9 憧憬を映す瞳

「なぁ、乱暴はダメだぞ……天罰って、何をするつもりだ?」


 おずおずとクライドが訊く。リノも涙目から畏怖を込めた目に変わっており、「ふふふふふ」と不気味に笑うサブリナを凝視する。


「自分が何をされても別に構いやしませんが、私の家族や友人がひどい目に遭っていたら見過ごせないんです。とても、とても腹が立ちます」


 琥珀色の瞳が噴火した。


「もし私に魔力があれば、あの子どもたちのお尻からキノコが生える魔法をかけてましたよ」

「怖っ!」


 思わず声をあげるクライド。ちなみに、そんな魔法は知らない。


「や、やめて! そんなことしなくていいから!」


 リノがサブリナのローブにしがみつく。


「アルドはとくにダメだ! アルドは父ちゃんがいなくなった後も、気にかけてくれたんだ……ちょっとだけ」

「でも、スープをかけました。いくらなんでも許されることではありません」


 サブリナは頑として譲る気はないらしい。彼女がここまで頑固な性格だとは思わなかったクライドはただただ驚く。


「サブリナ、オレ、ちゃんと薬草のこと覚えるから! ね? 教えてよ!」


 リノがサブリナの気を逸らそうとする。

 それまで燃えていた彼女の瞳があっさり鎮火した。


「わかりました。では、さっそく特訓しましょう!」


 俄然やる気に満ちたサブリナは、拳を掲げて「おぉぉー!」と叫んだ。


「その前に、サブリナはその格好をなんとかしろ。ローブが汚れているぞ」


 クライドが静かに指摘すると、サブリナとリノは「あっ」と顔を見合わせる。


「ひとまず、お家へ行きましょうか」


 そう言って笑いながらサブリナはリノの手を握って家の方角まで歩いた。


 ──ともかく、サブリナの天罰とやらは全力で止めよう……。


 クライドは一人、そんなことを考えながら二人の後を追った。


 ***


 サブリナは毎日朝から晩まで、リノに日常生活に困らない程度の家事炊事、村に生息している薬草と毒草、畑の耕し方などをみっちり叩き込んだ。

 朝は掃除と食事の支度、昼は薬草を学び、夜は薬の調合をする。サブリナもリノも寝る間を惜しんで全力を注ぎ、息継ぎができているのかたびたび不安になる。


 クライドはその間、二人が出かけている隙を見て宮廷へ連絡し、右足の骨を魔法で地道に繋ぎ合わせる作業を繰り返していた。見えないパズルをしている感覚で、微調整がとにかく難しい。

 なんとか痛みが軽減されると、足のリハビリも兼ねて外に出て、二人の様子を見に行く。


「そういえば最近、家の戸に薬草が置いてあるが……たまに豆やパンもあるけど、何か知らないか?」


 森の中でサブリナとリノが寝転んで植物を観察していたので、後ろから声をかける。


「今、モドキグサが口を開いたとこだから黙ってて!」


 すかさずリノが文句を言う。


「リノさん、見ました!? 綿毛虫を捕まえて食べましたよ! 私、初めて見ました!」

「見た見た! やべぇ! 一瞬だった! すっげーな!」

「それ、薬草じゃないだろ」


 思わずクライドはツッコミを入れたが、二人は構うことなく植物もどきの虫を観察していた。


 そうして、クライドの足がやっと完治した二週間後──サブリナの薬草標本を頼りに、リノは自力で獣人化を止める薬を調合し、完成させた。


「で、できたぁぁぁぁ〜〜〜!」

「やりましたぁぁぁぁ〜〜〜!」

「おめでとう〜〜、二人とも!」


 夜、異臭漂うリノの家にて三人は、ハイテンションになっていた。


「ここ数日は眠るのも惜しくて、寝てないんですけれど……うへへ、やばいです。この形容しがたい臭みがまた中毒になってしまうぅぅ……」


 サブリナの目元はクマができ、明らかに疲れが出ているが、両瞼とも全開になっており、危険な表情になっている。

 リノはそれまでハイテンションで飛び跳ねていたのだが、唐突に力を抜いてテーブルに突っ伏してしまう。

 そんな二人を見て、クライドは我に還った。


「いかん。俺まで脳みそがやられるところだった……なんだっけ、これ、確か毒も入ってたよな……」


 リノの手元にある薬草標本を拾い上げて見る。

 薬にはコボリツタの根を使うが、人体に有害な毒がある。中毒症状を引き起こし、幻覚や幻聴、さらには体内の細胞を破壊するという恐ろしい作用があるらしい。


「でも、獣人病には効くんです! 要は魔獣の魔力が人体の細胞になんらかの影響を及ぼし、奇形化しているのが獣人病なわけです! だったら、その魔獣の魔力を殺す毒で対抗する! これが師匠せんせいの研究によって明らかになった獣人病の対抗策です!」


