第6話 霧雪と栞
「――何が、あったんですか?」
まるで他人事のように、
心が現実を受理しきれず、実感を喪失していたのでしょうか。
そう判断したあなたは、霧雪と妹の
霧雪は戸惑っていましたが、あなたの事は少しだけでも信頼していたのか、言われるがままに腰を下ろしました。
この夜、あなたの店にいたのは全部で六人とふたつ。
あなたと石長姉妹を除いて、
そして次世代の超・高性能AIである『私』と『ヴェルザンディ』のふたつです。
あなたは全員に飲み物を振る舞うと、石長姉妹が座るテーブル席からほんの少し離れた席に座りました。
すっかり憔悴している幼い姉妹に、少しでも圧をかけまいと配慮したのです。
「ご、ごご、ごめんなさい、お姉ちゃん……わ、たし、この人達に、お、お家のこと、そ、相談していたの」
最初に口を開いたのは栞でした。
姉である霧雪の腕にしがみつきながら、そう説明します。
「栞……そっか、心配かけちゃったね」
謝る栞を、霧雪は労わるように抱き寄せました。
詳しく説明せずとも、栞の言葉だけで事態を察したのでしょう。
徐々落ち着きを取り戻しつつある事が、その声や表情からみてとれます。
「――
あなたは「もちろん」と頷きますが、その前に『
「え? そうでしたか……と、言う事はまさかあのお見合いの時から栞が関わっていたのですか?」
「……う、うん」
栞は頷き、あなたは事の次第を改めて霧雪に説明します。
栞が自分を頼ってこの店に一人でやってきたこと。
彼女の願いは母親の暴行から姉の霧雪を救うこと。その為に霧雪と母親を引き離す必要があったこと。
しかし今夜、この店に姉妹を連れてきたのは予想外の緊急処置であったこと。
あなたの説明を霧雪は静かに受け止めていました。
「なるほどなるほど……つまりおじさん浮気してなかった! 信じてたんだよ!
エリイ、ハネムーンは南極が良いな♥」
「エリイ、今は黙ってようね?(口をふさぐ)」
「むーーーー!(口をふさがれている)」
空気の読めない
「お、お姉ちゃん……どう、するの?」
栞は最初から母親よりも姉の身の安全を願っていました。
よって全ては霧雪の選択にかかっています。
妹の願いを叶えるのか、それとも――
「……私、家に帰ります」
はっきりと言い淀むこともなく、霧雪は選択を下しました。
栞は
「――霧雪くん、私は君とは縁も
君が受けているのは虐待であり、母親に必要なのは君の献身ではなく専門家による治療だ。つまり君がこのまま家に戻れば事態は必ず悪化する。
それでも……考えは変わらないかね?」
「……はい」
真剣な顔で忠告する朝双郎でしたが、霧雪の意思を
「……だって私、お父さんに頼まれたんです。“あの人を頼む”って」
母親を「あの人」と呼ぶことが何を意味するのか、気付いた人間はあなたと朝双郎だけでした。
確認には『私』か『ヴェルザンディ』が“権限”を行使する必要がありますが、その必要はないでしょう。霧雪と栞、そして彼女達の母親との間に血縁関係が存在しない事はもはや疑うまでもありません。
「でも栞、あなたは私に付いて来る必要はないの。あの——妹のこと、お願いしても良いですか?」
霧雪はそう言って、あなたに頭を下げますが、
「や、やだ……わ、たし、お姉ちゃんといっしょ! いっしょじゃないとやだ!」
悲痛な声をあげて栞は霧雪にしがみつきます。
離ればなれにはなりたくないと、全身で姉を引き留めるかのように。
「それで良いのか」とあなたは霧雪に尋ねます。
あなたと目を合わせた瞬間、霧雪は一瞬だけ表情を崩しますが……それでも考えを変える事はありませんでした。
誰一人として一人の少女の選択を覆せずにいるなか、ただ一人だけが「ムリムリ、できっこないんだよ」と異を唱えます。
エリイでした。
「……エリイさん、今何と言いました?」
苛立ちを隠しきれない霧雪に、エリイは「にひひ」と意地の悪い笑みを返します。
「だーかーらームーリーでーすー! って言ってるんだよ?」
「な、何が無理だと言うんですか?」
「キリキリカマキリのママだっけ? その人の面倒見るの、キリキリカマキリには無理だって言ってんの」
「キリキリ…? そ、それって私のこと? なんでカマキリなのよ!」
「にゃははは♪ 名前がキリキリだからカマキリでーす♪ にゃっ!
