第43話 ここでこの話は終わる……
徹矢はあの夜、レイヤーちゃんの家に泊ってから、なんとなく彼女とつき合っている。
十二歳年上の彼女。干支がおんなじと二人で笑い合った。
だが、つき合ってはいるが愛し合っているかというと、そこはちょっと違う気がする。
いわゆる典型的な吊り橋効果だ。それでも、たまに彼女の家で、二人は愛し合ってはいる。
しかし、お互いがお互いに、自分を違う世界につれていってくれると期待し合い、依存しているような関係だった。
いまよりさきの未来がまったく思い描けない恋愛だといえた。
後日談になるが、大藪は死ななかったらしい。小栗の人面瘡が消えて、いまはもとの生活にもどっていると風の噂で聞いた。
ただし、徹矢はあれ以来、大藪の家には行っていない。さすがに行く気になれなかった。
いっぽうで徹矢は、頻繁に『ダーク・イェーガー』でミコンとは会っていた。
あれ以来『マキタ・クエスト』は表示されなくなったし、『ダーク・イェーガー』はすでに廃れたゲームだから、毎回二人っきりのクエスト攻略である。
戦闘力の高い戦士のアローが前に立ち、回復役のミコンが後ろに立ってサポートをしてくれる。
アローが戦い続けるためには、ミコンのサポートが必要だし、ミコンにとってはアローなしではクエストの攻略は難しい。
ミコンがアローを回復するたびに、『あなたはあたしが守る』と言ってくれるのが、アローに変な妄想を与える。
ちょうど、授業中に何度も目が合う女の子が、自分のことを好きなんじゃないかと思えて仕方ない勘違いに似ていた。
最初は勘違いだと思っていても、それが続くとその妄想は自分にとっての現実にすり替わるのだ。
徹矢はときどき、ミコンの姿から目が離せなくなるようになった。
スカートのすそから太ももを閃かせて走るミコン。くるりと回って魔法杖を振るうミコン。両手を白鳥の翼のように広げてお辞儀するミコン。
だから、クエスト・クリア後に、ミコンから『ねえ、マキタくんのお墓参りに行かない?』と誘われたとき、徹矢の心臓はどきどきという鼓動を響かせたのだった。
ときは夏休みも終わろうという頃。
徹矢は一人、神奈川県の金沢区にある墓地へと、特急電車を乗り継いで赴いた。
到着駅で待ち合わせたミコンは、白いレースのミニワンピース姿。
夏らしいつば広の帽子をかぶり、まるで避暑地のお嬢様みたいな格好。
ノースリーブからむき出しの腕は真っ白で、肩に掛けたトートバックもお洒落だ。なんの大荷物だとちらりとのぞくと、替えのワンピースが入っている。旅行中か?と思ったが、深くは問い詰めなかった。
夏仕様のミコンは、いつもの黒魔導士とのギャップが凄くて、徹矢は彼女の眩しさに呆然としてしまった。
元気に躍動する細い脚。甘い汗の匂い。彼女の放つ特別な色っぽさに、徹矢の鼓動は不必要に早まった。
時刻は昼過ぎ。八月末でまだまだ暑い日。暑すぎて、人の姿がない。
ミコンに教えられた墓地は、小高い山の上。
うっそうとした樹々がしげる森の中。蝉がこの世の終わりみたいにうるさく鳴きわめき、樹木の間からは真っ青な相模湾が見下ろせる静かな一角。
長い石段をのぼりきって、はあはあ言いながら汗を拭う。そこに牧田家の墓はあった。
すぐそこまで崖がせまった最南端。遠くに海が見える。
マキタのやつ、ずいぶん眺めのいい場所に眠ってやがる。
見下ろすと崖のすぐ下はいちめんの蔦で覆われ、緑の海である。
ここから落ちて死んだら、たぶん冬まで死体は発見されないだろう。そんな場所だ。
まずはミコンが線香を供える。
墓前にしゃがみこみ、手を合わせる彼女の細く小さい背中を徹矢は不思議な気持ちで見つめる。
白いワンピースの背中に透ける黒い下着が異様に色っぽかった。
つぎに、徹矢が線香をあげる。
手を合わせ、心の中で「楽しかったな」と伝え、ついでに「二度と化けて出るなよ」と釘を刺しておく。
古い墓石を見つめ、そこに書いてある○○○家之墓というかすれた文字を見つめる。古くてすでに墓石の文字は読めないのだが、徹矢はあれ?と思った。
ここが「牧田」家之墓なら、二文字なのではないだろうか? なぜに三文字?
