ローレライの歌
月明かりが波を照らし、その光が静かに世界を包み込むような夜だった。
二人の間に流れる時間は、まるで風が止まり、海が静けさを保つような不思議な感覚を伴っていた。
「ねぇ、ナディア……」
マックスがそっと口を開く。彼の声は静かだったが、私の耳には確かに届いた。
「俺が『勇者』になって、世界が平和になって……それで、それで……君を迎えに来たら……一緒に世界を回ってくれる?」
「……キミが私に足をくれるの?」
私は静かに問いかけた。
彼が言う言葉のその意味を、彼がどれほど深く考えているのか知りたかった。
そして、それがどれほど大きな約束であるのか、彼自身が理解しているのかも。
「ああ! 俺がナディアの足になる。海を渡る時君が推してくれたように、今度は
彼の言葉には、
「うん! 待ってる……私はあの場所で、毎晩歌うから」
その言葉を口にするのは、想像以上に簡単だった。
でも、心の奥では少しだけ痛みを感じていた。
どれほどの時が過ぎるのか判らない約束。それでも、私は彼を信じることを選んだ。
「ナディア……」
マックスの声が低く、優しく響いた。
「マックス……」
私達は再び唇を重ねた。
まるで世界がこの瞬間だけで構成されているような感覚に包まれた。彼の温もりを、もっと感じていたかった。
彼の存在をもっと近くに感じていたかった。
けれど――私はその腕から離れた。
今の私では……無力な
それがどれほどの現実かを、私は知っていた。
「じゃあね、マックスっ!」
そう言って、私は海へと飛び込んだ。
ひたすら泳ぐ。背後にいる彼の気配がどんどんと遠ざかっていく。
――本当は傍にいたい。離れたくなんてない!
波間を進むたび、心が張り裂けそうになる。それでも泳ぐことを止められなかった。
小さな島に辿り着くと、私は力尽きるように砂浜に倒れ込んだ。
月明かりの下、胸の奥の痛みに耐えきれず、声を上げて泣いた。
「マックス……マックス……マックス!」
名前を呼ぶたび、涙が頬を伝って流れる。
――もっと強くなりたい。もっと、自分の力で彼の傍にいられる存在になりたい!
心の底からそう願った瞬間、身体が熱を帯びた。
月の光が私の周りで輝き、肌に降り注ぐ。
小島の静寂を切り裂くように、月明かりが私の身体を包んだ瞬間、全身がまるで炎に包まれるような熱さを感じた。
それは痛みではなく、むしろ内側から溢れ出す何かが私を変えようとしている感覚だった。
「これって……一体……?」
足元の砂浜がかすかに光り始め、私の尾鰭がその光を受けて輝きだした。
金色だった尾鰭が、やがて柔らかな白と深い菫色に染まっていく。その変化はゆっくりと、しかし確実に進んでいった。
尾鰭の一枚一枚が光を放つたびに、私の心臓が高鳴る。
それは驚きと不安だけではない、確かに希望を感じさせるものであった。
「こんなこと……本当に……?」
恐る恐る自分の尾鰭に触れる。
見慣れたはずの感触が違う。どこか強さを増したような、まるで自分が別の存在に生まれ変わったかのような感覚。
やがてその変化は髪にも及んだ。
長く揺れる山吹色の髪が月光を吸収するように紫を帯び、銀色へと変わっていく。さらさらと流れる髪は、風に踊るたびにまるで星々を散りばめたかのような輝きを放つ。
「これは……本当に、私なの?」
不思議と恐れはなかった。
むしろ、私はこの変化を心のどこかで待っていたのだと感じた。この瞬間、身体の内側から溢れ出す力が何かを訴えていた
――私はもう、ただの
尾鰭がさらに強く光を放つと、その周囲に波紋のような力が広がり、砂浜の上にまで波が押し寄せる。
私はその中心にいるのが自分だと理解しながらも、自然とその力に身を委ねていた。
「この感覚……」
胸の奥で確信に似た感情が膨らむ。
あれはただの神話ではなく、今この瞬間、私自身に起こっている変化そのものだったのだ。
ふと目を閉じると、波の音がより澄んで聞こえる。
潮風の匂いが、かつてよりも深く、細かく感じられる。まるで世界そのものと一体化していくような感覚。
「『
声に出したその瞬間、光がさらに強くなり、体全体が月明かりに溶け込むように輝いた。
そして、全てが静かになった時、私は明確に感じた。
――新しい力。新しい存在としての自分。
尾鰭の力強さも、髪の柔らかな輝きも、何もかもが「私」が変わった証だった。
でもその変化は、私がマックスを想い続ける気持ちを強めるだけだった。
「……マックス……私、待っているわ」
静かに呟いたその言葉が、海風に乗り、どこか遠くへと消えていった。
その言葉に答えを教えてくれる彼はもういない。
けれど、私は確信していた。
私が今、この変化を受け入れることができるのは、マックスに対する想いがあるからだ。
「マックス……」
彼の名前をもう一度呼ぶ。強くなった身体が、新しい力を与えてくれる気がした。
マックスは旅立った。
『勇者』を目指すという道を選び、そのために私とは違う道を歩み始めた。
彼の前には、これから数えきれない困難が待っているはずだ。
それでも、私は待つ。
あの場所で、彼が戻ってくる日を。
だから毎夜、歌い続ける。心を込めた歌を、風に乗せて。
ねぇ、マックス……
ヒトはなぜ歌を歌うか知っている?
それは、心をいっぱいに満たしてくれるから。
ヒトはなぜ誰かを好きになるのか知っている?
それは、相手と共有する時間が永遠であればいいと願うから。
私はきっと、また会えると信じている。
それがどれだけ遠い未来でも、私たちの想いが途切れることはないと信じている。
だから、私は歌い続ける。海辺で満月の夜に響く歌声が、いつか勇者になったマックスに届くように。
勇者マクシミリアン・メッサーシュミット……彼の名を心に刻みながら、私は海に向かって声を響かせた。
きっと、また会えるよね。
Fin
<作者あとがき>
最後まで読んでいただきありがとうございました。
こちらの話は『ノイルフェールの伝説 天空の
本編でシルヴィと呼ばれている『賢者シルヴェスター・シェフィールド』に相対する存在となる『勇者マックス』の若き日の姿を、パートナーである
本編は三人称の群像劇として描いてますので、表現の違いが多々ありますけれど、お楽しみいただけたのなら幸いです。
「ノイルフェールの伝説 天空の
ローレライの歌◆ノイルフェールの伝説~天空の聖女~外伝 朝霧 巡 @oracion_001
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