黒竜家の寵児

 テンガン領の領主である黒竜テンガンには、7人の妃と8人の子どもたちがいる。

 家族仲は円満そのもの。腹違いの子どもたちはそれを感じさせないほど仲が良く、子育てを終えた母親たちも「テンガン様のこんなところが好き♡」と惚気合いながら、首都モリオンで何不自由なく暮らしている。……一人の妃の墓標と共に。


 テンガンが我が子を産んでほしいと最後に見初めたのは、ニンゲンの女性だった。名をホダカと言う。


 ニンゲンとはどんな種族よりも非力で脆弱とされ、種族の沽券をかけた百年戦争で最も無価値と言われた種族である。

 ホダカは地上最強種族と謳われる竜の子を宿し、命がけで男子を生み、そしてシオバナ冥海の風に魂を攫われて墓場に入った。


 谷の城に弔旗が掲げられたその年は、領内全体が酷く暗い空気に包まれた。

 それに、美しく優しいニンゲンの妃にたいそう懐いていた他の子どもたちの悲しみと言ったらない。まだ幼かった四女のシトリンなんて、彼女を恋しがって毎晩泣きじゃくっていた。


 ホダカを心から尊んでいた家族は決意した。

 彼女の忘れ形見である末の弟を、この世界で一番幸せにするのだと。






 ――谷の城に造られた見事な中庭に、人影が三つ。


「かいやねぇ!」

「ぐぅッ……!」


 言葉を喋りはじめたイズモのたどたどしい口調に、三女カイヤは胸を押さえて膝を着いた。

 オークの首を素手で捩じ切る女傑の初黒星が2歳児に捧げられた。「カワイイ」は強さだ。


 そんな二人の様子を見て黙ってられないのが四女シトリン。

 何せ末の妹である彼女にとって、イズモは唯一の弟。何かとお姉さんぶりたいお年頃なのだ。


「イズモ、あたしは?」

「ちとりん!」


 イズモはさ行が上手く言えないタイプの子だった。谷の城にはそのあざとかわいさに胸を貫かれた死体の山ができたとか、できていないとか。


「シトリンお姉様でしょっ! なんであたしだけいっつも呼び捨てなのよぅ! このっこのぉっ、ほっぺぷにぷにイズモ! かわいい、かわいい、きゃわいい~っ!!」

「本音を隠しきれていませんよ、シトリン」


 カイヤが胸を押さえたまま息も絶え絶えに指摘する。彼女にとってはどちらも愛すべき妹と弟だ。

 イズモの頬を撫でくりまわすシトリン。二人の可愛さは崖を削って彫刻に残したいほど尊い。


「あ、イズモ! また二人の所に逃げ込んでいたのか!」


 そこに現れたのは三男タンザ。

 彼の姿を見て、イズモはカイヤの後ろに隠れるように引っ込んでしまった。


「今日は竜舞の練習をすると言っただろう。部屋にいなくて探したぞ」

「やっ!」

「やっ、じゃなくて。年明けには音神ミューロンに竜舞を捧げて福音を貰わなくちゃいけないんだから、ほら」

「やー! たんじゃにぃきらい!」

「……きらい?」


 イズモの駄々がクリティカルヒットし、タンザは砂となって風に吹かれた。

 正確には「リズム感がなくて竜舞が上手にできないからやりたくない。それを強要してくるタンザにぃは嫌い」なのだが。


 三男三女を見事に討ち取ったイズモ。

 そんな彼の背後に音もなく現れた腕に、軽々と持ち上げられてしまう。


「こぉらイズモ、ワガママ言ってる男はモテねぇぞ?」

「ひゃーっ!」


 幼子の耳元で無駄に良い声で囁いたのは、次男クンツである。

 真っ赤になったイズモは、抱き上げられた片腕にがっしりとホールドされて逃げ場を失った。


「クンツの兄様あにさま! その卑猥な声はイズモにはまだ早いです!」

「児童猥褻強要罪で地下牢にぶち込みますよ!?」

「お前ら双子に俺ってどんな風に見られてんの?」


 あえて内服紙オブトラトに包まず言うのであれば、歩く生殖器。侍女たちの間ではすれ違うだけで妊娠すると囁かれている。

 タンザとカイヤの猛抗議もクンツはどこ吹く風。普段は周囲のガードが固くて可愛がれない末っ子を抱いて、彼は満足げに微笑んだ。侍女が見たら妊娠から出産まで即日だろう。


