因果の村

 これは祖父が、晩年に「そろそろ話してもいい頃合いだろう」と話してくれた出来事だ。


 祖父は若い頃、警察官として働いていた。終戦の混乱が終わりはじめ、日本が復興の道を歩んでいた頃、祖父は仕事として県の山奥にある村に駐在として派遣された。

 古い歴史を持つ村で、戦中・戦前はおろか、この村の歴史が始まって以来から豊かさと平和に満ち溢れた村と評判であった。山間には豊かな農地が広がり、かつて江戸時代を近隣を襲った大飢饉の際にも、村人は飢える事はなかったと言い伝えがある。

 そんな村には、K一家という古くからこの村を治めていた有力者の一家が存在しており、村はK一家を中心にした、閉鎖的な村社会を築いていると祖父は前任者から教わったそうだ。

 前任者から「K一家には絶対に触れないように、何があっても彼らの言う事は聞くように」と厳命されていた祖父は、不穏な物を早々に感じていた。

 

 切欠は、村にやってきて最初の夏、とある夜のことだった。

 うだるような蒸し暑さの中、駐在所で晩飯を食べながら野球のナイター中継をラジオで聞いていた祖父の元に、駐在所の扉を叩く音が響いた。

 何一つ事件らしい事件も起きない平和な村だったので、気の緩んでいた祖父は酔っ払いの村人が絡み相手を欲しがって尋ねて来たと思い、扉も見ずに誰か?と尋ねた。

 返事はなく、扉を叩く音だけが続く。


 不審に思った祖父が駐在所の入り口を見ると、そこには若い女が立っていた。

 着物姿で、長い黒髪の女は、何かに怯えた顔で扉を叩いていた。すぐさま祖父はただならない物を感じ取った。

 まだ村に来て日も浅かった祖父は、おそらくどこかの家の若い者がトラブルか何かに巻き込まれたのだろうと思い、女を駐在所の中に入れた。


 電球の下で照らされた途端に、祖父はすぐにこの女の姿を見て眉を顰めたという。

 夏だと言うのに、この村には似つかわしくない、日焼けも一切していない生白い肌で、履物は身に着けておらず、泥や傷だらけ、素足のままだった。まるで映画女優のような、見惚れる美貌だったという。

 どこの家の者だ?と祖父は尋ねるが女は答えない。

 苗字ではなく、ただぽつりと名前だけを呟いたが、祖父には聞き覚えの無い名前だった。


 女は「この村から出してほしい」「この村にいたら殺されてしまう」「お願いだから助けてほしい」「あなただけが頼りなんです」と繰り返すばかり。

 祖父は「この女は幽霊なんかじゃないのか?」とすら思い始めたが、祖父は恐らく家庭内の揉め事に巻き込まれているのだろうと思い、こっそりと村から出してやる事にした。

 暫くそこに居なさいと言ってから、電話で隣の村に住む知人夫婦に連絡を取り、車でこっそり迎えに来て貰い、女を預ける事にした。


 知り合い夫婦の迎えが来るから、ほとぼりが冷めるまでそこの村でお世話になりなさい、と祖父は女に伝えたが、女はそれでも怯えるばかりだった。

 女を落ち着かせるために、祖父は「あんたの事は村人の誰にも言わないし、もし本当に困っているのなら絶対に助ける」と言葉をかけ、ようやく女を落ち着かせる事が出来た。

 1時間後、知人夫婦の運転する車がやってきて、祖父は女を車に乗せて見送ってから、祖父は眠りについた。


 翌朝。村の雰囲気は一変していた。

 村人たちは慌しく誰かを探している様子で、特にK一家の関係者はヒステリックなまでに気が立っている様子だった。

 程なくしてK一家の長男が目を血走らせた顔で「昨晩、ここに若い女が来なかったか?」と何人もの男衆を連れて尋ねて来た。祖父は昨晩、女にああ約束した手前、早々にばらしてしまうのは義に反すると思い「女など来なかった」と返した。

 すぐさま長男の態度が変わり、本当にそうか、嘘をついていないか、お前が逃がしたのか、と立て続けに尋ねられた。長男の後ろに控える男衆の中には、鍬や鋤、果ては猟銃まで抱えた者たちがいて、明らかに圧をかけてきた。

 しかし祖父は、空襲が隣り合わせの戦中の大混乱と、戦後の無法と化した焼け野原で少年時代を過ごした猛者だ。臆する事なく「見ないものは見てない!」とシラを切った上に「お前が連れている物々しい面々は何だ」「何かやましい事でもあるのか」と、逆に叱りつけた。

