第16話 道はやがて

 炭で髪を黒く染めた恋音れおんは、まだ目覚めない。

 一番目立つ葵い髪を何とかして目立たなくさせなくては。


 いつもの左文字さもんじであれば重さなど気にもとめず、山でも川でも駆け上がれたことだろう。

 でも今は、左文字さもんじも傷を抱えている。


「こいつは……いつ目を覚ますんだろうか」

「少しキツイ薬を使ったからね。あんた以上に無理をしそうだったから。でも……こうなると厄介だね」

「いくらガキとはいえ、重みはあるからな」


 恋音れおんを肩に担ぎながら左文字さもんじは腹の辺りを気遣っている。まだ相当な痛みがある筈だ。それでも前を向き、歩き続ける。


 夕方時刻にもなると、人通りはまばらであやかしを避けるように扉を固く閉ざす家が多いい。

 人に見られたくない左文字さもんじたちにとっては好都合だ。


左文字さもんじ、あんたは大丈夫なのかい?」

「あぁ、これくらいなんともねぇ。お前のまじないのおかげだな」

「いや……あたしのまじないは効かなかったんだよ」


 れんは小さな消え入りそうな声でそう呟いた。

 最初から分かっていたのだ。天狗ほどの力を持つ者に自分の術など、子どもだましに過ぎないと。それを目の前で見せつけられ、無力さを痛いほど感じていた。


「まだ……礼を言ってなかったな。ありがとよ」

「なんだい、改まって。気持ち悪い」

「ははは」


 笑うと腹に堪える。

 腹を労りながら歩く左文字さもんじの横顔が、れんの目には頼もしい存在として映った。

 熊の様にガタイがでかく、こんなにも無神経でがさつで、筋肉バカな男、この世にはいない! とまで思っていたのに。


 家族を奪われた男が、自責の念のためだけにあやかしハンターになった。そう思っていた。一人立ちが出きるように救いの手を差しのべたのは自分だとさえ思っていた。

 でも、救われたのはれんの方だった。

 みなとの一件があってから、闇落ち寸前だった彼女に、左文字さもんじが生きる意味を与えたのだから。


 らしくない……。

 れんは心の中で呟いた。



「あたしこそ……すまなかった。巻き込んじまって」

「何しおらしい事を言う。気持ち悪いぞ」

「お互いさまだね」


 二人の影が長く伸び、穏やかに時が流れて行く。

 日が完全に落ちる前に、早川家の領土から抜けたい。


 しばらく行くと足元付近に白い糸の様なものが一本、目に入って来た。それは半透明で光に反射してかろうじて見える、蜘蛛の糸のようなものだ。

 れんには見えて、左文字さもんじには見えていないらしい。


 プチン。

 左文字さもんじの足が糸を切断した。


 ふと、今まで隣を歩いていたれんの気配がないことに気付き、左文字さもんじは振り返った。


れん……? どうした?」


 振り向くと、うつむき立ち止まるれんの姿があった。


「この先が関所だ。迂回して山を越えよう。ほら、行くぞ」

左文字さもんじ……、あたしは行けない。ここまでだ」

「どうした? 忘れ物か?」


 何処まで行ってもバカはバカだ。「あんたは長生きするんだよ」そう言うとれんの頬に一粒の涙が流れ落ちた。

 尋常ではないれんを見て、何かがおかしいと気付いた左文字さもんじが一歩足を踏み出したその時、れんは遮るように言い放った。


「来るんじゃないよ」

「な、なんだよ」

「あたしはここまでだ。あんたは気付かなかったかもしれないけどね、ここに奴が仕込んだ結界術がある」

「何だって!?」


 慌てて退く左文字さもんじに「あんたって奴は……」と言いつつ、れんは頬に付いた涙の後を拭う。


「ここから出れば、あいつは直ぐにでも追っ手を放つわ」

「ちょ、ちょっと待った。俺にも分かるように説明してくれ。俺たちが居ないことくらい、あの男にも分かるだろ? その時点で追っ手が来る。その前に山を越えようって話だろ?」


「あんたは本当にバカだねぇ。あたしが何もせずにここまで来たと思ってるのかい? 今、あの長屋にはあんたと恋音れおんとあたしの残映を残して来たの」

「残映……」

「鬼頭家の初歩的な術さ。でも、あいつはあたしを信じてなかった」

れん……」


 左文字さもんじの弱いおつむでも、事の深刻さは伝わった。遅かれ早かれ気付かれれば追っ手は来る。ならば一緒に行くべきだ。

 しかし「一緒に行こう!」と、口にする事は出来なかった。


「行っとくれ。あたしは戻って時間を稼ぐ」

「殺られるぞ」

「あいつにあたしは殺せないよ。殺るならあの時に殺ってる。だから心配しないでおくれ。それに……またあんたとは会える気がするからさ。恋音れおんを頼んだよ」


 そう言うと左文字さもんじたちに背を向けた。

 後ろから名を叫ぶ声が聞こえる。


れん!!!」

「頼むから、行くんだよ! 時間がないんだ」

「くッそ……」

「何とかするから、あたしを信じな」

「わ、わかった。絶対に会いに来い! 絶対だ」


 れんは頷き手を挙げた。

 そして、二人はそれぞれの進むべき道へ踏み出していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢の先に妖(あやかし)は何を見るのか 桔梗 浬 @hareruya0126

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画