第3話 此花るう



 これは、2040年代の日本の物語です。


 あなたは今、歴史と風情を残す城下町と開発が進む新興住宅地の狭間に位置する、ちょっとだけのどかな町で暮らしていました。

 勤めていた会社を早期退職したあなたは、その町で小さなカフェを開きます。

 経営は決して上々ではありませんが、おせっかいな近所の人達の協力もあり、穏やかで気楽な毎日を過ごしていました。


 しかし、あなたにはひとつだけ悩みがありました。

 いつまで経っても結婚相手が見つからないのです。

 理由は色々あるのですが、あなたは自分が「おじさん」だから女性に相手にされないと考えており、次第に結婚を諦めつつありました。


 そんな折、あなたは結婚相談所の相談員から、あるサービスを紹介されます。

 それは次世代の超・高性能なAIによるマッチングサービスでした。

 あなたは乗り気ではありませんでしたが、ものは試しにと利用してみたところ……なんとすぐにお見合いの申し込みが来たのです。

 あなたは喜びました。

 しかし、すぐに頭を抱え込みました。

 何故なら、あなたにお見合いを申し込んだのは――9歳の女の子だったからです。




 あなたが住む町のすぐとなり、開発が進む新興都市に建つその病院は、病床や診療科の数を誇るだけでなく、最新の設備や研究機関も備えた大病院です。

 軽い病気や怪我なら町の診療所で充分ですが、わざわざこの大病院を訪れるには、それ相応の健康上の理由があると考えられます。

 だから、あなたは心配で仕方ありません。

 9歳の女の子がデート先に指定したのが、他でもないこの大病院だったからです。


「あ、おじさ~~~~~~~ん❤」


 しかしあなたの内心などいざ知らず、ロボタクシーから降りてきた少女はあなたに飛びつきます。

 ふわっふわのピンク色の髪をツインテールにした水色の瞳の女の子。

 此花このはなエリイでした。

 チョコレートカラーの制服と背負っているランドセルを見るに、下校途中に立ち寄ったものと思われます。


「待たせちゃった? じゃあお詫びにエリイをお持ち帰りしても良いんだよ♥」


 もちろんあなたはその誘いをスルーすると、しゃがみこんでエリイと視線を合わせます。

 そして彼女の体や健康を気遣う言葉をかけました。


「? エリイ別に何ともナイナイだけど……あ、そうか」


 あなたが自分を心配している事に気付いたエリイは「ふにゃあ」と笑いかけて、


「今日はね、おじさんに会ってほしい子がいるんだよ」


 病院の敷地の西側、そこにそびえる円柱状の建物を指します。

 そこは小児科病棟でした。

 あなたとエリイは出入り口で滅菌を行い、マスクを着用してから病棟内に足を踏み入れます。

 そして自動化された受付でID照合を終えると、エリイは意気揚々とあなたを先導し始めました。

 通い慣れたその様子から、エリイがこの病棟に足を運んだのは一度や二度ではなさそうだとあなたは感じました。

 それほどまでに足しげく通う相手とは誰なのか——エリイが会わせようとしている人物の正体について、あなたは薄々気付き始めていました。


 小児科病棟では病院独特の空気を患者である子供に感じさせない為の意匠が、あちこちに施されています。

 しかしエリイに声をかける病院スタッフの衣服や、あちこちから聞こえてくる会話の内容から、あなたはここが様々な意味で「外」から隔絶された場所だと実感していました。


「るーちゃーん、エリイだよー♪」


 病室のドアを開けながら、エリイは中にいるであろう人物に声をかけます。

 それはエリイと同じの色の髪を肩のあたりで切りそろえた、水色の瞳を持つ少女でした。年齢はエリイよりもわずかに上でしょうか。

 彼女は寝巻の上にモスグリーンのカーディガンを羽織り、ベッドの上で体を起こしていました。


「おそいよエリイ。約束の時間10分もすぎてる」


「るーちゃんはこまかすぎー。予定通りにいかないのが人生なんだよ? ねぇおじさん?」


「社会人になると10分の遅刻は割と問題なんだ」と言いたいところを、あなたはぐっと堪えます。


「――ねぇエリイ、この人がうわさの『おじさん』?」


「そうなんだよ。エリイの大好きなおじさん♥ えへへへへへへへへ♥」


 嬉しくてニヤけるエリイの隣に並び、あなたはベッドの上にいるピンクの髪の少女に挨拶しました。


「はじめまして、おじさま。私は此花このはなるう。もう気付いていると思うけどエリイは私の妹なの」


