<◉> 俺の邪眼は一味違う <◉>

空烏 有架(カラクロアリカ)

この世で最も甘美なるもの

 毒親、いじめ、芸能スキャンダル、地球温暖化、ブラック企業。家庭内暴力、悪化する国際情勢、老老介護。伝染病、デジタルタトゥー、増税、虐待、振り込め詐欺、ネット炎上。性暴力、政治家の汚職、物価上昇――。

 世界はストレスに包まれた。

 生来の処理能力を超える精神負荷に晒された人類は、新たなステージに到達する。


 爆発である。





「フハハハハ! よく来たな味舌ました鼓打コウチ!」

露子姉ツユねえを返しやがれッ!!」


 対峙する二人の男の姿があった。コウチと呼ばれる高校生くらいの少年と、彼より歳上であろう、どことなくヤクザ風なスーツ姿の男である。

 男は不敵な笑みを浮かべたまま「これを見てもそう言えるかな?」と一歩横に退いた。

 そうして彼の背後から現れたのは、フリフリのパステルピンクを基調とする甘ロリータ服に身を包んだ、愛らしい少女の姿。真っ白なリボンで留められたミルクティー色のツインテールが、風もないのにたなびいている。


 コウチは驚愕に眼を開いた「つ……ツユ姉……? なんだよその恰好カッコッ!?」

 対する露子つゆこも涙目で答える「わ、私だって着たくて着てるわけじゃないわ……!」


「ハーッハッハッハァ! 見ての通り、貴様の愛する露子は我が新たな邪眼〈愛玩姉妹シスター・コンプレックス〉によってロリ系妹キャラに改変させてもらった!」

「なぜそんな真似を……!?」

「フ、知れたこと。重度の"姉萌え属性"……それが貴様の唯一にして最大の弱点だからだッ!」


 男はコウチを憎んでいた。理由はどうでもいい、ただ彼を倒すことだけを願い、違法とされる邪眼移殖に手を出したのだ。

 邪眼。それは、異能をまなざす狂気の瞳。

 あらゆる辛酸を舐め尽くした人類が迎えた、新たな世界を象徴するもの――ちなみにコウチも邪眼持ちである。だからその界隈ではちょっとした有名人だったし、どっかで何かしらの恨みくらい買っても別におかしくはない。


 ともかく男は逆恨み(推定)を晴らしたい一心でコウチについて調べ上げた。そして辿り着いた答えが、彼の幼馴染みにして片想いの相手である女性、玉水たまみず露子だったのだ。

 本来、露子はお姉さん属性の女だ。単純にコウチより二つ歳上なのもあるが、面倒見がよく、おっとりした性格で発育も良い感じ、包容力高めかつちょっぴりワガママ――そこがとくに重要で、姉キャラというものは良い意味で弟に遠慮などしないもの。

 コウチは幼少のみぎりより、そんな露子にぞっこんラヴ。これを利用しない手はない。


 そして今、目論見が果たされたことはコウチの顔色が物語っていた。

 本来の露子は黒髪のロングストレートでEカップだが、今は見る影もない絶壁。包容力どころか、強く抱いたら折れそうなほど華奢な身体に庇護欲をそそられる。……普通なら。


 が、己の萌えは他人の萎え。すなわち、男の性癖は、コウチにとっては地雷となるッ!


「はッ……ただロリ服着せたぐらいでイキがってんじゃ……」

「強がっても無駄だぜ、めちゃめちゃ眼が泳いでるのがここからでもよ~く見えてんだからなぁ~! さあ、トドメを刺してやれ露子、おまえがな!」

「はぁ!? 私に何しろっていうのよ、!」

「――ッ!?」


 慌てて口を塞ぐ露子。彼女自身、信じられない、という表情である。

 妙に舌ったらずな『おにいちゃん』呼びはこの上なくコウチの心を抉った。ただでさえ露子のあられもない姿に動揺しているのに、赤の他人どころか敵に向かってそんな、親し気にさえ聞こえる甘いトーンで……お、おにいちゃん……だと……!?


