老執事と紐解くお嬢様ミステリー
藤咲 沙久
白石と百合子お嬢様の日常
「
新学期が始まったばかりのこと。春の陽気が心地良い休日に、また我が愛しい愛しい猪突猛進お嬢様がわけのわからないことを仰り出した。溢れそうな笑みを深い皺に隠しきれぬまま、私は「左様でございますか」と頷いた。
もちろん執事として
──いつもありがとう白石。とても感謝していますわ。わたくし、お茶する時間が一番好きでしてよ。
優しげに微笑まれ、私の淹れた紅茶を飲んでくださる百合子お嬢様。私にとってお嬢様はかけがいのない孫のような存在だ。多少知性に欠ける物言いはされるが、その弱味すら含めての魅力である。素直で可憐に育ってくださり、それは喜びでしかない。海外に居られる旦那様と奥様もそうお思いのはずだ。
(アフタヌーンティーにはまだ早い。メイド達への指示も一通り出し終わっていることですし……)
百合子お嬢様が楽しそうにお話ししてくださるのも、この謎解きの特典と言える。懐中時計を仕舞い、じっくり時間を掛けて推理することにした。
「真廣様……と申しますと、最近お嬢様が入部された読書クラブの一員たる
「ええ、もちろんそうでしてよ。まずはどの筋肉から鍛えるべきかしら?」
「はっはっは。それは一緒に考えてみましょうね。ところで、百合子お嬢様が屈強な肉体を手に入れることで彼はお喜びに?」
「屈強な肉体って強そうな響きだわ。お砂糖の袋も軽々持ててしまいそう」
「砂糖ですか。何袋でも持てるでしょうなぁ」
すごいわぁとうっとりするお嬢様を横目に、以前お迎えに行った際にお見掛けした新堂氏のお顔を思い浮かべる。
端的に表現するなれば“普通の中の普通”といった少年であった。外見にそれ以上の特徴はない。四月生まれのようだが、それが成長速度的に優位となるのは小学生までのこと。身長は百七十に若干満たない平均程度。中肉中背。四人兄妹の長男で下は妹のみ。優しげと言えなくもない薄くてあっさりとした顔立ち。各種条件も含め女性から特別好かれるような人物ではないと判断した。
ただこの男──おっと失礼、彼はいたくお嬢様の関心を得ていた。そう、あくまで関心である。ただの関心だと言っているだろう。
確か、お嬢様ご自身はこのように仰っていた。
「真廣様は(ご実家が一般家庭でありながら、各界のご令息・ご令嬢の通う学園の)同級生ですの。それはもう驚くほど(優秀な学力が評価されてのことであり普段からも)勤勉な方ですわ。ですが(誰より秀でた成績を鼻にかけることも、ましてや経済力の差で卑屈になることもなく、愉快な冗談まで言ってくれるような)まったく退屈しないんですの!」
ああ、回想の中ですらお嬢様はお可愛らしい。間に色々と括弧が聞こえたかもしれないが、そこは本来お嬢様が四、五倍の量をかけて回り道しながらお伝えくださったのを私の方で特別意訳させてもらった箇所に当たる。これだけの情報を得るのに随分と掛かっており、それもまた楽しい
話を元に戻そう。新堂氏と筋肉の関係性やいかに。例え彼が隆々とした肉体美を誇る女性を好むとして、性癖とも言えるプライベートな嗜好をおいそれと明かすとは考えにくい。また、そのような話題に触れられるほどお嬢様とは親密でないはずだ。断じてそうだ。ならば、筋肉は新堂氏から望まれたものではないと仮定出来るだろう。
「問題はね、白石。甘いものがお好きかどうか、わたくし勇気がなくてお聞き出来てないことですの」
「百合子お嬢様は慎ましくていらっしゃるので、お好みを伺うのはさぞ緊張なさるでしょう」
「そうですの、恥ずかしくって……さすが白石はわかってくださるのね!」
ほんのり赤い頬を押さえて首を左右に振れば、手入れの行き届いた天然色の