そう思ったタイミングで、どすっという衝撃とともに突き刺すような痛みが背中を貫いた。
稲妻に撃たれたような衝撃は、すぐに引き抜かれ、それによって風呂の栓が抜かれたように徹矢の身体から、湯のように熱いなにかが流れ出した。
「あっ」
焼けるような痛みと、熱感に振り返ると、後ろに跳び退ったミコンが歓喜の笑みを浮かべて立っている。
その手には、長いナイフ。戦場で最強といわれるグルカ兵が使うククリ・ナイフが握られている。
立ち上がりかけた徹矢は、腰に走った痛みに転倒し、その勢いで頭を石段にぶつける。
激しい痛みと衝撃に
自分では悲鳴に近い声のつもりだったが、喉から迸ったのは呻きと嗚咽の中間のような声。
「ミコン、なにするんだ……」
それだけ言うのがやっとだった。
急に目の前が暗くなり始め、息が荒くなる。身体中の毛穴という毛穴から汗が吹き出す。
目を向けると、辺り一面、バケツをぶちまけたほどの血液で大きな血だまりができており、それが土に染み込んで泥となっている。
これ、全部自分の血なのか? 頭がパニックを起こして思考が停止してしまう。
ミコンがさっと動いて、まるで襲い掛かる蜂のように、徹矢の右胸を刺した。
どすっという音と、衝撃。すでに痛みは感じない。そしてすぐに息ができなくなる、窒息するあの感覚。
「脾臓と肺を刺したから。もう動けないよ」
立ち上がろうと喘ぐ徹矢を見下ろすのは、興奮に目を輝かせ、頬を紅潮させているミコン。
彼女はハアハアと、はしたない呼吸音を響かせながら、左手で自分の胸をあらあらしく摑み、こねくり回す。
さらにナイフを放りだし、右手をスカートの裾から中に突っ込んで、股間をまさぐりだした。
白いワンピースには、赤い返り血が点々と彼岸花のように咲いている。
「あたしがマキタを殺したこと、知ってるのあんただけだから」
嬉しそうに笑う。興奮と満足に、嫣然と笑う。こんな楽しそうな顔を、人ってできるものなのか。
徹矢は自分が見上げているものが信じられなかった。
人を殺し、そこに最高の快楽を感じ、性的な興奮に身を震わせている。淫婦にして殺人狂。人を殺すことに最高の快感を感じる快楽殺人者。
彼女はぐちゃぐちゃと音を立てて股間を掻きまわしながら、徹矢の身体から熱と血液が失わてれ行く様を眺め、至上の興奮と快感を貪っている。
徹矢は激しい失血と呼吸困難から、自分の命が長くないことを悟った。
彼の生命がほぼ失われ、その身体が動きを止めようとする瀬戸際で、さらに興奮を高めたミコンは、やにわに来ているワンピースを脱ぎだし、黒い下着姿となった。
そして、エサを目の前にして唾液を垂らす大型犬のように、荒い呼吸で徹矢の下半身にふるいつく。
興奮にもつれる白い指で彼のベルトを外し、ジッパー下ろして、力任せに徹矢の下半身を露出させた。
なにをすると叫びたいところだが、息が吸えなくて窒息の苦しみに悶える徹矢に、抵抗する力はない。
彼の腰から衣服をはぎとったミコンは、けだもののような荒い息遣いで、自らの下着をずらすと、絶息により勃起した徹矢の下半身の上に身を沈めた。
どろどろと熱い秘唇で徹矢の身体を飲み込んだミコンは、激しく身体を上下させ、きんきんと響く高い嬌声をあげて徹矢の上で猛るように踊り狂った。
