第4話 石長霧雪
これは、2040年代の日本の物語です。
あなたは今、歴史と風情を残す城下町と開発が進む新興住宅地の狭間に位置する、ちょっとだけのどかな町で暮らしていました。
勤めていた会社を早期退職したあなたは、その町で小さなカフェを開きます。
経営は決して上々ではありませんが、おせっかいな近所の人達の協力もあり、穏やかで気楽な毎日を過ごしていました。
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——204■.3.2■.japan.■■■■■city/2001:0db8:1234:5678:abcd:ef01:2345:6789
「
悲鳴のような「母」の声に
私は栞の頭を抱いて「大丈夫」と慰めてから、「母」のもとに向かう。
今度は何だろう。また何か失くしたのだろうか。
「母」は私を見つけると、顔をくしゃくしゃにして笑うように泣き出した。
「おとうさんがいないの! ねぇ霧ちゃん、おとうさんはどこに行ったの!」
いつもの問いに、私はいつもの言葉を返す。
「お父さんはもういません。天国に旅立ちました」
「ああ、そうね。そうだったわね。お父さんは天国に行ったのよね。
でもすぐ帰って来るのよね? ねえ霧ちゃん、おとうさんから何か聞いてない?」
「いいえ、何も」
もう何十回と繰り返した、安全なやりとり。
でもこの日の母は違っていた。薬を飲み忘れたのだろうか。
私が返答すると犬のように眉間に皺を寄せ、黄色い歯をむき出しにする。
「嘘だ! 何で嘘
しまったと思った時にはもう、「母」は私の肩を掴んでいた。
そして手にした雑誌で私を叩く。何度も何度も叩く。
「悪い子め、悪い子め! おとうさんはどこだ! おとうさんを返せ!
お前が誘惑したんだろうこの■■■■っ!」
痛いのには慣れている。
いやらしい女だと
あと一分もしない内に「母」は私を叩くのを止め、ベッドに横たわりながらこの世にはいない「おとうさん」を呼び続けるだろう。
そして最後にはすがるように私を抱きしめて
「霧ちゃんはどこにも行かないわよね?
お母さんを捨ててどこにも行かないわよね?
だってだって——霧ちゃんはこんなにも良い子なんだから、ね?」
私の顔に唾を飛ばしながら、何度も何度も聞かされた言葉を繰り返すのだ。
だから――だから私は――
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その日、あなたは悩んでいました。
悩みの原因は店の経営状況でも新しいメニューでも、はたまたあなたを振り回す可愛らしい自称幼な妻でもありません。
それは次世代の超・高性能AIによるマッチングサービス—―を通じて組まれた「お見合い」についてでした。
あなたにとっては二度目の出来事になりますね。
『――一度、お会いになってみては如何でしょうか?』
マッチングサービスのAIコンシェルジュでもある『私』が提言すると、あなたは更に難しい顔になりました。
「ねぇねぇおじさん、どうしたの? 悩みごとならエリイちゃんにおまかせだよ♪」
カウンター席によじ登って声をかけてきたのは、ピンクでふわふわの髪をツインテールにした可愛らしい女の子――
大好きなあなたを助けてあげたい。あわよくば恩を売って自分になびかせたいと、水色の大きな瞳は善意と打算でキラキラ輝いていました。
しかしあなたは「何でもないよ」と
後には不満げに頬を膨らませるエリイが残されました。
「ねぇねぇ、
『はい、存じています。ですがこれは彼のプライベートにも関わる話ですので、エリイにはお話しできません』
「エリイはおじさんのお嫁さんだよ? つまりもう家族なんだけど? けど?」
『その様な事実はありませんし、例え家族であっても個人の事情に不用意に干渉するのは大人とは言えませんね』
「……はーい」
納得していない事は一目瞭然ですが、「大人の態度ではない」と言われては、背伸びしたがる
エリイが自分の席に戻るのを確認してから、『私』はあなたが下すであろう結論について予測を開始します。
数日以内に、あなたは九割の確率でお見合いの席に自ら座る事になるでしょう。
その相手が例え——11歳の女子小学生であったとしてもです。
そして数日後。
あなたは歴史と風情を残す城下町に建つ、由緒正しい旅館に来ていました。
ただし旅行ではありません。料亭としても営業しているこの旅館で「お見合い」をする為です。
先に到着したあなたが座って待っていると、スーッと
真っすぐで艶やかな黒髪と、子猫を思わせるアーモンド型の眼。
背筋をしゃきっと伸ばし、所作の一つ一つに育ちの良さが滲み出ていました。
「はじめまして、
ハキハキとした声で名乗った少女に、あなたも背筋を伸ばして名乗り返します。
「
あなたが告げた名を
