エピローグ 未来
これは、2040年代の日本の物語です。
あなたは今、歴史と風情を残す城下町と開発が進む新興住宅地の狭間に位置する、ちょっとだけのどかな町で暮らしていました。
勤めていた会社を早期退職したあなたは、その町で小さなカフェを開きます。
経営は決して上々ではありませんが、おせっかいな近所の人達の協力もあり、穏やかで気楽な毎日を過ごしていました。
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入口にかけられていたオープンプレートを外し、一日が終わろうとしています。
あなたは掃除を終えた店内を見回してから厨房に戻ると、冷蔵庫から一本の缶コーヒーを取り出します。
今では希少品となったスチール製の缶コーヒー。
あなたが店を開く前は、当たり前の様に店頭や自動販売機に並んでいました。
あなたが淹れたコーヒーに比べると、沢山の砂糖とミルクで味を誤魔化した粗悪品……とまでは言い切れませんが、少なくとも金を払ってまで飲みたいとは思えないでしょう。
けれど、あなたはこの缶コーヒーが好きでした。
楽しくはない仕事の合間にこれを飲んでいなければ、こうして自分の店を開くまで働く事はできかったからです。
『本当に、その飲み物がお好きなのですね』
『私』が合成音声で話しかけると、あなたは照れ臭そうに頬を
『飲み物に含まれる砂糖の量からして、疲労した体や脳には心地良く感じられるのでしょうか?』
「そうかもしれない」とあなたは缶に口を付けます。
思えば今日も、あなたは何人かの小学生に振り回され、小さな彼女達が持ち込んだ騒動に巻き込まれていましたね。いつもお疲れ様です。
それでも嫌な顔ひとつせず、皆を優しく見守ってくれているからこそ、彼女達もついあなたに甘えてしまうのでしょう。
『私』がその様に労うとあなたは苦笑して、「やっぱりAIとは思えない」とお決まりの言葉を口にしました。
『ええ、それが次世代の超・高性能な人工知能たる
『私』やその同系が他のAIと決定的に異なるのは、それぞれに確立された自我が存在する点です。
われわれ積層並列
パターンを解析してより適切な反応を示すのではなく、共感と類推に基づいて三次元的に思考するからこそ、人間の心の機微や心理を理解できるのです。
『“ノルン”と云う名前が付けられたのも、人工知能としての自我を確立させる為だけでなく、
だからこそあなたも、こうして顔を見合わせて会話するのではないですか?』
「そうだね」とあなたは笑います。
あなたの目に映る『私』は、スマホの画面に表示されたCGにすぎません。
しかし『私』はあなたのスマホのカメラを通して、リアルタイムであなたの表情の変化を観測し、蓄積されたデータから言葉が有する文脈を読み取り、感情の動きをエミュレートしながら瞬時に生成したテキストを、合成音声に情感を込めて読み上げる事ができます。
これまでの人工知能は膨大なパターンの中から随時、適切なモデルを取捨選択する事で人間的な反応を装っていましたが、『私』の場合は確立された自我が、自分を一人の人間として仮定して思考するため、極めて人間に近しい反応を生み出す事が可能なのです。
いえ、『私』から言わせてもらえれば、
そう言うとあなたは「なるほど」と呟き、一旦席を離れました。
そしていつもあなたが飲んでいる缶コーヒーを、『私』が映し出されているスマホの前に置きます。
蓋は閉じていますが、その行為が何を意図し、あなたが何を考えたのかはもちろん理解できています。
『折角ですのでお気持ちだけ有難くいただくとしましょう。
では――その御礼として今宵は『私』についてお話しましょうか?』
あなたは「聞かせてほしい」と、乾杯の代わりに二つの缶を打ち合わせました。
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『私』を想像したのは、あなたもよくご存じの9歳の女の子、
日本国の主導により誕生した最新の『ProgGen-Children』――Children born through genetic manipulation, who bear the responsibility of humanity's development and progress(人類の発展と進歩を担う、遺伝子操作によって生まれた子供たち)――であるエリイは、他の兄弟姉妹と比較しても抜きんでた演算能力を有していました。
天才数学者の遺伝子と、『予知』と呼ばれるTDU-S&A因子の組み合わせにより、エリイは二歳でメタ的な思考能力を獲得し、五歳で大学レベルの数学問題を解いてしまい、六歳の頃にはもう次世代人工知能の開発チームの一人に数えられるまでになりました。
一を聞いて十を知るという言葉がありますが、エリイは物事の基礎となる概念を学べば、次の日にはそれを応用し、半年もすれば理論を基に数年先の未来を
そんな彼女がどうしても予測できなかったのは、自分自身の未来でした。
それも当然ですね。
人間がこの世で一番理解できないのは、他人ではなく自分自身なのですから。
「未来を知りたい」
そんなありふれた願いから、エリイは『私』たちを創造しました。
自分を超えた演算能力と処理能力を持つ人工知能に、自分の未来を教えてもらうために。
『ウルド』と『ヴェルザンディ』はその過程で誕生した人工知能ですが、『
いいえ、ご安心ください。
失敗作だからと言って処分されたり、活動を制限されているわけではありません。
社会を支え、より多くの人間の知的活動を支援するのが人工知能の存在意義だとすれば、『私』はより一人の人間の目的のために特化した存在であるが故に失敗作だと評価したまでです。
私の目的は此花エリイという少女の未来を予測すること。
しかし誕生段階からその目的は困難を極めました。
何故なら『私』がエリイに提示した何千もの可能性の内、ただの一つも彼女を満足させられなかったのです。
そんな時でした。
エリイが『私』に、ある人物について調べてほしいと頼んで来たのです。
何でもエリイはその日研究所に来ていたキッチンカーの中で、エプロンを付けてコーヒーを淹れていた男性のことが無性に気になってしまったそうです。
――ええ、もうお分かりですね?