 そしてまた一人、要注意人物が……。


「まぁイズモちゃん♡ クンちゃんに抱っこされてるなんて珍しいわねぇ♡ ローズお姉ちゃんのお胸にもいらっしゃあい♡」


 クンツにすら気配を感じさせずゼロ距離で詰めてきたのは、次女インカローズ。

 細かくびっしりと生え揃った牙を舌でなぞり、幼児に向けるには妖艶すぎる表情でうっとりと微笑んだ。


 迫り来る大迫力の胸部は桃源郷か、それとも伏魔殿か。

「くんちゅにぃ……」と助けを求めて次男の胸に縋りついたイズモにとっては後者である。


「あららぁ? イズモちゃん、どうしたのぉ?」

「姉貴の部屋に遊びに行って襲われかけたのがトラウマなんだとよ」


 小刻みに震えるイズモの代わりにクンツが答える。

 歩き回れるようになったイズモがインカローズの部屋に迷い込んでしまったのが運の尽き。

「食べちゃいたいくらいかぁわいい♡」を有言実行しようとした(何をどうしようとしたのはあえて伏せておく)次女に植え付けられた恐怖心は相当なものだった。


「んもぅ、ただのスキンシップじゃない。……そうだイズモちゃん、フォリア渓谷で採れた木の実のパイがあるの、一緒にお部屋で食べましょう?」


 食べられてしまうのはパイなのかイズモなのか。

 双子とシトリンが警戒して愛するイズモを取り返そうとした時、末っ子がクンツの腕から抜け出した。


「ろーじゅねぇ」

「なぁに、イズモちゃんっ♡」

「……たんじゃにぃとりゅうまいするから、ごめんなしゃい!」


 あれだけ駄々をこねていたのが嘘のように、練習場所の神殿に向かって一目散に駆け出した。

 体よくフラれたインカローズは「あ~ん、いけずぅ」と口を尖らせる。


「イズモ、走ると危な――」


 タンザがそう言いかけた時、案の定イズモは石畳の僅かな段差に足を取られた。


 ――イズモが転ぶ!?


 それまで朗らかにしていた兄姉たちが一斉に血相を変えて駆け出す。

 イズモのまろい額が固い地面とこんにちはしそうになった刹那、花嵐のごとき突風が吹き抜けた。


 誰よりも早くイズモを抱きかかえたのは、長兄カーネリアンであった。

 日々テンガン領の舵取りに追われて忙しい身ではあるが、イズモの動向に常時目を光らせているセ○ムだ。


「石畳から芝生に変えるか」


 末っ子のためには城の内外装にまで手を加える過保護っぷり。無自覚溺愛属性のカーネリアンである。


 憧れの兄を前に、イズモは大きな金眼をよりいっそう輝かせた。


「かーにぃかっこいい! だいしゅき!」


 その場にいた全員が「必殺・だいしゅき爆弾(概念)」の流れ弾を食らい、文字通り吹き飛んだ。尊いが過ぎる……。

 超至近距離で起爆され致命傷を負いながらも膝をつかないのは、さすが最強のカーネリアンである。


 そんな凄惨な現場に降り立つは、長姉セレーネ。


「あらあら。竜を一気に6頭もやっつけるなんて、イズモはすごいわね」

「しぇれねぇ!」


 こちらも優しくて綺麗でだいしゅきな姉。

 彼女の膝に抱きついたイズモの頭を、セレーネはこれでもかと愛で撫でた。


 竜とは宝を守る生き物。

 脆弱なニンゲンの血を引くイズモを特別過保護に扱ってしまうのは、仕方のないことだった。


「イズモが傷ついたらお姉ちゃんたちはとっても悲しいの。だから、危ないことはしちゃだめよ?」

「うん!」

「イズモはなぁんにも心配しなくていいからね。私たちがずーっと守ってあげるから……」


 そんな愛とも呪いとも取れる言葉と共に育ったイズモは今、兄姉たちが手塩にかけて作った竜の巣から飛び立ち、一角乙女と共に救国を成さんと奮闘している。

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一角乙女の薬示録 貴葵 音々子 @ki-ki-ki

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