第8話 罔象ここな







 これは、2040年代の日本の物語です。


 あなたは今、歴史と風情を残す城下町と開発が進む新興住宅地の狭間に位置する、ちょっとだけのどかな町で暮らしていました。

 勤めていた会社を早期退職したあなたは、その町で小さなカフェを開きます。

 経営は決して上々ではありませんが、おせっかいな近所の人達の協力もあり、穏やかで気楽な毎日を過ごしていました。




 しとしと湿っぽい季節の合間、奇跡的に訪れた晴天。

 夏の到来を予感させる紺碧こんぺきの空に向かって、思わず叫び出したくなるようなある日のことです。


「エリイだよーーー♥ 今日はおじさんとデートなんだよーーー♥」


 ピンクでふわふわの髪をツインテールにした少女、此花このはなエリイは自分のスマホに向かって叫んでいました。

 目的はもちろんあなたとのツーショット動画。

 一方でエリイに手を繋がれ――いえ仲良く繋いでるあなたは、何とかして顔がカメラに映らないようにと無駄な抵抗をしています。


 ここは歴史と風情を残す城下町から、電車で20分ほど移動した先にある巨大なショッピングモール。その敷地内に併設された小型テーマパークでした。

 方向としては真逆の新興住宅地にもショッピングモールは建っていますが、その規模と併設する施設の数は段違いです。

 そしてあなたとエリイは今日、ここにデートに来ていたのでした。


 きっかけは二週間前。

 あなたが住んでいる町の催しで、偶然引き当ててしまった二枚のチケット――それはオープンしたばかりの小型テーマパークの1DAYパスでした。

 しかしあなた自身は特に興味もなかったので、店によく顔を出してくれる女の子達にプレゼントしようと考えました。

 それはエリイと、店の手伝いをしてくれている石長霧雪いわなが きりゆきしおりの姉妹に加え、


「なぁおっちゃん、あのダンジョンのボス倒せた?」


 最近よく顔を出してくれる、今をときめく人気子役の櫛名田くしなだあすかの四名です。

 世間では『理想の愛娘』と謳われるほど純情可憐な少女のイメージなのに、何故かあなたの店に来る時は服装だけでなく言動まで男の子になっているのです。

 しかも話す内容はゲームやホビーのことばかりなので、あなたはついついあすかが女の子である事を忘れそうになるのですが、それはさて置き。

 生憎とチケットは二枚しかないので、誰がチケットを貰うのかは彼女達に決めてもらうおうと考えていました。

 しかし――


「つまり! これは! だんなさまからのデートのお誘いなのですね!」


 早とちりした石長霧雪のその言葉が、静かな店内に嵐を呼び起こします。

「いや、これは君達で……」と訂正するあなたの声は、ヒートアップする女子小学生達の耳には届きません。


「はいはいはいはい! それエリイのなんだよ!」


「……人、いっぱい……で、でも……おじちゃんとなら、い、行けるかな……」


「何だか知らねぇけど、折角だからオレも参加しようかな。一枚はおっちゃんだから、もう一枚は争奪戦だな?」


「ええ、戦わなければ生き残れないというやつです! さぁ、かかってきなさい!」


「……いや、普通にゲームか何かで勝負しようぜ? 腕っぷしなら栞とエリイに勝ち目ないからよ」


「……あ、ああ、ありがたき……しあわせ……」


「んじゃんじゃ、ゲームはエリイが決めるんだよ! はい、シヴィライゼ――――」


「では私が栞とよく遊んでいる、タコになってスミを撃ち合うゲームにします。

 はい決定」


「なんでーーーーー!?」


 こうして勝手に盛り上がって、勝手に対戦ゲームを始める女の子達の姿に、あなたは全てを諦めて飲み物の準備を始めるのでした。

 ちなみにその時の勝者がエリイなのでした。


「おじさんチュロス食べる? 食べるよね? エリイが買ってきてあげるんだよ!」


 テーマパークに入場するとすぐ、エリイは焼き菓子を売っているスタンドへと走って行きました。

 入場ゲートに並んだ時から甘くて香ばしい匂いが漂ってきたので、我慢できなくなったのかもしれません。


 そんな時、あなたは誰かに袖を引かれます。

 振り向くと、そこには白いシャツにチェックのスカートを履いた女の子が立っていました。

 ぱっちりとした大きな目に長い睫毛まつげ。とても可愛らしい女の子ですが、それ以上に目をくのは、過剰に思える数のアクセサリーと、衣服が全体的にオーバーサイズで着古した感がある事です。

