紙袋目出し帽の秘密

 ユニファとスークスがテンガン領にやって来たばかりの頃。

 未開の地だった極東の丘陵にトルジカの村を立ち上げようと皆が奮闘している中、ユニファはいつもお腹が空いていた。

 いや、ユニファだけではない。戦火から逃れて領民となった者たちに与えられたのは、土地とわずかな食糧の備蓄のみ。そこからは自給自足で補うしかなかった。


 ユニファも草むしりをして畑を作ったり、農作物用の種を取り出したり、できることはやっていたのだが……。


「うぅ……頭が痛い……」


 正確には一角を隠すために常日頃から被っているボロ布の頭巾に締め付けられて、角の根元に負荷がかかっていたのだ。

 一角獣ユニコーンは絶滅したことになっている。テンガンがユニファの正体を知っているのかはわからないが、彼女の秘密を知ればよこしまな考えを持つ者も現れるだろう。

 スークスの言いつけを守り、ユニファはずっと頭巾で角を隠していた。


 そんなある日。

 薬草摘みに出かけていたスークスが、香ばしい匂いを漂わせて帰って来た。ユニファのお腹の虫が「食わせろ~!」と豪快に鳴く。

 ちなみにこの頃のスークスは本編のしわくちゃなお婆さんではなく、ピチピチな美魔女であった。年齢はユニファにさえ頑なに教えていない。


 魅惑的な香り(物理)を漂わせるスークスの元へ、腹ぺこユニファが一目散に駆ける。


「スークス、何を持ってるの!?」

「これかい? 薬のお礼に貰ったのさ。ほら、お前が仲良くしてるタマモちゃん。あの子の御両親がね、今度パン屋を開くそうだよ」

「パン!?!?」


『パン……パンって……P・A・N!?

 小麦とかバターを使った、あの伝説の!?』


 そんな字幕が入ってもおかしくないくらい、ユニファの大きな瞳は宝石のように輝いた。


 何となくお察しだろうが、本編第2話で「お前は本当に顔だけはいいねぇ、顔だけは」とスークスが語っていたエピソードがあるように、この頃のユニファは少々おつむが足りていない。


 ちなみにタマモちゃんというのは本編で度々登場する『タマモベーカリー』の看板娘で、フォックス系獣人族の少女である。

 よくお腹を空かせたユニファにの葉で化かしたパンを食べさせて遊んでいた。


「安心しな、葉っぱじゃなくて本物のパンだよ」

「本物の、パン……!」


 何て甘美な響きだろう。

 バターが薄っすら滲んだ紙袋を前にして、ユニファは涎の海に溺れた。


 備蓄にある僅かな穀物などの主要エネルギーは、力仕事ができる住民に優先的に食べさせている。

 非力で学もないユニファは、キノコや木の実を拾って食べる日々。しかも採りすぎると明日の分がなくなるから、腹二分目までしか食べられない。


 日頃からお腹にブラックホールを抱えたような一角乙女の前に突然舞い降りたP・A・N、パン。


「ほら、お食べ」


 スークスが紙袋から取り出したるは、シンプルな塩パン。しかもまだ温かい。出来立てだ。こんなご馳走、研究所に拉致される前だって食べたことがない。


 小さな口が目にもとまらぬ速さでかぶりつく。口の中にじゅわぁっとバターが溢れた。絶妙な塩味に、甘い小麦の匂い。この世の幸せを全て詰め込んだような感動に満たされた。


「おいひぃいぃ……!」

「泣くほどかい」

「あれっ、スークスの分は?」

「あたしはいいのさ。我慢できずにその場で食べてしまったからね」


 ぐぎゅるるるるるる。


 説得力皆無なBGMがスークスの腹から鳴った。

 バツが悪そうにそっぽを向く魔女に、ユニファの小さな胸にチクチクともジワジワとも言えない痛みが走る。


「……小麦畑はまだ狭いし、酪農用の山羊や牛も足りてない。村中にパンを普及させるにはもうしばらくかかるだろうねぇ」

「だとしたらパンは高級品? タマモちゃん、ぼろ儲けね!」

「小麦と牛乳だけあっても、技術がなけりゃパンは作れない。正当な対価ってやつさ」

「技術……スークスの薬みたいな?」

「そうさね。薬もパンと同じように知識や技術が必要だ。それに、いざという時にはどんな宝と引き換えにしても手に入れたくなる」

「なら薬は高級品?」

「ああ、とびっきりのね」

「とびっきりの、高級品……」


 ユニファは魔族の研究所で薬材扱いされたことで、薬に対する忌避感が芽生えていた。

 できれば二度と関わりたくないと思っていたけれど、角を2本折られてもこうして生きているのはスークスの薬のおかげ。そして何より、薬は高級食品であるパンと交換できる。


 テンガン領に通貨はない。基本は物々交換だ。なのでタマモベーカリーのように、需要がある技術を持つ住民たちの生活はこれからどんどん豊かになる。


 この国で生きていくには知識と技術が必要だ。

 パン作りだけではない。紙袋や麻袋の製造技術、農作物の収穫を増やす知識や農具の加工。何もないトルジカ村で必要とされるものはごまんとある。

 そしてスークスが言うには、薬はみんなが宝物と替えても欲しくなる、とびっきりの高級品。


「……私も、薬を作れるようになりたい」


 そんなユニファのつぶやきに、魔女は膝を叩きながら大笑いした。


「薬草摘みに出かけて毒草を摘んで帰ってきた間抜けなお前が薬師になるって? 無理むり、死人がでちまうよ! ウヒィッヒッヒィ〜!」

「むぅ……。スークスが教えてくれればいいじゃない! いつかすっごい薬師になって、タマモちゃんのパンをおなかいっぱい食べるの! もちろんスークスにもわけてあげる!」


 ものすごく私利私欲にまみれた動機である。魔女は呆れ半分だったのだが、ユニファのパンに対する執着はそれ以上に凄まじかった。


 全ては自分が生きていくため。

 そんな原始的な理由に突き動かされて、彼女は薬師の道を志した。その道程で様々なことを学びながら、徐々に聡明な女性へと成長していく。


 最初の動機は何であれ、後にシグル感染症の予防薬を完成させる天才薬師が誕生するのだから、食欲というのは馬鹿にできない。


 やれやれといった様子でパンが入っていた紙袋を折りたたんだスークスを見て、未来の天才薬師は閃いた。


「スークス、その紙袋ちょうだい!」


 再び紙袋を開いて、スンと中をひと嗅ぎ。塩パンの芳醇な香りが残った素敵な空間がそこにはあった。

 それにこの大きさ、質感、軽さ。ユニファが探し求めていたものに他ならない。


 彼女は重苦しい頭巾を脱ぐと、その紙袋を何の躊躇ちゅうちょもなく頭からすっぽり被った。


「角が痛くない! それに、いい匂いがする!」


 今風に言うなら「シンデレラフィット」というやつだ。

 何度でも言うが、この頃のユニファは少々おつむが足りていない。


 嬉々としながら目の高さで内側から指で突き破り、そうして完成したのが紙袋目出し帽のプロトタイプである。

 さすがのスークスもユニファの奇行にギョッとして「友だち減るからやめときな?」と諭したのだが、猪突猛進な一角乙女の耳を綺麗に通り抜けて行ったのだった。

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