第5話 石長栞
これはあなたが名を偽り、11歳の女子小学生とお見合いをする——九日前の話。
客のいない平日の午後三時過ぎ。
あなたは趣味であり、店のインテリアでもあるブロック玩具を作っていました。
そんな時、カランカランと来店を告げる鐘が鳴り、あなたが顔を上げるとそこには珍しいお客さんが立っていました。
まだ小さな女の子です。
チョコレートカラーのブレザーとランドセルを見て、あなたは彼女が城下町に建つ小学校の生徒だと気づきました。
彼女は艶やかな黒髪をショートカットにしていますが、もみあげの部分は肩にかかるほど伸ばしています。
「あ……あの……」
女の子はひどく緊張していました。
声は震え、静かな店内にあっても聞き取れないほど小さな声で何か呟いています。
……いえ、これでもあなたに話しかけていたのでしょう。
そこであなたは空いていたテーブル席に彼女を案内しました。
彼女が席に着くと厨房に戻り、カップにコーヒーと砂糖、たっぷりのミルクを入れたものを二人分用意します。
「わ、わ、たし、お、おおお、お金ない……」
恐縮する彼女の前で、あなたは自分が作ったカフェオレを口にします。
これは商品ではないのだとあなたが態度で示すと、彼女は恐る恐るカップを手に取り、舐めるようにして飲みはじめました。
「あの……わ、たし、
甘いカフェオレで緊張が少しほぐれたのでしょうか。
来店した時よりは聞き取りやすい声で、女の子は「石長栞」と名乗りました。
伏し目がちですが、整った顔立ちと長い
しかし、あなたが気になったのは見覚えのあるその制服でした。
奇しくもこの店の常連の一人である、ピンクでふわふわの髪をツインテールにした女の子――
「は、はい……お、同じクラス…です」
あなたの予想通り、栞はエリイの同級生どころかクラスメイトだったようです。
「そ、それであの……あの……あの……」
栞はあなたに何か伝えようとしますが、緊張なのか他に理由があるのか、うまく言葉にできずに喘ぐばかり。
そこであなたは一旦席を離れると、先程まで組んでいたブロック玩具をテーブルの上に置きました。
「お、お家の……お、おもちゃ?」
栞の言う通り、それはブロックで作られた家でした。
家の他には大人の人形が三つ、子供の人形が二つ配置されています。
あなたは女の子の人形を手に取ると、それを栞に渡しました。
栞はその人形が自分なのだとすぐに理解し、人形を家の前に並べ始めます。
「お姉ちゃん、わ、たし、あと……お、お母さん……お父さん……」
栞は人形を並べながら、自分の家族構成をあなたに伝えました。
隣り合う栞と姉、両手を上げた母親、そして父親だけ寝かされています。
「お父さん……もう、いない……」
悲しそうなその声に、あなたは栞の父親が他界していた事を知りました。
どうやらこの子は自分の家族について、あなたに相談したい様です。
「……お、お母さん、ずっと、家にいる。だから、お姉ちゃんがいつも、ご飯作ってくれる……」
ブロックの人形を操作する指が震えていた事から、栞とその姉が置かれている家庭環境は決して良いものではないのでしょう。
だかららこそあなたは急かさず、口も挟まず、栞の言葉に耳を傾けていました。
「でも……お、お母さん、ときどき、お、怒って、泣いて、お、大きな声出して……その度に、お姉ちゃんを、た、叩くの…」
栞の言葉にあなたは表情を険しくします。
なるほど母親を示す人形の腕が上がっているのは、愛情表現ではなく娘に対する暴行を示唆していたようです。
「わ、たし、お姉ちゃん、大好き……だから、お姉ちゃんを、た、助けてください! エリイちゃんのお、おじさん!」
悲痛な叫びと共に、栞の目から大粒の涙が溢れ出します。
きっとこの話を打ち明けるだけでも、相当に勇気を振り絞ったに違いありません。
あなたは栞の決意に胸を打たれ、小さなその頭を優しく撫でます。
――とは言え、疑問は山の様に積み重ねっていました。