 勢いよく説明をするサブリナに、クライドは恐れをなした。


「わかった。わかったから落ち着いてくれ」


 彼女の額を指先で押し、椅子に座らせる。


「いや、しかし君の師匠せんせいとやらは、本当にすごいんだな……」

「はい! 師匠せんせいです!」


 サブリナは元気よく答え、そのままヘベレケのように「ウヘヘヘヘ」と笑い出す。


 ──ダメだ。ただでさえ寝不足と疲労でやばいのに、薬の異臭で脳みそが死んでる。


 今の彼女なら、何を訊いてもすぐに答えてしまいそうだ。

 サブリナの師匠、アニエスのことも──


「……サブリナ、ちょっと膝に座りなさい」

「え〜? なんですか、ギルさん」


 サブリナは素直にクライドの膝にちょこんと座った。そのまま、彼女を抱きかかえベッドに放り込む。


「うぎゃああああああああっ!」

「寝ろ」

「いやです! やです! まだ眠くないです! まだ眠るわけには……その薬を、早く、リノさんに飲ませ……あ、おふとん好きぃ……グゥ」


 寝た。


 硬いベッドだが、使い古しの柔らかな布の魔力には逆らえなかったらしい。彼女は静かな寝息を立てて深い眠りへ落ちた。


「リノはまだ頑張れ」


 テーブルに突っ伏したままのリノを小突いて起こす。


「やだ……母ちゃん、もうちょい寝かせて」

「俺は母ちゃんじゃない。リノ、この薬を飲むんだ。それからたっぷり寝ろ」


 揺さぶって起こすと、リノは寝ぼけ眼のまま、鍋の中の水薬を椀にすくった。出来立てで熱いので、よく冷まして一口飲む。

 その瞬間、リノは両目を大きく見開いた。


「うっ」


 小さくえずき、椀を落としかけるもクライドがそれを間一髪でキャッチする。

 一方、リノは激しく咳き込んだ。


「おい、リノ!? 大丈夫か!?」


 ──まさか、薬の調合が間違っていたのか……? でも、サブリナはこれで完成だって……


 訝っていると、リノが苦しそうに喘ぎながら症状を訴えた。


「ま、」

「ま?」

「まじゅい……!」


 べぇっと舌を出すリノに対し、クライドは拍子抜けしてテーブルに突っ伏した。


「お前……心配させるんじゃないよ……毒にやられたのかと思ったじゃないか」

「だって! クソほどまっじぃんだぜ! こんなん飲んでられねぇよ!」

「味をつければいいんじゃないか? サブリナって、そういうところ無頓着だよな……」


 言いながら、あの骨折薬の味を思い出し、胃がぎゅっと絞られるような錯覚に襲われる。あれはトラウマだ。

 クライドの青ざめた顔を見て、リノは同情的な目をした。鍋の中をかき混ぜて思案する。


「そうだな、もっと飲みやすく工夫を……」

「味をつけるのはご法度です!」


 眠っていたはずのサブリナが飛び起きて叫んだ。


「絶対にダメです! でなければ、効果がありません! 師匠せんせいの言いつけは絶対です!」


 そう主張して、彼女はぱったり倒れ、またぐっすり眠った。


「え……嘘だろ、寝言?」


 クライドはこわごわ、サブリナの顔を覗き込みに行った。リノもついてくる。


「寝てる、よね」

「あぁ。よく寝てる」


 鼻ちょうちんを出して眠っているほど、サブリナの睡眠は深い。


「……サブリナ曰く、あの薬は飲み続けることで効果を発揮するらしい」


 リノが椅子を引き寄せ、真面目くさった口調で言った。


「だからちゃんと飲むよ。なくなったら、煎じて飲めばいいんだし。そうする」

「あぁ、それだとサブリナも喜ぶ」


 クライドも椅子を引き寄せて座り、鍋から放たれる異臭たっぷりの湯気を手で仰いで追いやる。


「ギル兄ちゃん。サブリナって、一体なんなの? 普通の旅人じゃないよね?」


 リノの素朴な問いに、クライドは頬を掻いて唸った。


「そうだな……」


 ──〝王の命令で各地を巡り、人助けをさせられている〟っていうのは、俺の口からは言えない……。


 サブリナの任務は別に隠すことではないが、自分が宮廷魔術師であることは明かせないため、どうにも口が重くなる。


「兄ちゃんはサブリナとおんなじ匂いがするよな。だから訊いてみたんだけど、知らないの?」


 なおもリノが訊き、クライドは両目をしばたたかせた。


「おんなじ匂い?」

