6 獣人病
「さぁ〜、ほぉら、怖くないですよ〜」
サブリナはまるで小動物を相手にするように、そろそろと近づいていく。
「猫か」
クライドは呆れながらツッコミを入れる。
サブリナは素早い動きで茂みを掻き分けた。鉤爪がローブに引っ掛かろうともお構いなしである。
やがて出てきたのは十歳にも満たない少年で、黒髪の隙間から猫のような耳を生やし、腕も肘から下は猫のような前足。尻には長い尻尾が飛び出している。服装は男児用の穿き物ではなく、布を巻いただけのもので粗末な身なりだ。
「おや……」
サブリナは少年の脇を掴んで持ち上げた。一方、クライドは目を見張った。
「そいつはまさか……」
「猫の坊や!」
「いや、違う!」
クライドはサブリナの能天気な歓声を遮り、彼女の手から少年を奪った。
「こいつは獣人病だ!」
「うるせぇ! はなせ! この
少年がジタバタ暴れ、クライドの頭を鉤爪で引っ掻く。
「あいたたた! まずい! 獣人病が
その瞬間、少年の目がギラリと危なげに光った。クライドの手からすり抜け、曲線を描くように宙を飛ぶと茂みに戻る。
「おまえもいずれ呪われるんだ! バーーーーカ!」
そう言うと、少年は茂みから素早く抜け出して、森の中へ消えた。
サブリナがどんよりとした目でクライドを見る。
「……ギルさん、今のは最悪です」
「でも、あれは! あれは、あの不治の病の……!」
「でも
サブリナは冷静に言い、クライドの背中をビシバシ叩いて跪かせた。そして、頭皮から額、頬にできた小さな引っ掻き傷を見る。
「うん、やっぱりあの子は加減してましたよ。普通ならもっと皮膚がめくれたり、肉が裂けたりします。でもギルさんの傷は大したことありませんね」
サブリナの口調が心なしか刺々しい。
獣人病は、昔から『人に感染る』とされていたが、その認識が魔術師の間で変化したのがここ数年のことである。
それでも反射的に穢れとして認識し、言葉を間違えてしまった。
クライドは己の朝はかさを呪い、肩を落とした。
「確かに、ひどい言い方をした……そりゃ、あの子が怒るのも仕方ないよな。反省する」
「次会ったら謝るといいですよ」
「そうします……」
「いい子ですねぇ。では、傷薬を作ってあげますから、昼食を探しつつ薬草も見つけましょう」
頭をよしよしされるも、彼女の微笑みに怒りの圧があり、情けなくも背筋がヒヤリとする。
──返す言葉がない……!
幼児扱いされても文句は言えなかった。
村の中心部まで行けば、スープの露店があり、マグカップを持った子どもたちが群がっていた。
カゲバス村のように石畳で舗装されてはおらず、土道が続く。そして、すれ違う人のほとんどが十代くらいまでの子どもである。
「大人はみんな、西の洞窟で採掘の仕事をしてるんだよ。だからここらでは、オレたちが村を守ってるんだ」
パンと豆のスープを売る利発そうな少年が教えてくれる。
「暗くなる前には大人たちが帰ってくる。鉱石や石炭を掘り出して、そいつを都で売るのさ」
「なるほど。では、ここらには宿のような場所はないのでしょうね」
「あぁ、旅人が立ち寄る村じゃないからな。基本、隣村のカゲバスに泊まって、ここは通過するだけってのがほとんどだ」
ということは、今回は野宿を覚悟しなくてはならないのだろう。
サブリナとクライドは代金を支払い、それぞれパンとスープを受け取った。
「ちなみに、この村で何かお困りごとなどありますか? 地割れの整備から魔物・魔獣の討伐、家事炊事、病人や赤ちゃんのお世話までどんなことでもしますが」
サブリナが期待に満ちた目で言うと、少年は引いたように困惑しながら笑った。
「いやぁ、そういうのはいいかなぁ……多分、みんな困ってないし。村全体が家みたいなもんで、自分の世話は自分でできるようにしてるし、魔獣ももういないし」
「そうですかぁ……」
たちまち、サブリナはしゅんと項垂れた。
「魔獣ももういないって言ったな? 以前はいたのか?」
クライドが一歩踏み込んで訊く。すると、少年は表情をわずかに強ばらせて笑った。
「あぁ、いたんだけど、もういないんだ。去年だったかな……〝リノ〟の親父が殺してからはもう……」
「リノ?」
サブリナとクライドは同時に首を傾げた。
すると、少年は何やら都合が悪そうに目を逸らす。
「とにかく、頼める仕事はないよ。他を当たってくれ」
少年はもう用はないとばかりに話を切り上げる。
サブリナとクライドは仕方なく、その場を離れた。
木陰へ行くと、畑仕事の休憩をしていた少女たちがいたが、みんな人見知りなのか、目を逸らして逃げていく。
そんな子どもたちの様子を気にすることなく、サブリナは草木を掻き分けてミョイゴを探していた。
「なんだか、あまり歓迎されてないよな……」
「それが普通ですよ。村というのは閉鎖的な空間ですし、外部の人間が怖いんだと思います。それに、この村は今、子どもたちしかいませんし」
サブリナの分析に、クライドは納得した。
「旅人が立ち寄る場所でもないしな。それもそうか」
──それじゃあ、この村は異常なしということで報告してもいいかな……?
