第2話 此花エリイ②



 これは、2040年代の日本の物語です。


 あなたは今、歴史と風情を残す城下町と開発が進む新興住宅地の狭間に位置する、ちょっとだけのどかな町で暮らしていました。

 勤めていた会社を早期退職したあなたは、その町で小さなカフェを開きます。

 経営は決して上々ではありませんが、おせっかいな近所の人達の協力もあり、穏やかで気楽な毎日を過ごしていました。


 しかし、あなたにはひとつだけ悩みがありました。

 いつまで経っても結婚相手が見つからないのです。

 理由は色々あるのですが、あなたは自分が「おじさん」だから女性に相手にされないと考えており、次第に結婚を諦めつつありました。


 そんな折、あなたは結婚相談所の相談員から、あるサービスを紹介されます。

 それは次世代の超・高性能なAIによるマッチングサービスでした。

 あなたは乗り気ではありませんでしたが、ものは試しにと利用してみたところ……なんとすぐにお見合いの申し込みが来たのです。

 あなたは喜びました。

 しかし、すぐに頭を抱え込みました。

 何故なら、あなたにお見合いを申し込んだのは――9歳の女の子だったからです。




 肌を撫でる風の心地良さに思わず目を細めてしまう、そんな爽やかな朝でした。

 あなたは仕込みを終えて、カフェの開店準備の最中です。

 そして今日のランチメニューを描いたメニューボードを、玄関の外に置いた時の事でした。


 軽やかなモーター音と共に、一台の自動車が店に向かって走ってきます。

 丸みを帯びた白い車体には緑の文字で『WayBot』と社名が記されていました。

 あなたはそれが隣町を走るロボタクシーだと、少し経ってから思い出します。

 ロボタクシーとは全自動運転のタクシーサービスの代名詞であり、今や電車に次いで老若男女が移動に用いるポピュラーな交通手段です。

 何しろ運転は全て機械任せな上に、スマホや端末を使って24時間好きなところに呼び出せるのですから。

 しかしちょっとだけのどかなこの町では、みんなが自家用車を所有しているので、ロボタクシーを使う機会は少なかったのですが。


『停車しました。乗り降りの際は足元にお気を付けください』


 男性のものとも女性のものとも判別しづらい音声で、ロボタクシーはあなたの店の前に停車する旨を告げました。

 そしてスライド式の後部座席が開くと、そこから一人の女の子がぴょこんと降り立ちました。


「おじさ~~~~~~ん♥ エリイだよ~~~~~~~~♥」


 あなたは彼女が誰かもう知っていますよね? 

 数日前にあなたとお見合いをした女の子――名前は此花このはなエリイ。

 ピンクでふわふわの髪をツインテールにした9歳の女の子です。そしてあなたの事が大好きです。

 エリイはあなたに抱きつき、エプロンに頬を数回擦りつけた後、


「来ちゃったんだよ♥」


 と、あなたに流し目を送ります。

 そして水色の大きな瞳であなたを見上げながら、可愛くウインク。

 練習の甲斐もあって一発で決まりました。

 そしてあなたは「おはよう、よく来たね」とエリイの頭を撫でてあげます。

 エリイは一瞬「あれ? 予想していた反応と違くない?」という顔になりましたが、あなたに頭を撫でられてすぐに「えへへへへへへへへへへ♥」とニヤつきます。


 この日のエリイの服装はチョコレートカラーのブレザーにチェックのスカート、胸元には赤いリボンタイ。そして背中に背負っているのはランドセル。

 言うまでもなく小学校の制服です。

 しかし、あなたは疑問に思いました。

 カフェの開店時間は午前8:30なので、エリイが小学生であるならば今はちょうど登校時間の筈です。

 心配したあなたに「学校はどうしたのか」と尋ねられたエリイは、自分のスマホを取り出すとスケジューラーを起動します。

 スマホの画面に表示されたエリイの一日のデイリースケージュールに依ると、授業開始は朝の10時で、授業終了は夕方5時とあります。

 小学生にしては変わった時間割だとあなたは呟きました。


「へん? エリイ的にはふつーだけど……?」


 エリイはそう言って首を傾げましたが、すぐにその理由を察しました。


「そっか、おじさんはおじさんだったし! よし、めんどくさいからAIノルンくんが説明だよ!」


 エリイに丸投げもとい依頼されたので、次世代の超・高性能なAIである『ノルン』は彼女のスマホを介し、合成音声を使って説明します。


『学校の方針でエリイのような特待生は、生徒がデイリースケジュールを自由に設定する事ができるのです。また近年ではこの制度を導入する公的教育機関は年々増えているようです』


