第9話:占い師として

「犯人は現場に戻るものですから」


 エレナがそう言って、急に辺りをキョロキョロし始める。


「ここで来れば……うーん、だめかな……」


 なんだろう、何かごにょごにょ言っている。

 僕は落ち着かなくて、そっと尋ねた。


「どうしたの?」

「うん……時間帯は限られるから、待っていればきっと――」


 その時、広場から伸びる路地の先に、人影が見えた。帽子を目深に被って、御者のような恰好をしている。

 けれどその人は僕らを認めるとぎょっと身を強ばらせ、踵を返した。


「ローランド、追って!」

「僕かよ!」


 昨日この広場には、犯人が来ていたらしい。

 あの怪しい動き。もしかしたら、今日もってことになる――。

 ピエールさんの言葉が後を追ってきた。


「待ってくれ、カイル!」


 それは、女子生徒の逃走を助けたもう一人の風紀委員の名前だろうか。

 逃げかけた少年は足を緩める。僕はその隙に速度を上げ、手を掴んだ。

 腕輪型の触媒スタッフで足に風の魔法をかけ、ほんの少し速度を上げたんだ。『操作』に属するけっこう高度な魔法で、学園でも数人と使えないと思う。


「くっ」


 男子生徒は暴れた拍子に、帽子を落とす。

 困ったように目尻を下げた顔が露になった。見慣れないし、年下に思える。多分、一年生だ。

 走り寄ってきたピエールさんが言う。


「やはり、カイルか」


 カイルさんが僕の手を払おうとする。


「放してくれないか。もう、逃げないよ」

「でも……」

「放して大丈夫、ローランド」


 小さな魔女が微笑んだ。


「この人の目的は、ピエールさんだから。おそらく委員長と直接、話をしたいから、何度も現場を訪れた」


 ピエールさんが驚いたように言う。


「私に……?」

「この事件で、共謀者は2人。片方は魔法で逃走を助けて、もう片方はマレット嬢を匿った。鏡合わせのように、片方が困っているなら、もう片方も困っているはず」


 エレナは、二人の風紀委員を見比べる。

 僕が手を放すと、カイルさんは小さく顎を引いた。


「……この人の言うとおりです」

「ピエールさんに会いたがっているなら、時間は限られる。休み時間か、放課後」


 エレナの言葉で、僕はようやく意図がわかった。

 今は休み時間だ。現れる可能性が高いと思って、この時間にピエールさんを広場に呼んだのか……。

 風紀委員長は、カイルさんに歩み寄る。


「カイル、どういうことだ? サシャは――マレットは、君が匿うと言っていたが、時間が経っても現れる様子がない」


 カイルさんはしばらく俯いていた。やがて意を決したように、顔を上げる。


「委員長、マレットと、昔、何かあったんですか?」


 彼らは、消えた令嬢であるマレット嬢と幼なじみであったという。

 ピエールさんの目が揺れた気がした。


「……それは」


 エレナが口を開く。


「ピエールさん、あなたは時折、髪留めに触れていましたね」

「……よく見ているな」


 金髪を後ろでまとめる髪留めは、あのお菓子の箱と同じひまわりの印が施されていた。

 少し、エレナとピエールさんの間で、視線のやりとりがあったように思う。

 根負けしたようにピエールさんは口を開いた。


「一つ、思い当たることがある」

「マレットは」


 カイルさんが言いさした。


「マレットは、委員長――ピエールさんの協力を得てしまったことが、怖い、と。それで、隠れた後、表に出てこられないようなんです。俺、だから委員長に事情を聞きたくて」

「なぜだ。変装などせずとも、お前なら風紀委員としていくらでも私を捕まえられたはずだ」

「今日ダメだったら、そうしようかとも思いました。手紙を出して、待ち合わせ場所を知らせたり――でも、それだとその……大勢に待ち伏せされて、マレットの居場所を白状させられるかもって思ったから」


 くしゃりと金髪を掴み、ピエールさんは嘆息した。


「マレットの不安が、お前も慎重にさせたか……もう少し私を信用してくれてもいいようなものだがな」


 苦笑した後、ピエールさんは話し始めた。


「私と、カイルと、マレット嬢――サシャは、幼なじみだった。だが、ある時から急に疎遠に、というかそうならざるをえなくなってな」


 なぜなら、とピエールさんは言う。


「学園への入学が近づき、お披露目デビュタントも近づく。すると、貴族なら意識するものがある。爵位だよ」


 ピエールさんは口を端を吊り上げた。


「私は侯爵の令息だ。貴族の世界もかつてほど身分にはうるさくはなくなったが、当家の母は、息子が男爵の娘と幼なじみであることにいい顔をしていなかった。そして、お披露目デビュタントの前に絶縁を命じたのだ」


