十、夏のさなか


「先生、回向先生」

 私は先生へ手を伸ばしました。揺らいで、存在を保てなくなる世界の中でせめて先生だけでもと手を伸ばしました。

「なぜ夏が終わるのですか。夏はなぜ終わるのですか。先生、先生」

 回向先生は私の手を取りはしませんでした。

 ただゆっくりと立ち上がり、ひび割れる夜空を見上げました。

「本当の夏が来るからですよ」

 割れる。

 壊れる。

 ここが本当ではないと気づいてしまえば世界は存在を保てないと、私は知っている。

「回向先生は、気づいていたのですか」

「はい。先生はいつだって正解を知ってますから」

「先生、その正解とはなんなのですか。私は何を間違えているのですか」

「君は君を間違えています」

 先生の細長い指が私を指します。

 先生は笑っていません。

 世界が剥がれてゆきます。

 世界が終わってゆきます。

 夏が終わってゆきます。

「君はカシマくんではないのですから」

 私がほどけてゆきます。私は私の顔を思い出せないことを思い出しました。

 私はなぜ自分をカシマであると思っていたのか。私はなぜ夏は終わらないと思い込んでいたのか。

 私は、なぜ。

「回向先生」

 先生、先生。この夏にただ在るあなた。

「あなたは、誰ですか」

 先生は笑いました。

 顰め面の笑顔はぼやけていました。

「君が名付けたのです」

 私が。

 カシマではなく、私が。

「先生は何も考えません。ただ君を知っているだけです。だから君は名付けたのだ、反響エコーと」

 先生がほどけてゆきます。

 以前の夢の中、友人は私の手を取りました。しかし回向先生は私の手を取ってはくれません。だから景色とともにほどけてゆきます。

「先生はここでまた君を待ちます。現実でもどうか良き夏を、千年ちとせくん」

 夏が。

 私の夏が終わりました。

 先生さようなら。子供は帰る時間です。帰りの会すらしないまま、さようなら。


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