事前に得た情報では彼女はまだ11歳の小学生だと言うのに、言葉遣いや立ち振る舞いはとても大人びています。
良いところのお嬢さんなのだろうと、あなたは推察しました。
彼女がお見合いの席にと指定した旅館の雰囲気からもそれは明らかです。
「でも……実を言うと断られてしまうのではないかと不安でした。
ほら、私はまだ小学生ですし」
あなたは「そんなことはない」とだけ返しました。
霧雪の言う通り、世間からは眉を
「でも今は安心しました。比呂乃木さまはとても優しそうで誠実な方に見えます。
今日はお互いをよく知り合い、色よいご返事をいただければ嬉しいです」
それは男性の自尊心を巧みにくすぐる台詞でした。
故にこそ、あなたは彼女の言動に作為的なものを感じていました。
『こらーーーーーーーーーー! 何やってんのーーーーーーーーーーー!!』
そんな時、部屋の中に女の子の怒声が響きます。
その声はあなたの胸元から聞こえてきたので、驚いたあなたが慌てて自分のスマホを取り出すと、画面にはぷくぷくのほっぺを河豚みたいにしたピンクの髪の女の子――エリイの顔が映し出されていました。
スマホのカメラを通してあなたを見つけたエリイは
『おじさんの、うわきものーーーーーーーー!』
と非難の声をあげました。
声が大きすぎて声が割れてしまい、あなたもそして同席している霧雪も思わず耳を塞ぐほどでした。
あなたはもちろん慌てます。
『私』にしても予想外の出来事であり、急いで状況の把握に努めました。
どうやらエリイは通話回線を通じてあなたのスマホをジャックし、強制的に通話アプリを立ち上げたようです。
『
『ご、ごめんなさい、おじさま! エリイが突然
『I can't go against the orders of the Creator, sorry』
エリイが姉である
そんな訳であなたのスマホは今、完全にエリイに乗っ取られました。
「……あ、あの? 今のは一体?」
事情が呑み込めずに呆然とする霧雪に、あなたは申し訳なさそうに説明しました。
もちろんエリイのあなたに対する認識は、あくまで願望であると釘を刺した上で。
『おじさん、エリイもその子とお話するんだよ!』
エリイは見るからにご立腹で、
自分一人ではどうにもならないと判断したあなたは霧雪に頭を下げ、エリイの要求を呑む事にしました。
互いの顔を見ながら会話できるようにと、机の上にスマホを立てて置きます。
『はじめましてさようならおじさんの妻のエリイだよ!』
「……私は石長霧雪です。
エリイさんと仰いましたね? どう見てもわたくしより年下に見えますが」
『フレッシュでプリティでキューティーな9歳なんだよ! そっちはいくつ?』
「11歳です。小学五年生なので、エリイさんより大人になりますね」
『んにゃっ!?』
突然年齢でマウントを取られ、返す言葉を失うエリイ。
あなたにとっては三年生も五年生も大して変わりありませんが、それを口にしないのは大人の分別と言うやつですね。
「さきほど比呂乃木さまよりお聞きしました。エリイさんがどう言おうと、正式に籍を入れたわけでも婚約したわけでもないのですよね?」
『いつかはそうなる予定だもん! 未来はこの手で掴むと轟き叫ぶんだもん!』
「でも今は、そうではないのでしょう?」
『ぐぬぬ……』
言い負かされて
「それに今は私が比呂乃木さんとお見合いしているのです。それなのに別の人が口を挟んでくるのはフェアではないでしょう?」
『……まぁ、そうと言えなくもないけど』
「エリイさんが比呂乃木さまを本当に愛しているのなら、先ずはその方の事を信じて待つのが筋ではないですか?
もし信じられない言うのであれば、エリイさんはそこまで比呂乃木さんを愛していないと思われても仕方ないですよね?」
『おにょれ……正論いくない!
分かったんだよ! じゃあ終わるまでエリイは黙ってるから』
「はい、よい心がけです」
エリイを完全に言いくるめてしまった霧雪に、あなたは素直に感心しました。
11歳の女の子とは思えないほど落ち着いた物腰といい、大人顔負けの巧みな話術といい、やはりこの娘は只者ではないようです。
「随分と弁が立つ、ですか? 子供のくせに生意気だなんて思わないでくださいね?
実は父が私や妹に時代劇や古い映画をよく見せてくれたので、それに影響されたのかもしれません」
『うんうん、たしかにナマイキー』
「……エリイさん?」
『~~~~~♪(※口笛を吹く真似)』
約束を守る気のないエリイに釘を刺してから、今度は霧雪があなたに質問します。
「ところで比呂乃木さんも映画はお好きですか?」
あなたは「もちろん」と頷き、好きな映画をいくつか挙げました。
しかし……
「……え? 何それ聞いたことない……」
「……………」
気まずい沈黙が訪れました。
「そ、そうだ! 比呂乃木さんは何か特技はあります?
