第3話 ただで食べるご飯はおいしい

 それから私は強引にシャーロットに連れられた。


「ど、どこに連れて行くの」

「今の私達に一番必要なところです」


 そうして、訳も分からぬまま連れて来られたのは、この地区に置かれた教会であった。


「一体、どうしてこんなところに!!」


 教会は苦手だ。

 「父」はよく言っていた。


 ーー連中は愛だの平和だのほざきながら、スラムに住む人間のことなど見向きもしないクズどもです。あなた達も、そんな人間など信用せず、自分の力で生き抜くのですよ


 ずっとそう言い聞かされてきたから、私も今までずっと避けてきた。


「サラちゃん、この世で最も幸せな瞬間が何か分かりますか?」

「え……急に言われても」

「ではよく意識を集中させてください。なにか感じませんか?」

「何かって……」


 そういえば、なんだかとてもいい匂いがする。

 庭の方からだ。薪の上に大きな鍋が吊るされ、色とりどりの野菜と肉がぐつぐつと煮込まれている。


 そして、大勢の人たちが列を作って、シスターからスープを受け取っている。

 なにかのイベントだろうか?


「一体、ここで何をしてるの?」

「炊き出しですよ。こうして定期的にお腹の空いた人たちのために料理を振る舞ってるんですよ」

「炊き……出し」


 知らなかった。教会がこんなことをしてるなんて。


 「父」は彼らを口だけの偽善者だとよく言っていた。

 私もそうだと思ってたし、炊き出しをやってるなんて知っている人は、私の周りには一人も居なかった。


「そう、この世で一番幸せな瞬間は、ただでおいしいご飯にありついた時なのです!!」


 ビシッと指を立てて高らかに言う。

 何というか、俗っぽい人だ。


「とにかく、お昼はここで決まりです。量はたくさん用意してありますからね。私もいい加減、腹の虫が限界です」


 確かに今は少し、いやかなりお腹が空いている。

 教会の人達はまだ信用できないけど、ここはシャーロットの提案に乗ろう……かな。


「あら、シャーロットではないですか。今日は休暇だというのに、教会に顔を出すなんて珍しいですね」


 ひときわ老齢のシスターがシャーロットに話しかけた。

 どうやら知り合いのようだ。


「マギーさん、そのぉ……財布を無くしてしまったので、できればご飯を分けていただければな〜と」

「ああ、なるほど。そういうことですか」


 マギーと呼ばれたシスターはてきぱきとした動きでスープを一杯よそうと、私に差し出してきた。

 おいしそうな野菜がたっぷり。肉厚のお肉も入ってる。私が今まで食べてきたスープとは比べ物にならないほどにおいしそうだ。


「我が教会はいかなる者でも拒みはしません。お腹を空かせたときはいつでも来なさい、お嬢さん」


 少し厳しそうな人だけど、目の前のスープの魅力には抗えない。私はそれを受け取る。


「あ、あの……私なんかに、こんなに素晴らしい食事を恵んでいただいてありがとうございます……」


 いつも食事の時に口にする口上を述べる。

 すると、シャーロットが笑いながら口を開いた。


「サラちゃん。そんな堅苦しい挨拶いらないですよ。いただきますと、ありがとう。それでで十分です」

「いただきます?」

「命をいただくことへの感謝の言葉です。それに、こうして調理してくださったマギーさんへの感謝の言葉を添えれば、それでオッケーです」


 いただきます……命への感謝の言葉。そんなもの、今まで教えてもらったことなんてない。


 我が家では、前の日の稼ぎで食べられる量と質が決まる。

 あまり稼ぎが多くない私は、いつも「父」に怯えながら、感謝の言葉を口にしていた。

 それを言わなければ、罵倒され気が済むまで殴られる。

 だから、その言葉を口にするときは、いつもお腹が痛くなる。


「い、いただきます。それと、あ、ありがとう、ございます、マギーさん」


 しかし、今はいつものような重苦しさがあまり感じられなかった。

 むしろ、照れくさいようなくすぐったいような、不思議な気分だった。


「どういたしまして。また、お腹が空いたらここに来てください。我々はいつでもあなたを歓迎しております」

「ど、どうも……」


 こんなことなら、もっと早くここに来ればよかった。

 スリを行っていることの罪悪感と、あの「父親」の教えのせいで、近寄りづらかったけど、それは間違いだった。


「うんうん。ところでマギーさん、私の分は?」

「はい?」


 シャーロットの質問に、マギーさんが不思議そうな表情を浮かべた。


「ですから、私の分のスープはないのかなぁ〜と」


 マギーさんがため息を吐く。


「ある訳ないでしょう? あなたはこの大聖堂の修道女であって、施される側ではないでしょう」

「え、でも、今は財布が……」

「この帝都には、助けを求める人々は山ほどいます。今ここに集まっている人たちも、そのほんの一部でしかありません。それにも拘わらず、シスターが彼らを差し置いて炊き出しをもらうわけにはいかないでしょう」

