8 恩師の心得
獣人化の進行を止める薬──それは、一晩、月光にさらした水と、コボリツタという多年草の根を刻んだもの、腐ったウクジの種、ミョイゴの若芽の産毛などなど他にもあらゆる種類の薬草と手順が事細かくある。
「なるほど……カゲバス村から、あのウクジを持ってきたのはそういうことだったのか」
翌朝、サブリナが朝食を作っている間、クライドは彼女が揃えた獣人化抑止薬の材料について解説を聞きながら感心した。
「はい。何かあった時のためにと持ってきたものでしたが、ちょうどよかったです。それに、この村も資源が豊富ですからね。代用できるものもありましたし、ひとまずは問題ありません」
そう言うと彼女は、猪肉の丸焼きをテーブルにドンと置いた。
「朝からこんな重いものを……」
クライドの顔が引きつる。
「リノさんが仕留めてきたものです。貴重なお肉ですよ。ギルさんはこれを食べて完治しなきゃ」
「うーん……そうだけど……」
クライドは右足をチラッと見た。実は、骨はとっくに繋いである。あとは骨の繋ぎ目を微調整するだけだ。
サブリナが夜の散策へ出かけた後、クライドは骨折を治す魔法を使った。だが、うまくいったのか分からない。宮廷にいればそうそう骨折するような場面に遭遇しないので、一度も使ったことがなかったのである。
──多分、もう大丈夫だよな……。
試しに足を地面につけてみる。
「っ!? 〜〜〜〜っ!」
声にならない叫びが飛び出した。
「ギル兄ちゃんのために獲ってきたんだぜ。食わなきゃ、また骨が折れるぞ」
そう言いながら、リノが猪の脚にかぶりつく。
「ど、どうやら、狩りを教えることはなさそうだな……」
クライドは足をさすりながら弱々しく言った。
「そうですね、リノさんは狩りが得意のようですので、食事には困らないと思います。あとは、そうですねぇ……村人たちに信頼してもらうため、手に職をつけましょう」
サブリナは厳かにそう言い、豪快に猪の前足にかぶりついた。
こってりとした朝食の後、サブリナとクライド、リノは家の外に出た。
クライドはサブリナが即席でこしらえた杖を持たされている。まだ骨折しているという設定なので、不自然に見えないよう杖をついて歩くように心がけた。
「さて、リノさん。あなたには薬草をマスターしてもらいます」
切り株に座るリノとクライド、その前でサブリナは仁王立ちしている。
リノはキョトンとした。
「そんなもん、なんの役に立つっていうんだよ」
「大いに役立ちますよ! 日常生活、どんな傷病にも対応できますし、商売ができます。村人たちも認めてくれるはずです。ともかく、リノさん! あなたは自立しなければなりません!」
ビシッと指を突きつけられ、リノはビクッと肩を震わせる。それから彼はまじまじと自分の手のひらを見つめた。
「あの、サブリナ」
クライドはおずおずと手を挙げた。
「この子の手は獣化している。薬草、それも薬の調合とか、ちょっと無茶なんじゃ……」
猫の手で薬の調合なんていう器用なことができるとは思えない。
サブリナは首をかしげた。
「そうですか? やる気と根性があればできると思いますよ」
「急にそんなスパルタな……」
クライドは呆れて肩を落とした。
「それよりも、狩りの才能があるみたいだし、その方面で何か教えてやれないのか」
「あいにく、狩りについては私がよくわからないもので……うーむ、困りましたね。リノさんには薬草がぴったりだと思ったんですが」
今度はサブリナが肩を落とす。
「あの石段を作ることができるんです。だからできると思うんですけどねぇ」
「薬草と石段を作るのとじゃ違うだろう」
「じゃあ、他に何ができると思います? 私が教えられるのは繕い物と料理、あとは魔獣の見分け方、ちょっとした魔法くらいです」
「魔法……だと?」
引っかかりを覚え、つい訝しげに訊く。
「はい。カゲバス村の事件を解決したアレとか」
サブリナが片目をつむって言う。クライドは「あっ」と声を上げた。
そういえば、あの一件の謎が解けていない。
「君……やっぱり魔法が使えるんじゃないのか? 無能だと言っていたくせに、俺を騙したのか……?」
じっとりとした目で追求すると、サブリナはフードを深くかぶって「ひぃ」と目をそらした。
「騙してないです! 私、本当に魔力持ってませんから! だから、その、知恵といいますか、そういうのでしたら多少なりとも教えられるかと……!」
サブリナが慌てて弁明する。しかし、彼女がやはり魔力を持たない無能弟子であることには変わらないので、振り出しに戻ってしまった。
「カゲバス村の事件って何?」
一方、リノは不審げに二人を見ていた。