栞の言葉を疑うつもりはありませんが、情だけで動くには難しい案件である事は間違いないでしょう。
そこであなたはスマホを取り出し、マッチングサービスのアプリを起動します。
そのサービスのAIコンシェルジュでもあり、次世代の超・高性能AIである『私』の力を借りるために。
『――事情は把握しました。先ずは彼女の家族について調査します』
検索をかけると石長という家はすぐに見つかりました。
隣の城下町にその姓を冠した、古くからの名家が存在していたからです。
家族構成は両親が二人と子供が二人。父親が昨年死去している事からも、ほぼ確実に栞の家庭だと思われます。
そして栞の姉の名は「
栞より2歳年上の小学5年生です。
「……お、お母さんのこと? お、お母さんは、ずっと、家にいるけど……
ときどき、先生とお、お話して、お、お薬出してもらってる」
栞の話が確かならば、彼女達の母親は健康上の理由で家に篭っており、オンライン診療を受けながら自宅で療養しているのでしょう。
病名や病状についても幾つか推論を挙げられますが、診断を下すのは
「お母さんのこと、ぜ、全部、お姉ちゃんがしてる。
洗濯も、お、お風呂も、お姉ちゃんがやってる。わ、たしも、お手伝いしてる」
どうやら栞と彼女の姉は二人だけで母親の介護をしている様です。
年齢的にも主たる介護者は栞ではなく姉の方でしょう。
しかし栞に依れば、姉は被介護者である母親から暴行を受けているだけでなく、家の家事も一人で担っているようです。
ようやく問題の輪郭が明確になりましたが、全て本当の話だとすれば、とても自分一人の手に負える話ではないとあなたは悩みます。
何より家庭内のデリケートな問題に、全くの部外者が口を挟んで良いものなのか。
本来ならば、栞たちの親族が誰よりも先に対処するべき話に思えます。
しかし、栞は首を横に振りました。
「親戚の人、ご近所には、ひ、ひみつだって、お姉ちゃん、いつも言ってる……」
それは姉の考えなのか、それとも母親の意向なのか。
栞は分からないと首を横に振りましだが、恐らくは後者なのでしょう。
とは言え、近しい人達には頼れないとしても、全く面識もない自分に頼る理由が分からないと、あなたは栞に尋ねます。
「……わ、たし、エリイちゃんと、お、おともだちじゃない。
で、でも、エリイちゃん、いつも言ってる。お、おじさんはカッコよくて、何でもできて、実は探偵で、町の平和を守っているとか、そ、組織の、こ、昆虫合成型なんとかだとか、伝説の傭兵団の、生き残りなんだ……って」
栞が少しだけ弾んだ声で語るイメージ像に、あなたは無言で頭を抱えます。
いくら何でも盛り過ぎだろうと。
もちろんあなたは町の平和を守るハーフボイルドな探偵でも、愛の組織の最高傑作でも、地獄に落ちても忘れない名前の傭兵でもありません。
まぁ、エリイがあなたの事をその様に過大評価しているお陰で、二人の関係性も夢見がちな子供のホラだろうと、周囲は本気にしていなかったのですが。
それはさて置き、栞としては頼れる人がいないからと、
悩んだ末に、あなたは正直に答えました。
「今すぐお姉ちゃんを助けてあげられるとは言えない。色々な人達に相談する必要があるから解決には時間がかかるかもしれない。それでも良ければ協力しよう」と。
栞は顔を上げてあなたと目を合わせてると、「お、お願いします!」と頭を下げました。
その後、連絡先を交換して、栞はロボタクシーに乗って帰っていきました。
彼女を見送ったあと、あなたと『私』は今後について相談します。
『私』が“権限”を行使して調査したところ、栞が話した石長家の事情は
学校も児童相談所も自治体の福祉課も事態を把握していましたが、介入には踏み切れていないようです。
そして、あなたもこの分野に関しては全くの素人です。
AIが集めた情報や分析がどれだけ確かでも、それを基にどう動くのかを判断するのは人間の役割であり、だからこそ悩むあなたに『私』は提案します。
