7 リノの願い

 クライドは、ミョイゴの傷薬を塗ったままにし、彼女から離れた場所でロッドを出した。

 リノと思しき、獣人病に罹った少年を探すには、やはり検知魔法で探すほうが早い。


「【魔力検知ディテクト】」


 周囲に光を放つ。次第に、杖先に光が集まり、魔力を検知した方向を光で指し示す。

 どうやら森の中のようだ。


「よし」


 クライドは光の筋をたどった。



 緑の深い森は人が入らないらしく荒々しい。道と呼べる道はないが、光の筋が示す方向へしばらく行けば、誰かが草むらにいた痕跡があった。


「割と新しいな。となると、この近くにいるのか……」


 折れた草木や割れた木の葉を調べ、独り言つ。


「おーい、リノ! いるなら返事してくれー!」


 試しに声をかけるも、物音一つしない。

 その時、ロッドの光は上空を指した。


「なるほど、上か……」


 出現させた魔法陣を蹴って高い木に飛び移り、太い幹に着地する。と、その上で足をぶらさげて座る少年がいた。

 クライドはロッドを消すと、そのまま上の幹に手を伸ばし、よじ登った。


「よう」


 声をかけると、少年がビクッと驚き、幹の先端部分へ逃げようとする。


「うわっ、なんだよお前! おっさんがこんなとこに来るんじゃねぇ!」

「おい、俺はまだおっさんじゃないぞ」


 幹の根元に足をかけ、またぐように座るもリノは先端部分へ後ずさっていく。体重が軽いからか、幹は頑丈でびくともしない。


「はぁー、やれやれ。やっと見つけた。君、リノっていうんだって? サブリナ──あの魔術師の娘が探してるぞ」


 用件を言うも、リノは渋い顔つきのままクライドを見つめた。

 大きな目は猫のように大きな瞳孔で、瞳は本来の色だったはずの黒と黄色のグラデーションになっている。顔立ちは幼くも、勝ち気で活発そうな印象を受けた。


「あの魔術師を助けてくれたの、君なんだろ? 礼をしたい」

「なんでおっさんに礼をされなきゃいけないんだ。それに、オレ、まだあんたを許してねーぞ」


 リノは威嚇するように言った。


「あぁ……それは、本当にすまない。申し訳なかった。君の境遇を思えば、あんな風に言うべきではなかった。反省している」


 素直に頭を下げて侘びると、リノは両目をぱちくり見開く。


「謝れって言って謝ったやつ、初めて見た。しかも大人が」


 信じられないとばかりにリノは驚いている。そんな彼の顔が年相応の子どもと同じだったので、思わず噴き出した。


「何がおかしいんだよ!」

「いや……すまん。そんな風にキョトンとされると本当に猫みたいだな」

「はぁ?」


 リノは不機嫌そうに眉をひそめた。咳払いしてごまかす。


「とにかく、一緒に来てくれないか。その病の進行を止めたいんだよ」


 そう柔らかく言うも、リノはますます顔を強張らせた。


「ウソだ」

「嘘じゃない。あの娘は頼りなく見えるが、腕は確かだ」

「ウソだったらウソだ! オレの病を治せたやつは今まで一人もいない!」


 リノの様子がおかしい。人を信用できず拒絶するようではあるが、その中には恐れも混ざっている。リノはどんどん幹の先端へ後ずさっていく。


「おい、そっちまで行くな。危ないだろ」


 クライドが手を伸ばすと、リノはそれを猫の前足で叩いた。

 その時、リノの身体がバランスを崩し、幹から滑り落ちる。


「リノ!」


 クライドは思わず身を乗り出した。リノの身体を引き寄せるも落下していく。

 気がついた時には、リノを抱きかかえたまま地面に打ち付けられていた。


「おい……なぁ、大丈夫か?」


 リノがクライドの腕から這い出し、身体を揺すってくる。


「あぁ、うん。君は無事だったかい?」

「オレは大丈夫。でも……」


 クライドは痛む身体を起こした。リノの顔が青ざめていく。