「甘さの好みで言えば、クラブでお飲みになる紅茶を観察されてはいかがでしょう」
「まあ。それがヒントになりまして?」
「お嬢様がお好きなアップルティーは渋みが少なく飲みやすいものですね。特徴的な紅茶ですとジンジャーなどの刺激が加わったものや、キャラメルのような甘味を帯びたものもあります。何をお選びかは多少参考になるかと。あとは砂糖の有無や量といったシンプルな要素も大切ですね」
「白石は、何をお飲みになるの?」
「私は……そうですね、百合子お嬢様と同じものが好きですね」
クラブでは読書が活動目的のため、本を汚さないよう茶菓子は用意しないそうだ。つまり紅茶の選択は食べ物の甘さに左右されない。
(まあ、新堂氏にどこまで紅茶の知識があるかは不明ですがね)
かの学園への入学資格を学力のみで得た時点で、頭脳は相当なものだとわかっている。しかし百合子お嬢様を見てほしい。百合子お嬢様とてお家柄のみでご入学されたわけではないのだから。
昔からお勉強はしっかり出来ている(意外と国語の成績も良い!)のに、順序だててわかりやすく話す力は一向に養われない。いやそそれは魅力のひとつなので構わないのだが、要するに勉学と“頭の良さ”は等しくないのだ。新堂氏がどこまで教養ある人間なのか、真の賢さを持つのか、まだ計り知れないわけである。
誰だ、百合子お嬢様を阿呆みたいだと思ったのは。これほど可憐なのだぞ、決して阿呆なものか。
しかしお供は飲み物のみ。新堂氏はひどく空腹な読書タイムを過ごしていそうだ。なんといっても育ち盛り、まだ十七歳……いや誕生日間近なのでまだ十六歳か。どちらでもいいが。非常にどちらでもいい。
「……おや? はて、はて。今日は……」
脳内でカレンダーと、併せてお嬢様に関係するすべての人物を記録した閻魔帳をめくる。あいうえお、かきくけこ、さし……し、し、新堂。誕生日は四月二十日。来週ではないか。
(そういえば先程、砂糖の袋……と)
「百合子お嬢様。普段は厨房へ入られませんのに、砂糖の重さをご存知とは流石でございますね」
「あらっ褒めてくださるの? 嬉しいわ、実は先日
華奈子様──篠森家の三女であり幼馴染みの子女である。活発で俗世にお詳しい。良くも悪くもお嬢様へ様々な知識をお入れになる。直近のスケジュールでは街へお買い物へ行かれたはずだ。もしかすると華奈子様に連れられてスーパーマーケットに入られたか。
いくら華奈子様でも意味なくそのような場所へは行かれない、つまり二人で見て回ったものが目的。篠森家へ食材を置いてくるとは考えにくい。
「今挙げられたものすべてですと、確かに百合子お嬢様には少々ご負担があるかと。お荷物はお洋服しかお預かりしませんでした。あの日は供もおりませんでしたので、ご購入を見送られたといったところでしょうか」
ええそうよ! とお嬢様が微笑んでくださったので、私も皺を深くしてみせた。素直に想像の中で調理すると完成するのはクッキーといったところだ。これまで関心のなかったお料理を自ら挑み、それもまた可愛らしく手作りクッキーだなんて。ああ百合子お嬢様、味見なら私にお任せください。
「砂糖でも塩でも薄力粉でも当家にございますし、別途ご所望であれば私がご用意いたしますものを」
「だって白石。わたくしが個人的に必要なだけですのよ、それに……すべて自分の力で用意してこその愛ですわ! その、予算はお小遣いですけれども……とにかく、愛ですわ! なので今度リベンジしますの」
なんといじらしいことか。(ただの)ご学友への(友)愛のために慣れぬ食品コーナーまでお歩きになって……素晴らしき(友)愛だ。また括弧が聞こえる? 気のせいだろう。
