10 ひとさじの嘘

「さぁ、ここを発つ前にもうひと仕事ですね!」


 翌朝、元気よく起きたサブリナは、夜ふかしが祟ってウトウトするクライドとリノに宣言した。


「もうひと仕事? 何するの?」

「決まってるじゃないですか。天罰を下しにいくんです!」


 リノの問いにサブリナが得意げにキメ顔をする。


「それ、本当にやるのか……もう忘れたもんだと思ったんだが」


 クライドが呆れて言うと、サブリナが笑顔で圧をかけてきた。


「何言ってるんですか。忘れるわけないでしょう? 私、まだ怒ってるんですけど?」

「お、おぉ……そうか、まだ怒ってるんだな。すまん」

「それに準備はしてあるのです。私を見くびらないでください!」


 ──誰も見くびってない……。


 情けなくも、口に出すことはできなかった。


 ──しかし、準備っていつの間に……?


「間違っても、みんなの尻にキノコを生やすなよ?」


 リノが不安そうに念を押す。しかし、サブリナは不敵に笑うだけ。

 本当にキノコを生やすことができるのだろうか。そんな馬鹿げたことを考えてしまうクライドは、サブリナの怒気に気圧されて何も言えなかった。

 宮廷魔術師としてなら即座にやめさせることが可能だが、フレデリック国王の拗らせが祟った命令のせいで下手に動けない。


 ──とにかく、何か問題を起こすようなら陰でフォローしよう。


 拳を握って決意した。



 しかし天罰を下すと言いつつ、彼女はリノと一緒にのんびりと朝食を食べ、軽く運動し、古着を繕い、昼食を食べ、薬草を摘みに行き──何事もなく笑顔で帰宅した。


「ただいまー」

「いや、待て。何してんの?」


 半日以上、彼女の近くで見張っていたが、何か特別なことをしていた素振りがなく、クライドはようやくツッコミを入れた。


「天罰下すとか言っといて、何もしてないじゃないか!?」

「わぁ、まるで私が大悪人のような言い方をしますね」


 サブリナは愉快そうにケラケラ笑った。そして、不敵な上目遣いをする。


「心配せずとも、じきにやってきますよ。路頭に迷った大人たちがね」

「は……?」


 クライドは眉をひそめ、リノをちらっと見た。だが、リノも要領を得ないのか、首をかしげている。

 その時、家の戸をノックする音がした。


「きました」


 サブリナがニヤリと笑い、戸を開けた。そこには俯き加減な夫婦と思しき男女が立っていた。


「おやまぁ、どうなさいました?」


 芝居がかった甲高い声でサブリナが訪問者に問う。


「薬をおくれよ。あんた、魔術師なんだろう? 薬にも詳しいって……き、傷に瘴気が入り込んだんだ……!」


 夫婦はなだれ込むようにしてすがってきた。


「いかにも私は魔術師にして薬草の専門家スペシャリストですが。その切り傷は洞窟での作業で負ったのです?」

「あぁそうだよ。いいから早く! でないと死んじまう……!」


 男女は腕や足に細かな切り傷を負っていた。しかし見たところ、とくに異常はなく、瘴気を感じることはない。

 クライドは立ち上がったが、サブリナがシャツを引っ張って外に放り出した。


「おやおや〜? ギルさん、他にも傷を負った方がいるみたいですねぇ。皆さんをここに呼んでもらえますか? 私の弟子が傷の手当をいたしますので」

「ちょ、サブリナ!?」

「リノさん、傷薬の調合を。できますよね?」


 サブリナはこちらには目もくれず、リノに向かって指示をする。

 リノは呆気にとられていたが、すぐに「わかった!」と言い、ミョイゴの軟膏を作り始めた。

 何がなんだかわからないクライドは途方に暮れるしかない。

 その時、背後から腕を引っ張られた。振り向く。

 そこには、アルドがいた。


「大丈夫。サブリナの言うとおりにして」


 その言葉に、クライドは困惑するも頷かざるを得なかった。

 土道の向こう、後から後から大人たちが長蛇の列を作り、リノの家を目指している。アルドは負傷した大人たちを誘導していた。

 クライドも大人たちの傷を見ながら誘導の手伝いをする。


 ──どの傷もただの擦り傷や切り傷……小さいものばかりで重篤の様子はないが……。


 中には腰を痛めた老人までおり、作業中の傷ではない者までいた。

 最後尾まで行くと、家々から不安そうに見つめる子どもたちの姿がある。しかし、彼らはアルドやクライドと目が合うと家の中に引っ込んでいった。


「一体、なんなんだ……?」

だよ」


 額に手を当てていると、すかさずアルドが静かに言った。


「これが? まさか、カゲバス村の瘴気がこっちに流れ込んできたとか? でも、瘴気の気配は……」

「カゲバス村の瘴気は知らないけど、大人たちにはこう言えと。『その傷を治すにはリノの家に行け』って」


 アルドが困惑気味に答える。クライドは唖然とした。


「まさか、ハッタリ? でもそんな……ここまでうまくいくものか?」

「魔術師の言葉だからね。みんな、信じるさ。リノのことをあれだけ蔑んでおきながら虫がいい……」


 そう言いかけて、アルドは気まずそうに目をそらした。


「……オレも同じだ。親父たちの言葉に従った。リノに近づくな、お前まで病が感染る、もう付き合うなって、毎日言われ続けたら、そうするしかなくて……怖くなって、あんなことを」