両手をカマキリの鎌のように構えて(※うろ覚え)おちょくるエリイに、霧雪は怒りを露わにします。
「な、なによピンク頭! わたし…私は、お父さんがいなくなっても、ご飯もお母さんのお世話も全部一人でやってきたんだから! あんたなんかとは違うんだから!」
果たしてあなたは気付いていたでしょうか。
怒りのままに声を荒げる霧雪が、いつしか敬語を使わなくなっていた事に。
「あっそう。エリイちゃんには
「じゃあどうして無理だなんて言うのよ! 私はずっとやってきた! これからも…ちゃんとできるんだから!」
「できてないよ?
できてないから、しおっちもおじさんもみんな、こうやって心配してるんだよ?」
「―――――⁉」
エリイの痛烈な指摘に、霧雪は息を呑みます。
「……え? しおっちって、わ、たしの、こと?」
一方、妹の方は別の件で驚いてましたが。
「でもエリイちゃんは止めないので、もう帰っていいよキリキリ?
でもこんな夜遅くだと、こどもはタクシー呼べないね? だから、ほい」
そう言ってエリイがテーブルに投げ置いたものに、あなたは目を丸くします。
何故ならそれは、あなたの自家用車の電子キーだったからです。
「それでお家まで帰れば? おじさんもしょーがないから貸してあげるって」
「いやそんな事言ってない」とあなたは口を挟みかけましたが、これまで頑として他者の介入を拒絶してきた霧雪の怜悧な仮面を、エリイは一人で引っ剥がしてしまっているのです。
だから、あなたは黙ってこの場をエリイに任せる事にしました。
「車の運転なんて、できるわけないでしょ!」
「なんで? スマホあれば自動運転してくれるけど?」
「そういう問題じゃないの! 私まだ子供なんだからできないの!」
その瞬間、叫んだ本人を除く全ての人間と
エリイが霧雪に対して決定的な王手をかけた事に。
「分かってるじゃん。そうだよ、エリイたちまだこどもだもん。
おじさん達よりもずっと——できなくて当たり前なんだし」
「そ、それは――その——」
「そのおじさん達が――おとながさっきから言ってるんだよ?
キリキリ一人じゃママをかいごできません。私たちに任せなさいって」
「あ————」
エリイのその一言が、操り人形の様に霧雪をかろうじて支えていた糸を断ってしまったのでしょうか。
霧雪は崩れ落ちるように、椅子にもたれかかります。
それに合わせて、無言で状況を見守っていたるうは車椅子を操作して霧雪に近付くと、呆然とする霧雪に声をかけました。
「ねえ霧雪さん? 本当はもう分かっていたんじゃない? お母さんの事も家の事も一人じゃムリなんだって」
挑発的なエリイとは異なる、慈しむような声に霧雪はゆっくりと顔を上げます。
「だからお見合いしようとしたんだよね?
自分よりもずっと大人で頼れる人に、お母さんを助けてもらいたいから」
「……………」
霧雪は答えませんでしたが、力なく俯いた姿はるうの言葉を否定できない証でもあるのでしょう。
恐らく彼女は
ですが――その事実は『私』たちの胸の中にしまっておいたほうが良さそうです。
「お姉ちゃん」
そして――栞は霧雪の手を取り、正面から姉に呼びかけます。
「わ、たし、お姉ちゃんみたいに、ぜ、全然、良い子じゃ、ない。
でも、お姉ちゃんがもう、つらい目に合わなくていいなら、わ、わ、たし、悪い子になる! 悪い子でいい!
だから――もう我慢しないで、お姉ちゃん!!」
綺麗な顔をくしゃくしゃに崩しながら、封じ込めていた思いの丈をぶつける栞。
それを受けて、霧雪の顔も同じように崩れていきます。胸の奥から溢れ出そうとしている気持ちを押しとどめようとして、それでも抗いきれないまま。
「私も――私だって――」
感情を押し殺せなくなるその寸前に、霧雪はもう一度あなたに顔を向けます。
「わたし……悪い子になっても、良いですか――?」
あなたは霧雪の頭に手を乗せ、彼女の献身に、労苦に、誇りに、そして新たな選択に敬意を払う為、ずっと言いたかった言葉を贈るのでした。
――悪い子でなかった大人なんて、誰もいないのだと。
・
・
・
「では失礼しますおじさま、夜遅くまでごめんなさい。
それと――エリイもほどほどにね?」
「はーい♥」
内燃機関で動くレトロな自動車の後部座席。そこに乗り込んだるうと運転手の朝双郎に、あなたは「ありがとう」と頭を下げます。
「一時はどうなるかとハラハラしたが、まぁ及第点と言えるだろう。
明日になれば彼女達の後見人が迎えに来るはずだ。それまであの天使達を頼むぞ」
実はあなたと『私』のあずかり知らぬところで、朝双郎と『ヴェルザンディ』も様々な手を打っていたようです。
石長姉妹の義母は既に措置入院となり、長年石長家に使えてきた老夫婦が姉妹の後見人を引き受けた事を、あなたも『私』も後になって知ったのでした。
満天の星空の下、車に乗って帰っていく二人を見送ったあと、隣に立っていたエリイがあなたの袖を掴んできました。
「ねぇねぇおじさん、今日のは100点満点中何点くらい?」
何の採点なのかは定かではありませんが、あなたは少しだけ考えてから「100点だ」と答えます。
「うん、エリイも100点満点つけてあげるんだよ♥」
そう言って、何かをねだるように両手を伸ばすエリイ。
あなたがそれに応じてしゃがみこむと、エリイはあなたの頭に手を置いて「良く出来ましたー」と撫でてくれました。
そして、あなたとエリイは手を繋いで店へと戻ります。
「――うにゃ⁉ もしかしてこれ、はじめてのお泊り?