 そう言えば、昔はこんな女の子をギャルなんて呼んでいたな…とあなたは思い出していました。


「こんにちは! ここちゃんのパパになってください!」


 その日その時その瞬間、あなたは初対面の女の子からそんなお願いをされました。

 金色の髪にみどりの瞳をした女の子は随分と幼く、確かにあなたからすれば娘と呼べるほどに歳が離れています。

 しかし名前も顔も素性も知らない女の子から「パパになってほしい」と言われて、快く首を縦に振るほど、あなたは人生に投げやりになってはいません。

 とりあえずあなたは少女に名を尋ねます。


「ここちゃんの名前は、罔象みずはここなです! 小学四年生です!」


 笑顔で元気良く名乗る少女の姿に、周囲から笑いが漏れます。

 それは失笑とも言うべき、あざけりを含んだ声でした。


「どうしてパパになってほしいのか」とあなたが訪ねると、ここなと名乗った少女は周囲を見回し、


「りっちゃんたちが、ここちゃんに言ったの!」


 ニコニコ笑いながら、離れた場所に立つ三人の少女を指さしました。

 しかしその少女達はあなたと目が合うと、「やだキモっ」と笑いながら逃げるように去っていきました。

 後に残されたのはあなたと、ここなだけ。

 その光景にあなたは苦い予感を覚えます。

 もしかしたら、ここなは彼女達にそそのかされて、意味も分からず自分に声をかけてきたのではないかと。


「あーーーーーーーー! またうわきしてるーーーーーーー!」


 知らない女の子から「パパになって」と声をかけられただけでも頭が痛いのに、そこに勘違いしたエリイが合流したら、もう溜息を吐くしかありません。


「もう! こうなったらエリイ、絶対におじさんから離れないんだよ」


 ヤキモチを妬くエリイは怒ってあなたと手を繋ごうとしますが、生憎とその両手は焼き立てのチュロスで埋まっています。

 そこでエリイは先ずあなたにチュロスを渡そうとしますが――


「…………いいにおい」


 大きな目を見開いて、甘く香ばしい焼き菓子を凝視するここな。

 しまりなく開いた口からは、今にもよだれがこぼれそうです。


「……あ、ダメなんだよ! これ、おじさんのなんだから!」


 エリイもここなの視線に気付き、そう釘を刺しますが


「パパの分?」


「――パパ? え? ナンデ? おじさんが、パパ?」


「うん! ここちゃんのパパ!」


 ニコニコ笑ってあなたを指さすここな。もちろんあなたは首を横に振りますが


「お、おおおおおおお、おじさん、子供いたのーーーーー!?