 「なるほど」とあなたは頷きました。

 すぐに理解していただけたようで何よりです。


「だからぁ~つまりぃ~エリイは今フリーなんだよおじさん♥ さぁ何する? キスする?」


 あなたはにっこり微笑んで「朝ご飯は何が良い?」とスルーしました。


「エリイ、そんな話してないんだけど? パンケーキ食べたい!」


「分かった」とあなたはリクエストを快諾し、エリイを自分の店に招きました。


「うむうむ。くるーしゅないんだよ♪」


 そしてエリイはすかさずあなたの手を握って、店の玄関を潜ります。

 あなたの店は古い民家を改装した、和風モダンのシックなカフェです。

 カウンター席の他には、4人掛けのテーブル席が四つあります。

 エリイは最初カウンターに座ろうとしましたが、


「足つかない! こわい!」


 座高が高すぎた為に即断念し、結局テーブル席のソファーに腰を下ろしました。


「ふむふむなるほど……これがおじさんとエリイの愛の巣なんだよ♥」


 エリイはあなたの店がとても気に入ったようです。

 気に入ったのはお店の雰囲気なのか、あなたなのかは敢えて言いませんが。

 さて、あなたはカウンター裏の厨房に立つと手早く調理を始めます。

 香ばしいバターの匂いがエリイの鼻をくすぐった後、あなたは一枚のプレートとカップをエリイの席のテーブルに運びました。


「………わっ♪」


 そしてあなたがご馳走してくれた朝食に、エリイは目を輝かせます。

 白いプレートの中央には二枚のパンケーキとベーコンとスクランブルエッグ、野菜はエリイが食べやすいようにさいの目切りにしてスープに入れています。

 デザートはハチミツ入りのヨーグルトで、飲み物はマシュマロを乗せてシナモンをちょっぴり効かせたホットミルクでした。


「おいしそう……♥」


 エリイは早速フォークを手に取りますが、あなたの顔をちらりと見ると手を合わせて「いただきます」と口にします。

 実はこれ、彼女にしては珍しいことなんですよ。

 エリイが最初に口に運んだのはもちろん、こんがりキツネ色のパンケーキ。

 最初から一口大にカットしてあるので行儀の悪い……いえ、わんぱくなエリイにも安心です。

 メープルシロップをかけたそれをパクッと頬張ると、エリイは白くてぷにぷにの頬をしっかり動かして咀嚼します。

 そして――


「おいふぃ!」


 満面の笑みを浮かべるエリイ。

 気持ちの良い食べっぷりにあなたも幸せな気持ちになります。

 小学三年生にしてはエリイは小柄で華奢ですが、あなたが作ってくれた朝食をぺろりと平らげてしまいました。


 そんな時、来客を知らせるベルが鳴り、近所に住むお爺さんがやってきました。

 もちろん常連さんです。

 あなたが立ち上がって「いらっしゃ」まで言いかけた時、エリイが風のような速さで動き出しました。

 「いっしゃいませなんだよーーーーー♪」

 そしてあなたより先に、お爺さんの前に立ちます。

 

「はじめまして此花エリイです。小学三年生です。そして今は……この店のおじさんのお嫁さんなんだよ♥」


 事実ではない事まで含めて、エリイはハッキリキッパリ言い切りました。

 その瞬間、店には沈黙が訪れました。

 来店したお爺さんはエリイに告げられた言葉をどう受け止めてよいのか迷っているようにも見えます。

 彼は合法になったとは言え、成人と小学生が結婚する事など言語道断だと考えており、この町の他の住民もおおむね同じ価値観を共有しています。

 そんな人達の前で「成人男性のお嫁さんになりました」などと、女子小学生が告げたらどうなるのか。

 以下はエリイが事前にシミュレートしたチャートになります。


「こんな幼い女の子に手を出すなんて最低だ」とおじさんが責められる。

 ↓

 責められるおじさんを庇って、エリイが本気で愛している事を伝える。

 ↓

 おじさんはエリイに感激し、一生幸せにするとみんなの前で誓う。

 ↓

 しかし世間からは理解されず、二人で愛の逃避行に出る。

 ↓

 第一子誕生。

 ↓

 実写映画化決定。

 ↓

 アニメ化の際に「おじさん」の解釈違いで製作会社が炎上する。


「勝ったんだよ! 第一部完!!」

 