彼に助言をいただいては、と。
『なるほど、事情は把握した』
その彼とは端正な顔に冷徹な雰囲気を宿した20代後半から30代前半の青年、
彼はエリイの姉、
『私としても専門外だが、まぁ全くの素人よりは詳しいはずだ。存分に頼ってくれたまえ兄弟』
然程面識はありませんが、何故か朝双郎はあなたに一方的なシンパシーを抱いている様です。
とある少女の外堀を埋めにかかっているとも考えられますが。
『話を聞く限りでは、これは間違いなく児童虐待だ。
可憐な天使がそのような辛い目に合っていると思うと胸が痛むが……難しい問題だぞこれは』
あなたは朝双郎の言葉に頷きます。
『そちらのAIから聞いていると思うが、家族間の介護問題となると、解決を妨げる最大の要因は本人達の拒絶だ。
介護を受ける母親のみならず、この場合は虐待を受けているその天使――
朝双郎の指摘を裏付けるように、あなたに助けを求めてきたのは本人ではなく妹の栞でした。
『要因のひとつは家族である事だ。特に被介護者である親が子に依存している場合、介護者の放棄は親を見捨てる事になると子供が思い詰めてしまう。親思いの良い子なら尚更だ。
加えて介護を受ける親にしても他人より我がの子の方が色々と都合が良いからと、そうして互いに依存し合ってしまう』
その心理はあなたも理解はできました。
しかしだからと言って、子供がそれだけの負担を背負いきれるとも思えません。
『だからこそ妹の栞くんが動いたのだろう。
逆に言えば、霧雪くんは傍から見て限界に近付いているとも考えられる。
……まずいな、こうして整理してみると事態は極めて深刻だ』
朝双郎の声には焦りが
『理想を言えば霧雪くんを母親と物理的に引き離し、母親をどこか別の場所で療養させる必要がある。
母親は年齢を考えれば多少強引な手段も選択肢に入るが、問題は子供のほうだ。
下手を打てば母親への依存を深めてしまうか、罪悪感から心に深い傷を負わせる可能性もあるからな』
「児童相談所に頼るべきではないか」とあなたが訊くと、
『それは大前提だ。だが早急に救い出す為には任せきりにもできないだろう——
『
『――今から4時間前。『私』が運用するマッチングサービスにて、規約違反者に対するアカウント停止処置を実行しました。
その内の一人が
彼はフェイクデータを用いて若手の資産家に成りすましていました。目的は言うまでもなく結婚詐欺です』
突然マッチングサービスの話を始めた『私』に、あなたも朝双郎もきょとんとしますが、決して無関係な話ではありません。
『成りすましてた本人はすでに特定済みで、警察への通報も完了しています。
しかし――彼にお見合いを申し込んだ会員の中に、石長霧雪の名がありました』
『まさか、同一人物なのか?』
『データを照合する限りではほぼ確定です。つまり彼女は内密に結婚相手を探していたようです』
本来であれば、本人の許可なく第三者に開示すべき情報ではありません。
しかし公益ひいては『私』という人工知能が存在する意義において、あなた達への情報開示が必要だと判断しました。
『家庭の事情を考えれば、単なる婚活とは思えんな』
朝双郎の言葉を受けて、恐らくは自分に変わって母親を介護する人間、もしくは後ろ盾を探していたのではないかとあなたは推察します。
『私』も朝双郎も同じ見解を抱いていました。
『――ですので、この状況を逆に利用します』
『私』が提案するは以下の通り。
先ずはあなたが「比呂乃木民雄」に成りすまし、霧雪とコンタクトを取ります。
うまく行けば、あなたに会うと言う名目で霧雪が自ら母親の下を離れる事もできるでしょう。
次に母親による虐待行為の証拠を得ること。
これには霧雪自身にそうとは気付かれないよう、外部から操作可能な録音・録画用のデバイスを渡す必要があります。
例えばプレゼントと称して、ウェアラブルデバイスを贈るのはどうでしょう?
