貧乏令嬢シャーロットの幸せな復讐
水都 蓮(みなとれん)
第1話 最低な「父」
「サラ、この稼ぎの少なさは一体どういうことだい?」
壁が剥がれ、穴だらけのボロ小屋の一室で、私は「父」に責められていた。
穏やかなようでいて、とても冷たい声だ。
「君だけだ。君だけがノルマを果たせず、私に迷惑をかけている。そのことの自覚はあるのかな?」
耳をかすめるように酒瓶が振り下ろされ、壁に叩きつけられた。
「ひっ……」
顔の真横の壁にお酒のシミが出来上がり、足元にはガラスが散らばった。
直撃したらただじゃ済まなかった。私は「父」の行動に怯え、肩をすくめてしまう。
顔に掛かったお酒を拭うことすらできない。
目の前に居る存在が恐ろしくて、体が動かないのだ。
次の瞬間、「父」が私の髪を掴んだ。そして、苛立った様子で、畳み掛けるように説教を始めた。
「私はねえ、サラ!! 君たちを食べさせるために必死に働いてるんだよ? 親を亡くし、天涯孤独の身になった君たちを拾い、生きる術を教えてやった。なのにサラ……君は、そんな私に報いようともしない。なんて酷い子なんだ」
掴んだ髪を前後に激しく揺さぶりながら、私の頬を何度も何度もビンタする。
なるべく痛くならないように、とにかく体の力を抜いて抵抗しないようにする。
今はただ彼の気が収まるのを待つしかなかった。
私の名前はサラ。
「父」に拾われてから毎日のように街を徘徊し、スリをして日銭を稼ぐ生活をずっと繰り返してきた。
そんな薄汚い日々に嫌気が差した。誰かから奪うことでしか生きられない自分が惨めだった。
そのせいで私は、「父」の課すノルマが果たせなくなった。稼ぎが少ないと知られれれば、こんな風に暴力を受ける。
そんなことはわかってたのに……
「何とか言ったらどうなんだい、このグズが!!」
「父」の声が頭の中でぐわんぐわんと反響する。頭がおかしくなりそうだ。
私は人生に疲れ果てていた。
生まれた頃には両親は死んでいて、帝都の薄汚れた裏路地にうずくまっていた。
やがて人攫いに捕まると、二束三文で「父」に買われ、スリの技術を叩き込まれた。
それ以来、私は誰かの物を奪うだけの、寄生虫のような暮らしを送ってきたんだ。
時折、街で獲物を物色していると、ひどく惨めな気分になる。
ふと視線を表通りに向ければ、同年代の子ども達が幸せそうに笑い、通りを走っている。
あの子達と私、何が違うのか。彼らは親の愛情を受け、気の合う仲間が居る。だけど、私は親の顔すら知らない。
「父」は私を金づるとしか思っていないし、反抗すれば怒鳴られ、失敗すれば殴られ、気晴らしに唾を吐きかけられたりもする。
こんな暮らしから逃げ出したかった。
「なあ、どうして無視するんだい? それとも、あのかわいいかわいい妹が、売り飛ばされても良いのかい? 君は酷い姉だなあっ!!」
その言葉でハッとする。
「ま、待って!! ごめんなさい!! 私が悪かったです!! お父様の愛情に応えられないグズでのろまな私の責任です」
「父」の言葉は、私には選択の自由などないことを自覚させた。
跪いて忠誠を誓う。この男に服従しなければ、私の大切な存在が奪われる。
だから、どんなに辛くても、私はそうしなければいけない。
「どんな罰も受けます……もっと稼ぎます……だから、あの子だけは……!!」
必死に懇願する。
私と一緒に捨てられていた小さなあの子。本当の姉妹かはわからないけど、私にとっては誰よりも長く人生を過ごしたかけがえのない存在だ。
体の弱いあの子を、私が守らないといけない……
「よしよし、いい子だ。なら、やることはわかっているだろうな?」
「は……い……」
「次はないよ? もし、今度も駄目なら」
「父」の視線が、隣の部屋を指した。
そこでは、体の弱い妹が眠り込んでいた。
*
「父」による教育が終わった次の日のことだ。
私は昼下がりのパン屋を眺めていた。それなりの人気店であるその店の前には、長い行列ができている。
その行列の中で、おっとりとした雰囲気のシスターを見つけた。
十八歳ぐらいで、私より三つぐらい年上の人だ。
「あのシスターなら良さそう……かも。隙だらけだし、それに教会の人間なんて……」
結局、こんな生き方しか私には残っていなかった。
だけど、今度こそ失敗するわけにはいかない。あの子を守らないと……
それに、私は教会の人間が嫌いだ。
愛だの平和だの言っても、私達のことは救ってくれない。
哀れみはしても施しはしてくれない。「父親」の暴力だって見過ごしてきた。
だから罪悪感はない。そのはずだ。
どこかで、気が重くなるのを感じながら、私はチャンスを窺う。
正直、簡単な仕事だ。さっきの見立て通り、カバンの中から財布が顔をのぞかせていて不用心だ。
私は心を殺して、仕事に取り掛かる。
彼女が店に入ってしばらくして、買い物を終えたところを、身体がふらついた風を装ってぶつかる。
そして、その隙に財布を抜き取って懐にしまう。
それで全ては終わり……のはずだった。
ちょっとよろめかせるだけで良かった。
だけど、あの人は近付いていくる私に気付くと、笑顔で手を振った。
その、誰も警戒してない、誰も疑ってなどいないとても言いたげな、無防備で憎たらしい笑顔に心をかき乱されて、思い切り彼女を突き飛ばしてしまった。
そして、バッグに詰まっていたパンや財布やらが盛大にばら撒かれてしまった。
もちろん、そこからでも人目を盗んで財布だけ拾い上げるなんて簡単だ。
だけど、手が動かなかった。いや、動かせなかった。
「大丈夫? 怪我はない?」
その人は私を抱き留めていた。
まるで何かから、かばうように私の腕を掴むものだから、財布を盗むなんて出来なかった。
「っ……よ、余計なお世話……!!」
なんとか彼女を振り払う。
今、私はわざとこの人を突き飛ばした。
どんなに
それなのに、この人は私のことを責めようともせずに、ただ私の怪我だけを気にしていた
私を心配そうに見るその目が直視できなかった。
自分がいかに惨めでどうしようもない存在か、わからされているような気分だったからだ。
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