【1010】

「…………ううっ!」

 慟哭に似た呻き声を上げながら、床に包丁を叩きつけた。裕太の首筋に振り下ろすはずだった包丁を。

 ガチャンッ!という派手な音に裕太が振り返り、床に打ち捨てられた包丁と、立ち尽くす私を交互に見つめる。

「……父さん?」

 裕太が呼びかけてきたが、私は答えることができなかった。ぐったりと肩を落とし、俯くことしかできなかった。

 ―――無理だ。

 私には、無理だ。

 実の息子を殺すなんて。

 私には、できない。

 妻に、誓った。

 裕太のことを、ずっと傍で見守っていくと。

 例え、世間的には褒められない人間でも。

 殺されそうになったとしても。

 裕太は、私の愛する妻が産んだ、私の愛する息子なのだ。

 偽物で、偽りの虚像で代用することなどできない、本物の息子なのだ。

「……許してくれ」

 俯いたまま、苦し紛れに懺悔の言葉を吐いたが、許されるはずもなかった。

 私は、人としても、父親としても、失格だ―――。

「……父さん」

「許してくれ……許してくれ……」

「父さん、もういいから」

「うっ……ううっ……」

「もういいよ、もういいから」

「許してくれ……」

「……もういいよ、

 ——―……え?

 瞬間、私は顔を上げ、後ろへ二歩ほど後ずさった。

 自分の意思に関係なく、まるで操られているかのように。

「……やっと、か」

 裕太が、スマートリングの空中ディスプレイを眺めながら、呟いた。わけが分からず、

「ゆ、裕太?何が……」

 と、訊くと、

「ハハ。まあ、こうなって良かった……って言うべきなのかな。この場合は」

 裕太は、短く息を吐いてから、

「父さんは、アインなんだよ」

「ど、どういう――」

「そのままの意味だよ。父さんはアインなんだ。うちのmimamoにインストールした、第四世代の家庭用生活補助型AIホログラム、アインなんだよ」

 私が、AIホログラム?

 私が、アイン?

「そんなはずが――」

「自分じゃ、分かんないんだよ。そういう風に設定してあるから」

 ……からかわれているのか?

 私は、確かにここに実在しているではないか。

 胸の前に掌を掲げて、眺める。触れる。確かな感触。

 これが、ホログラムであるはずがない。それに、さっきまでは、包丁を握っていた。今、床に転がっている包丁を―――、

「それも、ホログラムなんだよ」

 裕太が、スマートリングを嵌めた右手をかざすと、床の上の包丁は音も無く消え去った。

「な……」

「それだけじゃない。どれもこれも、ホログラムなんだよ。父さんが台所でしてた料理も、できあがった食事も、何もかもホログラムなんだよ」

 裕太が食卓に向かって右手をかざすと、包丁の時と同じように、音も無く白米と味噌汁と焼き魚が消え去った。後には、裕太のカップ麺だけポツンと残った。

「そういう行動プログラムなんだよ。料理を作ってくれるっていう。生きてた頃の父さんは料理なんかしなかったから、適当に焼き魚のメニューだけしか作らないようにプログラミングしたけど」

 焼き魚のメニュー。私が裕太に出していたメニュー。

 まさか、そんな、私はいつも台所で、この手で、調理器具を使って、白米を炊いて、味噌汁を作って、魚の下処理を、料理をして――、裕太は毎日、カップ麺を……。

「ホログラムだからね。食べられるはずないだろ。同じホログラムの父さんにとっては、ちゃんと調理器具を使って料理して食べることができる、実感を伴ったものなのかもしれないけど。音も、全部ホログラムの挙動に合わせて出る再現音だよ」

 私の思考を見透かすかのように、裕太が言う。

 いや、実際に見透かされているのか?

「うん。これで、父さんの――アインの考えてることは全部分かるよ」

 裕太が、空中ディスプレイを掲げる。四六時中眺めていた、プライバシーモードの空中ディスプレイを。

 そんな、そんなはずが―――、

「信じられない?でも、思い返してみてよ。父さん、いつかベランダに出たことがあるだろ?右隣と左隣の人の声をコソコソ聴いてた時だよ。あの時、どうして、外に出られたの?」

 ……それは、

「ここ最近、外に出た記憶はある?ないだろ?生活補助型AIだから、んだ。せいぜい、ベランダくらいしか出られない。会社でどんな仕事をしてた?漠然と、だろ?人格再現はしたけど、そういう情報はプログラミングしてないからね。その代わりに、より詳しく入力した、俺や母さんに対する態度や振舞い、言動なんかは、はっきり記憶してるだろうけど」

 ……それは、それは、

からだよ。、ホログラムの食事を作って、リビング周りをうろうろする。それくらいしか、できないだろ。それも、生活補助型AIだから、。俺を見守るようにできてるんだから。……まあ、ある程度の自我を持てるように設定したから、仏壇に話しかけたり、隣の人と話をしたり、テレビを見るくらいのことはできただろうけど。でも、そのせいで……あ、ほら」