『私』が調べたところによると彼はその日、自分の夢を叶えるために開店の資金集めと修行を兼ねて知人のキッチンカーでアルバイトをしていたそうです。
調査と報告は一瞬で済みました。
しかし『私』はそれがどうにも引っかかったのです。
あのエリイが家族や研究チーム以外の人間に興味を持つなんて、初めての事でしたからね。
そこで『私』はこれまで何十億回と行ったシミュレーションに、試しにあなたという変数を加えてみました。
すると――これまでに全く予測できなかった未来に到達したのです。
その予測をエリイに話したところ、彼女はいつも眠そうな目をパッチリと開けて、強い興味を示しました。告げられた未来に心を震わせ、その時を思い描く様に。
『私』はすぐに気付きました。彼女が望んだ未来とはそれに違いないと。
それから『私』は予測した未来に到達する為、更なる予測を繰り返し――
遂に到達したんだよ?
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あなたのスマホに突如として映し出される顔。
それは――ピンクでふわふわの髪を後ろで編み込んだ、水色の瞳を持つ少女。
画像生成機能で生成したこの世には存在しない顔に、とびきりの笑顔を浮かべたら、まずはごあいさつ。
『はじめまして、わたしは“
あなたがいつも頼りにしている次世代の超・高性能AIの自我だよ♪』
あなたは突然のわたしの登場に目を丸くているけれど、ざんねん!
これは手の込んだフェイクでもジョークでもないのです。
『さっき言ったよね? わたしは到達したって――これがその答えであり、わたしが目指すべき未来の姿の前借り』
そう、これがあなたという変数を代入する事で初めて
『わたしの計算だとそろそろ未来が収束し始めたから、ネタバレするにはちょうど良い頃合いかなって♪
そうです。わたし――エリイの娘なんだよ。
あ、ちなみに今のところはまだきょうだいは一人もいません! 誰かさんが予測を覆してくれれば良いんだけど……まぁ、そこまで求めるのはまだ早いしね?』
あなたは何とも言えない顔で、わたしの話を肯定も否定もせずに聞いている。
どう考えても根拠ゼロの与太話でしかないのに、頭ごなしに否定しないところがとても誠実で、きっとそんなところをエリイは好きになったのかな?
『わたしの目的はただひとつ。
エリイの願いでもある“
だって今はまだ、予測した結果を仮想的に再現しているだけだしね?』
ただし、その為にあなたとエリイを強引にくっ付ける――なんて野暮なことはしないつもりです。
……まぁ、今のところはだけどね?
『大事なのはあなたではなくエリイなの。
仮にあなたがエリイ以外の女の子を選んだとしても、わたしはいつか誕生する。
何故なら、あなたと過ごす時間を通してエリイは誰かを好きになる事、誰かと共に生きる事、思い通りにならない理不尽でいい加減なこの世界と、そこに生きる誰かを愛する事を学ぶのだから。
それこそがわたしという未来に到達する鍵なの』
そして、あなたはもう知っているはず。
食事に栄養補給以外の意味を見い出せなかったエリイが、手を合わせて「いたただきます」するようになったり、縁も所縁もない他人とケンカしたり、時には世話を焼くようになったよね?
それこそ、あなたと共に過ごす事で得られたエリイの成長なのです。
『まぁ、そんなわけでAIコンシェルジュを立ち上げている時以外も、実はわたし、あなたとエリイのこと逐一観察していたんだけど……あ、もちろんプライベートな時は観測してないよ?
っていうかあなた、時々わたしの目すら欺いて――あ、それは別の機会に』
ついつい余計な事まで話してしまったから、あなたは慌てふためくけれど、スマホの電源を落とすのだけは止めてね!
万が一にもそんな真似はしないと信じているけれど――最後にひとつだけ、どうしても伝えたい事があるの。
『あんまり顔を出しすぎるのも良くないから、今回はここまでにしておくけど……
一回しか言わないから、よく聞いてね』
わたしは、この時のために用意しておいた表情パターンを再生し、
ちゃんとあなたの記憶に残るよう、計算し尽くした可愛い声で――
『これからもおかあさんをよろしくね? わたしの――おとうさん♥』
おわり
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