手はすっと消えて、そこには息絶えた中尉の死体だけが残っていたという。


 話を聞き終える頃には祖父の背中は冷や汗でじっと濡れていた。

 二等兵は中尉殺害の嫌疑をかけられたが、一部始終を目撃していた監視のアメリカ兵が証言した事ですぐに無実が証明された。

 アメリカ兵もこの怪死には心底背筋が冷えたそうで、収容所内の日本兵たちも気味悪がって「祟りか」「呪いだ」と口々に呟いていたという。結局、ジャングルからやって来たトラにでも襲われたものだろう、と死因は片付けられ、この話は終わった。

 その日のうちに中尉の死体は荼毘に付され、祖父は元の収容所へ戻っていった。


 顛末を戦友に報告すると、戦友たちも流石に顔をひきつらせた。

 その後、復員船がやってきて、祖父はそれに乗り込み、日本へと戻っていった。

 祖父は「亡くなった戦友がケリをつけてくれたのだろう」と語っている。魂が異国にいる内に、片付けなければいけなかったのだろうと。

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