しかし、どうも違和感がある。
「あ!」
「どうした?」
「ありました! ミョイゴ!」
大声を出すので何かと思えば、薬草が見つかったようだ。
「ではでは、傷薬を作りましょうね。こんなことなら、重さを気にせず瓶に詰められるだけ作っておけばよかったです。非効率でした」
──それを君が言うんだな……。
クライドはげんなりとしたが、傷薬を作ってもらう手前、余計なことは言えない。黙ってパンと豆のスープを腹におさめ、サブリナの薬作りを眺めて待つ。
水分を含ませ、手際良くこねていき、あっという間に完成だ。
「さ、ギルさん。傷をよく見せてください。ちょっと痛くても泣かないでくださいね」
「誰が泣くもんか」
この幼児扱いがいつまで続くのか。
そう言いたい気持ちを抑えて大人しく従い、目をつむり、じっと座っておく。
サブリナはクライドの顔を一通り調べた。薄目を開けると、彼女の顔が近い。
──これだけ近づいても、俺の正体に気づかないんだよなぁ……。
変装をしているものの、顔は変えずにいるのだが、やはり一度会ったきりでは覚えられていないらしい。
途端に頬にぬるりと冷たい感触が伝い、わずかに痺れを感じる。反射的に右頬と目尻が引きつった。
「あらあら、痛いですねぇ。でも我慢ですよ」
今度は額、こめかみ、つむじに同様の冷たさと痺れが走る。
「はい、これでいいでしょう。あとは一日もすれば綺麗に治りますよ」
「面目ない……」
「いえ。小さな傷も旅の中では命取りかもしれません。ギルさんが倒れてしまったら、私は師匠やクライドさん、国王様にも顔向けができません」
自分の名前がさらりと飛び出し、クライドは思わずドキッとした。嫌な冷や汗が流れてくる。
「そ、そうだなぁ……君は、そういえば困った人を助ける旅をしてたんだっけな……」
白々しく返すも、サブリナはにこやかに「はい」と返事をするだけ。
正体がバレているのかいないのか、まったく読めない。
「それでは、この村の困りごとを解決しましょう!」
ドギマギするクライドをよそに、サブリナがすくっと立ち上がり、パンとスープを一息にたいらげる。
意気込む彼女に、クライドは怪訝な表情で訊いた。
「困りごとって、この村にはないんじゃないのか?」
「あら、ギルさんの目は節穴ですか。そんなわけないじゃないですか」
唐突な暴言が飛び出し、クライドのプライドにヒビが入る。
「明白ですよ。獣人病に罹っているあの少年──リノさんは、とても困っているはずです」
サブリナは得意げにそう言った。
獣人病は古い時代より、ごく稀に起きる病の一つで、今もなお完治する方法は見つかっていない。
症状は噛まれた魔獣の種類によってさまざまだ。病の進行は遅く、一ヶ月後あたりになって体のどこかが獣化していく。また、性格も凶暴化するのがほとんどで、最悪の場合、人を襲うようになってしまう。そうならない前に獣人病を発症した者はことごとく殺されてきた。
そのうち『獣人病に罹った者に襲われると病が感染る』などという噂が広まり、いまだにその認識が強く人々の脳内に刷り込まれている。
「まだ完治はできない病です。でも、獣化を抑えることは可能なんです」
サブリナの表情が憂いを帯び、クライドも居心地が悪くなる。
「魔術師アニエス、だっけ……研究して、その方法を見つけた、とか?」
「よくご存知ですね。その通りです」
アニエスは闇をもたらしたが、彼女の魔術師としての腕は一流だったという。今は悪名ばかりが有名だが。
「魔獣の研究の末、発見したそうですよ。それもまた彼女が罪を重ねることになった一因なのですが……」
空気が重くなる。沈黙が訪れ、クライドは国の歴史を振り返った。
以前のアルカ王国は、魔物や魔獣が異国から輸入され始め、国全体の魔力が強まった。そのおかげで新たな魔物や魔獣が生まれたのだが、その多くは異国からの冒険者や魔術師、魔力を持った者、
「カゲバス村の
サブリナがキッパリと言う。
「え? なぜそう言い切れる? て言うか、リズワンってまだ健在なのか?」
訊くと、彼女はハッとしたかと思えば、困ったように口をつぐんで顔を伏せた。
「と、ともかく、獣人病です」
「あぁ、そうだな……しかし、あの少年が〝リノ〟という名だとなぜわかる?」
クライドは率直な疑問をぶつけた。
すると、サブリナはあっけらかんと答えた。
「あの露店商さんが言ってたじゃないですか。リノさんのお父さんが魔獣を殺したと。その時におそらく、リノさんが巻き込まれてしまったんです。あの子の獣化は確かに一年ほど進行していると思われますし、時期がぴったり合いますよね」
「言われてみればそうだが……君はあの子の病を止めることができるのか?」
「えぇ、もちろんです」
サブリナは自信たっぷりに言った。
「だから、あの子を探さなければなりません。ね、ギルさん」
「ん? うん、そうだな……って、なんだその期待に満ちた目は」
サブリナの琥珀色の瞳が近づき、クライドは思わず仰け反る。
なんだか嫌な予感がしてきたと同時に、サブリナの口が動いた。
「あの子に謝る大チャンスですよ!」
「……つまり、俺にあの子を探せと?」
すると、サブリナは親指を突き上げ、笑顔で首肯した。
「なぜ俺が!?」
「だって、私は薬の調合……まずはその薬草の調達をしなければなりません。手が空いてるギルさんが適任です。そう判断しました」
そう言われてしまうと、ぐうの根も出ない。
──魔力を持たないくせに魔術師みたいなことを言う……!
効率化を好むのが魔術師の性。
クライドは項垂れながら、渋々承諾した。
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