3 大罪魔術師の弟子

「どうぞ、召し上がって下さい」


 テーブルには赤いシチューとパンがそれぞれ置いてある。


「大丈夫ですよ。食べられるものは私がすべて調べて集めてきました」


 サブリナはパンをシチューに浸し、もぐもぐ食べる。ほっぺたが落ちそうなほど美味おいしそうな顔をするので、クライドは呆れつつ一口含む。


「あぁ、うまいな」

「えへへ。お口に合ってよかったです!」


 外はもう陽が山の向こうへ落ちようとしている。ランタンで仄暗い空間が、ほわほわと謎の柔らかさに包まれていく。


「なぁ、サブリナ」


 クライドはおずおずと話しかけた。


「この村の問題は深刻そうだが、宮廷は一体何をしているんだ?」

「ふぁい?」

「いや、だから……村中が病に倒れ、死者も出ている有様で、国はなんの解決策も出さないのか?」


 慎重に言葉を選びながら問う。


 思えば、彼女はノーブリッジング村の時もすべて解決したあとに報告を寄越す。

 それも一瞬で事が運ぶ伝達魔法ではなく、鳥と使う古風な手段で。鳥でもその距離に応じて時間がかかる。こんなことは一刻も早く助けを求めるべきだ。

 クライドはそう怒鳴りたい気持ちを抑えていた。

 一方、サブリナはキョトンとした目でクライドを見つめる。


「宮廷に、ですか……そうですね、この件は私がすべて解決しなければならないので、まだ報告はできません」

「なぜだ? 君が即時報告すれば済むことじゃないのか? 死人も出ているというのに、どうしてそんなに悠長なんだ?」

「私が来てからは死人は出ていませんよ」


 サブリナはムッとし、食事の手を止めて言った。


「瘴気に効く薬をすぐに調合し、皆さんに飲ませました。まだしばらく安静が必要です。だから、宮廷の使者が仰々しく来られては困ります。余計な気を使わせたくありませんから」


 それまで柔らかだった彼女の口調が急に冷えた。


「宮廷の方々は立派で、とても良い方たちだと思います。けれど、村の方々は宮廷からの使者というだけで萎縮してしまいます。この国の民は、三年経った今でも国王様が怖いのですよ」


 その言葉に、ドキリとする。


「しかも重病な上、子どもまで亡くして心が疲弊している皆さんに、これ以上の心労をかけることはできません。まったく賢明ではないと、そう判断しました」


 返す言葉がない。クライドは視線を落とした。


 混乱していた情勢が落ち着きを取り戻し、フレデリック国王も情緒不安定ではあるものの政に積極的で、民の安寧を願っている。だから、もう国民にも信頼されているのだと思っていた。

 甘かった。それほどまでに、前国王の悪虐な爪痕は根深い。


「ですが、そのアドバイスはいただきます。この件がひとまず片付きましたら、どのみち宮廷へ報告するつもりでしたので、その時にでも支援物資を頼んでみましょう。ありがとうございます」


 ぺこんと頭を下げるサブリナ。クライドは我にかえった。


「ほら、早く食べないと冷めちゃいますよ」

「あぁ……」


 ひとまず食事に集中する。


「それにしても、ギルさんのお名前って、上司の名にそっくりです」


 ふいにサブリナがのほほんと言うので、クライドはパンを喉に詰まらせた。それに気づかず、サブリナは続ける。


「私の上司、クライド・ギルバートっていうんです。横柄でヤな人なんですよねぇ。報告しても返事がないですし……ま、今をときめく宮廷魔術師ですからね。鳥の伝達など〝古臭くて不便〟だとか思ってるんでしょうねぇ」


 クライドはシチューをかきこんで、パンを喉の奥へ流し込んだ。


 ──こいつ、俺の正体をわかってて言ってんじゃないだろうな……!


「あら、ギルさん大丈夫ですか?」


 ようやくサブリナが気遣うもすでに遅い。

 クライドはどんよりとした目でサブリナを見つめ、小さく頷いた。笑顔を浮かべるも、顔全体が引きつった。


「じょ、上司の愚痴は……あんまり他所でしないほうがいいかもしれないぞ……」

「そうですか? うーん……わかりました。あまりしません」


 サブリナは唇を尖らせて不服そうに言う。まだ言い足りない様子である。


 ──俺、そんなに嫌なやつかな……ダメだ、まったく記憶にない。それに、報告の返事なら返してるはず……


「ん?」


 思わず声を上げる。


「どうかしました?」


 サブリナが訊く。


「……いや」


 口をつぐんでシチューを一口。


 ──返事がないだと? そんなはずない。伝達魔法で念を飛ばしているのに……それを感知しないということか?