 この病棟に入院しているのは恐らくエリイの兄弟姉妹であろうと、あなたはそれとなく予想していました。

 るうは髪や瞳の色だけでなく、何より顔立ちがエリイとよく似ていた事から疑う余地はありませんでした。


「そうなんだよ。るーちゃんとエリイは同じ『AWえーだぶ』だけど、るーちゃんの方が先だったからおねーちゃんなんだよ」


 聞き慣れない言葉にあなたは首を傾げます。

 『AW』とはArtificial Womb(人口子宮)の略称であり、つまりエリイとるうは母胎を介することなく誕生した人間です。

 『私』のその説明に、あなたは驚きの声をあげました。


「……まさかエリイ、あなたのこと話してなかったの?」


「うん。説明するなら、るーちゃんがいる時が良いかなって」


「……そうかもしれないけれど、驚かせるのは良くないよ。ねぇAIノルン?」


 るうは『』の名を呼びます。


「どうせあなたとエリイの事だから既に用意してあるよね? なら早くおじさまに説明してあげて」


『了解しました』


 『私』は“権限”を用いて病院内のローカルネットワークにアクセスすると、るうの病室のテレビジョンモニターに、前もって用意しておいた映像を出力します。

 一方、エリイはるうのベッドに腰かけると、あなたに向けて可愛くウインク。


「ではでは、おじさんにエリイとるーちゃんのこと、教えてあげるんだよ♪」



 ……まぁ説明するのは『私』なのですけどね。

 それはさて置き、エリイとるうは『ProgGen-Children』――Children born through genetic manipulation, who bear the responsibility of humanity's development and progress(人類の発展と進歩を担う、遺伝子操作によって生まれた子供たち)――と呼ばれる、特殊な生い立ちのです。


 『ProgGen-Children』は国家や世界規模の研究機関が管理・保有する、人類社会や文明に多大な業績を残したり特異な才能を有する人間の遺伝子から生み出された人造エリートであり、先天的に有している能力や才能を人類全体の利益の為に費やすことを義務付けられています。

 昔はこうした人造エリートを生み出す発想自体が非人道的であり、様々な危険性を警戒されていましたが、現在では世界各国で『ProgGen-Children』が生み出され、国際的な協定のもとに国家間の垣根を超えた研究やプロジェクトに参加しています。


「つまり生まれつき『みんなの為に働く』のがの使命なの。

 自慢じゃないけど、私はVirusパンデミックに対する防疫シミュレーションの新型多層演繹えんえきモデル、その基幹設計にたずさわった事があるのよ? えっへん!」


「るーちゃん、えらい!」


 詳しい事は分かりませんが、とにかく凄い事なのは分かったという顔をしてあなたは頷きます。


「でもそれを言うなら、私たちの中でもエリイは別格なの。

 クォボルクの多元的共解式算出理論に基く積層並列思推しすい型人工知能を設計したのはなんと、このエリイなんだから」


 あなたはもう分かったふりをする事もできない様子でしたので、「つまり『私』のような次世代の超・高性能AIの“創造主マスター”である」と要約しておきます。


「もぅそんなに褒めなくて良いんだよ? とりあえずおじさん、エリイね一人目は男の子が良いな♥」


 浮かれるあまりエリイがどこまでしたのかは不明ですが、とりあえずあなたはエリイの頭を撫でてあげました。

 エリイはいつも通り「えへへへへへへへ♥」と嬉しそうに笑っていましたが、あなたは自分の手の下にある小さな頭脳が途方もない経緯で誕生し、その小さな肩には途轍もない期待をかけられている事をどう受け止めれば良いのか迷っている――ようにも見えました。


「ただ……良いことばかりではなくて、例えば私たちのこの髪の色も『ProgGen-Children』である事のなの」


 人為的な遺伝子操作による副作用は医療の発展により次々と克服されましたが、それでもゼロにはできませんでした。

 また遺伝子操作による人造エリートを快く思わない人達におもねり、『ProgGen-Children』にはわざと目立つ特徴を付与している――などという噂も後を絶ちません。


「そうなの? エリイちゃん初耳なんだけと?」


「エリイにはまだ早いから、エンマネさんも教えてなかったんじゃない?