「血……」

「え? あ、あぁー……マジか」


 クライドの額からだらだらと血が流れていく。右足も折れているようで、感覚がない。それにも関わらず、クライドは落ち着いていた。


「大丈夫。これくらいどうってこと……」

「んな大怪我しといて大丈夫なわけないだろ! 待ってろ、すぐにあのお姉ちゃん呼んでくる!」


 リノは素早い動きで森を出ていった。一人、取り残される。


「いや、大丈夫だって。このくらい、本当は自分で治せるんだ……」


 ロッドを出し、頭頂部に向かって「【快癒ヒール】」と唱える。

 しかし、思ったように魔法がうまく使えず、目眩がしてきた。


「くそっ……頭打ったせいか、血が足りないのか……集中できない……」


 怪我をしたくないからという理由で、防御の魔法を徹底して覚えたのが魔術師を目指したばかりのことである。

 そんな自分が子どものために身を挺して、しかも魔法を使わず守った。人としては良くても、魔術師としては失格だ。とっさに機転が利かない、頭でっかちな自分に嫌気が差す。


「まぁ、任務があるから下手に使えないんだが、それにしたって、今のは緊急事態だろ。あーあ……」


 額から流れ落ちてくる血を拭いながらため息をつく。

 すると、遠くから「ギルさーん」とサブリナの呼ぶ声が聞こえてきた。


「ギルさ〜〜〜〜〜ん! うわぁっ! 本当にひどい怪我!」


 リノに連れられ、やってきたサブリナがギョッとした。あわあわと口を震わせ、すぐさまクライドの頭部を調べる。


「な、ヤバいだろ! 死なないよな? 死なないよな!?」


 リノもサブリナのローブにしがみついて半泣きになっている。

 そんな彼らに、クライドは笑顔を返した。


「だから大丈夫だって。意識もあるし……足は折れたけど」

「足、折れてるんですか!? それはもう大怪我ですよ! さすがに骨をすぐ元に戻す薬はできませんよ、私!」


 サブリナが珍しく取り乱している。リノと一緒になって目を潤ませ、鼻水を垂れ流しているところ、どうやら容量越えキャパオーバーらしい。


「私がリノさんを探せと言ったからそんな無茶を……すみませんでした……私の責任です……!」

「いや、オレが悪いんだ! オレが怒って手を叩かなきゃこんなことには……!」

「あーもう! 二人とも泣くな! 死んだならまだしも、全然問題ないから!」


 クライドは立ち上がり、折れた足をかばうように立つと、二人が慌てて支えてくれる。


「ごめんなさい、ギルさん」

「ごめんなさい、ギル兄ちゃん」

「おぉ、どさくさに紛れて馴れ馴れしいな、リノ」


 色々と思うことはあるが、どうやらリノの警戒心は解けたらしい。

 二人に支えられ、クライドは森を出た。連れて行かれたのは、リノが住んでいるという小さな家。

 だんだん意識が遠のきそうになっていたが、サブリナの鮮やかに速やかな手当てを受けてベッドに寝かされた。

 そして、サブリナが調合した骨折に効く飲み薬を飲まされた。


「ぶふぁっ!」


 あまりの不味さにすぐ吐き出す。すっかり目が覚めた。


「あぁ、ダメですよ! それは全部飲まないといけません。少しでも治りが早くなるよう作ったんですから」

「でもっ、でも……これっ、これは、ダメだ!」


 腐った卵を燻製にし、粉砕して水で溶いたような邪悪なドロドロが口の中に入れば黙っていられない。悪臭で鼻が曲がりそうになり、全身が飲むことを拒否していた。


「無理……飲みたくない……飲みたくない!」


 しかし、どんなに抵抗しても無理やり飲まされた。


 ***


 薬の不味さか、それとも効能のせいか、怪我のせいか、クライドはわずかに意識が飛んでいた。足を折った直前には感覚がなかったものの、後からじわじわと患部が腫れ、痛みがあったのだが、薬のおかげかあまり気にならなくなっている。