徹矢は恐ろしかった。このミコンという怪物が。
徹矢がここに来ることは、誰も知らない。彼女とは駅で待ち合わせた。一緒の電車には乗っていない。墓参りの約束も、すべて『ダーク・イェーガー』のチャットの中。ログはとうぜん残っていない。
彼女はありもしないマキタの墓へ徹矢を誘い込み、人目につかない場所で殺害するつもりだった。
彼の身体を弄び、その遺体は崖から落とすつもりだろう。そうすれば、冬までは見つからない。
そして自分は、返り血を浴びたワンピースを着がえて、何食わぬ顔で帰るつもりだ。
最高の狩りと、完璧な殺害計画を完了させて。
徹矢は、自分の上に乗った怪物が。あの怪異なマキタより何倍も恐ろしかった。
にもかかわらず、彼の身体は硬直し、ぬめる熱感ときつく締めつけられる快楽に悲鳴をあげる。
彼の粘膜をこする異様な感触に、腰が痺れる。喰い千切られるような締め付けと熱いぬめりに、徹矢はとうとう屈した。
目の前でばちりと火花が散り、激しく噴射する絶頂を味わう。と同時に屈辱と脱力感と、そして恐怖の嵐の中で、ゆっくりと眠りについていった。すべての命が、身体の外に流れ出してゆく。
その放出とカタルシスが、限界を超えた心地よさに徹矢の身体を満たす。
自分がいるのが果たして、地獄なのか極楽なのか分からない。
ただ、目からこぼれた涙がひとしずく、つつとこめかみを伝ったのが最後の感覚だった。
伊藤
「おう、ケーカク、久しぶり」
懐かしい声だった。だが、突然の電話である。計角は懐かしい気持ちよりも、驚きを強く感じた。
「そっちこそ、どうしたんだよ。突然じゃないか、ホースケ」
「うん、まあな。どうしてるかと思ってさ」
「いや、俺は相変わらずだけど」
「なあ、それよりケーカク。知ってるか? プレイすると死ぬゲームの話を」
「プレイすると死ぬゲーム? なんだ、そりゃ」
「うん、いまサンシャイン・タウンに新しいeスポーツカフェが出来たろう? あそこの対戦ゲーム筐体に、かつて池袋にあったゲームセンター・メガミで最強を誇った伝説の格闘ゲーマー、アローが出現するらしいんだ。そいつと対戦して負けると、三日以内に死ぬらしい。もう何人も命を落としてるって噂だぜ」
「はあ? なんだそりゃ?」
「興味ないか? あのアローだぞ。おまえ、格闘ゲーム、大好きだったろ?」
「おいおい、冗談はよしてくれよ。あのアローだろ? あいつなら、もう何年も前に死んだって噂だ」
「あ、そうか。そうだな。やっぱこんな話、信じられないよな」
「ああ。だが、もし本当にあのアローと対戦できるなら、是非お手合わせ願いたいね。まさに願ったり叶ったりだ。絶対に戦えないと諦めていた伝説のプレイヤーだからな」
「お、興味あるか」
「興味はあるが、信じられないなぁ。どうせ、ただの噂とかデマとかの類なんだろ」
「そうだよな、信じられないよな」
そんな会話をして、ホースケとの電話は終わった。
そのとき、たしかに計角は、その話を信じていなかった。
ここでこの話は終わる……はずだった。
『マキタ・クエスト GAMEOVER=死』 <完>
マキタ・クエスト GAME OVER=死 雲江斬太 @zannta
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