 でも私はもう大人だし?」


「るーちゃん、エリイとひとつしか違わないんだけど? ずーるーいー!」


 るうが口にした「エンマネ」とは『Enrichment Managerエンリッチメント・マネージャー』の略称です。

 エリイやるうの様な『ProgGen-Children』への支援やケアを統括する国家公務員、要するに国が付けた保護者兼監督者です。

 ちなみにエリイのエンマネは――まぁその内、紹介するとしましょう。


「……あ、そうだ♪ ねぇねぇおじさん知ってた? るーちゃんのエンマネって、ちょーイケメンなんだよ?」


「え? い、いきなり何言い出すのエリイ?」


 エリイがそう切り出すと、るうは顔を赤くして慌て出します。


「ほりほり、見てみー♪」


「もー、やめてったら!」


 るうは恥ずかしがっていますが、あなたも興味がないと言えば嘘になります。

 これは小学校の入学式でしょうか。

 エリイがあなたに見せた画像には、おそろいの制服を着たるうとエリイが並んで写っています。

 そしてその後ろには、スーツを着た長身の青年が立っていました。

 年齢は二十代後半から三十代と言ったところでしょうか。

 確かにハンサムであり、エリート特有の「できる男」の風格を漂わせています。


「エリイ的にはおじさんの勝ちだけど、まぁまぁ良い感じ? しかもここだけの話、コーアンの人みたいなのだ」


「いいからその話やめてエリイ! おじさまも聞いちゃダメ!」


 顔を真っ赤にして嫌がるるうを見て、あなたは彼女とこの青年の関係が何となく分かったような気がしました。


「更にここに~隠し撮りした動画があるんだよー!」


「エーリーイーーーーー!!」


 るうの抗議を無視して、エリイは動画を再生します。

 すると最初に聞こえてきたのは、鼻を鳴らして嗚咽する声でした。

 ただし男性の。


『ううっ……ぐすっ……すまない、すまないるう君! 私が付いていながらこんな事に……』


『……もう泣かないで鳥海ちょうかいさん。済んだ事じゃない』


『だとしても僕は……君に申し訳が立たない……』


 ベッドごと身を起こしたるうの膝に顔をうずめるのは、スーツ姿の男性。

 顔は見えませんが、状況からして恐らく彼がるうのエンマネであり、先程写真で見たあのハンサムな青年なのでしょう。

 動画の中のるうは、そんな彼の頭をあやす様に撫でていました。

「あれ? なんか思ってたのとちがくない?」とあなたは思うかもしれませんね。


『……定期健診で少し引っかかっただけ。先生だって「心配は要らない。だが念の為に三日ほど入院したまえ(ギュツ 」って言ってたのよ?』


『それでもだ! 万が一にでも君と言う人類の資産、国家の希望、僕の天使に何かあれば国や君の兄弟姉妹、そして地元で孫の顔を見るのを楽しみにしている僕の両親に合わせる顔がない!』


『だからぁ大丈夫ですって! お願いだからそんな落ち込まないで……』


 動画の再生中、あなたは『私』に「この人本当に国が定めた保護者兼監督者? 私情がだだ漏れなんだけど?」と囁きましたが、その件に関しては黙秘権を行使させてもらいます。


