2 サブリナ
背後から勢いよく飛びかかられ、クライドの腰がバキッと嫌な音を立てた。
前のめりに倒れ、木にぶつかる。
「あっ……ご、ごめんなさいっ」
突進してきたのは少女だった。
腰をさすりながら振り返ると、そこには
「サッ……!」
──サブリナ!
クライドは喉元まで出かかった言葉を飲み込んで彼女を凝視した。
「ダメです。あ、すみません、急に。でもダメなんです、それを食べたら死にますよ!」
急に怖いことを言い出すサブリナの顔つきは真に迫っている。
クライドは転んだ拍子に落としたウクジの実を見た。
「死ぬって、そんな大袈裟な……」
それよりも、宮廷魔術師の自分が、こんな小娘の気配を察せなかったことにショックを受けている。
そんな心情も露知らず、また、彼女はクライドの顔に覚えがない様子で他人事のように話をした。
「その実、変形してます。普通は綺麗な雫型で、底が丸く美しい。野生だともっとそうですが、これはゴツゴツとしています。この子たち、病気なんです」
「えっ?」
サブリナの言う「この子たち」というのは、この辺り一帯に生っているものすべてという意味だろう。
「一見、ちょっと形が悪い実に見えますが、中身はもっとひどいことになっています。繊細な植物ですので、外気の影響を受けやすいのです」
「確かに……ウクジは温室で育てられて市場に出回る果実だったな」
それゆえに野生は珍しい。そんな好奇心に危うく殺されるところだった。
「しかし、なぜ俺がこれを取った瞬間に気がついた? 君はその場にいなかっただろう。遠くから見てこの果実が変形しているとわかったのか?」
訊くと、サブリナは当然のごとく言い放った。
「だって全部調べましたから」
「全部、って、この辺りに生っている果実全部か?」
「はい、全部。このカゲバス村に生っているすべての果実です。おかげで一週間かかっちゃいましたけど」
えへへと照れ臭そうに笑い、頬を掻くサブリナ。
「まさか、歩いて一つずつ確かめたっていうのか……!?」
「はい」
クライドは驚愕のあまり言葉を失った。
──そんなの、魔力検知しろよ! 非効率すぎる!
サブリナの行動はクライドにとってあまりにも非常識に思えて仕方がない。
「そんなことより、この辺りは初めてですか? 行商人の方ですよね? 村は今、あまり元気じゃありませんから、私が寝泊まりしているところでよければ休んでいかれます?」
無言でいるからか、サブリナはテキパキと話を進めていく。
「あ、あぁ……そうさせてもらおうかな。でも、君はいいのかい?」
「もちろんです! 男手があると助かることもありますし、あなたさえ良ければ!」
満面の笑みで見上げられると、クライドはわずかに怯んだ。
うかうかしているとサブリナのペースに飲まれそうだ。
正体を偽ってはいるが、本来の自分はサブリナの上官。断じて主導権を握らせてはならない。
「あぁ、それなら構わないよ。よろしく……」
「よろしくお願いします! えーっと、お名前は?」
「お名前……」
さっそくつまずいた。実は、アドリブにとても弱い。
──どうしよう。偽名、考えてなかった!
「ギ、ギルバート……そう、ギルバートだ。よろしく」
「ギルさんですね! 私はサブリナ。気軽にサブリナとお呼びください!」
笑顔の圧がクライドに襲いかかる。ほんわかとした空気が流れ、クライドは一抹の不安を覚えた。
ある意味では恐るべき大罪魔術師の弟子。とはいえ、気配を消す能力にも長けているようで侮れない。
──アホに見えるだけで、実は魔術師としての才が秀でているのかもしれない……とにかく様子を見よう。
先を行くサブリナの後ろをついていきながら、もやもやとそう考えていた。
***
サブリナは今、村はずれの森にある狩猟小屋で寝泊まりしているらしい。
「屋根や壁に穴があるんです。夜中、魔獣の唸り声がしてうるさいので、修繕して欲しいのですが……」
薄い板を打ち付けただけの小屋は、確かにところどころ隙間風が入ってくる。
クライドは渋い顔つきで中の様子を窺った。
寝台とテーブル、椅子が不恰好にも手作りされている。
「サブリナは魔法を使わないのか? そのローブ、魔術師のものだろう?」
思わず訊いてみると、彼女は村人から借りたと思しき修繕道具を運びながら答えた。
「あー……魔法は苦手でして」
「へぇぇ? だから検知も修繕も魔法を使わないのか?」
「はい、不甲斐ないです」
──なんだか、めちゃくちゃ後ろめたそうな顔をするなぁ……。
クライドは困惑し、苦笑した。
──とはいえ、俺も魔法なしじゃ何もできん。どうしたものかな……。
「私はちょっと調査のお仕事がありますので、その間に塞いでもらえると助かります!」
サブリナはフードを深くかぶって顔を隠すと、がま口のショルダーバッグを手に小屋を出る。
「あ、どんなお仕事かは聞かないでください! では! 夕食前に戻ります!」
そう強く念押しし、サブリナはブーツを鳴らして村の中心部へ向かった。
それを見送ると、クライドはすかさず
「【
これくらいの修繕なら、
たちまち、すべての穴が塞がり、ネズミ一匹通しはしない。
「しかし、魔獣の唸り声がすると言っていたな……そんなのと隣り合わせで寝泊まりしているのは危険だろうに」
訝りながら、小屋を出て周辺を検知していく。
魔獣の気配は確かにあるが、今は昼中だ。夜行性の獣たちを今叩き起こすのは賢明ではない。
「それにしても、結界も張っていないじゃないか。こんなんでよく旅ができるな」
やれやれと呆れながら、
「待てよ……魔法の痕跡がバレてはまずい。俺がクライドだって知られるのはまずい。いや、俺は別にいいんだけどね。その方が楽だし、いいんだけども。でもなぁ……」
『いいか、絶対だぞ! できるだけ忍ぶのだ。私の援助だと思われたくない』
フレデリック国王の言葉を思い出し、冷や汗が浮かぶ。
「やっぱり、なるべく痕跡を残してはダメだな。結界もなし。俺の首が危ない」
──すまん、サブリナ。それもこれもすべて陛下が拗らせているせいだ……!