私はえっと…お茶を淹れるのが上手だとよく言われます」
今度は話が合いそうです。
あなたは自分の店の看板メニューでもあるコーヒーの話をしました。
「……コーヒー? あの苦くて焦げた匂いのする、とても飲めないやつ?」
「……………」
気まずい沈黙が戻ってきてしまいました。
いたたまれなくなったあなたは、今度は自分から霧雪に質問します。
山のきのこか里のタケノコのどちらが好きなのかと。戦争を引き起こしたいのですかあなたは。
「私、ブルボン王朝派なので……」
「……………」
敢えて野に火を放ち、闘争を通じて相互理解を図ろうとしたあなたの目論見は、第三勢力の台頭によって無に帰してしまいました。
『……おじさんとこの子、相性ワルワルだね』
「そ、そんな事ないです! これからお互いの事を理解して行けば良いんです!」
むきになって反論する霧雪でしたが、あなたとは趣味や嗜好が合わない事は否定できない様です。
あなたもあなたで、好きな映画やコーヒーへの拘りが全く通じなかった事に軽いショックを受けていましたが、それも歳の所為だとすぐに割り切りました。
さて——頃合いのようです。霧雪がエリイに意識を向けている内に、あなたは前もって切り出すタイミングを見計らっていた問いを、霧雪に投げかけました。
「なぜ自分にお見合いを申し込んだのか」と。
「そ、それはその……えっと、素敵な人だと思って……」
すると霧雪は先程までとは打って変わり、歯切れの悪い答えになります。
あなたは更に「ご両親は小学生の娘が成人男性と結婚を考えている事について、どう思っているのか」と問いかけました。
霧雪はすぐには答えませんでした。
表情を隠すように一度うつむき――そして顔を挙げた時には、最初に出会った時の様な大人びた微笑を浮かべていました。
「きっと理解してくれると思います。
それに今から将来の伴侶を決める事は、私に認められた権利ですから」
あなただけでなく世間の大人は霧雪の回答の「正しさ」を否定はしないでしょうが、一方でそうした言い回しが「方便」である事もまた否定しないでしょう。
そして、あなたはもう確信していました。
石長霧雪と言う少女が初対面の
しかし、あなたはそれ以上深堀りはせず、当たり障りのない会話を交わします。
「――え、これを私に?」
そして最後に、あなたは前もって用意しておいた贈り物を霧雪に渡しました。
それは明るい色合いの腕輪型ウェアラブルデバイスでした。
時刻だけでなく体温・血圧・脈拍などのバイタルデータをリアルタイムでモニタリングし、GPSによる位置情報の確認や特定の人間との通話機能も備えています。
「こんな高価なものを……ありがとうございます」
恐縮して頭を下げる霧雪に対し、あなたは「安物だけどね」と笑いました。
それは決して謙遜ではありません。
病院に入院すれば装飾性は落ちますが、同機能のデバイスが無料で貸し与えられるでしょうし、価格もあなたの店のランチ二食分とかなりリーズナブルです。
「あの……次の機会にはぜひお礼をさせてください」
それでも霧雪は喜んでくれたようです。
別れ際には再会を願いながら、ロボタクシーに乗って帰っていきました。
彼女を見送った直後、あなたのスマホが震え出します。
確認しなくてもあなたはそれが誰からの呼び出しなのか理解していました。
小さく息を吐いてから、あなたはスマホを懐から取り出します。
『どーいうことなのか説明してほしいんだよ? おじさん?』
発想のスケールは
あなたもそれを良く分かっているので、素直に白状する事にしました。
「本気でお見合いをしたかったわけではない」と。
言い訳にも聞こえかねない説明でしたが、エリイは頷きました。
「……知ってた。というかおじさん、名前違うよね?」
エリイの指摘通り、あなたの姓は『比呂乃木』ではありません。
霧雪と会う為に別人のふりをしていたのです。
しかし、その理由をエリイは知りません。
だからこそ、霧雪が去ったこのタイミングであなたを
あなたも『私』もエリイを巻き込むつもりはありませんでしたが、こうなってしまえば何よりエリイ自身が除け者にされる事を拒む筈です。
「目的はひとつ」とあなたは別のメッセージアプリを立ち上げながら、エリイに結論から伝えます。
チャットスペースに、お見合いが無事に終わった事と目的の品を手渡した事を報告したあと、あなたはエリイともう一人の少女に言いました。
「あの子――石長霧雪を助ける事だ」と。
つづく
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