 長男は引き下がったが、代わりに失踪した女を探すのを手伝え、と言い残して退散していった。


 その日、村中の人手を使って大規模な捜索が行われた。

 しかし、それは行方不明者を探すというよりはまるで狩りのようなものであり、特に男衆は目を光らせて女を探し回った。

 不可解な事に、女の名前は皆は知っているのだが、祖父がどこの家の人間なのか、と尋ねると誰も答えないか、歯切れの悪い曖昧な答えが返ってくるばかりだった。


 その日の晩に捜索が一時中断されたが、今度はK一家の家長である男が、捜索でくたくたになった祖父の前に現れた。

 村を取り仕切る男だけあり、その威圧感に祖父は思わずたじろいだ。開口一番、その男は祖父にこう告げたという。


 ――女が見つかった。


 祖父は思わず動揺しかけたが、態度には出さずに「どこで見つかった?」と尋ねた。すると、男は山の炭焼き小屋にいる所を見つけた、と話した。

 騒がせたのだから駐在さんに謝りなさい、と男が連れてきた女は、全くの別人だった。昨日会った女とは、似ても似つかない顔をしている。

 ますます怪訝になった祖父は、その女性は結局何者なのか?と男に尋ねた。

 男は「K一族の血縁者である」とだけ告げると、そのまま見知らぬ女と一緒に去っていった。

 

 祖父は余計に危ないものを感じると、素早く行動に移った。

 知人宅に直接向かうと、そこで保護されていた女を、事情も聴かず、急ぎ故郷に住む妹の元へ向かわせた。

 女には手持ちの金を渡してやり「俺がどうにかする」と言い聞かせた。女は感謝しながら、汽車に乗って遠くへ逃げて行った。


 夏の終わり頃になると、村の空気が変わった。

 平和で、牧歌的であった村の住民たちは口々に明日への不安を漏らすようになり、K一家は沈黙を貫くようになった。村の神社では毎晩のように何かの儀式が行われていた。

 祖父は調査を始めた。K一家は何をしているのか、あの女は何者だったのか?この村で何が起きているのか?この村は何を隠しているのか?

 村役場で、村人の名簿や戸籍を照会していた祖父は、女の名前が、この村のどこにも記録されていない事に気が付いた。


 こうなったら事件の臭いしかない。

 祖父はこの真相を解明しようと思った。だが、祖父の願いは叶わなかった。

 探りを入れ始めてすぐに、祖父は村を自転車で見回り中、交通事故に巻き込まれた。数々の「目撃証言」が寄せられ、村の若者によるトラックの余所見運転と表向きに処理されたが、祖父は「自分の命を狙ったものだ」と信じて疑わなかった。

 村人たちが敵意ある視線を向けながら、各々武器になりそうな物を持って地面に倒れた祖父に近寄って来るのがわかった時、祖父は本能的に「殺される」と感じ取った。

 深刻な怪我を負いながらも、祖父は腰にぶら下げた拳銃を引き抜くと「俺を殺したいなら死にたい奴から出てこい!」と威圧し、じりじりと退いて距離をとってくる村人たちを警戒しながら駐在所まで戻ると、救急車と県警の応援を呼び、それから車が来るまでの1時間、ずっと駐在所に立てこもっていたという。


 祖父は負傷が原因で村を離れる事となり、村人が口々に「駐在が発狂した」と嘘を並べ立てたのも相まって、結局、祖父の前任者がまた村へ戻ってくる結果となった。

 そして祖父は村に戻る事はなかった。事件の追求もそれっきりとなった。

 祖父は「村そのものが怖くなってしまったが、今思えば心のどこかで気味悪がって、もう関わりたくなかったのかもしれない」と語っている。

 この事件を契機に祖父は警察を辞め、遠く離れた都会で会社員として人生の大半を過ごした。


 その年の秋、集中豪雨による土砂災害が一帯を襲い、村に甚大な被害が出た。

 祖父曰く、県警時代の友人が言うには、豊かだった農地は根こそぎ飲み込まれ、村でも存在感を放っていたK一家の立派な屋敷は、敷地がまるごと土砂崩れに巻き込まれ、跡形もなく飲み込まれてしまったという。K一家の生存者はいなかった。

 村の復興も検討されたが、この災害を契機に村人たちはこぞって村を離れ、近隣の村や街へと人口が流出していき、村はあっという間に過疎化が進んでいった。

 昭和の中ごろには実質廃村になり、K一家の遠縁である一世帯だけが細々と残っていたが、昭和の末頃には消滅し、今は自然の中に飲まれ、村があった事すらわからない程になっている。


 結局、その女は今どうしているのか、何者だったのか、何度聞いても祖父は教えてくれないままこの世を去ってしまった。

 祖母に、この話について何か知っているか?と尋ねても「あの人は教えてくれなかった」との一点張りである。

 ただ何故か、その事を聞く度に祖母は嬉しそうな微笑みを浮かべていた。

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