筋肉狂

筋肉狂

　心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの筋（・）肉（・）を愛せよ。――マタイによる福音書 口語訳

　かつて、世界三大宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教であった。ここに第四の勢力として名乗りを挙げたのが『筋肉教』である。

　教祖はムキムキのボディービルダーであり、彼が残した言葉はこうだった。

『筋肉です。筋肉が全てを救うのです。全世界の人々がムキムキ筋肉になれば、争いのない平和な世界になるでしょう』

　人々は毎日、プロテインとササミを食べ、豊かな筋肉を育てていった。もちろん彼らは毎日のトレーニングも欠かさず、皇居周辺は筋肉を育てるマッチョたちで埋め尽くされたのだという。

　こうして全世界の人間が筋肉になる、新筋肉時代が到来したのである――。

　――という、馬鹿馬鹿しい教典を読みながら俺はため息を付いた。早く、家を出ていかなければならない。現実問題、馬鹿らしいと投げ捨てたいこの本は、今まさに目の前に立ち塞がった課題なのである。家を飛び出し、傍若無人でネジが三つほど足りない両親から早く、早く、早く逃げなくては。

　なにが筋肉で世界が救えるだ。

　――両親は純粋な子どもがそのまま大人になったような人だった。これまでも、占いだ風水だとはまって金を溶かし、株取引だ水素水だなんだと騙されてまた金を溶かした。

　そして今回、ハマってしまったのがこの『筋肉教』。

　忘れるはずがない三日前。

　出された夕食が質素。いや、プロテインとササミのみだった。

　意味が分からない。

　ただの宗教だろこんなもん！

「というか、あれ、ゴリマッチョを通り越してもはやゴリラの怪物じゃん。どうやって逃げんだよ……」

　俺は両親（やつら）から逃げている。盛り上がる肉体。呻く唸り声。もはや意思疎通は困難。やつらは俊敏で凶暴な――筋（・）肉（・）である。

　俺は明日、筋肉になるだろう。

　――この記録を読んだものに警告する。『筋肉教』には気をつけろ、と。