『鳥海さん、黙っていればエリートでイケメンなのに……これじゃあますます結婚相手見つからないよ?』


『君を置いて結婚などしていられん。君が子供を産め……もとい大きくなるまで私は何を置いても君を守る!(※小学生の膝に顔を埋めながら)』


『(……どうしよう、これ)。…あ、そう言えば鳥海さん、エリイの事なんだけど』


将来の義理の妹エリイ君だね、彼女がどうかしたのか?』


『何でもすてきな人が見つかったって、お見合いするらしいの。いいなぁ、わたしもお見合いしちゃおっかなぁ?』


『………………(ピクリ)』


『わたしにも結婚相手ができれば鳥海さんも安心して結婚できるし、お父さんやお母さんにも早くお孫さんを見せてあげられるよね?』


『………………(無言で立ち上がる)』


『……鳥海さん?』


 突然無言で立ち上がると、鳥海と呼ばれていた青年はスマホを取り出し、先程までとは打って変わって冷徹な声で通話を始めました。


『――私だ。三課の課長に繋いでくれ。大至急だ。

 それと今後、庇護対象に関わる全ての通信、通話を監視対象としろ。

 そうだ全てだ。そして病院のスタッフであろうと男は誰一人近づけるな。例えそれが未成年や幼児であってもだ。課長には国家的損益に関わる懸念事項と伝えろ』


『ちょ、鳥海さん? どこ行くの? ねぇちょっと――』


 動画はそこで終わっていました。

 エリイはケラケラと笑い転げ、るうは真っ赤になった顔を手で覆っています

 彼女は今、限度を超えた羞恥に襲われているに違いありません。

 そしてあなたは、るうが嫌がっていた理由を見誤っていた事について、プルプル震えたままのるうに詫びるのでした。


「――るうちゃん、もう少しで先生の回診だからね」


 その後、検温にやってきた看護師はそう言い残して退室しました。

 はっきりとは言いませんでしたが、どうやら面会時間も終わりのようです。

 エリイはベッドの上から降りてランドセルを背負います。


「じゃあね、るーちゃん」


「うん、エリイもおじさまも今日はありがとう。入院中は退屈だからわたし、楽しかったよ」


 そう言うと、るうは左手でベッドを操作し、上半身を垂直になるまで起こします。

 そして右足を左足ですくい上げながら、体を左に回転させました。


AIヴェルさん、立つよ?」


『――Yes』


 ベッドの端に腰かけたるうが呼びかけると、部屋の隅に置かれていた車椅子が自動で動き出し、ベッドの脇にぴたりと止まります。

 そしてるうは柵を掴んで立ち上がり、ベッドから車椅子に移動しました。

 その動きを見て、あなたはるうの右足が麻痺している事を初めて知りました。


「おじさま、エリイと話したい事があるから、少しの間二人だけにしてもらって良いかな?」


 あなたは頷き、病室の外に移動します。

 あなたの姿が見えなくなった後、るうはエリイを抱き寄せました。

 エリイもしゃがみこんで、るうと額を触れ合わせます。


「すてきなおじさまだね、エリイ?」


「えへへへへへへへ♥ でしょでしょ?」


「…………だからって無理しちゃダメ。ほら、おでこがこんなに熱くなってる」


「……ごめんね、るーちゃん?」


「ううん、怒ってない。

 だってわたしたちは夢中になると使もんね? 

 だから、ちょっと冷やしてあげる」


 時間にしてわずか1秒未満。

 もしもこの時、二人の脳波を測定していたら、普段の生活では使わない特殊な波形が観測されたことでしょう。

 そして、エリイの脳の血流に変化が生じたことも。


「――うん、すっきりしたんだよ♪」


「それなら良かった。でもエリイ、無茶して私みたいになったら怒るんだからね?」


「はーい、気をつけまーす」


 るうが額を離すと、エリイも膝を伸ばして立ち上がります。


「ありがと、るーちゃん。またね」


「ええ、今度は寄宿舎でね」


「……ところでところで、るーちゃんはエンマネとどこまで行ったの~?」


 ニヒヒと笑いながらエリイは尋ねますが、るうはきょとんとした顔で答えます。


「鳥海さんと? けど?」


「……ソウデスカ」


 期待していた展開がゼロどころか、まだ何も始まっていなかった事を再確認したエリイは病室を後にします。

 あなたとエリイが病棟を出る頃には、空は茜色に染まりつつありました。


「おじさん、るーちゃんに会ってくれてありがとなんだよ」


 あなたと手を繋ぎながら、エリイはお礼を言います。

 しかし、あなたもまたエリイに感謝していました。

 るうと言う家族や自身の特殊な出い立ちを教えてくれたと言う事はつまり、あなたの事を信頼してくれた証でもあるのでしょう。

 何よりあなたは誰かに信頼される事を嬉しいと感じられる、善き人なのですから。

 だからあなたは今日のお礼として、エリイに「ひとつだけお願いを聞いてあげる」と伝えました。


「なんと!? その言葉に二言はないよね?」


 もちろん婚約や恋人同士にしか許されない触れ合いなどは丁重にお断りするつもりでしたが……エリイは少しだけ思案すると、あなたの耳元でひそひそと囁きました。

 それは――あなたにとっては予想外の内容だったので、聞いた後で思わず吹き出してしまいます。


「え? エリイなんかへんなこと言った? ノーカン?」


「そんな事はない」とあなたは首を横に振り、エリイのたったひとつのお願いを快く叶えると約束しました。


 それは――



「いっただきまーす♥」


 今朝も元気よく手を合わせて、あなたの店で朝食をごちそうになるエリイ。

 いつも注文する二枚のパンケーキには、ハートの焼き印が押されています。

 それが自分だけの特別仕様である事を噛みしめながら、エリイはカウンターに立つあなたに「おいしい♥」と、元気いっぱいの声で伝えるのでした。




 つづく


 


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