「うん。なんだろ……甘くて美味しそうな匂い。オレの鼻、獣人化してるから人よりも嗅覚がすごいんだって、サブリナが言ってた」


 それはおそらく、嗅覚で魔力を感じているということだろう。骨折を治すために魔法を使っていたが、こんなところでバレてしまうとは思いもよらない。

 しかし、魔力を持たないサブリナと同じ匂いとはどういうことか。


「魔力とは違うんだよなぁ……」


 リノはうまく言葉にできないようで、しばらく考えていたが「ま、いっか」と諦めた。


「なんの匂いかは知らんが、俺とサブリナはまったく違うと思うぞ。勇敢じゃないし、身一つで大冒険をしようという気概もない」

「確かに、骨もすぐ折るしな!」


 すかさず傷口に塩を塗られた。リノがケラケラ笑う。ここで話しているとサブリナを起こしてしまいそうだ。

 クライドは椅子から立ち上がり、リノを手招いて外に出た。

 外はすっかり夜も更けて、静かな星空が拝める。どこか遠くでヨダカの鳴き声がしたが、切り株に座って口を開いた。


「サブリナは……ある任務のため、各地を旅しているらしい。魔力はなく、むしろ魔力を弾く体質と師匠からの教えによる知識と知恵で、随分と無謀だけど」

「ふぅん……そういや、カゲバス村の瘴気を大岩で塞いだって話は聞いた」


 リノが腕を組みながら言う。そして、すくっと立ち上がると、人差し指を突き立て、裏声を出した。


「『簡単です。山の頂にあった大岩を棍棒とレンガで動かすだけですから。私のような非力でもこうして岩を動かすことができます!』って」


 サブリナの口調を真似ながら、リノは石とそれより小さな石、小枝を用意した。

 岩に見立てた石の近くに小石を起き、これを支えにして小枝を岩の下に差し込む。すると、リノは人差し指だけで岩を思い切り弾き飛ばした。


「うわっ」


 危うく目にぶつかるところだったが、間一髪で避ける。


「嘘だろ? そんなことであの大岩が動くのか?」

「サブリナはそう言ってたよ」


 クライドの驚きとは裏腹に、リノは無関心そうに言う。


「はぁー……なんだ、そんなことだったのか」


 これでようやくスッキリした。長年刺さっていた小骨がようやく取れたような快感を覚える。

 クライドは肩の力を抜き、苦笑を交えながら言った。


「そう、最初は無謀だと思ったんだ。なんの能力もない能天気そうな小娘が、そう簡単に旅ができるはずない。すぐ泣きついて帰ってくると──でも、そうじゃなかった。機転が利くし、薬草にも詳しいし、生活力もある。誰に守られずとも健気に強く生きていける力がある」


 ──彼女ならどこへでも行き、あらゆる人を助けていくんだろうな。


 クライドは夜空をぼんやり眺めた。そして、頭に思い浮かんだことをぽつりと呟く。


「リノは『大賢者リズワンの冒険譚』という書物を知ってるか?」

「知らない。何それ?」

「古い書物だからなぁ……知らないのも無理はないか。海や山を越え、空の世界まで行き、そこで出会う人や亜人を救い、時には戦い、力を得て大賢者になった人の話だ」


 かの大賢者は元々、平凡な山羊飼いだった。ある日、神秘的な青い山羊に出会い、魔法を授かった。魔術師はただの平凡な人間がなれることじゃない。その努力は並大抵のものじゃなかっただろう。


「〝欲しいものを得て、なりたいものに成るには、限りない努力と覚悟が必要だ〟──彼はそんな言葉を残している」

「……なんか、それ、聞いたことあるような」

「あぁ。サブリナも同じようなことを言っていた」


 これまで彼女とともに過ごしてきて感じたのは、彼女はリズワンの心得を持っていることだった。それはクライドがなりたくてなれなかったもの、そのものである。

 彼女は師の罪を償うため、国王の命令に従っているだけではない。

 心の底から人の役に立とうとしている。そうなりたいと願っている。そして、この旅に心を弾ませている。

 ようやくわかった。この旅は、彼女がもっとも適任だ。


「きっと、彼女はこの機会を待っていたのかもしれない──旅をして、君に出会い、また別の誰かを助けに行く。そんな大冒険を」


 そして、同時に思う。

 人に尽くす真心を持ったサブリナの師──アニエスは本当に大罪を犯したのか、と。

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