11 黄昏にしばしの別れを

 夜が明け、タンバメス村を発つ日がやってきた。

 サブリナはがま口のショルダーバッグを斜めがけし、ローブを翻して家を出る。


「リノさん、あなたはもう一人でも大丈夫です。でも、またあなたが迷う時がくるかもしれません。その時はこれをお使いなさい」


 サブリナは薬草標本をリノに手渡した。


「あなたに預けます。きっとあなたの助けになるでしょう」

「いいのか……? だってサブリナの大事な……」

「いいんです。私はもうこれがなくとも、頭の中に入っているので」


 さらりとすごいことを言ってのけるサブリナに、リノは口元をひきつらせて「へぇぇ」と言った。

 小さく丸い獣の手で薬草標本を受け取り、まじまじと見つめる。

 そして、彼は甘えるようにサブリナの手をぎゅっと握った。


「あらら……」


 困惑の声を漏らすサブリナが、クライドをちらっと見上げる。

 仕方なく、リノの頭に手を置いた。すると、今度はクライドの手を取って引っ張る。その力で二人はしゃがむ形になった。

 リノが二人の背に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。


「ありがとう……!」


 小さく弱々しい声が耳元をくすぐり、サブリナとクライドは顔を見合わせて笑った。リノを抱きしめ、立ち上がる。

 リノもまた涙を拭いてニカっと笑う。


「さ、アルドさんが待ってますよ」


 遠くからアルドが様子を伺うように立っている。

 リノは振り返り、アルドの元へ駆け寄った。


「リノさん、タンバメス村一の薬師になってくださいね。その時になったら、また来ます」


 サブリナはそっと小さな声で呟き、ローブのフードを深く被った。



 しばらく道なりに行くと、別れ道が見えてくる。


「おや」


 サブリナが気付き、横並びのクライドを見やった。


「別れ道ですね」

「そうだな」


 このまま別れて宮廷に戻らなくてはならない。

 でも、本当は彼女の近くでもっと旅がしたい。知りたい。彼女と一緒に世界を見てみたい。

 そんな願いを押し殺し、右の道を選ぶ。


「では、私はこちらを」


 サブリナは左の道を選ぶ。


「ギルさん、またいつか、お会いましょう」

「あぁ……そうだな」


 また会う時──それはいつになるだろうか。


「そう心配せずとも、ギルさんにはまた会えるような気がするんです」


 サブリナが微笑みながら言う。

 無意識に暗い顔をしていたのかもしれない。クライドは顔を上げ、足を踏み出した。同時に彼女も歩き出す。


「………」


 少しして、クライドは踵を返し、元の位置に戻った。

 黄昏色のローブが遠ざかっていく。その背中に向かって言葉をぶつける。


「サブリナ! 君は無能なんかじゃない! だから、師匠せんせいは君を育てたんだ!」


 道の向こうにいたサブリナが振り返る。彼女の琥珀色の瞳は、ここからではまったく見えない。けれど、驚いたように目を丸くさせ、瞬きでもしていると思う。

 クライドはなおも続けた。


「君の師匠せんせいは、いい人だ! その弟子の君なら、たくさんの人を救える! だから、サブリナ、この旅をどうか……どうか、楽しんで!」


 ──そして、いつか君の冒険譚を聞かせてくれ。


 手を振ると、サブリナも手を大きく振り返した。

 遠くなっていく。見えなくなっていく。それでも彼女の行く末を見守っていたくなる。

 しばらくすると、白鳩がバサバサと羽音を響かせて上空を泳いでいた。おそらく、サブリナの報告文書を持っているはずだ。


「──感傷に浸る暇もないな」


 クライドはロッドを出し、すぐさま宮廷へ飛んだ。


 ***


「──あぁ、言ってなかったか。彼女がリズワンの姪だと」


 フレデリック国王の執務室は、相変わらず陽光が差し込んで明るいのに、なぜか辛気臭い。

 だが、サブリナの叔父があのリズワンであったことを持ち帰るなり、若き国王はしれっととんでもないことを言った。


「聞いておりませんが!?」


 サブリナの報告文書を受け取って程なくして、クライドはタンバメス村での一件を報告した。もちろん、村人に大掛かりなハッタリを仕掛けたことは伏せている。


「彼女がアニエスの弟子になったのは、リズワンのツテらしいな。幼少の頃、何度かリズワンに連れられて宮廷ここへきた彼女の相手をしたことがある。サブリナは覚えてないだろうが」