 沈黙に支配された店内に、エリイの勝利宣言が響きます。

 しかし――


「……あぁ、この子がかね」


 「そうです」とあなたが苦笑しながら答えると、お年寄りは「最近の女の子はマセとるなぁ」と笑い、カウンターに座るとコーヒーを注文しました。

一人取り残されたエリイは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になります。


「…………だれ? AIノルンくん知ってる?」


『どうやら別の誰かと勘違いしているようですね』


 すると続いて別のお客さんがやってきました。今度は近所に住む中年のオバサン二人組です。

 今度こそはとエリイは同じ自己紹介をします。

 するとオバサン二人は「まぁ、お人形さんみたいで可愛いわね」とケラケラ笑った後、あなたにコーヒーを注文してテーブル席でおしゃべりを始めました。

 エリイの自己紹介の内容など、さっさと忘れてしまったに違いありません。


「どーいうことなんだよ、おじさん! エリイの人生設計見直さなくちゃいけないんだけど?」


 エリイは涙目であなたに詰め寄ります。

 あなたからすれば、どーいうことなのか全くわからないと思いますが。

 目論見が完全に外れてしまい不満げなエリイに、あなたはそろそろ学校に行く時間だと現実を突きつけます。


「……ぐすっ、エリイもう行っちゃうよ? いいの? 引き留めて逃避行ハネムーンするなら今だよ?」


 嘘くさい涙声で訴えるエリイを、あなたは「いってらっしゃい」と店の外に送り出しました。


「おぼえてるんだよ、おじさん! アイル・ビー・バーーーーーーック!」


 悔しそうな顔で手を振りながら、エリイはロボタクシーに乗せられて学校に向かいます。

 その姿が見えなくなるまで、あなたは見送っていました。


「おんや、あの綺麗な子があんたの姪っ子かね」


 となりに住むお婆さんが畑作業を中断して、あなたに話しかけます。

 あなたは「そうです」と

 種明かしをすると、エリイがあなたの店にやってくるその前に、あなたのスマホにインストールされたマッチングアプリ。そのAIコンシェルジュである『私』が、あなたにエリイの暴走もとい予測されうる事態を予め伝えておいたのです。

 『私』の予測ではほぼ確実に、エリイは周囲の人に「自分はあなたの妻だ」と吹聴して外堀を埋めにかかるでしょう。

 ですからそれを無効化するカバーストーリーが必要になると。

 そこで『私』とあなたは以下のようなストーリーを作り上げました。


 エリイはあなたの姪っ子で、仕事が忙しい両親の代わりに親戚のあなたが時々面倒を見ている。

 そしてその姪っ子は親戚の「おじさん」が大好きなので、いつか結婚するのだと言う願望をみんなに言いふらしている——と言ったカバーストーリーです。


 もちろんそれだけでは信憑性に欠けるため、『私』はエリイやあなたのデータを用いて架空の動画や写真、メッセージログを作り出しました。

 あなたとエリイのを用いて、カバーストーリーの信憑性を補強するために。

 尤も一番お手柄だったのは、そのストーリーを自然な流れで常連の女性客に開示したあなたの手腕になりますが。


 かくして口に戸を立てられないどころか、願望と推測で話を盛りまくって吹聴する中高年女性の習性を利用し、あなたとエリイを一方通行の年の差カップルではなく「親戚のおじさんと姪っ子」という関係に偽装することが出来ました。

 これでエリイがあなたに足しげく会いに来て、その度にあなたにアピールしても、それによってあなたの経済的・社会的基盤を脅かされない素地を作る事ができました。

 『私』はそう判断します。


 ・・・・・・しかし、それから三日後。


 エリイからメッセージアプリを通じて届けられた「デートのお誘い」に、あなたは少なからず動揺する事になります。

 何故ならエリイが待ち合わせ場所に指定したのは、よりにもよって新興都市に建てられた病院だったからです――




 つづく

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