 ピエールさんは肩をすくめてみせる。


「4年前、当家から男爵家へかなり厳しい言いつけが渡ったようでな。結果的に私を頼るようになった後、サシャはこのことを次に心配したのだろう。貴族の爵位にまつわることでトラブルを引き寄せた後だ、かつてよりなお、恐ろしかったかもしれない」


 カイルさんが呻いた。


「そういう、ことですか――なら」


 口ごもったのは、ピエールさんに言おうとした言葉ゆえだろう。

 カイルさんは、当時疎遠になった詳しい事情は知らなかったのかも。


「……今なら、私がサシャに味方をすると当家ではっきり告げれば、それで済むかもしれない。しかし……」


 ピエールさんは髪留めに触れる。

 もともと、決まり事を重んじる人だ。だからこそ、風紀委員という役割についている。

 今回は、無理矢理な結婚という幼なじみのピンチだったから立ち上がったけれど、貴族として、家が決めた判断に逆らうことには、不安があるのかもしれなかった。

 エレナが青い目を、ピエールさんの金髪へ向けた。


「……その髪留めは、マレット嬢にもらったものですか?」

「疎遠になる前にね。彼女の事件と聞いて、ゲン担ぎに着けてきた」


 驚いてしまった。


「それって……」


 身に着けるものを贈る時には、身に着けてほしい、つまり長く使ってほしいという意味がある。

 マレット嬢とピエールさんがどの程度の仲だったのかわからない。でも、そういうプレゼントをもらう程度には、仲がよかったのだろう。


「貴族の恋愛は複雑怪奇です」


 わかったようなことを言うエレナ。

 それならもう一度縁を結ぶことに抵抗が出てくるのも、わかる。それを実家に告げることも。当時の髪留めを今も持っているとしたら、まだ捨てきれない気持ちがあるのかもしれないから。

 爵位欲しさに無理な婚約を迫った男子生徒がいたように、爵位の問題は貴族には重い。

 呟きを落としてしまったのは、ピエールさんの握りしめた手が震えていたからだ。


「もう一度、サシャさんと向き合うのを、怖がってる……?」


 ピエールさんは顔をあげて、僕を見やる。ふっと自嘲的な笑い。


「もとはといえば、家に何かを言われないよう、成果を認めさせられるよう、風紀委員になった。だが結局、家が怖くて動けないとは、お笑いだな」


 エレナは懐からカードを取り出した。


「ここからは、わたしは占い師です」


 ピエールさんが眉を上げる。


「……なに?」

「あなたが最初に求めた、占い師としての役割を果たしましょう」


 それはピエールさんに最初に見せたカード――『死』だった。

 騎乗したガイコツが描かれているという、お世辞にもめでたいとはいえないカードである。


「……君が最初の占いで引いたカードか」

「はい。見た目は不気味ですけど、タロット・カードの『死』は、悪い意味ではないのですよ」


 小さな魔女は微笑んだ。その時だけ、むしろ年上に見えるくらい穏やかな微笑だ。


「何かを断ち切る、そんな意味のカードなのです。『死ぬ』のではなく、何かを終わらせる、そんな意味ですね」


 今日が終わって明日が来るように。

 そうエレナは言った。確かに『死』のカードには馬に乗った死神が描かれているけれど、カードに描かれた空は暗くない。地平線には朝日が見えて、これは夜明けのカードでもある。


「占いは、背中を押すことでもあります。もしすでに心が決まっているのなら――」


 エレナはにっこりした。


「一歩踏み出して、『お友達』として始めてみるのも、またいいでしょう」

「かつてのように、か?」

「貴族専門だった学校も、今では平民が学んでいます。かつてがどういう関係で、また、どういう関係になりかけていたかはわかりませんが、まずは『学友』として再会してみるのはいかがでしょう」