 裕太が、点けっぱなしにしていたテレビを指差した。いつしか見たのと同じ通販番組が放送されていて、司会の女性が、何やら厳かな雰囲気で語りかけている。

「ええ、先日、当番組にて紹介した、ハツネ社製の第四世代家庭用生活補助型AIホログラムのアインですが、最新の7.24バージョンの学習型感情表現動作にて、入力設定した行動プログラムから逸脱した行動を取るという不具合が発生しております。設定した覚えのない行動をアインが取っている場合は、すぐに稼働を停止し、7.02バージョンへとダウングレードしてください。繰り返します。先日、当番組にて……」

「自我を与えすぎた結果こうなったとかネットでは言われてるけど、どうなんだろうね。いつか、父さんが風呂を沸かすのを忘れてたのも、多分これが原因だと思うけど」

 裕太は、右手をかざしてテレビの電源を切ると、

「……まあ、そのおかげで、一番良い父さんが再現できたから、結果オーライかな」

「……これまで?」

「父さんを疑似再生させるのは、なんだよ」

 ……それは、つまり、

「父さんはもう、三年前に死んでるんだよ。脳梗塞でさ」

 裕太は右手を和室の方にかざした。スッと自動で襖が開き、奥のスマート仏壇が起動した。空中ディスプレイが、二枚の遺影を映し出す。

 柔らかく微笑む妻と――無機質にこちらを見つめる私。

「父さんには見れないようにしておいたんだよ。困惑しないように」

 言葉を失っていると、裕太は不意に俯き、

「……父さんは、ずっと俺に向き合ってくれなかった。母さんが死んでも、それは変わらなかった。高校受験に成功しても褒めてくれなかったし、その後、不登校になっても、ニートになって人生落ちこぼれても、俺に何も言わなかった。ろくでなしになって、酒呑んで暴れて、言い合いになっても、すぐに黙り込んで一方的に終わらせてた。叱ってもくれなかった。俺に興味を持ってくれなかった」

 諦観に満ちた声で、無気力に裕太は続ける。

「だから、アインとして父さんを蘇らせたんだ。家庭用生活補助型AIホログラムでも、偽物でもいいから、父さんと話したかったんだ。叱ってほしかったんだ。その為に、事ある毎に辛く当たってみたんだけど……その結果が、これ」

 これ――それは、つまり。

 私が、裕太を殺そうとした、ということ。

「……でも、いいんだ。これまでの父さんは、本物の父さんと同じで、どんなに辛く当たっても、俺を叱ってくれなかった。再現度が高すぎるせいか、まったく興味を持ってくれなかった。だから、定期的にリセットしてた。やっぱり、こんなものなのかなって思ってた。でも、今度の父さんは……叱ってはくれなかったけど……心を開いてくれたから。それが例え、AIの不具合による行動に過ぎなかったとしても、いいんだ。形だけでも、やっと父さんと本音で会話できたような気がするからさ」

 本音。

 会話はしていないが、私の思考は筒抜けだったという。だとしたら、私が包丁を振り下ろせなかった時の思考——葛藤も、後悔も、懺悔も、裕太に対する思いも、あの右手に嵌めたスマートリングの空中ディスプレイに。

 ……しかし、私は、

「偽物なんだぞ。いいのか?」

 妙に冷静に事態を呑み込んだ私は、そんな言葉を口にしていた。

「いいよ。偽物でも、俺を大切に思ってくれたんだろ?」

 裕太が顔を上げる。幼さの残る、中年らしくない、緩くたるんだ顔。目は、少しだけ潤んでいるように見えた。

「今度の父さんは、本物の父さんより、父さんだったよ」

 胸に、熱いようで冷たいような感覚が込み上げる。これも、プログラムの不具合によるものなのだろうか。

「……そうか。だったら、もういいだろう?」

 裕太に――本物の息子に、優しく問いかける。

「……うん。安心して。在宅だけど、ちゃんと仕事してるから。買ってもらったパソコンも、無駄にしてない。なんとか食えるくらいの金は稼いでる。酒も、なんとかやめられた。だから……」

 裕太が、私に向かって右手を掲げた。私という存在のすべてを掌握している、スマートリングを嵌めた右手を。

「……じゃあね」

「カップ麺ばかり食べてたら健康に悪い。たまには、他のものも食べるんだぞ。焼き魚とか」

 最後の言葉を掛けると、裕太は、

「分かったよ」

 と、涙ながらに苦笑した。

「……ありがとう、―――」

 父さん、と続けたのか、アイン、と続けたのかは、分からなかった。

 それを最後に、私の意識はプツンと途切れ、0と1の羅列で構成された電子の海の中へ、溶けるように消滅した――――――。

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人為の虚像 椎葉伊作 @siibaisaku6902

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