最後に証拠が全てそろった時点で再び霧雪と母親を引き離し、彼女を保護。
母親は児童虐待の容疑で児童相談所と警察による強制措置を図る——というのが計画の概要です。
『実にシビアだが、できない事はなさそうだな』
あなたも朝双郎も渋い顔をしていましたが、最後には納得してくれました。
こうして『私』とあなた、朝双郎の三人は密かに計画を進め——
・
・
・
——そして九日後の今夜。
エリイの乱入という想定外の事態を招きながらも、霧雪とのお見合いを済ませたあなたは店に戻ってきました。
既にあなたの店には計画に加わったあなたと『私』と朝双郎の他に、姉のるうを引き連れて乱入していたエリイの姿がありました。
『Yo, I'm here too.』
――いえ、他にもひとつ。『私』と同じ次世代型人工知能の『ヴェルサンディ』もこの場に同席していました。
ご立腹のエリイを宥めつつ、あなたは店の端末から霧雪に渡した腕輪型のウェアラブルデバイスを起動します。
するとデバイスを通して、霧雪の様子が音として伝わってきます。
ちょうど帰宅したのでしょうか。引き戸を開ける音に続いて「ただいま」と言う声が聴こえます。
すると、軽やかな足音が近づいてきました。
『――お、お姉ちゃん、今はダメ、来ちゃダメ!!』
慌てふためく栞の声に、店には緊張が走りました。
あなたは『私』の名を呼び、朝双郎はエリイとるうを半ば強引に店の奥へと連れて行きます。
まだ幼い彼女達にはとても聞かせられない事態が起こると、この場にいた大人達は予感したのです。
そして――予感は的中してしまいました。
『
猿が吠えた声に似た不快な金切り声のあと、廊下を踏み鳴らす音が聞こえます。
『お、お母さん!? ごめんなさい、私ちょっと但馬屋さんに用事があって——』
霧雪の声は暴力的な音により途切れてしまいました。
『お見合いだって? あんたみたいな子供が? 気持ち悪い……気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いキモイキモイキモイ!
いつからそんないやらしい子になったんだ! この■■■■め!!』
怒り狂い、娘を
ただ謝り続ける少女の悲痛な声。
聞いているだけで痛みを覚えるような乾いた音。
それは、大人であっても耳を塞ぎたくなるような凄惨な状況でした。
『あんたも同じだ! 他所に女を作って出て行ったあの男と同じだ!
悪い子め、汚らしい女め! あんたなんか私の子じゃない!』
『や、やめて、お、お母さ——』
栞の声が聞こえたかと思うと、何か重いものが倒れたような音が響きました。
『――栞!?』
妹の名を呼ぶ霧雪に、中年女性の罵声が飛びます。
『子供のくせに色気づいて、ああ気持ち悪い気持ち悪いキモイッ!
そうやっていつも私をコケにして見下して——何か言え、あの男の娘だろ!』
『違うの、やめてお母さん! お父さんは本当に死んでしまったの!
お母さんが——あなたがそうやって、お父さんをいじめ続けたから——!!』
直後、大きな水音がしたかと思うと、中年女性の悲鳴が聞こえてきました。
そして、それだけでなく——
『お姉ちゃん、こっち!』
『ま、待って栞!』
慌ただしい足音と共に、モニタリングしていた位置情報に変化が訪れます。
どうやら霧雪と栞は家から逃げ出したようです。
それを確認した『私』はウェアラブルデバイスの通話機能を外部から強制起動させ、あなたは彼女達にその先にある公園に向かう様に伝えました。
『え? この声――比呂乃木さん!? ど、どうして?』
『いいから、お姉ちゃん、早く!』
二人が向かう公園には既に手配したロボタクシーが停まっている筈です。
GPSの位置情報から彼女達が無事にタクシーに乗り、この店に向かっている事を確認してから、ようやくあなたは一息吐きました。
「あの……おじさま、今のって……」
「みっともない大人の
状況が一段落した事で、るうとエリイもあなたの下に戻ってきました。
しかしあなたも朝双郎も、二人の少女には詳細を決して伝えませんでした。
「それより誰か来るの? 今から?」
『はい、エリイのクラスメイトの石長栞さん、お姉さんの石長霧雪さんです』
『私』が回答するとエリイは、「あ、おじさんの浮気相手!」と余計な一言を加えて思い出したようです。
あなたは苦笑しながら端末の前を離れ、もうすぐ来店するであろう少女達の為に調理場に立ちました。
そして二十分後――
「こ、こんばんは……」
恐る恐る扉を開けた栞に続き、長い髪を乱したまま呆然とする少女——石長霧雪の二人が来店します。
自分達を出迎えた大人や同年代の少女達を見渡したあと、霧雪はあなたの顔を見上げて問いかけます。
「――何が、あったんですか?」
つづく
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