 気がつくと、サブリナとリノがテーブルに座り、神妙な様子で話をしている様子が伺えた。掛けられていた布の下からそっと覗き、眠ったふりをしながら聞き耳を立てる。


「……それでお父様が魔獣を……なるほど。それはとても大変でしたね」


 サブリナの優しげな声。そのあとにリノの鼻声が追いかける。


「母ちゃんが死んだばっかだったんだ。それなのに、オレがこんなことになっちまって……村の連中はオレを殺せって言うし、でも、父ちゃんだけは守ってくれて……」

「そんなおつらいことを思い出させて、すみません」

「ううん、こんなこと誰にも言えないから……聞いてくれて嬉しいんだ」


 これに、サブリナはわずかに躊躇いを見せた。唇を噛み、リノのふわふわな手を取って包む。


「リノさん。あなたはこれからどうしたいですか?」


 しばらく、リノは考えあぐねた。時折、喉を鳴らすような音を出し、答える。


「……どうしたらいいんだろう。この村にオレの居場所はないし」

「居場所、ほしいですか?」

「あぁ。この病が止められるってんなら、この姿のままでも受け入れてもらいたい。でも、オレはそんな器用じゃねぇし……嫌なこと言われたらすぐカッとなるし」

「それはあなたをそのようにした魔獣のせいです。本来のあなたは昔からそうだったんですか? そんな短気な子には見えません。本来のあなたはとても人思いの優しい子のはずですよ」


 そう言うと、リノは困ったように笑った。


「なんで初めて会ったばかりのお姉ちゃんがそんなことを……」

「わかります。あの溝の階段、あなたが作ったんでしょう?」


 リノがハッとする。驚いて手を引っ込めようとするが、サブリナは離さない。


「村の子どもたちに訊いて回りました。あの溝にあった手作りの階段、ここの子どもは誰も知りませんでした。そもそも、子どもはあの辺りには近づかないそうですね。大人に言いつけられているから……そうしたら、あそこにいたあなたしか知り得ない。あれを作ったのはあなたではありませんか? 


 その言葉で、クライドはすべてを悟った。

 リノの父親はこの家にいない。リノの病を治すため、魔術師を探しに旅立ったのだ。リノはそれをたった一人きりで待っている──自分を迫害するこの村で。


 リノは目をつむった。サブリナが触れるその手は小さく震えている。

 そんな彼に、サブリナはいつになく厳しい口調で言い放つ。


「あなたがこの村で生きていけるよう、その術を叩き込みます。リノさん、覚悟してくださいね」


 ***


 サブリナはがま口のショルダーバッグから書物を出して読んでいた。

 リノはとっくに寝静まっており、クライドのベッドにいつの間にか潜り込んでいた。すぅすぅと小さな寝息を立てる少年を見やり、ゆっくり起き上がる。


「──サブリナ、寝ないのか?」


 暖炉の明かりで読書をする彼女に声をかける。


「あら、起こしてしまいましたか」

「いや、実は結構前に起きていたんだが……君の薬が効いてるせいか、うとうとしてて。やっとはっきり目が覚めたんだ。その、リノのことを聞いた」

「あぁ……そうでしたか」


 サブリナは眉を下げて微笑む。クライドはベッドから出て、リノに布をかけてやり、片足でテーブルまで行く。

 サブリナは書物を閉じると、バッグへ仕舞った。


「すでに準備はしてあります。でも、薬草はまだ探せていません。ギルさん、お留守番を頼んでもいいですか?」


 そう言いながら彼女はローブのフードを被る。


「俺も君の手助けができたらいいんだが……」

「いいえ。ただでさえ、ギルさんは怪我をしていますし……」


 やはり厳しく言いくるめられ、クライドは目をそらす。


「ただ、そうですね……リノさんの近くにいてあげてほしい、ですね」

「俺はあの子の父親役にはなれないよ」

「あら、案外お似合いかと思ったんですけどねぇ……まぁ、ギルさんもお仕事がありますし、いつまでもこの村にいるわけにはいきませんものね。わかっています」


 サブリナは静かに言った。


「怪我が治るまでは、私もこの村にいます。どのみち、今すぐは動くことができないでしょう? それまでにリノさんを一人前にするのが、この村での、私の仕事です」


 そう力強く言うと、彼女はランタンを持ってドアを開ける。


「気をつけるんだぞ」


 慌てて声をかけると、サブリナは振り返り、笑顔で手を振った。

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