エピローグ ふろたき女と、鬼の姫


 「キョウ!」


 サヨが呼ぶが、娘はとまらない。走って、友に抱きつく。


 「く、くるしいよ、キョウ……!」


 「えへへ。ごめん、リューリュ」


 ことしは、暖かい。春は遅かったが、そのぶん、気温がたかい。日差しが屋敷の屋根も、庭も、のどやかにあたためている。


 雪灯花せっとうかがしろく染める庭で、キョウナに抱きつかれた鬼の娘は、その勢いで、ころがった。抱きあったままで、転がりながら、白い花びらをまとって、幼いふたりが笑っている。


 「こら! キョウ! 姫さまになんてことを!」


 ようやく追いついたサヨが、ぱこんと、娘のあたまをはたく。


 鬼鏡ききょうは、おもわず微笑う。


 「いいのよ。リューリュを裏に連れてくるのは、ひさしぶりだもの。嬉しかったのよねえ、キョウナちゃん」


 サヨにつづいて、父親も走り寄った。無骨なさむらいは、変わらず、肩肘張って、融通がきかない。サヨの横にならんで膝を折り、頭を地にすりつける。


 「……おやかたさまっ! 申しわけございません、姫さまへの、我が娘の狼藉……この、このシュンゴウが罪をば負って……っ!」


 サヨは、こんどは夫のあたまをはたく羽目になった。


 「ばか。なにする気よ。腹でもさくのかい」


 「お、おう、おやかたさまが、のぞむなれば」


 サヨのこぶしが脇腹を打つ。シュンゴウは、苦悶に顔をゆがめた。


 屋敷の当主、鬼鏡は、声をがまんできない。あははっ、とおおきく笑うと、つられてみな、笑顔になった。澄んだ風が、いちじん、吹きとおった。


 八年前の大火は、屋敷を、国を灼いた。


 鬼鏡姫に憑いたのろいが、災厄を引き起こしたと伝えられている。あるいは、呪いを騙ったなにものかが、火をはなったともいわれる。屋敷は崩壊し、多数が死傷した。家中のものは、鬼族もひとも、半数以下となった。


 山は荒れ、畑はうしなわれた。しかし、希望が残った。


 焼け跡から救い出された鬼鏡姫は、当時の当主ヨギリと、奥仕えの長であるジゼクが、身を賭してまもったとされた。経緯をなんども問われ、そのつど鬼鏡姫は、おぼえていない、とくびをふった。


 再建は、すみやかとは言えなかった。鬼鏡姫は、しばらく伏し、ことばも発さなかった。それでもやがて立ちなおり、当主を継いだ。


 前を向いてからの彼女の行動は、歴史にながく語られることになる。民のために。すべての、いきるもののために。善政ということばでは尽くせない治世を、当主鬼鏡は、実施した。


 再建された屋敷の庭には、鬼鏡が名付けた、雪灯花、という白いはなの種子が蒔かれた。春になれば、屋敷は、しろい夢のうえに浮かぶとうたわれた。


 シュンゴウとサヨも、生き残っていた。ふたりは、鬼鏡をまもった誉れを賞された。ふろたきの部屋で、サヨとシュンゴウのふたりだけで匿ったというはなしは、いま、鬼鏡の無数の伝説のひとつになっている。


 そのときに、黒い髪の、ちいさなふろたきが一人、鬼鏡についていたという者もあった。が、だれも覚えていない。シュンゴウもサヨも、みていないという。鬼鏡はそのことを訊かれると、否定も肯定もせず、いつもただ、微笑するだけだった。


 やがて結ばれたシュンゴウとサヨのこどもに、鬼鏡は、みずからの名の一部を譲った。ふたりは驚き、遠慮したが、さいごは喜んで受けた。キョウナと名付けられた黒髪の娘は、ことし四歳になる。


 ほとんど同じ時期に、鬼鏡は近隣の鬼族から婿をとり、子をなした。書をこのむ穏やかでほがらかな夫は、みずから書司房の長をかって出て、いちにち書庫に篭っている。とくに歴史書を好んで読むその夫を、鬼鏡は、愛することができた。


 紅い髪の鬼の姫は、キョウナと同じ年、同じ月に生まれ、リューリュと名付けられた。


 その名は、家人たちのだれにも由来がわからず、みなくちぐちに尋ねたが、鬼鏡はいわない。鬼族としては珍しい命名だったが、鬼鏡のたっての、希望だった。


 鬼鏡も、シュンゴウとサヨも、たがいの子を、みずからの家族としてあつかった。


 サヨはふろたきを続けた。そんな必要はなかったのだが、夫は許し、鬼鏡はたびたび、そのもとに足を運んだ。鬼鏡の方針もあり、災厄の伝説のこともあるが、この家、このくにでは、ふろたきなり裏づとめのものは篤く処遇され、けっして貶められる立場ではない。


 キョウナは、鬼鏡が訪れるたびに、わたしも立派なふろたきになる、と、いつも胸を張っていうのだった。鬼鏡は、そのことばをきくことを、喜んだ。


 今日は、花を見ながら、久しぶりに庭で昼をとろうという話になっている。


 「おやかたさま、申し訳ありません、こんなものしか……せっかくのお花見、おささのひとつもつけろと、交渉したんですが、今日の裏の賄いども、あたまが固くて」


 サヨが申し訳なさそうに運んできた膳の板には、芋のふかしたものがおいてある。それは鬼鏡の好物で、あたたかい記憶の表象だった。


 「うれしい、ありがとう、これ、大好き!」


 鬼鏡は笑顔で膳を受け取り、配る。サヨとシュンゴウは目をみあわせ、微笑んだ。


 シュンゴウとサヨと、三人ならんで、軒先にすわった。それぞれ、皿を手に置いて、春をたのしむ。


 雪灯花。しろい、花びら。


 あたたかい風にのって、舞う。どこから、どこへ、流れようとしているのか。


 ときの流れはとまらない。それでも、想いは、ときを超える。


 「ほらあ。いろものと、しろいもの。あわせて揉んでは、ならぬのですよ」


 ものおもいにふけっていた鬼鏡は、幼い声に、振り返った。


 「ありゃあ。あおくなっちゃった」


 洗い物の、ままごとをしていたらしい。キョウナに指摘され、リューリュは、困った顔を浮かべている。桶に張られた水のなかで、しろい布と、紺の着物が、ゆれている。


 鬼鏡の頬に、しずくが落ちた。


 その顔をふしぎそうにみあげる、幼い、ふろたき女と、鬼の姫。


 キョウ。


 こえがした。


 だいすきだって、いったじゃない。


 わたしは、いる。いつでも。


 鬼鏡がみあげると、そらで、黒い髪が揺れたような気がした。










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