書店の明かり
佐古間
書店の明かり
「えっうわ、ミツヤマさん?」
夜の街並みというのは独特の雰囲気がある。少し寂しいような、足りないような、切り離されたような感覚。春が間近に迫ってきてはいるものの、まだ寒い今の時期はとりわけ空気が澄んでいて、静寂に満ちた空間はどこか緊張感を覚えさせた。
だから猶更、聞き馴染んだ自分の名前が呼ばれたことに、肩が跳ねる程驚いた。
正確には街並み……の中のコンビニエンスストア店内。消音で流れる店内BGMと、レジ内で眠そうな顔をしている若い男性店員が一人きり。私が入店した時は他にお客さんはいなくて、私はレポート作成のお供にお菓子を探しに来たところだった。
そもそも、こんな時間にコンビニに来ること自体が滅多にない。
治安のよい住宅街とはいえ、やはり深夜帯の外出は不安があるし、夜に何かつまみたくなっても、基本的には家にあるもので済ませてしまう。
ただ今日に限って、ストックしていたお菓子類が尽きていて、ここの所忙殺されていたので冷蔵庫の中身も空だった。棚にカップ麺の一つもないとは、どれだけ目まぐるしく生活していたのかと呆れてしまう。
ないならないで、我慢できればよかったのだが。
どうしても、どうっしても、何かこう、甘いものが食べたかった。できればパフェっぽい何かが食べたくて、それが無理でも生クリーム感のあるものが食べたかった。苦手な科目のレポートに取り組んでいたせいで、脳が必要以上に糖分を欲しているのだ。あるだろう、そういうこと。
そういうわけで、恐る恐る深夜のコンビニにやって来て、スイーツ棚の前でうろうろと思い悩むこと数分。かけられた声は聴き馴染んだもので、肩を飛び跳ねさせた私は慌てて後ろを振り向いた。
「カイダさんじゃないですか……! 驚かせないでくださいよ」
同じ書店に務めている、先輩アルバイトのカイダさんだった。
カイダさんは中世的な顔立ちで、髪も長いので一見すると女性のように見えるのだが、よく見ると存外がっしりとした体格で、男性だとわかる。声も普通に男性声だ。
今日のカイダさんはプライベートだからか、普段後ろでまとめている髪を下ろしていた。肩を越えるくらいの長さの髪は、私よりも長い。つやのあるストレートにどうしてか「お手入れしっかりしてらっしゃる……」とそんなことを思った。口には出さなかったけれど。
「いやぁ、ごめん、この時間にまさかミツヤマさんを見かけるとは思わなくて」
「それはこっちのセリフですよ。というか、カイダさん、この近くだったんですね」
小さな書店なので、務めるアルバイトだって近隣に住んでいる人の方が多い。それでもアルバイト同士でどこに住んでるかなんて話題にすることはないし、こうして遭遇しなければ誰が近くに住んでるのかなんて気づきはしなかっただろう。
カイダさんは頷きながら、「甘いもの?」と私の前の棚を覗き込んだ。
「ああ、はい。レポート作ってたんですけど、めっちゃ甘いものが食べたくなりまして……どうしても……」
「ああ……でもこの時間あんま品数ないですよね」
「そうなんですよ。食べたいものが何もなくて悩んでたとこでした」
話しながら、口の中がすっかり生クリームになっていることに気づいてがっくりとうなだれる。
深夜にコンビニに来ることが殆どなかったので知らなかったが、スイーツ棚は今ほぼ空だ。よく考えなくても今の時間までの間に売れてしまうのだろうし、売れてしまった後、深夜帯で客入りが少なくなるなら、追加の補充だって行わないのだろう。
辛うじて、生クリームの乗っているプリンが一つ残っている。他にもちらほらありはするものの、ゼリーとかそういう類のものばかりで、私の口が求めているものではなかった。
(諦めてプリンで誤魔化すしかないか……)