 と言うかエリイ以外と結婚していた? 不倫? 不倫なのこれ?」


 もちろんあなたは不倫もしていなければ、妻子も持っておらず、そもそもエリイとは婚約すらしていません。あとパパでもない。

 何から訂正すれば良いのかと悩む間に、事態はどんどん面白おかしい方に加速して行きます。


「パパ、けっこん……あ、もしかして、ママ?」


 ここなはエリイを指すと、とんでもない事を言い出しました。


「ちがうもん! エリイはまだ…………ん? おじさんがパパで、エリイがママ?」


 思考に1秒。無い胸を突き出すのに1秒。

 合わせて2秒後にエリイはここなに向かって、


「そうなんだよ! エリイはもうすぐママになるんだよ!」


 と高らかに宣言しました。

 あなたはここで社会的な生命を断たれないよう、衆目に自分の顔を晒すまいと必死で顔を背けていました。


「……あ、ちがう、ママじゃなかった」


「なんでーーーーー!?」


「だって、ここちゃんよりちっちゃいもん! かわいい♥」


 エリイの頭をここなが撫で回します。

 触り心地が良いのはあなたが一番知っているでしょうが、折角セットした髪が乱れるのでエリイは本気で嫌がってました。


「んにゃーーーー! やめれーーーーー!」


 騒がしさも二倍になり、あなたは心労で本当に胃が痛くなってきます。

 とりあえず二人を落ち着かせるのが先だと、あなたはエリイの手からチュロスを受け取ると、それをここなに差し出しました。


「わっ! これ、食べていいの?」


 あなたは「みんなで食べるから待っていて」と声をかけ、自分の分のチュロスを買いに行きます。

 そして近くのベンチに三人並んで腰かけました。


「いただきます! ……おいしい! ありがとうパパにエリちゃん!」


 あなたに渡す筈だったチュロスにかじりつくここなを、エリイは不満げに眺めていましたが、満面の笑顔でお礼を言われると何も言えなくなってしまいます。

 とは言え、折角のデートを台無しにされて腹立たしい気持ちもあるのでしょう。

 あっという間にチュロスを平らげて指先に付いた砂糖を舐めるここなに、エリイは話しかけます。


「ここなって言うの? 誰と来たの?」


「りっちゃんたちと来たよ!」


「んじゃ、その子たちといっしょじゃなくていいの? 

 エリイとおじさんはデート中なの。だからお邪魔虫はどっか行ってほしいんだよ」


「おじゃま虫……ごめんなさい、じゃあ、ここちゃん帰るね」


 ストレートに邪魔だと言われ、花がしおれたかのようにしゅんとするここな。

 その姿に、あなたもエリイも流石にバツが悪そうな顔を浮かべます。


「……あれ、みんなどこ?」


 しかし立ち去ろうとしたここなは周囲をきょろきょろと見回すばかりで、一向に戻ろうとしません。

 いや、これは戻らないのではなく――


「りっちゃんたち、いなくなっちゃった……」


 友人の姿が見えないと、ここなは泣きそうな声で言います。

 しかしあなたはその友人たちが、ここなを(恐らくは故意に)置いて走り去っていった事を知っていました。


「スマホで呼べば? 持ってるよね?」


 エリイも流石に見かねて助言しましたが、ここなは悲しそうに首を横に振ります。


「スマホあるけど、ここなはお話できないの」


 あなたもエリイもここなが何を言ってるのかすぐには理解できませんでした。

 スマホは今や誰もが携帯している生活必需品です。音声通話でもテキストチャットでもビデオ通話でもスマホ一台で可能な筈です。

 もしかして故障しているのだろうかと、あなたは考えましたが、ここなが「できない」と言った理由は機械やプログラムの故障などではありませんでした。


「ちょっと貸すんだよ」


 不思議に思ったエリイがここなからスマホを借りると、すぐにその理由が判明しました。


「え? アドレスがない? チャットもお母さんだけ? ナンデ?」


 確かに通話やチャットに用いるアドレス帳には、ここなの母親と思わしき人物しか登録されていません。履歴も同様です。

 「そんなバカな」とあなたは呟きました。

 今や友人に限らず他者とのコミュニケーションにスマホは欠かせません。

 どのような関係なのかは不明ですが、少なくともここなが友人と共にここに遊びに来た以上、そのやり取りや連絡先くらいは残っている筈です。


「ここちゃんがうるさいから、りっちゃんたちがお話したくないって」


「まさかアドレス消したの? 友達が?」


「えへへ……うん」


 それは普通に考えて有り得ない話でした。

 ここなが友人と喧嘩して、絶交の意味で登録を消したならまだしも。ここなの話ぶりでは、その友人が通話したくないからと、ここなの携帯からアドレスや履歴を一方的に消してしまったようです。