「何があったんだ? オレの父ちゃん、カゲバス村の方に行ったきり帰ってこないんだぞ」
その言葉に、クライドは気まずくなり、押し黙った。
対し、サブリナは「なるほど」と合点する。
「では、おそらくですが、リノさんのお父様はもう帰ってこないと思います。あの村は一時期、瘴気のせいで病に冒されていました。亡くなった方も多くいましたから」
「ちょ、おい、サブリナ……?」
クライドは信じられないとばかりに絶句した。
リノも目を見開き、動けなくなる。
だが、サブリナは容赦なく言葉を続けた。
「言ったでしょう。リノさんは自立しなければなりません。それはつまり、一人で生きていく覚悟を持つということです」
「なんだよそれ……父ちゃんは帰ってくるって言ったのに……そんなわけ……」
「出て行って一年です。便りもないと言ってましたよね。そうなれば、もう大人しく待っている場合ではありません。あなたがこの村で生きていくには、その覚悟をしなくてはいけないんです」
無神経ともとれるサブリナの言葉。
クライドはカゲバス村で見た彼女の慈悲深さを思い出すも、今の彼女とその印象がまったく合わず、戸惑ってしまう。
「サブリナのいじわる!」
リノは弾かれるように切り株から立ち上がり、森の方へと駆け出した。
「おい、サブリナ……今のは言いすぎだ。俺には偉そうに説教しといて」
「ギルさんは、あの子の話をどこまで聞いてるんですか?」
鋭く問われ、クライドは言葉に詰まる。
昨夜盗み聞きしたのは──
「リノの父親が魔獣を殺した。母親は死んだばかりだった。そこからの話しか聞いてないが……」
「そうでしたか。では、先程の私の態度が気に食わないのは仕方ありませんね」
サブリナは感情を押し殺すような表情で言う。それを下から見上げる形になる。
クライドは彼女の思考が読めず、それでも冷静に話そうと努めた。
「リノの父親は魔獣を殺した。リノを守ったんだろ? そして、今いないってことは、リノの病を治そうと魔術師か僧か、獣人病に詳しい人間を探しに旅立った。そういうことなんだろう?」
「えぇ、そうですね……表向きは」
サブリナが冷ややかに言う。
「不思議に思いませんか? リノさんの病を治すため、旅に出たお父様……なぜ、一人で出かけるんです? あんな小さな子どもを残して」
「そ、それ、は……」
クライドは動揺した。そして、悟った。
「そうです。リノさんは捨てられたんですよ。リノさんが獣人病と知った後、村人から息子を殺すよう迫られたそうです。獣人病は危険な病だと。感染るかもしれないと。お父様も人です。我が身可愛さで息子を捨てることも、あるでしょう」
「でも……魔獣に襲われた時はリノをかばったんだろ? それなのに、そんなことで、息子を捨てるのか……?」
何を言っても、事実はサブリナの推測に天秤が傾いていた。それでもなお、クライドはその推測に納得がいかない。
「本当にカゲバス村で死んだという証拠はあるのか?」
「あれは方便です。でも、もうこの村に帰ってはこないと思いますよ。あの子が死ぬまでは」
彼女の推測は概ね正しいだろう。
村の重圧に耐えられず、それでも子を殺せなかった父親は逃げることを選んだのだ。
死んだことにしておくのは、彼女なりの優しさなのかもしれない。
「まぁ、この推測が間違いな可能性はあるでしょうね。その希望にすがるのもよろしいかと。でも、遅かれ早かれ、あの子は一人で生きていかなければならない……だったら、今、私にできることをあの子に伝えなくてはなりません」
そう言うと、彼女はスカートをぎゅっと握った。俯き、その表情はフードに隠れて見えなくなる。
「
***
リノは森の中を駆け回り、気を紛らわせていた。涙が空気に触れて乾いていく。だから、絶対に涙をこぼすことはなかった。それでも、悲しさや寂しさは消えない。
光が見えてくる。いつしか、この眼は強い光が苦手になっていた。だから、森の終着点にたどり着いていたことに気が付かなかった。
そこは村の中心部だった。舗装のない土道があり、昼間の世界が広がっている。
同年から年上の子どもたちが出歩いており、楽しげに笑っている。
そんな彼らも、リノの存在に気がついた。
「きゃ────────────────────っ!!」
誰かが叫び声を上げた。
「リノよ! みんな、逃げて!」
まるで化け物でも見るかのような反応に、リノはくらりと目眩がした。
幼い子どもをあやしていた少女たちが家の中へ逃げていく。勇敢な少年たちはその場にあった石を掴み、リノに向かってぶつける。
「あっち行け!」
「獣人病が
リノはよろける足で、土道の中を走った。
──アルドなら、助けてくれる……!