思い悩みながらプリンを見つめる。決してプリンが食べたいわけではなかったのだが、生クリーム感がそこからしか得られないのなら、やむを得ない。明日改めて生クリームを求めればよいのだ、とも思うが。
「……ミツヤマさん、駅前まで行く余裕あります?」
「え? 駅前ですか?」
うーん、と唸り始めた私を見て、カイダさんが小さく笑って聞いてきた。
「そう。ウチの店のビルの前にさ、ファミレスあるの知ってる? あそこ、深夜二時まで営業なんだけど」
それから、カイダさんはちらりと腕時計を掲げてみせる。時計の針は二十三時を半分すぎて、そろそろ日付が変わろうとしていた。
「良ければちょっとだけ、一緒にどうです? 話し聞いてたら俺も甘いもの食べたくなってきちゃった」
からりと笑ったカイダさんは、私が何を求めているのかなんとなく察したようだった。ここには生クリームないでしょ、と見透かされた気がして、少しだけ恥ずかしくなる。でも、確かに、求めるパフェっぽい何か――生クリーム感――はファミレスに行けば確実に存在していた。紛うことなく、パフェがある。
相手がカイダさんじゃなければ、きっと流石に断ったのだと思うのだけれど。
「うっうう……! い、行きます……!」
誘惑には勝てなかった。カイダさんはにんまり笑って、「じゃ、行きましょう」と店の外へと促した。
夜の道をカイダさんと二人で歩くのは新鮮な心地がした。
カイダさんは私の教育係にもあたるので、シフトが被ることが多く、何度か一緒にご飯を食べたことはあるものの。シフトが被らない日に時間を合わせて一緒に遊ぶほど親密な関係ではなかったし、互いに特に深入りするような性格でもなかった。程よい距離感が個人的には心地よく、だから、今日の散歩は少し特別な感じがしている。
「ところで、カイダさんはどうしてこんな時間にコンビニへ?」
コンビニから駅前までは徒歩十分程かかる。二人でのんびり歩きながら問いかけると、カイダさんは「いやぁ、暇つぶし?」とよくわからない回答をした。
スイーツ棚前で結構悩んでいたので、カイダさんが――というより、自分以外の誰かが――入店した事にも気づいていなかったのだが、見る限りカイダさんは何も購入していなかったし、目的があって入ったわけではないのだろう。
暇つぶし、という回答はその通りにも聞こえたが、首を傾げた私に「うーん、ちょっと気になることがあって」と続けた。
「ミツヤマさんって、怖い話大丈夫な人?」
急に問いかけられて口ごもる。街灯はついているものの、夜道が急に暗くなった気がして顔を逸らす。それだけでカイダさんは察したようだった。
「あー……じゃあまあ、オブラートに包んで話しますけど」
「えっ話すんですか」
カイダさんの“暇つぶし”から何をどう“怖い話”に移るのか知らないが、聞いたからには話さず終わりにするのかと思っていた。カイダさんは「しなきゃ説明できないし」と笑った。
「えー……ガチめの怖い話なら本当に聞きたくないんですが……」
「そういう感じのじゃないから大丈夫」
何が“ガチめ”で何が“そういう感じ”なのかもはやわからなかったが、話したそうなカイダさんを見て私は渋々続きを促した。
「ウチの店のビルのさ、他のテナントのバイトの子たちが話してるのを聞いちゃったんですけど。深夜零時に“出る”らしいんですよね」
「えっ」
ぴたり、と、足が止まる。
私たちが今向かっているのは駅前のファミレスであって、勤務先の書店ではない。書店ではないが、勤務先も駅前ビルに入っていて、要は向かう先が同じだった。
カイダさんは私の肩をとん、と押して歩くことを促すと、そのまま続ける。急に重たくなった足をゆっくりと動かした。ファミレスでパフェを食べる口にすっかり変わってしまっているのだが、急にものすごく行きたくなくなってきた。誘惑に勝てないように、恐怖心にも打ち勝てそうにない。