さて。クッキーの材料すべてを抱えて帰ることの出来ないか弱い百合子お嬢様だ。その腕は細く、筋力と縁遠い。もしもバター、砂糖、薄力粉、卵を泡立て器で混ぜ生地にしていくとしたら、九分九厘「痛くて動かせませんわ」となってしまう。それは一度どこかで経験したことがあるか? いいや、筋肉痛になった日などなかった。
しかしお嬢様が“お菓子を作るのには腕力と筋肉が必要”だと認識している可能性がある。恐らく経験よりも知識で得たもの。誰がそのような話をしたか──スーパーマーケットにまで付き合った、彼女が妥当な線だ。
「華奈子様は、百合子お嬢様にお菓子作りの大変さを説かれたのですね」
「とても有意義でしたわ! わたくし、足りないものから補いますの」
確かにお菓子作りというのは、乙女らしくお淑やかな印象に対し、ボールをしっかりおさえながらかき混ぜる等案外力仕事な節がある。初見だと引くほどに大量の砂糖を使うわ、バターまみれの洗い物に涙するわ、可愛いだけで終われないのである。
そこを的確にカバーしようと……お嬢様は健気にも筋力トレーニングから始めるなんて……。そこまでしてヤツの──おっと失礼、新堂氏の誕生日を祝おうと仰るのか。
「……委細承知いたしました、百合子お嬢様。この白石、必ずや新堂様のお誕生日までにお嬢様を鍛えてご覧にいれます。まずは上腕二頭筋から参りましょう……」
「真廣様、お誕生日が近いんですの?」
「……はい?」
おやっ。おやおや、おや。話が違う。新堂氏の誕生日に贈るプレゼントのクッキーを手作りしたいので、まずは筋肉をつけるところから始める……のではないのか。
「百合子お嬢様は、クッキーを作られるのですよね」
「ええ!」
「百合子お嬢様は、筋力トレーニングをされるのですよね」
「ええ!」
「それはどちらも新堂様のためなのですよね」
「ええ! クラブでレシピ本を見せてもくださいましたが、華奈子様も一緒に、今度実践的なご指導をして頂きますの。たいへん重たいんですって!」
重たい。かき混ぜる動作のことを仰せか。つまり新堂氏は作られる側でなく教える側だと。新堂氏に具体的な作り方を教えてもらうために、まずは筋肉が必要だと、そういうとこなのか。
(まさか、妹達のために自宅で普段からお菓子作りを……? そ、それは盲点だった。そんなパターンだったとは)
「ならば、クッキーはご自身で楽しまれるものでしたか」
「なにを仰ってるの白石? 前にも言ったでしょう、ティータイムが大好きですの」
「私の紅茶を気に入ってくださってると、ええ、お聞きしました」
「大好きな時間に、大切なあなたをお招きするんですの。だからわたくしがご用意しなくては、ね!」
「お嬢様──……」
横に立つのではなく、私も一緒に紅茶を飲もうとお誘いくださっていた。招くからにはホストとして茶菓子を作ろうとしてくださっていた。私が甘いものを好むかどうか気にかけてくださっていた。ああ、お嬢様。私の百合子お嬢様。
(どこまでもお優しく、慈悲深いお方だ……)
今回の謎解きは大きく外してしまったが、しかしどうだろう、これ以上ない感動が私を包み込んでいた。やはりお嬢様は私の幸せそのものだ。今後ともミステリー級の回り道を華麗に突破し、必ずや百合子お嬢様のお心に沿い続けるとここに誓おう。
「さあ白石。始めますわよ、筋力トレーニングを!」
「はい、お嬢様!」
春の陽気が心地良い休日。お嬢様とそのか弱き筋肉が悲鳴をあげられるのは、あとほんの少し後の話だ。
老執事と紐解くお嬢様ミステリー 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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