 ここに来てあなたもエリイも確信します。

 ここなと名乗ったこの少女は、友人だと言う少女達にのだと。


 あなたはここなに再度尋ねます。

 自分に声をかけたのは、一緒に来た友人にそう言われたからなのかと。

 ここなは頷きました。

 更に見知らぬ男性に対して「パパになってほしい」と声をかける行為が何を意味しているのか知っているのかと、あなたが尋ねると


「ここちゃん、わかんない」


 の答えを口にしました。

 あなたには覚えがあります。

 これはグループの中で最も立場が弱い者に、危険な事や非常識な行為を命じて見せ物にしたり、その場に放置する――昔から存在するイジメのひとつでしょう。

 加えて連絡が取れないように細工をしていたとなると、相当に悪質です。


「ねぇ、おじさん……この子、どうしよう?」


 エリイも流石に途方にくれてしまいました。

 縁も所縁もない他人であり、自分達が首を突っ込む理由も道理もありませんが……このまま見捨ててしまうのは、あまりに気が引けます。

 あなたはエリイに「ごめん」と詫び、エリイも「分かったんだよ」と頷きました。


「えっと……ここな? エリイちゃんたち、あれに乗るけど……来る?」


 エリイが指さした先には、昔ながらの回転木馬があります。


「うん! 行く!」


 嬉しそうに答えるここなを見て、あなたは予定外の出費を覚悟するのでした。



 それからあなたとエリイはここなを連れて幾つかのアトラクションを巡った後、フードコートに併設したショップを覗いていました。

 如何にもテーマパークらしいグッズの他に、マスコットキャラクターのぬいぐるみやグッズを景品にしたクレーンゲームが幾つか並んでいました。


「あ、サメ人間なんだよおじさん!」


 エリイの興味を引いたのは、その名の通り人間のように足を生やし、胸びれに何故か拳銃を構えるサメのマスコットでした。

 全体的に丸みを帯び、つぶらな目をしていますが、牙を生やした大きな口と頬に走る傷跡が愛らしさを相殺する、何とも微妙なキャラクターです。

 ちなみにこのテーマパークにはかつてムカデびとなるキャラクターも存在していましたが、人を模した三匹のムカデが数珠繋ぎになっていると言う、あまりにグロテスクな見た目にクレームが殺到し、急遽きゅうきょサメに変更されたという逸話がありますが……まぁ、あなた達には全く関係のない話ですね。


「エリちゃん、ほしいの? じゃあ、ここちゃんにまかせて!」


 するとここなはクレーンゲームの筐体にスマホを近づけてクレジットを購入すると、意気揚々とレバーを操作し始めました。

 その動きには迷いも無駄もなく、見事に一匹のサメ人間(のぬいぐるみ)を掴むと、一回で獲得してしまいました。


「はい、エリちゃんにあげる」


「……い、いいの? ここな、すごいんだよ!」


「えへへ……じゃあ次は、と」


 サメ人間のぬいぐるみをエリイに渡すと、ここなは再びレバーを操作します。

 そして別のサメ人間も、もちろん一回で取ってしまいました。


「はいパパ、あげる」


 どうやらそれはあなたの分のようです。あなたの美的感覚から言えば可愛くない代物でしたが、店に飾る分には悪くないかもしれません。

 さて次はここな自身の分を――と思いきや、ここなはそこでクレーンゲームを止めてしまいました。

 エリイは驚き、自分の分は良いのかと尋ねると、


「あのね、それエリちゃんとパパへのプレゼント。

 ここちゃんといっしょに遊んでくれて、ありがとう!」


 照れ臭そうに笑いながら、ここなは言いました。

 もしかしたら彼女が自分からクレーンゲームを遊び始めたのは、エリイやあなたにお礼をする機会を伺っていたのかもしれません。

 言動は年齢不相応に幼いですが、彼女はとても純粋で良い子なのだとあなたは気付かされます。

 それと同時に、彼女が友人たちに受けている仕打ちを思うと、どうしても素直に笑えませんでした。




 つづく


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