すでに小屋の修繕をしているので、その上からさらに強力な〝魔法消し〟を施した。これでサブリナに気づかれず、隠密行動ができるだろう。
「よし。それじゃ、様子でも見に行こうかな」
クライドは意気揚々と外に出て、サブリナが向かった村の中心部へ歩いた。
カゲバス村はノーブリッジング村と隣接しているが、田畑がない代わりに森や川、山が近い自然豊富な土地だ。
山のどこかに前国王が異国から取り寄せた凶暴な
ウクジをはじめとする野生の植物が多くあり、それを求める魔獣も生息するが、村には屈強な
村の中心部はサークル状の広場の周辺に、家々が不規則に建ち並ぶ。そのどれもが平家で、王都のように高さのある建物はない。店も屋内ではなく、露店がほとんどだが、今日はどうも閑散としている。
「……思ったより深刻そうだな」
人の影がなく、暗く寒々しい印象を感じた。
しばらく道なりに歩いていくと、共同墓地があった。そこに、サブリナと若い夫婦らしき人物が寄り添って立っている。
若い男に縋って泣く女。二人とも痩せ細り、具合が悪そうに見える。
サブリナが墓に花を供えた。
「魔術師の方にこのような施しをしていただき、本当に感謝しています」
夫の方が言う。
「息子もきっとあの世で穏やかに過ごせているでしょう」
「お力になれず、申し訳ありません……私がもう少し早く到着していれば、ご子息を救えたかもしれないのに」
サブリナは寂しそうに返した。
「何をおっしゃるんですか。サブリナ様がいらっしゃらなければ、私たちはとっくに死んでいました。この子に花を供えることもできなかった……本当に、ありがとうございます」
妻が泣き腫らした目を向けると、サブリナは痛みを堪えるように微笑む。
「大丈夫です。もうじき、この村に蔓延る病は消えます。それまでの辛抱です。だから、どうか……どうか、生きてください」
その言葉に、彼らは拝むように何度も何度も礼をする。
クライドも居た堪れず、クルリと踵を返した。森の方面へ向かう。
ここまで酷いとは、正直思っていなかった。
一体何が原因か──サブリナが一週間かけて調べたというウクジの森がその原因なのかもしれない。
一つ実をもぎり、半分に割ってみる。
「……これは!」
思わず顔をしかめて凝視した。
その実の種はひどく黒ずんでおり、通常ならばたっぷりの水分が溢れる果肉が枯れて萎びている。匂いも酸味が強く、明らかに腐っていた。
「まさか、こんなものを口にしたのか? それほどまでこの村は飢えていた?」
他の実もいくつか調べたが、まだ青い実でさえ種周辺が黒ずんでいる。
「……収穫し、形の悪いものは廃棄していたそうです」
背後から静かな声音がする。振り返ると、サブリナが眉をひそめて立っていた。
「しかし、それを野生の動物が食べてしまい、それを知らない
「なぜそんなことが……」
クライドは実を捨て、踏み潰した。それをサブリナは静かに見つめ、鋭く言う。
「
「瘴気?」
「えぇ。出どころはおそらく、あの山」
サブリナはおもむろに前方の山を指し示した。村の中心部よりも遠くにそびえる、まるで黒鉛のような色の山。
「あんなところから?」
「はい。それしか考えられません」
サブリナの冷静な声に、クライドは息を呑んだ。
「あの山って、まさか……」
「
前国王の
そんな状況を、たった一人で解決に導くことができるのか。
──のんきに隠密行動してる場合じゃない。一刻も早く国王に知らせないと……!
すると、サブリナは彼の腕をちょんと指でつついた。
「そろそろ日も落ちます。ギルさん、夕食にしましょうか」
彼女の表情はこちらの狼狽とは裏腹に、穏やかだった。
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