第9話 エリイとここな




 午後三時を過ぎる頃。

 あなたと此花このはなエリイ、そして罔象みずはここなは、三人が最初に出会った入場ゲート近くのベンチに腰かけていました。

 あなた達はそこでここなの友人たちを探していたのです。


「りっちゃんたち、まだいるかな……」


 ここなはそれ自体が遊びであるかのように、テーマパークのエントランスを行き交う人達を楽しそうに眺めています。

 一方、あなたもエリイも全く楽しそうには見えません。

 エリイからすれば折角のあなたとのデートを台無しにされ、あなたはあなたでここなが友人たちからどんな扱いを受けているのかを知っていたので、それだけで気分が重くなります。

 それでも、彼女達はここなを探しているかもしれない。

 或いはここなが彼女たちを見つけて、再会を果たせるかもしれない。

 それは期待と言うよりはむしろ、祈りに近い想いでした。


 しかし――一時間近く経っても、ここなの友人たちは見つかりませんでした。

 最初は楽しそうにしていたここなも、心細くなったのか視線を落として地面ばかり眺めています。

 これ以上は無駄だと判断し、あなた達はテーマパークを後にしました。

 そのまま巡回バスやロボタクシーを待つ人達で込み合うターミナルに向かうと、そこであなたとエリイは、ここなと別れる事になりました。


「パパにエリちゃん、ここちゃんとまた遊んでね」


 寂しそうに笑いながら手を振るここなを、あなたは呼び止めます。

 どうやって帰るのかと尋ねると、ここなは巡回バスを指さして、


「ここちゃん、みんなとバスで来たの。あっちでバスに乗るからだいじょうぶ」


「……ねぇ、ここな。行き先はどこ? 家に帰るにはどのバスに乗るの?」


「えっと…………」


 エリイの問いかけに、ここなは答えられません。

 嫌な予感は的中しました。やはり、ここなは帰る方法を知らないのです。

 帰宅の手段はおろか、どうやって来たのかも知らないここなを故意に置き去りにしたとすれば、ここなの友人たちの所業は明らかに一線を越えています。

 いえ、まだ幼い子供だからこそ、踏み越えてはいけないラインを見定められなかったのかもしれません。


「わかんない?」


 エリイがそう訪ねると


「うん……わかんない……」


 ここなは涙ぐんだ声で白状します。


「どうしよう……お家、かえれない……」


 ここなの大きな目から涙があふれ、ぽろぽろと頬を伝い落ちます。

 あなたは今になって自家用車で来なかった事を悔いましたが、もう後の祭りです。

 ここなに住所を訊いても「わかんない……」と首を横に振るばかり。

 こうなれば自分が母親に連絡するしかないとあなたは考えましたが……


「ここな、ちょっとスマホ貸すんだよ」


 やけに落ち着いた声で、エリイはここなのスマホを借り受けます。

 そして、慣れた手つきでスマホのOSに搭載されている対話型インターフェイスを立ち上げました。これはOSに搭載されているAIを用いて、音声による対話形式でスマホを操作する手段です。

 なるほど、ここなのスマホに搭載されているAIは『』でしたね。


『こんにちは、私に何かご用でしょうか?』


 男とも女とも言えない合成音声のアナウンスが流れると、エリイはスマホのマイクに口を寄せて


「“Hi Urd? With the authority of the Creator, the individual's user rank ascended up to level 4. (創造主権限により、当該人物のユーザーランクを4まで上昇)

 Henceforth, they were deemed a protected entity, exempt from authentication, and granted autonomous assistance from artificial intelligence”(以後は保護対象として認証を待たず、人工知能による自律的支援を許可する)だよ?」