ど、どうしようおじさん、エリイ、シャワーとか浴びてきたほうが良い?」
あなたは何も答えず、店の扉を開けます。
その視線の先には、泣き疲れた二人の少女が仲良く毛布にくるまりながら、安らかな寝息を立てているのでした。
・
・
・
――そして、それから。
ある日の日曜日。
あなたのお店にはいつものようにエリイがいて、いつものように朝食のパンケーキを美味しそうに食べています。
すると来客を知らせる鐘が鳴り、「いらっしゃいませ」と声をかけた直後、あなたは驚きに目を開きました。
「おはようございます、だんなさま」
そこに立っていたのは、長い黒髪を後ろで束ねた小学生くらいの女の子。
着ているのは
期待と使命感に輝くアーモンド型の眼を見て、あなたは彼女が誰だかすぐに思い出します。
「あーーーーーー! キリキリ!?」
「……あ、エリイさんもいたの? ……まぁいいか。
それよりだんなさま、
エリイから露骨に目を逸らすと、キリキリと呼ばれた黒髪の少女――石長霧雪はあなたにぺこりと頭を下げます。
あなたが嫌な予感を覚えたのは言うまでもありません。
自分を「だんなさま」と呼び、嫁入りするかのような挨拶と、見るからにウェイトレスな装束から導き出される結論は一つしかないでしょう。
「はい! 今日から私、この店のお手伝いをさせていただきます!
主に花嫁修業として!」
あなたは軽く頭を抱えました。
エリイは髪を逆立てて激怒しました。
「にゃんだとオラーーーー! ザッケンにゃコラーーーーーーー!」
「別にエリイさんに言ってません。私はだんなさまにお伺いを立てているのです」
「ねぇねぇおじさん、もちろんNOだよね? かわいいかわいいエリイちゃんが要れば他には何もいらないもんね?」
あなたはYESともNOとも答えませんでしたが、迷っている間にもう一人の和装ウェイトレス姿の少女――石長栞が箱を抱えて入店してきました。
「こ、これ……読んで」
あなたが栞から受け取ったもの、それは20㎝四方ほどの箱と筆でしたためられた手紙でした。
手紙の差出人は石長姉妹の後見人となった老夫婦で、そこには先日のお礼と姉妹の現況が、差出人の人柄を偲ばせる丁寧な言葉で綴られていました。
他には二人の希望で店の手伝いをさせてほしいことと、それに対する心ばかりの返礼を持たせたとの旨が記されていました。
あなたが箱を開けると、そこには高級な茶葉や抹茶の粉末、更には品の良い食器や茶碗がずらり。
どれもあなたが自分の店に置きたい逸品ばかりです。
「石長家は古くはこの地の殿様に献上する品を取り扱う御用商人だったそうです。
だから今も歴史ある名店や職人とお付き合いがあると聞いています。これはそのほんの一例みたいですよ?」
たおやかに微笑む霧雪。
しかしその笑顔の裏にあなたは、札束で顔を叩く商人の幻影を見ていました。
「あ、あの……お、お姉ちゃん、何でもできる、から……
よ、よろしく、お、おお、お願いします、おじちゃん」
「栞、あなたもお手伝いするんですよ?」
「えぇ………」
乗り気しかない姉に対し、妹は心底嫌そうな声を上げます。
しかし背に腹は変えられないと昔から言いますが、いえ――この場合は縁あれば千里とでも言いましょうか。
決して順風満帆とは言えないあなたとこの店にとって、霧雪が持ち込んだ話もとい
時間にして10秒間の葛藤の末、あなたは石長姉妹の申し出を受け入れる事にしました。
「や、やっぱり、おじさんの浮気ものーーーーーーーーーー!!」
完全敗北したエリイを尻目に、霧雪は袖口でピースサインを作ると
「私を悪い子にした責任、取ってくださいね――だんなさま♥」
つづく
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