 アルドは拳をぎゅっと握りしめた。


「リノに謝りたいのに、うまくいかないんだ。どうしたら許されるんだろう……」


 ──そうか。


 ハッとした。ここ数日、薬草や豆が戸口に置いてあったのは、アルドが見舞いに来ていたのかもしれない。

 クライドはため息をついた。


「反省してるんだろう? だったら、これからリノを守ってやってくれればいい。薬草と豆を持ってな」


 すると、アルドは顔を上げた。潤んだ星空の瞳がクライドを見つめる。

 そんな少年の頭をわしゃわしゃ撫で回し、クライドは家の方角へ目を向けた。


 ──とんでもないホラ吹き魔術師だな。肝が座ってる。


 そういうことなら、横やりを入れるのは無粋だ。


「リノは凄腕の薬師になって、みんなの役に立つと思う。なんたって、魔術師の弟子だからな」


 集落に戻ってくる大人たちの顔は誰も彼も安堵と幸福に満ちており、涙ぐむ者までいた。

 その様子を見て、アルドはやっと笑顔を取り戻した。



 大人たちの行列が消えたのは、それから二時間後のこと。

 アルドと別れ、家に戻ると、リノがぐったりとテーブルに突っ伏していた。

 対し、サブリナは優雅にマグカップで湯を飲んでいる。


「おい、サブリナ」

「あ、お疲れさまですー。うまくいきましたね」


 あっけらかんと言うサブリナに、クライドはげんなりとした。


「大胆な天罰だよ、まったく……人を騙していいのか? それも師匠とやらの知恵か?」

「あら、これは師匠の知恵ではありませんよ。叔父がよくやる手段でした。集団心理を操る術とでも言うのでしょうか……人の弱いところをくすぐって操る。賢者らしからぬ手段ですね」


 そう言うと、サブリナは湯を飲み干す。


「それってさ、リズワンってやつ?」


 やつれたリノがゆっくり顔をもたげて訊く。すると、サブリナは目を丸くした。


「あら、よくご存知で」


 その衝撃的な言葉は、さらりと風のようにクライドの耳を通り抜けた。


「え、え? え? え、え、え、え?」

「ギルさん、語彙力が死んでますよ」

「や、え、だって、まっ……はぁ? そんな、そんなこと……」


 言葉にならない。


 ──じゃあなんだ? サブリナはアニエスの弟子で、大賢者リズワンの姪……!?


 だが、それも言葉にならない。

 クライドの驚愕に対し、リノは「やっぱそうか〜」となぜか納得している。


「昨日のギル兄ちゃんの話でわかった。サブリナが持ってた書物も、大混乱リズワンの望遠鏡? だっけ」


 それを言うなら、『大賢者リズワンの冒険譚』である。しかし、開いた口が塞がらないクライドは訂正する余裕すらなかった。

 サブリナは困ったように眉をひそめて苦笑いしている。

 リノは人差し指を突き上げて、言葉をまとめた。


「だから、あの匂いはリズワンの心得を持った匂いなんだよ!」

「はぁ……なんのことです?」


 サブリナが首をかしげる。クライドはリノの口を塞ぎ、笑って誤魔化した。


「まぁ、いいでしょう。私は聖職者でもなければ正式な魔術師でもありませんから、咎められることはないと思います。宮廷にも黙っていればバレません」


 ──いや、宮廷魔術師の前で堂々とそんなことやってるんだけどね!?


「それに、これは天罰です。リノさんが村の人達から受けた仕打ちはこの程度では釣り合いが取れない……ですが、比較的平和に、リノさんの居場所を守るにはこうするべきだったと、そう判断しました」


 サブリナは少し声音を落とした。疲れてボロボロになったリノの手を揉みながら、彼女は憂いげな瞳で続ける。


「人は正義という名のもとに、他人を傷つけていいと本気でそう思い込みます。そして、そんな大人の言葉に子どもは従います。子どもの振る舞いを見て、まずは大人の意識と認識を変えなくてはいけないと思ったんです」


 そう語る彼女の声にはやけに実感がこもっている。


「それは……君もそんな目に遭ってきたからか?」


 クライドはつい訊いた。昨夜からずっと考えていたことだ。


「ほかの弟子たちに言われてたんだろう? 無能と呼ばれて、平気でいられるはずがないんだ。それに、君の師匠はそれを知りながら君を……」


 サブリナの琥珀色の瞳がこちらをじっと見つめる。

 クライドは口を開けたまま言葉を呑んだ。


 ──そもそも、魔術師は魔力を持たない者を育成するほど暇じゃない。宮廷魔術師だったならなおさら……しかし、これを言えば正体を明かすようなものだ。


 沈黙が訪れる。

 やがて、リノの寝息が聞こえてきたころ、サブリナが言った。


「……そうですね。でも師匠せんせいは、見込みがないと分かっていながらも、根気よく私を育ててくださいました。叔父も私に世界を見ろと言います。世界は美しい、知らないことがたくさん溢れてる、と」


 クライドは顔を上げた。いつの間にか俯いていたらしい。

 サブリナはずっと真正面を見ていた。強い眼差しが心を揺さぶってくる。


「あぁ、でも確かに、師匠せんせいは嘘つきでした」


 サブリナが思い出したように言う。


「だから、今回の件は、師匠と叔父の知恵を調合したのかもしれません。そう、嘘つき、でしたね……どうして……」


 どうしてアニエス師匠せんせいは罪を犯したのか。音もなく、彼女の唇だけが動く。


「それって……」


 ──アニエスは、大罪を犯したわけではないんじゃないか。誰かの……前国王の罪をかぶったんじゃないか。サブリナを破門したのは、無能の君に危険が及ばないようにしたからじゃないのか。


 そう言いたいのに、言えない。


「いけませんね。明日はここを発つのに、こんなことではリノさんに示しがつきません。寝ましょうか」


 サブリナの声が元の調子を取り戻す。

 しかし、クライドの気持ちはそう簡単に割り切れるものではなかった。

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