第12話(終) もらったもの
執務室を後にして、私は王都の片隅にある廃墟を訪れていた。
「うっ……あぁ、おぉっ……」
喉が締め付けられるような感覚に襲われる。
そして、うめき声をあげながら、私は近くの水溜りに駆け寄った。
動悸とともに息が荒くなる。そして、ついに堪え切れずに嘔吐してしまう。
胃の中から押し出される苦い胆汁が水溜りに混ざり合う。
思い出されるのは、私を下卑た視線で見つめるあのデュモンの表情だ。
「何も感じないなんて嘘ですよ……」
私はまだ八つの頃だったけど、それでもよく覚えている。
父の裁判の日、抗弁はすべて却下された。必死に無実を訴えても根拠がない、証拠がないと、デュモンが拒否したのだ。
判事も、検事も、弁護士ですら父を信じていなかった。
凄惨な事件の被害者たちは父を首謀者と決めつけ、一斉に死を願った。
そこで検事の言い分に従って、ろくな審理も行わずに死刑を言い渡したのがデュモンだ。
今日、あの男と対峙した時、心の底から憎悪が湧き上がった。
そして、あの男の好奇の視線に晒され、体を触られた瞬間、おぞましさで気が狂いそうになった。
だが、何よりも恐ろしかったのが、一歩間違えればあの男に買われ、その慰みものにされていたということだ。
あの男を捕らえ、サラちゃんの大切な妹を助けるために出来ることはすべて行った。
だけど、どんなに手を尽くしても、全てがうまくいくわけじゃない。
不幸な偶然から、目論見通りいかないことだってある。
私は誰にも見られないようにカードをすり替えたけど、ばれるリスクだってゼロじゃない。
何とか、デュモンが透視を行うために、あの招待状を身に着けていることを見抜き、私のそれとすり替えたけど、うまくいく保証だってなかった。
リリアちゃんが競売に出されたのは私にとっても突然の出来事で、当初の計画を変更しなければ、どうにもできなかった。
「次はもっとうまくやらないと、シャーロット」
自分を鼓舞する。
ベストじゃなかったけど、結果的に二人を助けられた。
だから、その幸運に感謝し、もっと気を引き締めないと。
ここに来ると、気が引き締まる。
私達、家族の家。暴徒によって火を放たれ、父も巻き込まれて死んでしまったけど、ここには家族の思い出が残っている。
その幸せな記憶に浸ると、もっと頑張ろうという気になる。
父を死に追いやった元凶たちへの怒りを再確認できる。
「でも……」
だけど、今回の一件で本当に良かったこともある。
「二人を助けられてよかった……」
私は八年前のことを思い返す。
あれは父が火事で死んだ直後の、酷い雨が降り続いた日のことだ。
*
「ぅ……ぁ……」
苦しい……もう一週間は何も口にしていない。
そのせいで、体が動かない。
あの忌まわしい火によって両親は居なくなった。
なんとか逃げ出したけど、今も背教者の親族を皆殺しにしようと、暴徒たちが街を駆け回っている。
だから私は、スラム街を訪れてやり過ごそうとしていた。
だけど、ここ一週間で口にできたのは雨のしずくだけだ。
そして、激しい雨で寝床が水浸しになり、私の体力は急激に失われていった。
両親が居なくなった今、この世界には誰一人として私の味方は居ない。
これまでの幸福が崩れ去ってしまったその事実に、私は酷い恐怖を覚える。
「ど……して、こ…な目に……」
理解ができなかった。
私の父は罪を犯すような人じゃない。
とびきり私に優しくて、母さんを心の底から愛していて、それなのに……
「いき……だおれ?」
その時、人の気配を感じた。
逃げないと……私はその場から立ち去ろうとする。見つかればただじゃ済まない。
だけど、足が動かなかった。極度の空腹と、体温の低下で、私の身体は死を迎える寸前であった。
このまま、死ぬのかな……
死ねば両親に会える。だけど、同時に恐ろしくもあった。本当に、死んだ先に二人がいるのか、わからなかった。
「リリア、良い?」
「大丈夫、サラお姉ちゃん」
ふと、ぬくもりを感じた。
私よりもずっと小さな身体の二人が、ぴたっと私に寄り添ってくれた。
「食べて……」
口の前にパンがやってくる。
一週間ぶりの食事だ。
「い……の?」
まともに言葉も紡げない状態で尋ねると、二人が静かにうなずいた。
見たところ、私と同じ浮浪者に見える。彼女たちにとっても、そのパンは大切な栄養源のはずだ。
それなのに、二人はそれを分けてくれ、こうして体温が下がらないように寄り添ってくれた。
「ぅ……ぁ……」
涙が溢れてきた。
もう味方なんて誰も居ないと思っていたのに、この二人は私に優しくしてくれた。
「あり……がと……私の、名前……は」
そこで私の意識は途絶えてしまった。
そして、次に意識を取り戻した時、二人は居なくなっていた。
残っていたのは、意識を失う前に口にした食べかけのパンと、気を失う前に聞いた二人の名前だけであった。
*
あの一晩のパンと二人のぬくもりが、私を生かしてくれた。
八年が経ち、私はおじさまと出会い、こうして異端審問官となることができた。
全てはサラちゃんとリリアちゃんのおかげなのだ。
だから、二人を助けられて良かった。そうでなければ今日まで生き延びた意味がなかった。
二人の恩人を救えない私に幸せになる権利なんて無かったからだ。
「よし、明日からまた頑張ろっと」
反省点はたくさんあったけど、まずは結果オーライだ。
これから、二人の大きな妹たちを世話しなければいけないし、世話になってる教会のためにも表の仕事も頑張らなきゃいけない、もちろん父を死に追いやった者たちも探す必要がある。
先は長いけど、それでも今は全力でやれることをやるだけだ。
私は決意を新たに、我が家を後にするのであった。
終
貧乏令嬢シャーロットの幸せな復讐 水都 蓮(みなとれん) @suito_ren
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