九、蠱毒


 こんな夢を見たのですと私は言いました。

「私の家の風呂場で、知らない男が壺を持ち込んでなにやらゴソゴソとしているのです」

 夢の中、時間は天気の良い昼間でした。私の家の風呂場には磨り硝子の嵌った大きな窓があり、そこから差し込む陽光は浴槽にこびり付いた赤黴までもを嫌味なく照らしていました。

 その浴槽の手前、見知らぬ恰幅の良い男がしゃがみ込んで、黒い壺を覗き込んでいるのでした。

「君は自宅の風呂場で壺を覗く知らない男へ、恐怖を感じましたか」

「はい。この人は誰で、私の家で何をしているのだろうと不安になりましたので、誰だ、何をしている、と強い口調で訊ねました」

 蚊が。

 先生の頬へ止まりました。

 しかし特に何をするでもなく蚊はすぐにまた飛び立ち、なぜかふらりと死にました。

「虫が湧いてきましたね」

 回向先生はそう言って、手近にあった蚊取り線香に燐寸を擦りました。

 私はその香りを感じながら言葉を続けます。

「オオイと男は名乗りました。続けて、蠱毒をしているから邪魔をしないでくれと言われました」

「壺の中で虫を共食いさせる、あれですか」

「はい。それをオオイという男が私の家で勝手にやっているのです」

「困りますね」

「はい、たいへんに困ります」

 夏の夜。

 頼りない裸電球がパチパチとまたたいて、とまっていた蛾がどこかへ飛んでいきました。

 しばらくすると、また別の個体かもしれない蛾が電球に吸い寄せられて、気が狂ったようにその頭や翅を電球にぶつけるのです。

「やめてくれと私は言いました」

「やめてくれましたか」

「いいえ。この蠱毒が遂げられたならノーチラスが復活するのだとよく分からないことを口にして、オオイは後生大事に壺を抱え覗き込むのです」

「なるほど」

 なので私は風呂場へ立ち入り、オオイという男を追い出そうとしました。

「すると男は笑うのです」

「蠱毒を邪魔されているのにですか」

「はい」

 嫌な、とても嫌な笑い方でした。

 オオイはニタニタと笑って、私に言うのです。

 俺の望みは叶わくなっても次があるが。

 祟られるのはお前だぞ。

「私は、恐ろしくて」

「祟られるのがですか」

「はい。でも、気にしなくて良いですよね。私の風呂場にオオイは居ないのですから」

「ええ。そのとおりです」

 電球に群がる蛾は気づけば大群になっていました。羽音が、ばさばさと。

 ばさばさばさばさと。

「ところで、気づいていますか」

 先生は笑いました。

 眉間に皺を寄せ、口角を吊り上げ、笑いました。


「夏が終わりますよ」


 あ。

 景色が割れる。



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