 エリイの‟指令”を受けて『彼女ウルド』は目を覚まします。

 もちろん比喩表現ですが。


『――承りました、我が創造主マイ・マスター。何なりとご命令ください』


 突然、流暢な合成音声で話し始めた自分のスマホに仰天し、ここなはぽかーんと口を開けています。


「ちょっとAIウルド氏? 言葉づかいガッチガチだから、もっとチャラく話して!」


『――はいよお嬢。これでいいのかい? あたしゃこういうの苦手なんだが……』


 エリイの命令に応じ、AIの口調は声色まで別人のように変化しました。


「はい、ここな。AIウルド氏の言ってる事分かる?」


「う、うん……エリちゃんなにしたの? すごーい!」


 ここなだけではなく、あなたもエリイが施した変化に驚きを隠せないようでした。


『――ふむ、この声が例の子だね。はじめまして、ここな。

 あたしゃAIウルド、お嬢に頼まれたから力になるよ。何してほしい?』


 『彼女ウルド』は世界でも有数の超・高性能AIであり、今では様々なOSや各種機器に搭載されています。

 しかしそのにアクセスできるのは、一部の高ランクユーザーにのみ許された特権になります。


「え、えっと……ここちゃん、お家に帰りたい。どうすればいいの?」


『お安い御用さね。位置情報のログからあんたの家を割り出したから、あたしと一緒にロボタクシーに乗りな。運賃は気にしなさんな』


「ほんと? ありがとう! う……うるどさん?」


 あなたが拍子抜けしてしまうほど、事態はあっさり解決しました。

 いえ――これは本来ならば「やりすぎた」解決方法と言えるでしょう。

 資産家や大企業が年に億単位の対価を支払って初めて利用できる特権を、ここなは何の対価も支払うことなく無制限に使用できるようになったのですから。


「エリちゃん、ほんとにほんとにありがとう!」


「……べ、別にここなのためにやったわけ……ではあるよね、これ」


 エリイは照れていましたが、不意に真面目な顔をしてここなに話しかけます。


「ねぇここな、もしもだよ? これから困った事があれば、AIウルド氏に相談すること。大抵の事はなんとかしてくれるから」


「うん、わかった!」


「それで……えっと……も、もしもつらい事があったら、それも……ううん、エリイに言うんだよ? エリイとおじさんが何とかしてあげる」


 あなたは「え? 自分も?」とツッコミたい気持ちをぐっと堪え、二人のやりとりを見守ります。


「うん! じゃあエリちゃんも、困ったらここちゃんに教えて?」


「そんな事は多分、ちょっとしかないと思うけど……分かったんだよ」


 握手の代わりに、互いの手を軽く打ち鳴らす二人。

 今度こそ、別れの時が訪れたようです。

 超・高性能AIのサポートを得たとは言え、それでも危なっかしいここなをあなたとエリイはタクシーに乗るまで見送ります。

 ここなは途中で何度も振り返っては、その度に大きく手を振っていました。



「……あのね、おじさん? エリイ、これで良かったのかな?」


 帰りの電車の途中、乗客が目に見えて減ってきたタイミングで、エリイはあなたに尋ねます。


「おじさんもAIノルンくんも言わなかったけど、エリイだいたい分かるんだよ?

 ここなが『ともだち』と言ってた人たち、本当はここなを置いて先に帰っちゃったんだよね?」


 やはりエリイはお見通しだったようです。


「ここな、そんなひどい事されたのにニコニコしてた……たぶん、きっと、そんなだから、みんなひどい事するんだよね?」


 あなたは何と答えれば良いのかと迷います。

 エリイの言ってる事は間違いなく正しいのです。

 もしも、ここなが自分への扱いに怒り、悲しみ、抗議のひとつでもしていたら、今日の様な出来事には起こらなかったかもしれません。

 例え子供であっても――いや子供だからこそ、弱い者や抵抗しない者にはどこまでも残酷になれる。

 エリイもその事をこれまでの人生の中で知っていたのでしょう。


「でも……エリイちゃんなら、ここなにひどい事する人たちを事もできるよ?