 このすれ違いは一体なんなんだろう。謎が深まる。

 クライドは訝りながら、サブリナがのんびりと食事する様子を眺めた。



「ちなみに、瘴気の出どころである魔竜ドラゴンの巣とやらはどうするつもりだ?」


 食事の準備で有耶無耶になっていた問題を投げかける。

 彼女もようやく食事を終え、一息ついていたところだった。


「あぁ、そうですね。今夜中になんとか塞ぎます」

「今夜中?」

「はい。準備はできています。この日のために一週間、色々と調査し、準備してきたのですから」


 サブリナは自信たっぷりに言う。


「ほう……秘策とやらがあるのかい?」

「秘策とまでは言いませんよ。大きな岩で、巣穴を塞ぐだけです」


 サブリナは「ふふふ」と不気味に笑う。

 小屋の穴を塞ぐこともできない少女が大それたことを言うので、クライドは不審な目を向けた。


「穴を塞ぐだけで解決するなら、魔法でさっさと済ませば良かったんじゃないか?」


 意地悪に訊くと、サブリナの笑みが苦笑いに変わった。


「だから、私は魔法が苦手なんです……ていうか、んです」

「あぁ、なるほど。魔力を持ってないのか」


 腑に落ちた。そして、瞬時にテーブルを叩いた。


「はぁぁぁぁっ!? 魔力を持ってない!?」

「はい。持ってません。元は魔術師の弟子でしたが、破門されてしまい……私は見込みがなかったんでしょう」

「いや待て! じゃあなんでそのローブを着ているんだ!? それは魔術師の証だろう!? 魔術師と偽るのは重罪だぞ! わかってんのか!?」

「それでも私は魔術師の弟子です! ちゃんと修行もしましたし、その証としてローブを師匠から頂いています! 偽っているわけじゃありません!」


 サブリナも大きな声で言い返す。しかし、クライドはショックのあまり我を忘れて取り乱した。


「破門されてるのにか!? それに魔法も使えないんじゃ、こんな旅、どうやっても無謀だろ!?」

「無謀ですよ! でも、私はこの旅──任務を果たさなくちゃならないんです!」


 サブリナの強い視線がクライドを刺す。


「私は、国王様から任務を仰せつかりました。無能な私に与えてくださった大事なお役目です。これを放棄しては師匠せんせいの……罪を償うことができません」


 そうだ。彼女は、このサブリナは大魔術師にして大罪人、アニエスの元弟子だ。

 アニエスが行った数々の大罪──魔竜を呼び出し、このカゲバス村を恐怖に貶め、さらに今もなお村人を苦しめている。

 他にもアニエスが行った魔術でたくさんの死人が出、魔物や魔獣が蔓延る混沌とした国に成り果てた。最終的に、禁じられた冥府の魔法を放ったおかげで前国王を死の国へ葬ったが、それは結果論である。

 その贖罪として、元弟子のサブリナに師匠の尻拭いをさせている。

 彼女とて本意ではないはずだ。しかも、魔力も持たないのに尽力しようとしている。

 否、逆らうことなどできるはずもない。逆らえば極刑である。


「大声出してすまない……」

「いいえ、ギルさんは私を気遣ってくださってますから。大丈夫ですよ」


 ふわりと笑顔を見せるサブリナに、クライドは心臓が締め付けられた。


 ──ダメだ、罪悪感で死にそう……!


「ともかく、瘴気の穴は塞ぎます。もちろん魔法なしで、です!」


 サブリナはやはり自信たっぷりに言う。

 一体どんな策があるというのだろう。今夜中に片付けるとは言うが、そんなことが本当に可能なのだろうか。魔法も使えない少女がたった一人で何を成そうというのか。

 クライドの不安はさらに膨れ上がり、胃に穴が開きそうだった。


 ***


 その後、眠れと言われても、眠ることなどできるはずがない。

 しかし、床についてから狸寝入りをし、サブリナの動きを背中で感じていたのにも関わらず、彼女が出ていった瞬間を逃してしまった。


「クソッ……あの娘、気配が薄すぎる!」


 真っ暗な森の中、魔力を持たないサブリナを魔法で検知できるはずもなく、方々を探し回り、やむを得ず、魔竜の巣まで転移魔法を使った。


「サブリナー! 君には無茶だ! やっぱりやめておけ!」


 山の中に声が木霊こだます。しかし、彼女の姿は見えない。


「どうしよう……穴に落っこちて瘴気まみれになっていたら……」


 その場合、絶対に助かるはずがない。魔力を持たないなら尚のことだ。山の中でさえ、疾風に乗って漂う瘴気に当てられたら一溜まりもない。


「……っ!」


 黒い靄のようなものが上から流れ込んでくる気配がし、クライドはすぐさまロッドを出し、防護膜を張った。


「【防護プロテクト】!」


 クライドを弾き、瘴気が下へ流れていく。

 サブリナは防護もできていないのではないだろうか。身一つで立ち向かっているのではないか。


「サブリナ! 返事をするんだ! 君にはやっぱり荷が重い任務だったんだ!」


 ──頼むから無事でいてくれ……!


 続く疾風をロッドで薙ぎ払う。そんな中、大きな衝撃音が山頂から轟いた。続いて、ゴロゴロと無数の大小ある岩が坂を転がり落ちてくる。


「えっ」


 クライドは目を見張った。岩が向かってくる。


「うぉぉぉっ!?」


 防護しているにも関わらず、驚きのあまり脇へ転がる。


「あぁもう! そもそも歩き慣れてないんだよ!」


 魔法陣を出して飛び上がると、空中へ飛んだ。

 山の頂が見渡せるほど上昇し、サブリナを探す。

 しかし、黄昏色たそがれいろのローブは、暗い森に隠れて見当たらない。

 その代わり、彼の目に飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。


「どういうことだ……?」

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