血はさえずる、饗宴の森に。

武江成緒

血はさえずる、饗宴の森に。




 チョ ―― チョー ――― 。 ――― ッチョ ―― ッチョ。




 森にすむ鳥のさえずりか。

 生いしげる木々の枝葉を、レンはおびえた目で見まわした。




『アミーリスターン共和国 自由の森』


 いくつもの外国語で、観光むけに書かれた大きな看板が、レンは昔から嫌いだった。

 レンが産まれるよりも前、アジアと東欧を覆っていた大国がばらばらになって、このちっぽけな高原が「自由をかちとった独立国家」というものになった記念として、この荒れた森が『公園』に定まったらしい。


 爺さんが貧弱な胸をはって語った歴史も、子供だましのお話としか思えなかった。

 この小さく貧しい山国で、自由も誇りも感じたことなんかありゃしない。


――― 大昔、近隣のトルコ人やペルシャ人、はるか東方の中国チーンにすらもわが民が怖れられた時代にゃ、あの森には偉大な寺院が建っとった。

――― 夜ごとに祭儀がとり行われ、うたげの声がこの森に、高原じゅうに響いたもんじゃ。


 千年以上もの大昔を、本当かすらも怪しい話を、見てきたように語りつづける爺さんの落ちくぼんだ目は妙にぎらつき、背筋がぞくりとしたものだ。

 話からして、寺院とやらは、まともな礼拝所モスクとも思えない。伝説にいうバビロンや、円柱の街イラムにあったというような魔教の神殿なんじゃないか。




 それを置いても、こんなしけた山奥を『アジア大陸最奥さいおうの秘境』と遠方の豊かな国に吹きこんで、観光客から小銭を得ているような民に、そんなに怖れられる歴史があってたまるか。


 国内ですら、洗練された豊かな暮らしを謳歌するのは近隣民族のやつら、あるいはかつての支配者である白いはだの連中だ。

 レンの属する民族は、この国の主要民族と言われてはいるが、やつらが向ける視線にあるのはさげすみだ。

 黒ずんだ肌。他民族より頭ひとつは小さい体躯。それを際だたせる妙にまるい大頭。とくに不気味と嫌われる、落ちくぼんだ目にとがった歯。


 自由などない。

 こんな貧しい国の貧しい暮らしに生まれおちて、他民族からは「山の矮人・人喰いの蛮族の子孫」と忌み嫌われて、自由だなんてどこにある。

 見えない何かが全身を、いや内側から縛りつけている、意識しないままに、そんな束縛がぎりり、ぎりりと、心までも締めつけている。


 だから、こうなったんだろう。


 夕闇せまる森のなか。白いはだから血の気をなくし、半端に掘られた穴のなかに横たわり、その少女は、マルヤムは倒れうごかない。

 きれいな少女だったのだ。色んな民の血がまじり、その中からクセのない美しさだけが織りあげられたようなだった。レンの民族の血はまじっていないが、それでも、蔑みと敵意をみせてこない珍しい人だと思っていた。

 思っていた。


――― どこかおかしい人じゃないかって、うすうす思っていたけれど、みんなの言った通りだったわ。

――― やっぱり■■■=■■■人の血をひく人。正直に言うわ。最初から、見た目も何だか気味が悪くて、


 言い終わるのを耳にするまえに、気がつけば、自分と背丈のかわらない彼女の頭をがしりとつかみ、くびがこきりと鳴る音をひとごとのように聞いていた。

 何もかもが終わってから、彼女の言ったその全部が、まったく正しかったじゃないかと、妙な自嘲が頭にわんわん響いていた。






 あたりには誰もいない。さっきからの妙なさえずりが響くだけ。


 マルヤムをいたむより、罪悪感にさいなまれるより、とりあえず見咎みとがめされないと安心している自分に嫌気がさしそうになり。

 その嫌気さえもが消えてゆくのに、動揺した。


 蒸気のように沸きあがる、興奮、欲望、達成感。そして体の中身が抜けて、この森とひとつになってゆくかのような、今まで感じたことのなかった自由の実感。


 チョ、チョッ。 チョー、チョッ。


 さえずりが耳に響いている。

 いや、どうして気づかなかったんだろう。これは爺さんの言葉じゃないか。

 子供のころ、昔ばなしに興じたときに漏らしていた『いにしえ言葉』という奴だ。


 鳥のさえずりか、舌打ちにしか聞こえない“言葉”。

 いまは自由に聞き取れるそれを口ずさみながら、樹のかげから、やぶの中から、夕闇から、同胞たちが集まってきた。

 レンとおなじ、森にまぎれる小さい体躯。異様にまるい大頭。とがった歯を光らせて、落ちくぼんだ目はぎらぎら燃えている。

 昼のあいだ、余所者たちに見せているしなびた様とは見違える、夜闇にはち切れそうな歩み。


 みな、夕餉ゆうげの肉をたずさえている。

 肉だ。

 鼻もちならない他民族。あるいは莫迦な観光客。あるものはすでに解体され、あるものは生きて引っ立てられて、高原の民の晴れやかな晩餐に供されるのだ。


 かつて祭壇があった場所に焚かれる炎はみなを駆り立てる。もはや強大な国も、豊かな国も、人類そのものが怖くなどない。

 この聖なる森に埋められていたが、いま解放され身を起こし、狂気という名の自由を謳歌する。



 自由の森のただなかで、

 自分を掘りおこしたレンは、歓声をあげた。




 ――― ッチョ ―― ッチョ。チョー ―― チョー ――― 。チョ、チョッ。

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血はさえずる、饗宴の森に。 武江成緒 @kamorun2018

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