「ビルの閉館時間が二十二時じゃないですか。その後警備員さんがいるくらいで中には人が入らないはずなんですけど、ウチの店舗の付近だけ明かりがゆらゆら動いてるんですって」
「えっしかもウチの話ですかそれ!」
思わぬ告白にびっくりして大声を出してしまった。
私の声に驚いたカイダさんが、「ミツヤマさん、声、声」と宥めてくる。深夜の住宅街にやけに響いてしまって、私も思わず口元を抑える。すみません、と小声で謝罪を入れたものの、カイダさんは苦笑を浮かべただけだった。
「零時くらいにゆらゆら動いて、半には消えるらしいんだけど。ほら、内の店舗、一か所だけ窓あるじゃない? あそこから明かりが漏れているのを見たっていう子がいまして」
気になって様子見に来たんですよねぇ、と、カイダさんは話しを終わらせた。
ぞわぞわとした悪寒を誤魔化すように、私は低く「ええ~……」と不満の声を上げた。様子を見て解決していただけるならそれに越したことはないが、私を巻き込まないところでやってほしかった。深夜に得体のしれない何者かが徘徊している、という話を聞いて、私は次回どんな顔で出勤すればよいのだろう。というか普通に行きたくない。
「ほら、そろそろ」
ゆっくり歩いてきたからか、それともカイダさんが意図的に調整したからなのか。
腕時計が零時を指したあたりで、私たちはタイミングよく駅前ビルの前まで辿り着いた。目的地のファミレスはこの向かいのビルにあるのだが、カイダさんはその場から動こうとしない。
自分の勤める職場に関する、“ちょっと怖い話”を聞いてしまったせいで私も一人でファミレスに向かう勇気が出ずに、仕方なく一緒に“それ”を探った。
駅前ビルと言っても寂れたビルで、大きなビルではないので、階数とフロア位置を把握できればどの窓のあたりがウチの店かなんとなくでも把握できる。隣のビルとの間の窓で、表からは見えない位置だが――確かに、視線を向けると、そこから揺らめく明かりが覗いたようだった。
「あっ!」
声を上げた私と裏腹に、カイダさんが小さな声で「やーっぱりいた」と呆れた声を上げた。
「えっ? やっぱり?」
先ほどの話以上に、何か知っていそうなカイダさんに首を傾げる。カイダさんは「あとで教えてあげます」とにんまり笑うと、漏れ出る明かりをスマホのカメラで撮影すると、「それじゃあ行こうか」と後ろを向いた。
「えっ」
その、あまりにもあっけらかんとした様子に戸惑う。
「行かないの?」
「えっ、いや、行きますけど……何か、こう、正体を探るとか、そういう目的だったのでは?」
今はアルバイト間の噂で留まっているとしても。“そういう”噂はあまり良くないものだろう。とても繁盛している店ではないが、マイナスな噂はつかないに越したことはない。だから、噂の原因を探って、解決するのを目的としたのかと思っていたのに。
カイダさんは首を傾げると、「いや、別に?」と不思議そうな顔をした。
「言ったじゃないですか、“暇つぶし”だって」
その言葉には裏も表もなさそうで、私は少し混乱する。カイダさんが「とにかく行きましょう、パフェ、奢りますよ」と言葉を続けたので、欲望に忠実な足はそれで漸く動き出した。
「ほんっとに信じられないんですけど……!」
結論から言えば、私の前には背の高い、苺と生クリームがたっぷり盛られたパフェがあった。
その向こうに、ニヤニヤした顔のカイダさんと、我らが店長のハヤシダさんが座っている。二人の前にはホットコーヒーが置かれていて、カイダさんの前には豪華なプリンアラモードがあった。
ファミレスに入って、パフェを注文してすぐの事。
カイダさんが「ちょっと連絡とっていい?」と、どこへ、とも何故、とも説明せぬままスマホを触りだして、その数分後、困った顔のハヤシダさんがやって来たのである。