「そ、それは……理屈としてはそうですけど」


 シャーロットがしゅんとしている。

 意気揚々とここを紹介したのに、自分はごちそうになれないなんて、少し気の毒かもしれない。


「はぁ……仕方ありませんね。わたくしの弁当を分けて差し上げましょう。私はあなたよりはずっと少食ですからね」

「わーい、マギーさん大好き!!」


 感極まってシャーロットが抱きつき、マギーさんの体がよろめいた。

 無邪気にはしゃぐその姿を見て、マギーさんがため息を吐いている姿を見ていると、普段の二人の関係がよく現れてるなと思う。


「よしよし、これでお昼は確保できました。お腹が空いてどうしようもなくなったら教会を頼る。これが生活の知恵ってやつですよ」

「でも、シャーロットはもらえないんでしょう?」

「うぐぅ……私だってお腹すいてるのに……」


 はしゃいだり、落ち込んだり、忙しい人。


「まあいい。色々と世話になった。その……ありがとう。私、もう行くから」


 スリをするつもりが、妙なことになってしまった。

 だけど、私は妹のためにノルマをどうにかしないと……これ以上、ゆっくりしているわけにはいかない。


「え、そ、そんな……もう行っちゃうんですか?」

「私にはやらなきゃいけないことがあるから」

「スリ……ですか?」


 その一言でハッとする。

 まさか、気づかれていた!?


「な、なんのこと!? わ、私は……」


 まずい。さっきの騎士にでも通報されたら、ノルマなんて無理だ。


「だめですよ」


 シャーロットに腕を掴まれる。もう終わりだ。

 このまま騎士団に連れて行かれて、もうノルマもあの子も……

 胸が苦しくなって、頬を涙が伝った。


「稼ぐならもっとここを使わないと」


 しかし、シャーロットの口から飛び出したのは予想外の言葉だった。


「……へ?」


 自分のこめかみあたりを指さしながら、シャーロットが口を開く。


「何かただならぬ事情があるみたいですね。でも、任せてください。たった一日で、あなたを大金持ちにしてあげますよ!!」

「な、何を……」

「ということで、付いてきてください」


 シャーロットが私の腕を引っ張って、突然どこかへと歩いていく。


「ど、どこに行くの?」

「まあまあ、任せなさい任せなさい。今晩はごちそうですよ」


 面倒なことになった。

 騎士団へ連行される展開にはならなかったけど、だからってこうして連れ回されたら、ノルマどころじゃない。


「ヘイ!! そこの二人組!! お姉さんと楽しく話さないかい」


 そんな私の悩みも知らずに、シャーロットが二人組の男の人たちに声をかけた。

 小粋なポーズで指差したのは、くたびれたジャケットを羽織った紳士と、猫背の背の低い男性だ。


「おや、シャーロットさん? 今日もパート探しですかな?」

「え、どうして!? わかったんですか」

「いえ、シャーロットさん、いつも金欠だと泣きついてきますから」


 どうやら知り合いみたい?

 教会のシスターが金欠……意外と儲からないのかな?


「今日は仕方ないんです!! 財布を失くしちゃって……」

「もしかして、スられたんっすか姉貴? そしたら、とっくに質入れされてますね」


 猫背の男性が大笑いする。


「そうなんです!! なのでドバッと稼げそうなパートの情報が欲しいんです?」

「そんなのあったら、俺らが知りたいっすよ。アハハハハ」


 その通りだ。そんな簡単に稼げるなら、私だってこんな目に遭っていない。

 教会のシスター様は、きっと世間知らずなんだ。


「まあ……心当たりが無い訳じゃないですけどね」


 紳士が帽子のつばを掴みながら口にする。


「え、え? なんすかそれ、初耳っすよ!! 教えて下さいよ〜」


 猫背の男性は軽く責めるように紳士の肩に手をかけて尋ねる。

 それを払いながら、紳士はゆっくりと話し出す。


「賭場ですよ」

「公営賭博っすか? あそこはレートがなあ……」

「いえ、公営ではない方です。この帝都のどこかで、密かに非合法な賭場が催されているとか、いわゆる闇賭博ですね」

「ほう……それは詳しく聞いても良いですかな?」


 シャーロットが前のめりになる。

 この人、仮にもシスターなのに良いのかな?


「シスターがそんな情報を聞き出して良いのですか?」

「いいんですいいんです。実は、私もその噂を聞いて気になってたんですよ!! 大金持ちになれば、こんな教会で毎朝早起きしなくても、遊んで暮らせるじゃないですか〜」


 欲望がだだ漏れだ……

 間違いない。この人はシスターの皮を被ったダメ人間だ。


「残念ながら私も詳しくは知りません。詳細な開催場所も分かりませんし、入るには招待状が必要なので」

「招待状?」

「厚手のカードに金の薔薇の刺繍が施されたものです。運営が特別に見込んだ相手にしか贈られないとか」

「特別に見込んだ……ですか?」


 シャーロットは顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。


「どういう基準かは分かりません。少なくとも我々、普通の市民が参加できるようなものではないようです。それこそ、一部の上流階級の人間ぐらいしか関われないのでは?」

「なるほど、色々聞かせてくれてありがとうございます」


 挨拶を終えるとシャーロットが、私を連れて教会を後にする。


「ね、ねえ、まさか本気で探すつもりなの? その闇賭博?」

「もちろん。一攫千金の機会を逃す訳にはいきません!!」


 大はしゃぎしながら、シャーロットは街を走る。

 本当にどうしよう……

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