 ピエールさんは瞑目する。


「……そんなにうまくいくものかね」

「わたしも大事な友達と、同じことがありました」


 エレナは少し、言葉に間を置いた。そよぐ黒髪の隙間から、空色の目が僕に向いた気がした。


「意外と年月が経っていても、遊んだ時間は覚えているものですよ。読みさしの本を、また開くみたいに」

「優しい解釈だな」


 僕は何も言わなかったけど、心の中では唸っていた。

 ピエールさんは侯爵家だ。幼い子供の時期ならともなく、交遊には恋愛、結婚というのがついて回る。

 入学前というから、引き離されたのは4年ほど前のはずだ。

 再会したとして、当時のような関係に戻れるかはわからない。

 でも希望的に見れば、経験があるからこそ、4年前にはできなかった考え方ができるかもしれない。

 それが、恋愛になるか、友達を続けることになるかは、わからないけど。

 今は一歩を踏み出さなければ始まらない。

 ……貴族の人って、やっぱり大変だ。

 ピエールさんは腕を組んで黙っていた。広場に風が吹いて、金色の前髪を何度もなでていっても、ずっとずっと黙っていた。


「――わかった、ありがとう」


 ようやく顔を上げた時、頬には小さく、でも確かな笑みがあった。


「正式に、家にかけあってみる。お礼の古書は、追って持ってくるよ」


 ピエールさんは僕らに礼を言って、帰っていく。

 足取りは軽く思えた。



     ◆



「結局、ピエールさんが心を決めれば、事件はすぐに解決したってこと?」

「家の名前を背負う人は、特に迷うのだと思うわ」


 後日。

 僕は事件を思い出しながら、エレナにお茶を煎れてあげる。

 今回もお手柄の小さな魔女は、ご機嫌でお茶とクッキーを頬張っていた。


「そもそも、女子生徒を逃がした後、ピエールさん達は男子生徒の非道を大っぴらにしてもよかった。男爵に対する取引の妨害は、証明できれば、罰が下りそうだし。でもそうしなかったのは、大事にすれば、結局『侯爵家が男爵家を助けた』ということになるから」


 ピエールさんのお母さんのように、爵位の低い人との交流をよく思わない人もいるってことだ。


「大ごとにしたくないって、ピエールさんは言っていたけど――」

侯爵家実家に伏せておきたい、という思いもあったかもね。魔法で助けたことも、その方法も、だからこそ隠す意味が出た」


 でも、ピエールさんは最後は肚を決めた。

 貴族の子息が家の方針に逆らうのだから、覚悟もあっただろう。


「マレット嬢も、学校に戻ってこれたみたいでしゅし。風紀委員長が力になってくれたのが、安心になったみたいね」


 ちなみに彼女に婚姻を迫った男子生徒は、長い停学処分となった。話は貴族社会に伝わっただろうから、今後しばらくは、別の方法で爵位を買うようなこともできないだろう。

 男子生徒は、彼の父親が与り知らぬところでも、マレット男爵家の商売を妨害していたらしい。一部は正式な事件として、裁かれる予定のようだ。

 自滅、といえる。


「でも、エレナ」

「うん?」

「ピエールさんに言っていたのって――」


 大事な友達――エレナがそんな風に言ってくれたのが、僕には少し嬉しかった。


「あ、あれは……!」


 エレナは下を向いた。


「と、とにかく、もらった古書を読む!」


 肩をすくめて、僕は壁際の本棚から一冊の本を持ってきた。昨日、ピエールさんの使いだという人が、部室に持ってきてくれたものだ。

 辞書のように分厚く、革の装丁がものものしい。

 歴史好きにはこういう本こそたまらない。分厚い肉を前にしたように、好奇心が躍り出す。

 貰った時は夕方だったから、今日開こうと決めていたのだ。


「ああ! じゃあ、ページを開こうか」


 僕らは『占いの魔女』について、研究をしている。

 僕は歴史への興味として。エレナは、おばあさんの力を引き継ぐため。


 『占いの魔女』には謎がある。

 彼女は4年前に亡くなっているけれど、誰かに殺された、という噂があるんだ。

 けれども占いの魔女は、別名『未来の魔女』とも呼ばれている。予知能力といってもいいくらい、よく当たる占いだった。

 未来がわかる力を持っているのに、どうして他殺されえるのか? 

 未来がわかっているなら、それは――自殺とも言えるのではないか。

 僕らは同じ謎を追いかけて、歴史研究会で結ばれている。

 エレナと僕は、並んで同じ本を読んでいた。小さな魔女との細やかなこの時間が、僕はけっこう好きである。

 ……この後、どうなっていくのかは、僕自身でもわからない。

 エレナの占いでもきっと無理だろう。

 それでもだ。


「失礼する」


 歴史研究会の入り口がノックされた。

 ドアを開けたのは、ピエールさん。連れている赤毛の少女は――おそらくマレット嬢だ。艶めく赤毛は、確かに春の花を思わせる華やかさで、これは心乱される人がいたのもわかる。

 ピエールさんは優し気な眼差しを、マレット嬢に向けいていた。

 後にいる男子生徒は、幼なじみのもう一人、カイルさんだ。前と違って穏やかな顔をしているのが、少し嬉しい。

 ピエールさんが前に進み出て、頬を緩めた。


「お礼の挨拶と……別の依頼があるのだが」


 新しい占いと、新しい事件がまた始まる。

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占いの魔女、貴族の恋愛を解く mafork(真安 一) @mafork

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