「はぁ……それならそうと言ってくだされば……」

「そなたがリズワンの大ファンだと知っていたからな。あえて伏せてみたのだ」


 フレデリック国王は鼻で笑った。


「サブリナはリズワンに憧れて、自分も旅をしたいと言っていたんだ。だから、彼女が適任だと思った。高官らに彼女を遠ざけるのも理由の一つだが……どうした、クライド。傷が痛むのか?」


 しかめっ面で立っていたからか、国王が眉根を寄せる。

 クライドは消え入るように「いえ」と、それだけ返した。

 結局、この国王とサブリナに振り回された日々だったように思い、どっと疲れが溢れてくる。


「では、魔力を弾くという能力も、リズワンのような天性の素質かもしれませんね……」


 彼女にはきっと神秘的な青い山羊は訪れなかったのだろう。

 しかし、リズワンも元は魔力を持たぬ平凡な人間。素質がなければ偉業もなし得ない。


「それで、陛下。もう他に隠していることはありませんよね?」


 声に棘を含ませながら訊くと、国王は首をかしげた。

 どうやら本当にもう隠し事はないらしい。


「とは言え、サブリナのことはまだ気がかりだ。全然心が休まらない。引き続き頼むぞ、クライド」


 フレデリック国王はまだ心配性の気を表情に顕す。

 それを払拭するかのように、クライドはピシャリと言い放った。


「えぇ。これで私も危険な思いをせずにいられます。もう二度と骨を折りたくありませんからね」

「それはそなたの不注意だろうに……いや、なんでもない」


 口角を最大限持ち上げて笑顔の圧を向けると、フレデリック国王は持っていた書物に顔を隠した。


「ともかく、陛下のご心配は無用にございます。また何かありましたら、ご報告差し上げますので。そうじゃなくとも諸国の支援やらいろいろと仕事が多いのですから、いつまでも小娘に構ってる場合じゃないんですよ」

「あぁ、わかっている。そううるさく言うな」


 フレデリック国王はそっけなく返事し、書物から顔を出さない。


「まったく……帰ってくるなり小言だ」

「何かおっしゃいました?」


 鋭く言えば、国王は慌てて咳払いした。クライドはイライラと踵を返す。


 その間際、


「クライド──そなたも彼女と共に旅をしたかったのではないか?」


 フレデリック国王はそれまでのおどけた調子から一変し、柔らかな声音で問う。

 心を読まれたのかと思った。

 慌てて振り返ると、国王は窓の外を眺めており、その表情は窺い知れない。


「……いいえ」


 意地が働いた。そのわずかな間で、本心を物語ってしまっている。

 しかし、国王は知らぬふりをして「ふぅん」と唸る。

 クライドは苦笑し、静かに告げた。


「私がいなくなって困るのは陛下ですよ。ご安心ください。私は彼女を見守り、たまに助けに行く。そのお役目だけで充分です」


 執務室を出る。白いローブを翻し、煌びやかな廊下を悠々と歩く。

 その足取りは意外と軽く、溜まった仕事が待ち構えていようとも憂鬱を感じない。


 窓から差し込む光の中、白鳩が数羽ほど空を泳いでいるのが目の端を横切っていく。

 まるでサブリナの行先を示しているように感じ、クライドはふと、彼女が今どこにいるのか思いを馳せた。



【無能弟子サブリナの救世巡礼 了】

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無能弟子サブリナの救世巡礼 小谷杏子 @kyoko

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