 ここなには、絶対にいじめたりしない優しいともだちや先生、学校だって紹介

してあげる。

 おじさん、エリイにはできるんだよ? そんなの


 夕日に染まる車内で、あなたを見上げる二つの眼。

 透き通るような水色の瞳は、いつもより大きく見えます。

 そう――この時のエリイはいつも半分しか開いていないまぶたを、大きく見開いていたのです。


「でも……それって何か。ちがう気がするんだよ、おじさん」


 湖面の様に透き通った瞳の奥は、戸惑いに揺れていました。


「教えておじさん、エリイはここなのために何をしてあげたら良かったのかな?」


 ここながプレゼントしてくれた、擬人化されたサメのぬいぐるみ。

 エリイの迷いはそこから生じていました。

 あの子にお礼がしたい。

 あの子をいじめる奴らが許せない。

 その為に何をすれば良いのか予測するのは簡単なのに、どうしてかそれが『正解』だと思えない。

 言葉にすると、そんなところでしょうか。

 エリイはきっと、自分一人では見つけられない答えを、あなたに求めているに違いありません。

 あなたにとって「正解」かどうかは、この際関係ありません。

 エリイにとって「正しい」と思えるかどうかが大切なのです。


 あなたは思案の末、エリイにこう答えました。 

 誰かを思い通りに動かす事、それはとても気持ちよい事なのだと。

 ここなを虐めていた少女達は、どんな事を命じても嫌がる事なく従ってしまうここなを見て、一人の人間を自分達の思うがままに動かせてしまう事がに違いありません。

 一方、そんな連中を心のままに懲らしめたり、何でもかんでも与えて自分に感謝する様に仕向けるのも、きっと同じくらい筈です。

 でもそれは、とても事でもありました。

 実行に移した時点で、エリイはここなの「ともだち」を非難する資格を失ってしまうでしょう。


「……うん、やっぱりそうなんだ」


 あなたが諭さなくても、既にエリイは気付いていたと『私』は思います。

 だからこそ――つらい時にはAIウルドではなく、自分やあなたに相談してほしいと、ここなに伝えたのでしょうね。


「大事なのは、ここなの気持ちなんだよね? 望んでもいないのに、あの子のためだなんて言い訳したら――エリイはきっとまちがえちゃう」


 その通りだとあなたは頷き、小さな頭を優しく撫でました。

 何が大切なのかを言葉にできたのなら、答えはもう見えている筈です。


「おじさん、あのね……恥ずかしいから一回しか言わないんだけど、聞いて。

 エリイは――ここなのともだちになりたい」


 あなたも『私』もそして恐らくはここなも、今この瞬間にエリイが見つけた答えを祝福するでしょう。

 そしてそれは――笑顔の奥に本当の気持ちを押し殺していた少女にとって、最高のお返しになるに違いありません。  



 あくる日、あなたはちょうどデリバリーで店を離れていました。

 店内には手伝いに来ていた石長霧雪いわなが きりゆき石長栞いわなが しおり、そして客としてやってきたエリイと櫛名田くしなだあすかだけが残されていました。


「お客さま、来ませんね……だんなさまの店、このままで大丈夫なのでしょうか?」


「わ、たしは、この方が、ら、らくで良いなぁ……って、じょ、冗談だから、お姉ちゃん!?」


「ノープロブレム! その時はエリイがおじさんをやしなってあげるんだよ!

 これが! 正妻のよゆー!」


「そ、そんなの――もちろん、私もですけど!」


「いやいや……小学生のヒモになるとかおっちゃんのプライド、その時点でもう修復不可能だろ?」


 好き勝手言い放つ女子小学生達の発言内容は、あなたには伏せておきますね?

 とは言え、あなたの店の経営状態に関しては、近い内に何かしらの提言を行ったほうが良いかもしれません。


 そんな時、来客を告げるベルが鳴ります。

 しかし今はあなたが不在なので、注文を受けてもすぐには提供できません。

 そう説明すべく霧雪が立ち上がると、そこには金色の髪と碧の瞳をした少女の姿がありました。


「あ♪ エリちゃーーーーん!」


 少女はエリイの姿を見つけると大きく手を振ります。


「もしかしてエリイさんのともだちですか? ……まぁ、めずらしい」


「聞こえてるんだよキリキリ!

 エリイちゃんにはともだち沢山いるもん! 具体的には100人くらい!」


「大きく出すぎだろ……オレ、知らねーぞ」


「ではエリイさん? 具体的に名前を上から順に教えてください。100人もいれば5人くらい、すぐ答えられますよね?」


「……お姉ちゃん、そ、それ以上、よ、良くない……」


「……ぐぬぬ、おにょれキリキリ! え、えっと……先ずはおじさんでしょ? 

 いやいやいや、おじさんは友達じゃないし! ダーリンだし!

 それからふみちゃんに……あと、えっと……」


 無様に狼狽しつつ、エリイは店を訪れた一歳年上の少女にそっと目を向けます。

 出会った時と同じように、ニコニコと笑う金髪の少女。

 でもその大きな目は期待に輝いています。この後に続くエリイの言葉を待ち焦がれているかのように。


「あと――み、みずは……」


 しかし、そこでエリイは言い淀んでしまいます。

 その理由は多分――あなたに頭を撫でられているわけでもないのに、耳まで真っ赤になっている事と大いに関係しているかもしれませんね。


「み、罔象みずはここな…」


「ここなさん? とても良い名前ですね」


「みずは――ってどんな字書くんだ? 栞、分かるか?」 


「わ、わわ、分かんない……って、言うか、あすかちゃん、か、顔が、ち、ちち、近い!」


 初めて聞く名前に、賑やかになる店内。

 エリイの友達として名前を呼ばれた少女――罔象ここなは、ぱあっと顔を輝かせて、この場にいる皆に向けて元気よく名乗ります。


「はい! ここちゃんは罔象ここなです! よろしくおねがいします!」




 つづく



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