件の、“深夜零時に現れる謎の明かり”の正体は、なんてことはない、残業中のハヤシダさんの出す明かりだった。
私とカイダさんが勤める書店、“とまり書房”は、店舗面積が小さく棚づくりが限られているのだが、時折イベントやフェアなどを企画して大きく模様替えをすることが度々あって。ハヤシダさんは、次のイベントに向けてどのように本を打ち出すべきか、店舗の中で考えていたようだった。
「っていうか、あんな時間まで残業できるんですね」
「一応、申請出せば。ミツヤマさんが入ってからは大きなイベントしてなかったし、そろそろやりたいなって」
本当はもっと早く企画したかったんだけどねぇ、と、ハヤシダさんは申し訳なさそうな調子で眉尻を下げた。
「カイダさんも、本当はハヤシダさんだって知ってたんじゃないですか」
怖い話、なんていうからすっかり怖い話だと思って聞いていたが。
現実的に考えたら、警備員の見回りの明かりが漏れたんじゃないかとか、それこそ誰かの残業だろうとか、思いつくことはたくさんあったのに。すっかり幽霊とか、不審者とか、そういう方面で考えてしまった。地味にぞわぞわとさせられたことが不満で、カイダさんを睨みつけた。カイダさんは笑いながら、「いやぁ、でも嘘は言ってなかったでしょ」と言った。まあ、確かに、嘘は言っていなかった。
「前もあったんですよね。ハヤシダさんがおそーーくまで残業してて、ちょっと噂になったの。きちんと申請してるって聞いてたんで気にしてなかったんですけど、そもそもそんな時間まで残業するのもどうかなと思うし」
「うっ……ごもっともです……」
カイダさんは呆れた調子で息を吐いた。
「まあ、俺らはしがないアルバイトですけど。トンダさんとかも結構心配してますから、頼りにしてあげるといいんじゃないですかね」
「そう……ですよねぇ~……トンダさんに手伝ってもらう前にある程度作んなきゃって思ってたけど」
「逆でしょう、普通」
手伝ってもらうのにある程度まで作ってどうする、と、カイダさんが突っ込む。言いたいことはもっともだと思ったので、私もそれには同意した。
「そうですよ。あと私本当に怖かったんで、深夜作業は止めてほしいです」
ついでにそれも付け足しておく。ハヤシダさんは軽く笑って、「まあ、そりゃそうですよね」と思い切り眉尻を下げた。
「すみません、二人とも。お詫びにここは僕がご馳走します」
「えっマジっすか、やった~!」
ぺこり、と頭を下げたハヤシダさんに、カイダさんが待ってましたと言わんばかりに喜んだ。出されたものの、手を付けていなかったプリンアラモードにいそいそと向き直る。なんだかんだ、カイダさんの口もプリンアラモードの口になっていたのかもしれない。
(っていうか)
急にニコニコと満面の笑みになったカイダさんを見て、私は思わずハヤシダさんを盗み見た。私の視線に気づいたハヤシダさんが、全てわかってると言いたげな様子で、「ミツヤマさんも遠慮なく」とパフェを勧める。元より私は、カイダさんにご馳走してもらうつもりで来たのでどちらでもよいのだけれど。
(カイダさん、ハヤシダさんにご馳走してもらうのが目当てだったのでは……?)
もちろん、遅くまで残業するハヤシダさんをセーブするため、が一番の目的で、ハヤシダさんもそれを心得ているのだろうけれど。
満面の笑みでプリンを掬ったカイダさんは、私より年上のはずなのに、子供の様な顔つきで。
その顔を見ていたら、“怖い話”で脅かされたことなどどうでもよくなってしまって、私も潔くパフェに向き直った。
この生クリームを倒したら、明日からまた頑張れる。気がする。
書店の明かり 佐古間 @sakomakoma
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