「な、何言ってんだよツユ姉ッ!?」

「ちちち違うの、口が勝手に……! きっとこいつの力よ!」

「いかにも! この邪眼は対象を身も心も『お兄ちゃん大好き妹キャラ』に生まれ変わらせるのだッ! ……まあ本来の持ち主ではないせいか、まだ馴染んでおらんというか、自我が中途半端に元の露子のままだが……むしろ逆に味わい深い! 貴様はこのまま彼女が時間とともに変貌していく様を見届けろッ!!」

「てっめぇぇぇぇえふざけんなァぁぁぁぁッ!!」


 コウチは激怒したが、衝動的に振り上げた腕が男に届くことはない。

 なぜなら彼らはエスカレーターの上に居るのだ。下りの。無理やり逆走で駆け上がるのは大変危険なため、良い子は絶対に真似しないでください。

 ぶっちゃけ体力に自信があるタイプでもないコウチは、途中で無様に転げ落ちた。


「コウチ!」

「ぐ……いってぇ……、クソっ……クソぉぉぉッ……!」

「……ごめんなさい、コウチ。ごめんね。こんなやつに捕まった私が悪いの。だからもう、私のことは……忘れて……」

「嫌だッ!」


 涙目で見つめ合う二人の間を、思い出が走馬灯のように駆け巡っていく。


 幼稚園時代。よく寝坊して送迎バスに乗りそびれたコウチを、自分もバスに乗らずに待っていた露子が、手を繋いで一緒に登園してくれた。

 小学生時代。コウチより背が伸びていく露子に、早く追いつきたくて吐くほど牛乳を飲んだ。おかげで身長はともかく骨はめちゃくちゃ丈夫になった。エスカレーターから落ちても平気なくらいには。

 中学生時代。やっと背が同じくらいになって、よく自転車の後ろに乗せて登校した。わざと「重い」と言って怒られるのがなんか嬉しかったり、セーラー服から透けるブラ線にドキドキしたりして、彼女への恋心を自覚した。


 そして今、コウチは高校生で、露子は女子大生。

 大人びて美しくなった彼女が大学で知らん男どもに囲まれているのを想像すると吐き気がしそうだったが、……露子もまたコウチの想いには気づいている。彼が自分を追いかけてくるのを秘かに楽しんでいたかもしれない。「早くここまでいらっしゃい」と。


 幼馴染みたちの甘く幸せな駆け引きの日々。

 そこに横から冷水をぶっかけた男はというと、高らかに哄笑した。


「フハハハハハ! アーッハッハッハッハァ! 愉快、こいつは実に愉快だ! いいぞいいぞ、おれは貴様のそういうツラが見たくてこの眼を手に入れたんだからなぁ!!」

「……嬉しいか?」

「あン? 決まってんだろ、最高の気分だ! ついでにカワイイ彼女もゲットできちゃうしな!」

「は……、つまりてめぇは今……確信してるんだな、勝利ってやつを」

「そうとも。残念だったなァ味舌コウチ、貴様の邪眼が何の役にも立たないゴミ能力で――」


 ゆらり、コウチは立ち上がる。頭の片側を手で押さえながら。

 さっき落ちた際に打ちつけた額からはダラダラと血が流れているが、そうではない。指と指の間から覗く左眼は今、明らかに自然のそれとは異なる、奇異な虹色の輝きを灯していた。

 そして、彼は高らかに叫んだ。


「――邪眼〈味覚転換テイスティ・ジャグラー〉発動ッ!!」

「何!? って、こんな状況で何を無意味な……」


 ふいに男の顔が引きつった。


 笑いが止まる。顎を脂汗が滴り落ちていく。

 男は露子の腕を掴んでいた手を離して、自らの喉を絞めんばかりの勢いで押さえつけた。


「ぐっ……うぐぅうううッ……ぅおふッ……ぉおおおおおーッ!!」


 眼を白黒させてもだえ苦しむ男の脇をすりぬけ、露子はエスカレーターを駆け降りる。危険なので良い子は真似しないでください。

 そうして彼女がコウチの元へ辿り着いたころ、――男は爆発した。



 極度のストレスを処理するために、人類は進化した。ため込みすぎた苦痛はもはや物理的に発散するしかなかった。

 精神負荷が一定値を越すと、光や音を伴って物理的に炎上する――それが人体爆発現象。

 ちなみに死にはしない。ただとてもスッキリする。付随して生まれた邪眼とは、人為的にストレス値を急上昇させて効率的に爆発させるための力だ。


 コウチの能力は『味を改変する力』。

 味と言ってもいろいろだ。甘い、辛い、苦い、酸っぱい、など。それから食べ物以外にも概念上の『味』はある。


「つまり奴が勝ちを確信して気を抜いた瞬間が狙い目だ」

「……あ。よかった、邪眼の効果が切れて服や髪が元に戻ったわ」

「やれやれ。帰ろうぜ、ツユ姉」


 男が爆発したのは反転された味覚に耐えかねたから。

 すなわち最高の気分で迎えた、この上なく甘美なはずの『勝利の味』は、びっくりするほど不味かった。



 <完>

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