露店に立つ少年、アルドの元まで走る。
「アルド! 危ない!」
誰かが叫んだ。その際、アルドもまたリノの姿に気付く。そして、彼はとっさに寸胴のスープをリノに浴びせた。
「うわぁぁっ……!!」
リノはその場にうずくまり、顔を守った。全身に浴びたスープは熱く、ヒリヒリと痛む。それでも灼熱ではなかった。まだ煮立っていなかったのだろう。
「あ、り、リノ……」
幼馴染だからか、最後までかばってくれたアルド。それでもリノの姿がどんどん獣化していくと、目をそらすようになった。次第に家を訪ねることもなくなった。
「──リノさん!」
背後からサブリナの声が飛んできた。
***
リノが土道に転がり、泣き叫んでいる。そんな状況を目の当たりにしたサブリナが前へ進み出る。クライドは一歩遅れてその現場にたどり着いた。
「叫び声がすると思ったら……なんてことを」
サブリナの声が怒気を孕んだ。
その場にいた子ども全員が身をすくませ、後ずさる。
「この子が一体何をしたというんです。ただ、姿が変わっただけだというのに……」
サブリナはリノを抱きかかえながら言った。クライドもそばまで近づき、冷静に言葉をかける。
「すぐに手当をしよう。火傷は跡が残る」
「えぇ、もちろんです。良かったですね、アルドさん。私がいて」
彼女はアルドを一瞥すると、リノを抱えて人目のつかない場所まで運んだ。
リノはずっとすすり泣いており、サブリナのローブにしがみついている。
「獣人病だったのが不幸中の幸いですね。あなたの皮膚は常人よりも頑丈です。でも、心の傷はそう簡単に癒えませんね……」
サブリナは手際よくリノの着物を剥いだ。皮膚が頑丈なのは本当らしく、火傷は大したことがないようだ。
「これで分かったでしょう。ここで生きていくためには、それ相応の覚悟がいるんです。だからね、リノさん。あなたは努力して、信頼を得て、誰にも文句を言わせないように強くならなくてはいけないんです。欲しいものがあるならば、なりたいものに成るならば、それを努力で勝ち取りなさい」
サブリナは薬草の葉をリノの身体に貼り付けた。その場に生えている雑草かと思いきや、火傷に効く薬草らしく、瞬時に判断して摘み取っては身体に貼り付けていく。
リノは涙を拭いながらこくこく頷いた。
「はい、これで大丈夫。大したことない。もう痛くないでしょう?」
全身緑色になったリノ。その姿は最初に会ったような茂みモンスターに似ていた。
初めて会ったときにはこんなことになるとはまったく想像していなかった。クライドは呆然と二人の様子を眺めるばかりだった。
──それに、サブリナのあの顔……。
彼女の怒気に、子どもたちだけでなく自分も気圧された。しかし、振り返った彼女の顔が涙を呑むようにつらそうな表情だったのを見逃さなかった。
自分のことを無能だと卑下し、それでも誰かの役に立とうとしている。その恐ろしいまでの使命感の意味がなんとなくわかる。
──彼女もまた、リノと同じような境遇だったのかもしれない。
そう思わざるを得ない。
「いいですね、リノさん。特訓しますよ」
「ハイ……」
リノはすっかり意気消沈し、素直に頷いた。
「よし……さてと、私の腹の虫が収まりません。ギルさん、ちょっとお手伝いしてもらえます?」
サブリナが真っ黒な笑顔でこちらを振り返る。
「えっ!? ア、ハイ……」
思わず答えるが、
「って、何をするつもりだ!?」
ただならぬ気配に寒気を覚えつつ、勢いよく訊く。
すると、サブリナは「天罰ですよ」と、天使のような笑顔で言った。
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